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長岡市は、新潟県の中部・中越地方に位置し、人口約81万人の新潟市に次ぐ県下第2位の28万人余の人口を誇る都市で、国から特例市に指定されている。花火王国として有名で、市の中心を流れる信濃川では、毎年8月1〜3日に長岡まつりが開かれ、豪快な正三尺玉花火が打ち上げられる。 |
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人口30万人級の都市としては、世界的に見ても珍しい程の豪雪地帯で、過去に記録的な豪雪を何度も経験している。市街には雁木(がんぎ)が整備されているほか、市では「無雪都市」を宣言し、長岡駅前大手通りには、雁木を改造した大規模なアーケードが設置されている。 |
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雪国・ |
長岡市 |
郊外から見た |
守門岳 |
(1,537m) |
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裸押合大祭が行われる栃堀(とちぼり)は、かつては栃尾市(とちおし)にあったが、平成17年(2005)1月1日に長岡市に吸収合併されたため、現在は長岡市にある。JR長岡駅前から栃尾行きバスに乗り、1時間ほど東に走ると、終点の栃尾バスターミナルに到着する。 |
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長岡市東部の |
栃尾 |
市街と |
守門岳 |
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写真提供:星野幸男 撮影:佐藤義一 |
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栃堀は栃尾バスターミナルから更に南東方約10kmにある270軒ほどの集落で、車社会となってからバスの本数が少なくなり、この日宿泊した刈谷田川(かりやたがわ)ニューホテルの送迎車に迎えに来てもらった。 |
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栃堀の町内には、昭和55年(1980)に苅谷田川(かりやたがわ)ダムができるまでは、度々氾濫して暴れ川として恐れられていた苅谷田川が流れている。確かに河床が高く、集中豪雨のときには大変だったことだろう。 |
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刈谷田川 |
ダムができるまで暴れ川だった刈谷田川 |
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送迎バスを運転して出迎えてくれた人は、ホテル支配人の大橋茂雄さん。旅の目的を話すと、全面的に協力して頂けることになり、栃堀の上流、刈谷田川ダムのそばに建つホテルに着く前に、巣守(すもり)神社裸押合大祭本部が置かれている栃堀ふるさと交流会館や巣守神社に案内してもらった。 |
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巣守 |
神社裸押合大祭本部が置かれた栃堀ふるさと交流会館 |
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栃堀ふるさと交流会館では栃堀の酒井区長に紹介して頂き、褌を締めるところから取材させて欲しいと申し入れてもらった。また、帰りは車で45分の道のりをJR長岡駅まで送って頂くなど、大橋さんには大変お世話になった。 |
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栃堀の酒井区長(左)と御世話になった大橋さん
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裸押合大祭のポスター
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栃堀の東方約10kmに聳える守門岳(1,537m)は、袴岳を主峰とし、青雲岳、大岳、中津又岳が一大山系を形作る連峰で、越後中部の名峰と讃えられる。大岳の頂上には守門大明神が祀られている。戦国時代の武将・上杉謙信がまだ幼少の頃、守門岳の山麓で狩りをして心身を鍛練したという言い伝えがある。 |
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写真提供:星野幸男 撮影:佐藤義一 |
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地元資料を調べて頂いた星野幸男さんによると、故人が書き残した文献に守門山(すもんやま/すもんざん)という表現があり、栃堀から見える大岳、青雲、袴岳を併せて守門大明神として信仰していたので、この三山を守門山と呼んでいたのではないかという。 |
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写真提供:星野幸男 撮影:佐藤義一 |
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裸押合大祭が開かれる巣守(すもり)神社は、栃堀ふるさと交流会館から歩いて数分のところにある。旧栃尾市一帯には、守門岳(すもんだけ)を祀る巣守神社や守門神社と呼ばれる神社が多い。同名の神社があるので、間違わないよう注意する必要がある。 |
巣守神社社務所:〒940-0145 新潟県長岡市栃堀4317 TEL 0258-52-5124 |
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どの神社も御神体は「守門(すもん)大明神」と崇められる守門岳であるが、記紀(きき)(古事記と日本書紀)に登場する神々を祭神に加えることで、形式上大和の神々の系譜に連なっている神社が多いという。筆者の推測では明治維新以後、革命政権が神社という新しい概念を創造し、天皇を頂点とする国家神道を打ち立てたときに考えられたものと思われる。 |
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巣守神社も巣守大神(すもんおおかみ)を祭神(斎神)としているが、本殿中央には「正一位守門(すもん)大明神」と書かれた神額(しんがく)が掲げられており、本来は守門岳を崇める信仰であったことが伺われる。 |
