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本祭初日は、獅子頭宮出に続き、黒木鳥居を設置した佃一丁目旧渡船場通りに勢揃いした町内神輿が宮元の獅子頭を先頭に本社・住吉神社から御旅所まで約2kmの道を渡御する連合渡御が行われた。 |
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勢揃いした町内神輿 (佃一丁目旧渡船場通り)1/2 11:05 |
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▲▼ この日の朝、清澄通り勝どき三丁目のお仮屋前から連合睦と各睦会の高張提灯を先頭に二号地大神輿と中・小神輿が出発。順路中、晴海、四乃部、三乃部、二乃部、一乃部、新佃の町内神輿が順次合流し、佃小橋を渡って旧渡船場通りに勢揃いして出発を待った。氏子たちは連合渡御と呼ぶが、ポスターには「獅子頭・各町神輿連合渡御」と書かれている。 |
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勢揃いした町内神輿 (佃一丁目旧渡船場通り)2/2 11:05 |
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第一区六番組「す組」
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▼ 18世紀前半の江戸時代中期、第8代将軍・徳川吉宗の頃、町火消しとして鳶(とび)が採用され、江戸の町を火事から守る「いろは四十八組」が組織された。現在は、消防庁や消防団が防火防水の任に当たっているが、町火消しの伝統は社団法人江戸消防記念会が継承している。 |
写真下の花笠をかぶった鳶頭衆(かしらしゅう)は、第一区六番組「す組」に属し、鐵砲洲稲荷神社(湊)、波除(なみよけ)稲荷神社(築地)、住吉神社(佃)の区域を担当している。祭では、木遣りを唄いながら神輿を先導する。 |
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▼ 午前10時50分から平岡宮司による町内神輿の清祓が行われた後、午前11時半、宮元の獅子頭を露払い役にして御旅所までの連合渡御が始まった。連合渡御は西仲通りで最高潮に達し、御旅所で手締式が行われた後、お開きとなる。 |
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晴海町会の神輿は、これまで大祭の度にレンタルで借りていたが、今回遂に新調した。宮神輿と同様、昨年デビューの予定だったが、1年間お預けとなり、待ちに待った初の神輿舁で一段と盛り上がっていた。 |
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連合渡御を先導する獅子頭と月島五神太鼓/月島西仲通り商店街 12:00
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つくだじま びるのたにまの ぬれみこし |
Tsukuda
Island, the splashed mikoshi between the tall buildings. |
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資料:Google地図 |
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資料写真:佃住吉講 |
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ホースの水掛けは無礼講 |
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手締めにて町内神輿巡行のお開き/御旅所 14:54
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▼ 大祭期間中は、佃一丁目の町内だけでも3箇所に櫓が組まれ、終日、佃囃子が演奏され、祭の雰囲気を盛り上げてくれる。宮元の祭提灯は、「津久田」と書かれているのが洒落(しゃれ)ている。 |
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国指定重要無形民俗文化財「 |
若山胤雄社中 |
」の佃囃子/佃小橋 15:31 |
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葦簀(よしず)張りの獅子小屋のひとつ「龍虎の庭」には、中央区民有形民俗文化財に指定されている龍と虎をかたどった珍しい獅子頭が展示されている。現在は展示するだけだが、江戸時代から大正10年ころまでは神輿の露払い役として活躍した。 |
幕末に神田雉子町に居住していた名主(なぬし)・斎藤月岑(さいとう・げっしん)が天保9年(1838)に著した「東都歳時記」の旧暦6月28日のくだりには、佃祭について次のような記述がある。 |
佃島住吉明神祭礼今明日修行 神主平岡氏 小の月は名越祓と同日也 龍虎の頭を渡す 廿九日未の刻 神輿を海中に舁入奉る 今日深川佃町にも遥拝の社ありて祭礼執行あり |
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▼ 佃地区に伝わる龍虎の獅子頭は、江戸時代の作と推定されるもので、頭頂部に赤熊の毛(赤く染めたヤクの白い尾の毛)が植え込まれた木造漆塗りの獅子頭である。 |
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頭に角があるものが龍頭の獅子頭で、表面は黒漆塗り、唇・口内・耳の内側等は朱漆塗りで、眉毛・口髭・顎鬚等の部分には金泥が施されており、龍の特徴がよく表現された秀逸な作りである。 |
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▼ 耳を大きく立てたものが虎頭の獅子頭で、表面は褐色漆塗り、唇・口内・耳の内側等は朱漆塗りとなっており、丸く盛り上がった鼻先と小さな鼻穴が特徴的である。 |
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地元には、かつて佃島で起こった落雷による火災を龍頭が水を噴き、虎頭が砂を吐いて消火したという言い伝えがあり、関東大震災でもこの故事に倣い、火伏の獅子頭を猛火に向けて置き、火災から島を守ったともいわれている。 |
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龍虎の庭には、佃住吉講による解説板が設置されている。活字にすると、次のように記載されている。 |
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此の龍虎の頭ハ制作年代不詳にして最も古きものなり 既に天保初年発行の「東都歳時記」夏の條に 六月廿八、九佃島住吉明神祭礼龍虎の頭を渡御云々 とあるは之れにして江戸時代佃島ハ幾多の火災に罹り全島焼土と化したる事もあれど何時もこの龍虎の頭ハ不思議にも其の災をまぬがれたり 大正十年頃迄ハ大祭の時に此の頭を渡せしが大獅子頭新造以来之れを渡さず 尚大祭の時ハ此の場所に庭を造り飾る事古例なり 佃住吉講 |
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▼ 宮元(佃一丁目)二部・下町の黒漆塗の獅子頭は、「黒駒の獅子頭」と呼ばれ、江戸時代より住吉神社大祭の獅子頭宮出に担ぎ出されたもので、中央区民有形民俗文化財に指定されている。 |
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雄獅子は一本の角、雌獅子は宝珠を頭に載せており、角と宝珠、そして耳は取り替えられるようになっている。 両獅子頭とも当初の漆や彩色を残し、姿かたちも破損や修理がなく、長いあいだ大切に受け継がれてきた貴重な宝物である。 |
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黒駒の獅子頭/宮元(佃一丁目)二部・下町 19:31
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家康の江戸下降の際、摂津国佃村(現大阪市)から佃島に移住してきた漁師たちが考案した保存食といえば江戸前の代表格でもある"佃煮"である。この東京名物・佃煮の老舗店が次の3店舗で、天安本店が最古の佃煮元祖である。
■天安本店(天保8年<1837>創業)
■佃源田中屋(天保14年<1843>創業)
■丸久佃煮店(安政6年<1859>創業) |
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佃島の漁民は悪天候時の食料や出漁時の船内食とするため自家用として小魚や貝類を塩や醤油で煮詰めて常備菜・保存食としていた。雑魚がたくさん獲れると、佃煮を大量に作り、自家消費できない分を売り出すようになったといわれ、保存性の高さと価格の安さから江戸庶民に普及し、更には参勤交代の武士が江戸の名物・土産物として各地に持ち帰ったため全国に広まったといわれている。 |
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日本最古の |
佃煮 |
元祖「 |
天安 |
本店」 15:50 |
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