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▼ 明治22年(1889)に嶺、西久保、横砂の三村が合併して袖師村となり、現在の袖師町へと発展してきたが、かつては、嶺には神明神社、西久保には鹿島神社、横砂には廬崎(いおざき)神社があり、三地区とも奉納相撲が盛んに行われ、そのとき作られた相撲甚句「大甚句(嶺)、二上がり(西久保)、七ツ拍子(横砂)」が今に伝わっている。神明宮には、三村の相撲甚句を記した立派な記念碑が立っている。 |
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この袖師町の伝統文化を受け継ごうと、袖小の4年生が総合学習で地域の指導者から相撲甚句を習い、平成20年(2008)に児童約15人が正規の相撲まわしを締めて土俵に上がり、初めて袖師町相撲甚句を披露した。 |
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この年も袖小の豆力士8人が相撲まわしをきりりと締めて参道入口から入場し、袖師町相撲甚句を披露した。 |
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腕組みして行進する 8人の豆力士たち |
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豆力士の締める相撲まわしは、前垂れを長く垂らしており、筆者としては初めて目にする光景である。相撲を取るには邪魔になると思われるが、この地域独特のこだわりの締め方なのだろう。 |
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土俵上で円陣を組む 11:43 |
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▲▼ 昭和59年(1984)に「袖師地区まちづくり推進委員会」が作成した「袖師地区相撲甚句集」が市立図書館に残されており、既に資料化が図られている。袖師町相撲甚句は、大甚句、二上り、七ツ拍子と三つあり、それぞれに所作が違うが、どれも五穀豊穣に感謝する意味が込められているという。 |
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袖師町相撲甚句を披露 |
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子供たちによる相撲甚句の披露のあとは、大人たちが化粧まわしを身につけて、土俵入りを披露した。本格的な相撲装束一式が取りそろえられており、かつては、成人男子による盛大な相撲大会が行われていたことが伺われる。 |
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青年力士の土俵入り 11:52 |
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おさなごを かたてにいだき みやずもう |
Sumo
wrestling at shrine, holding a baby in his arm. |
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幼児健康祈願の土俵入り / 亀甲山 12:00 |
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▲▼ 続いて幼児健康祈願の土俵入りが奉納された。化粧まわしを付けた力士が赤ちゃんを抱きかかえ、神前で土俵入りを行い、赤ちゃんが健やかに成長するように祈願するもので、赤ちゃんは鉢巻きを締めている。赤ちゃんをみつめる亀甲山の優しいまなざしが印象的。 |
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幼児健康祈願の土俵入り / 富士ヶ峰 12:15 |
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低学年から始まった勝ち抜き戦 / 午後の部 12:36 |
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▲▼ 昼休みの腹ごしらえのあと、12時半ころから午後の取組に入り、低学年から順に勝ち抜き戦が行われた。 |
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立ち会いの瞬間 |
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得意ののど輪で攻める |
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勝ち抜き戦に勝利すると、メロン1玉がもらえる。これは、30年来、変わらないといい、子供たちは、メロンをもらおうと張り切って相撲を取る。兄弟三人が参加し、二人がメロンをゲットしたというブログの記事があった。父親が戦術を伝授するなど、家族が一団となって準備している様子が書かれていた。 |
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勝ち抜いてメロンをゲット! |
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はっけよい! |
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がっぷり四つ |
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見事な上手投げ! |
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押し出し! 13:01 |
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力相撲! 13:06 |
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力余って下敷きに! 13:14 |
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