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 感動写真集

2012年6月15日改訂

 

 

 

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昨 日

♪鎮守の森  水の宮・和風BGM

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           白と黒車道を渡る町神輿  北舟 

2006年6月23日作成

淺草寺に向かう裸神輿

淺草寺に向かう裸神輿(淺草寺/東京都台東区)

淺草神社神紋「三葉葵」   淺草神社神紋「三網」   淺草神社神紋「左三巴」

江戸っ子!三社祭

褌神輿

氏子各町神輿連合渡御
 5月20日(土)は絶好の晴天に恵まれ、町神輿の連合渡御が行われた。西浅三北町会は、朝から神酒所の設営を完成させたあと、子供神輿が集合場所の浅草ビューホテル前に向けてスタートした。次代を担う子供たちの健やかな成長を願い、お父さんたちも指導に力が入る。

元気よく子供神輿の出発!

元気よく子供神輿の出発!

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浅草ビューホテル
 神輿集合場所の浅草ビューホテル(京都台東区西浅草3-17-1 )は、淺草寺の西方、国際通りの西側に建つ。
 昭和12年(1937)9月、この地に収容人員4000名の国際劇場がオープンし、松竹少女歌劇(SKD)が浅草松竹座から本拠を移して一世を風靡。途中戦争で中断されたが、昭和57年(1982)4月の最終公演で使命を終え、昭和60年(1985)9月に浅草ビューホテルが開業し、現在に至っている。

浅草ビューホテル周辺マップ

浅草ビューホテル周辺マップ

資料

 平成17年(2005)8月秋葉原〜つくば間58.3kmを45分で結ぶ「つくばエクスプレス」が開業。国際通りの地下を走るつくばエクスプレスの浅草駅はこのホテルの前にあり、これからの浅草の発展が大いに期待される。

 例年、ビューホテル前の国際通りは、西側車線が通行止めとなり、町神輿の集結場所になっている。我が町会は、いつもなら芝崎の三町会が先に発進してからになるが、今年は午前11時15分ころ、真っ先に連合渡御集合場所の観音裏広場に向けて出発した。

役員たちの出発前の打ち合わせ

役員たちの出発前の打ち合わせ

ふんどし 神輿
 写真下のように、西浅三北(にしあさ・さんきた)神輿は、白半纏と黒半纏が左右に分かれ、褌をキリリと締め込んだ入墨(いれずみ)姿の裸たちが担ぎ棒の前後に立って担ぎ手を鼓舞するフォーメーションをとることで知られる。

西浅三北神輿の発進!

西浅三北神輿の発進!

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 町会の白半纏(「西に浅草」の大紋、北の角字の肩柄)と鼠の役半纏(青年部の若睦(わかむつ)役員用で同柄)は一般の氏子たち、紫か紺の黒半纏は高橋組の丸金(まるきん)睦と中村会の氏子である。所属がどこであれ、だれもが役半纏の指示に従い、車の両輪のように白黒協調して神輿を担いでいる。

国際通りを横断する三北神輿

国際通りを横断する三北神輿

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 白と黒車道を渡る町神輿 北舟 

しろとくろ しゃどうをわたる まちみこし

 この町会には、指定暴力団住吉会系の高橋組と中村会の二つの事務所がある。長老の話では、高橋組は遅くとも昭和23年(1948)ころには丸金(まるきん)の半纏で祭りに参加していたという。正確には浅草高橋組といい、大正期に浅草に一家を構えた歴史があり、浅草の高橋組と云わなくても下町ではマルキンで通る。

淺草寺に向かう褌神輿

淺草寺に向かう褌神輿

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浅草っ子の心意気

 白半纏、黒半纏のどちらも同じ下町の住民であり氏子である。外から見ると異様に見えるかもしれないが、私たちに違和感はない。人それぞれに境遇の違いがあっても、年に一度、社会のしがらみから解放され、今年も無事に三社祭に参加できたことを神に感謝し、同じ神輿を心おきなく担いでその喜びを分かち合いたい。浅草はそういう人情の深い下町である。

観音裏広場に集結した107基の町神輿(右半分)

観音裏広場に集結した107基の町神輿(右半分)

