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編集後記
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江戸の伝統文化を伝えた日本一の祭り |
江戸学の第一人者として知られる歴史・民俗学者の西山松之助(にしやま・まつのすけ)は、平成5年(1993)に出版した講演録「江戸庶民の四季」(岩波セミナーブックス)の中で、「私はいま日本中のお祭の中で、三社祭がいちばん江戸時代の伝統をよく伝えているのではないかと思います。・・・」と述べている(130頁)。 |
「・・・午前八時になりますと御幣(おんぺい)が一宮、二宮、三宮に渡されまして、それから神輿を担ぎ出すのです。しかし、体中、刺青(いれずみ)した若衆たちが褌(ふんどし)一つで神輿の上に上ってしまうのでスムーズには行かない。ああいう風景はどこにも見られません。三社祭だけです。」(131頁)と述べ、まさに西浅三北神輿があるが故に、三社祭が日本中の祭の中で最も江戸時代の伝統を伝えている祭であると高く評価しているのである。 |
今回、西山松之助が「ああいう風景はどこにも見られません。」と断言した西浅三北神輿にスポットライトを当て、志村清貴さんが二年に渡って取材された素晴らしい写真をもとに、三社祭の全容を描いた決定版・「江戸っ子!三社祭」を世に出すことができたことは大きな喜びである。これまでマスコミが取り上げてこなかった江戸っ子の鯔背な神輿を世界中の方々にご覧いただき、日本人の裸文化を見直していただければ幸いである。 |
★☆★彡 |
志村さんからCDに入れて送られてきた画像は1200枚、1125MB。ソニーのサイバーショットで撮影されたもので、カールツアイスレンズの性能が如何なく発揮され、どれも美しい写真ばかりだった。しかも神輿を担ぎながら盛り上がったシーンをタイミング良く切り取っておられ、その迫力はご覧いただいたとおりで、とても感動した。 |
几帳面な志村さんは、フォルダーにキチッと仕分けされておられたので、三社祭の全容がよく分かった。写真と文献を照合するなど、私なりに調べた結果、江戸時代の浅草の祭りは観音祭といわれ、現在の三社祭はその一部に過ぎないことが分かった。 |
そこで、淺草寺に分離されてしまった祭りも含め、現在に残る江戸時代の祭りに関連する行事を時系列に並べ、その全容を再現することにした。三社祭をこのような視点から捉えた作品は初めてではないかと思われ、これは志村さんのお手柄である。 |
観音示現会の金竜の舞や堂上げ・堂下げ、白鷺の舞と、編集が進むにつれ、名作が沢山あり、捨てがたい画像をあれもこれもと拾っているうちに、12頁大小100枚にのぼる巨大な作品になってしまった。 |
どれも的確なアングルと絶妙のタイミングで撮影されており、志村さんの豊かな感性とセンスの良さが光っている。また、ご協力頂いた K. I. さんの画像も素晴らしいものである。 |
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前半は、ロマン溢れる美しい画像が眼を楽しませてくれるが、後半の「褌神輿」の頁に入るやいなや、入墨・褌姿の裸衆が躍動し、大きな盛り上がりを迎える。長編ではあるが、最後まで退屈することなく、今に伝わる江戸の下町・浅草のロマンと感動をたっぷりと味わっていただける作品になった思う。 |
青梅大祭の村野公一さんには、彫物をした江戸っ子の浮世絵や瓦版を提供して頂いた。そのお陰で、江戸下町の裸文化のルーツが明らかとなり、作品に深みと花を添えて頂いた。ここに厚く御礼申し上げたい。 |
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舞 台 裏
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報道の規制 マスコミは、暴力団が参加するイベントは報道しないという倫理規定に拘束されているため、時として真実を伝えず、国民に誤った認識を持たせることが起こる。私は西浅三北神輿が三社祭の花形として人気を博している事実を正しく伝えたいと思って編集した。褌も入墨も裸神輿も今に伝わる江戸下町の伝統文化である。読者の方々には、是非とも来年の三社祭に足を運んで、その真骨頂を体感して頂きたい。 |
警察の規制 編集段階で、昨年機動隊車輌が西浅三北町会の本社神輿渡御に繰り出した写真を掲載していたが、志村さんが当時の過剰規制を思い出す写真だといわれるので、掲載を断念した。一般市民が警察の姿を見て嫌な思いをすることはとても不幸なことであり、残念に思う。 |
志村さんは、「人それぞれに境遇の違いがあっても、同じ町会に暮らす氏子たちが、今年も無事に三社祭に参加できたことを神に感謝し、同じ神輿を心おきなく担いでその喜びを分かち合いたい。」と願っておられ、このささやかな願いは、誰憚ることもない。 |
住民の気持 最後に志村さんのコメントを紹介して、〆(しめ)としたい。
「高橋組は、黒半纏1000人の休憩場所として、路上やガソリンスタンドにテントを設営し、簡易トイレや木枠で囲ったゴミ捨て場を設置するなど、近隣住民に迷惑をかけないように大変気を遣っています。祭りが終わった翌朝には、何事も無かったように片付いて、タバコの吸殻一つ落ちていません。」 |
「近隣住民として、組事務所の存在は普段の生活では感じませんが、祭りのときには、彼らの力をいい意味で感じます。組やマルキンだからといった偏見は無く、彼らの力が無ければ三北神輿は上がらないし、本社神輿の渡御も叶いません。分け隔てなく同じ氏子として神輿を担ぎ、祭りの成功を願っています。」 〈 完 〉 |
2006年6月23日 和田義男 |
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