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▼ 平成21年(2009)11月28日(土)29日(日)の両日、大分県豊後大野市緒方町(ぶんごおおのし・おがたまち)原尻の滝(はらじりのたき)上流域で約800年の歴史を持つ「緒方三社(おがたさんじゃ)川越(かわご)しまつり」が行われたので、激写してきた。 |
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【凡例】 ▲:上の画像の説明文 ▼:下の画像の説明文 〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示 |
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地図:Google Earth |
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▲▼ 豊後大野市は、大分県の南部にあり、平成17年(2005)に大野郡5町2村が合併し、市制を施行して発足した。西に隣接する竹田市(たけたし)と共に豊肥(ほうひ)地区(奥豊後)とも呼ばれる。 |
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緒方町は、豊後大野市西部の山間にあり、町内を分断して北流する緒方川(おがたがわ)は、別府湾に注ぐ一級河川・大野川の支流である。 |
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マウスカーソルで画面のどこかをポイントすると説明が現れます。 |
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資料 |
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イラスト:配付チラシの挿絵(豊後大野市緒方支所) |
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▲▼ 原尻の滝は、緒方町原尻を流れる緒方川の幅120m、高さ20mの滝で、日本の滝百選に選ばれている。平地に突如現れるのが特徴で、馬蹄形をしていることから、「東洋のナイアガラ」とも呼ばれる。滝の下流には歩くと揺れる吊橋があるほか、500m上流には大正12年(1923)に建造された5連アーチの石橋・原尻橋がある。 |
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▲▼ 原尻の滝周辺に鎮座する緒方三社は、緒方三郎惟榮(おがたさぶろう・これよし)により建立されたと伝わる神社で、仲哀(ちゅうあい)天皇(父神)を祀る一ノ宮八幡社(滝の東方・久土知くどち)、応神(おうじん)天皇(子神)を祀る二ノ宮八幡社(滝の東方・原尻)、神功(じんぐう)皇后(母神)を祀る三ノ宮八幡社(滝の北方・上自在かみじざい)の三社をいう。 |
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▲▼ 緒方三郎惟榮(おがたさぶろう・これよし)は、12世紀末の源平争乱期、緒方を中心に肥後や日向にまで勢力を伸ばした武士団の棟梁で、平氏の御家人でありながら平氏の横暴な振る舞いに怒り、縁のあった宇佐神宮を焼き討ちにするなど、源氏の武将として活躍した。 |
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▲▼ あるとき宇佐神宮焼き討ちの際に流れ矢が膝に当たり、どうしても抜けないという不可解なことが起こった。これを宇佐神宮の神罰だと考えた惟榮(これより)は、その許しを請うべく領地を寄進し、宇佐神宮の分霊を勧請して将来にわたって祀ることを誓うと、不思議なことに矢が抜けて傷もたちまち癒えたという。 |
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応神天皇(子神)を祀る二ノ宮八幡社(御旅所)/緒方町原尻
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▲▼ そこで惟榮(これより)は、3本の矢を同時に放ち、刺さった場所に一ノ宮、二ノ宮、三ノ宮を建立したという。 |
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今から800年ほど前に、源頼朝から豊後の国を任された大友能直(おおとも・よしなお)が緒方三郎惟榮(おがたさぶろう・これよし)の一族を討ち滅ぼしたあと、原尻の滝で洪水や暴風雨が相次いだ。惟榮(これよし)の怒りではないかと恐れた能直(よしなお)は、原尻の二ノ宮に緒方一族の霊を祀ったのが川越しまつりの始まりだといわれている。 |
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川越しまつりは、一ノ宮(父神)神輿と三ノ宮(母神)神輿が年に一度、二ノ宮(子神)八幡社に集まり、一夜を共にする祭りである。一ノ宮と二ノ宮は緒方川の右岸(東岸)にあるため、一ノ宮は陸路で行けるが、三ノ宮は左岸(西岸)にあるために川を渡らなければならない。祭り当夜、三ノ宮神輿が褌(ふんどし)一丁の若者たちに担がれて、緒方川を渡る姿は勇壮で、川越しまつりとして知られるようになった。 |
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「川越しまつり」の問い合せ:豊後大野市緒方支所産業建設課(TEL 0974-42-2111) |
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祭日は、旧暦の特定日に決まっているが、近年は、その日に近い新暦の土日に行われるようになり、平成21年(2009)は、11月28日(土)に渡御(遷御)、11月29日(日)に還御が行われた。 |
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親子神三柱が一夜を共にする御旅所・二ノ宮八幡社の拝殿
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▼ 川尻の滝のすぐ上流(南)の川中に大きな石鳥居が建っており、三ノ宮神輿の川越えは、その周辺水域で行われる。 |
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川渡神事の会場/緒方川 |
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▼ 11月28日の渡御(遷御)神輿は、(1)から入水し、(4)の水門を乗り越えて西側の水路を往復し、再び(4)の水門を下って(5)に至り、西から東へ大鳥居をくぐって(6)に至り、(8)から上陸して二ノ宮に向かう。11月29日の還御神輿は、その逆コースをたどる。 |
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三ノ宮神輿の渡御・還御コース |
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▼ 写真下中央の水門は、1mほどの落差があり、その西側には深さ1mほどの井路(いじ)がある。井路は、灌漑(かんがい)や給水、舟運や発電などのために切り開かれた水路のことで、その水は、疎水(そすい)と呼ばれる。 |
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水門の奥(西側)は水深約1mの水路 |
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▼ 大鳥居周辺の緒方川は、川床が岩盤でできており、長年の水流で削られてできた凸凹の表面は、鏡のように滑らかである。ときどき担ぎ手が滑って転ぶことがあるため、水中での神輿差しなど、派手なパフォーマンスは行われず、勇壮ながら安全第一に徹した神事が催行される。 |
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滑りやすい岩盤の川床 |
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▼ 写真下は、左岸(西岸)の上自在(かみじざい)から眺めた原尻の滝である。川中の大鳥居は、「八幡宮」の扁額が西側にあることから、西向きに建てられており、西から東にむかう川中参道である。 |
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写真左(右岸)の川原に設けられた左三つ巴紋の拝殿幕がかけられた木組みは、二日目に三基の神輿が並べられて神事が行われる仮設祭壇である。三ノ宮神輿の担ぎ手の控え室や更衣室はないので、このそばで更衣が行われ、担ぎ手たちは、そばに積み上げられた井桁松明(いげた・たいまつ)を燃やして暖を取る。 |
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あきふかむ はちまんとりいは かわのなか |
Late autumn, Hachiman torii standing in the river.
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動き始めた三ノ宮八幡社 2009.11.28 17:10
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▲▼ 11月28日(土)午後5時頃、上自在(かみじざい)の三ノ宮八幡社に行くと、既に神職や氏子役員たちが集まっており、間もなくお祓いや神輿の御霊入ノ儀などの神事が行われた。 |
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神事のあと挨拶する上自在区長/三ノ宮八幡社 17:50
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