撮影:和田義男

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西浅三北神輿の大集団

 重量が1トンもある本社神輿とほぼ同じ大きさの三北神輿は、最大級の町神輿で、人気が高いことなどから、毎年全国から集まった同好者たちが半纏を借りて氏子と共に神輿を担ぐため、白半纏 900人、黒半纏1000人という大集団となる。

観音裏広場に集結した107基の町神輿(左半分)

観音裏広場に集結した107基の町神輿(左半分)

撮影:和田義男

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107基の連合渡御

 正午までに〈西部16町会*〉〈南部16町会〉〈東部12町会〉の合計44ヵ町から107基の神輿が観音裏広場に集合した。これだけ多くの神輿が一同に会するのは壮観の一語に尽きる。
 少なくとも170団体以上の睦会(むつみかい 同好会)が全国から集まり、各町会の半纏を借りて地元の氏子たちと共に神輿を担ぐ。三社祭の担ぎ手は、三日間で、総勢3万人以上になると推計されている。 
*西部16町会:西部の西特一番(浅草清三町会・浅草町一町会・浅草町二町会の浅草町連合町会)は隔年で連合渡御と本社神輿渡御に参加する。今年は本社神輿渡御に参加するため、西部は13町会となり、今年の連合渡御は正確には41ヵ町である。

出発を待つ褌・入墨の男たち

出発を待つ褌・入墨の男たち

撮影:和田義男

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 観音を背負ふ江戸っ子三社祭 北舟 

かんのんを せおうえどっこ さんじゃさい

淺草神社の祭礼委員

 淺草神社では、御幣を手にした神職が宮入してくる町神輿を待っている。カンカン帽に平袴姿の長老たちは、西浅三北町会の役員で、向かって左から平井祭礼委員、嶋村祭礼委員長、竹内祭礼委員。町会長の奥山憲治さんは、祭礼委員長を兼務しない。祭礼委員は神輿の宮入に立ち会い、お祓いを受ける。

西浅三北の長老たち

西浅三北の長老たち

志村清貴 しむら きよたか

  さんのこと
 三年前「浅草・三社祭」を御覧になった志村さんからお便りを頂いて以来、メールのやりとりが始まった。一昨年「三社祭2004」を発表してからは頻繁になり、「青梅大祭」を御覧になって、去年・今年と青梅大祭に足を運ばれた。
 今年になってからは、素盞雄(すさのお)神社天王祭や鳥越(とりごえ)神社例大祭などの見事な祭り写真をお送り頂くようになり、その都度お便りコーナーに紹介していたが、コンパクト・デジカメの撮影であるにもかかわらず、とても良く撮れていた。
 志村さんは神輿を担ぐ合間に撮影されるので、感動的なシーンに出会う都度、観客が立ち入れない最適位置からタイミング良く画像を切り取ることができる。私には絶対にできない手法であり、美しくて迫力ある画像にすっかり感動してしまった。
 そこで、あつかましくも地元浅草の三社祭の作品を感動写真集に発表して頂けないか、お願いしたところ、最初は謙遜されておられたが、快く引き受けて頂き、今年、志村さんによる三社祭の取材が行われた。
和田義男
 志村さんから郵送されてきたCDには、雨天で中止となった行事を補う意味で、二年間撮り溜めた写真が20近くのフォルダーに分類されてぎっしりと詰まっていた。早速画像を開いてみるとビックリ! 褌・入墨姿の裸の男たちが、神輿の上で躍動している写真がズラリと並んでいた。
 志村さんが西浅三北町会の氏子であった幸運を神に感謝し、江戸下町の伝統文化を今に伝える勇壮な神輿として最も注目される西浅三北神輿の全貌を明らかにしたいと、熱い意欲が湧いてきた。
 志村さんにお聞きすると、マスコミは意識的に西浅三北神輿を避けており、特に、基本のフォーメーションをとっているときは完全に無視されるという。そこで、私のこれまでの信条である「事実をあるがままに切り取る」作品にしようと決意し、お送り頂いた画像の迫力に感動しながら編集に打ち込んだ。
 これだけ大きな祭りであるため、足らないところは、志村さんの友人 K. I. さんと私の写真で補い、このほど三社祭の決定版を創ることができた。志村さん、有り難う!  平成18年(2006)6月23日   監修 和田義男
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