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▼ 三ノ宮神輿を運んできた上自在(かみじざい)の氏子たちは、宮田(みやた)で褌に着替え、原尻の川原で褌を締めてきた原尻の氏子たちと合流し、焚き火や御神酒(おみき)で暖を取りながら出発の合図を待った。 |
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御神酒と焚き火で暖を取る川組の裸衆/宮田 2009.11.28 18:40
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▼ 三ノ宮神輿を担いで川を渡る川組のいでたちは、前垂れ式六尺褌と足袋裸足(たびはだし)という簡素なもの。踏まれても足袋が脱げないようにテーピングしている人もいる。 |
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▲▼ 鉢巻も締めず、草鞋(わらじ)も履かない。長めに前垂れを残す締め方は、大分県の特徴である。前垂れが長いと足に絡みつき、緩みやすい欠点があるが、水中で転んだときに、前垂れを掴んで助けることができるので、長い経験から生まれたこだわりの締め方である。 |
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▼ 午後7時ころ、花火の合図で、三ノ宮神輿は裸の若者たちに担がれ、宮田を出発して緒方川へ向かった。都市部と違って、まわりは田園地帯のため、照明がなく、手にした竹松明(たけたいまつ)が頼りである。 |
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▼ 神功皇后(じんぐうこうごう)の神霊が鎮座する三ノ宮神輿は、(1)の地点から緒方川に入り、川中の大鳥居の西側を通過して(4)の水門に向かった。 |
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三ノ宮神輿の渡御・還御コース/緒方川 |
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石鳥居の西側を進む川組神輿 19:05 |
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▲▼ 水門に到着した裸神輿は、水門を越えて水路(井路)に入り、一周した後、再び水門に戻ってきた。初日は、神輿が水路に入ることを知らなかったため、神輿が水門を越えて水路に入るシーンは撮影できなかった。写真は、水路から水門を下って緒方川に入るシーンである。 |
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難所の水門越え! |
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▲▼ 原尻の滝の滝口には上自在と原尻を結ぶ道があり、わざわざ滑りやすい川床を通る必要はないと思われるが、いつの頃からか、あえて川床を担いで渡る慣行が生まれたのは、男たちのかっこよさを女性に見せる意味があったのではないだろうか。 |
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あきのよる すいもんくだる ふどししゅう |
Autumn night, men of loincloths going down the water gate.
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▲▼ 水門を越えて水路の疎水(そすい)に浸かるのは、水深1mほどの水中を進むパフォーマンスを見せるためで、もし単に渡川するだけなら、渇水期にあたる11月であってみれば、褌も濡らさずに対岸にたどり着くことが出来る。それでは面白くもなんともないため、あえて疎水を渡御するようになったものと思われる。 |
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▲▼ 「川越しまつり」最大の難所がこの水門越えである。画像編集により、写真には写っていないが、多くのアマチュアカメラマンたちがこの勇壮なシーンを切り取ろうとシャッターを切っていた。 |
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▼ 無事に難所を通過した三ノ宮神輿は、大鳥居の篝火(かがりび)を目標に、川の中央に向かって進んで行った。 |
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