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除雪された石段と一枚岩をくり抜いた禊場 |
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巣守大神(すもんおおかみ)は、かつては主斎神の建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)【天照大御神の弟神】のほか、美都波能売大神 (ミズハノメノオオカミ)【水の神】、大山積大神(オオヤマヅミノオオカミ)【山の神】、高倉下命(タカクラジノミコト)【天香山命(アメノカゴヤマノミコト)の別名で弥彦神社の祭神と同神】、刈谷田姫命(カリヤダヒメノミコト)、大己貴大神(オオアナムチノオオカミ)【大国主命のこと】の六神とされていたという。 |
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しかし、現在、新潟県神社庁に届けられているのは高倉下命(タカクラジノミコト)と刈谷田姫命(カリヤダヒメノミコト)の二神のみである。刈谷田姫命は、守門岳の大岳に鎮座する神で刈谷田川を司る。暴れ川である刈谷田川を神として祀ることで、洪水を防ごうとしたものと思われる。 |
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天正年間(1570年代)、上杉謙信が守門岳(すもんだけ)登山口の栃堀にある巣守神社に毘沙門天(びしゃもんてん)を祀り、戦勝祈願や五穀豊穣を願ったのが裸押合大祭の始まりといわれる。数年前までは1月15日に開催されていたが、事前の準備が大変なので、2月の第二土曜日になったという。 |
毘沙門天像は守門岳から切り出された椿(つばき)の木から作られおり、根元(表とも)で作ったものを栃堀に、上の部分(裏)で作ったものを浦佐(うらさ)に祀ったといわれている。 |
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「正一位 |
守門 |
大明神」の |
神額 |
がある本殿 |
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越後の二大押合大祭 |
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新潟県南魚沼市(旧大和町)浦佐の裸押合大祭とあわせて、越後の二大押合大祭と呼ばれる。浦佐の裸押合大祭の方は規模が大きく、国の重要無形文化財の指定を受けているが、祭り衣装が褌からハンダコ(半股引)に変質しており、とても残念に思っている。最初、浦佐の取材を検討していたが、褌でないことが分かった時点で、栃堀の方を取材することにした。 |
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巣守神社本殿の奥にある祭壇 |
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祭り当日、巣守神社本殿にある祭壇の中央には毘沙門天像が置かれる。毘沙門天は仏教における天部の仏で、持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神であり、神仏混淆(こんこう)の名残が伺える。 |
毘沙門天を奉納した上杉謙信は、上杉氏の下で越後の守護代を務めた長尾氏出身で、初名は長尾景虎(ながお かげとら)といい、兄である晴景の養子となって長尾氏の家督を継いだ。のちに関東管領上杉憲政から上杉氏の家督を譲られ、上杉政虎と名を変えて上杉氏が世襲する関東管領に任命された。 |
後に将軍足利義輝から偏諱*(へんき)を受けて最終的には上杉輝虎と名乗った。周辺の武田信玄、北条氏康、織田信長らと合戦を繰り広げたが、自ら毘沙門天の転生であると信じていたといわれ、 後世、越後の虎とも越後の龍とも呼ばれた。 |
*偏諱:上位者からその名の一部を受けること。 |
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祭壇中央の毘沙門天像 |
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取材の下見が終わった後、刈谷田川(かりやたがわ)ニューホテルで暫し休憩し、午後5時20分頃、大橋さんが運転する送迎車に乗って「とちお遊雪まつり」の前夜祭が行われている「道の駅とちお」に行った。 |
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遊雪まつり前夜祭の「雪灯りまつり」は、午後5時から開始された。丁度日が暮れ始め、薄暗くなってきた薄暮(はくぼ)にタイミング良く取材することが出来た。大橋さんに教えて貰わなければ、この取材はなかっただけに、雪でできた1000個の雪洞(ぼんぼり)の輝きは感動的で、夢中でシャッターを切った。 |
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パンフレットには、「1,000個」の雪洞に灯りが灯されると、会場は幻想的な世界に包まれます。」と書かれており、ここでは雪洞(ぼんぼり)と呼ぶようだが、一般的には雪灯籠(ゆきどうろう)や雪行燈(ゆきあんどん)が多い。 |
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雪で作った |
燈籠 |
を覗き込む兄妹(フラッシュ撮影) |
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「雪洞」は、「ぼんぼり」と「せっとう」の二つの読み方がある。広辞苑によると、雪洞(ぼんぼり)は「絹または紙張りのおおいをつけた手燭。また、灯台形で、1本柱の上に上開きの六角形や球形のおおいをつけたもの。油火と蝋燭とがある。」とある。雛祭りの「ぼんぼり」は後者である。 |
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「雪洞」にはもともと「雪洞」に関係のない雪の文字が使われているので、「雪で作ったぼんぼり」でそのまま雪洞と使ったと思われるが、「雪行燈」や「雪燈籠」と同じように「雪雪洞」「雪ぼんぼり」とした方が良いだろう。 |
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