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▼ 大祭三日目の8月6日(月)朝、御旅所で発輦祭(はつれんさい)が行われ
、地元氏子たちが低頭するなか、平岡宮司が祝詞(のりと)を奏上した。宮神輿が本殿から出入するのは、宮出(みやだし)、宮入(みやいり)というが、御旅所に入出するのは、着輦(ちゃくれん)、発輦(はつれん)という。 |
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御旅所 |
発輦祭 |
2012.8.6 08:40 |
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撮影:鈴木猛夫 |
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▼ 宮神輿は、午前9時前に御旅所を出発。大祭最終日のこの日は、氏子町内のリレーにより各町内を巡幸したのち、夕刻住吉神社前に到着。住吉講により宮入が行われ、午後8時に遷霊祭(せんれいさい)が執り行われて祭神が本殿に還御し、めでたく神幸祭のお開きとなる。 |
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撮影:鈴木猛夫 |
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▼ 宮神輿は各町1時間〜2時間の持ち時間で、「勝どき」→「四之部」→「三之部」→「二之部」→「一之部」→「新佃」の順にリレーされ、午後7時20分に佃住吉講に引き継がれ、宮入となる。 |
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住吉講以外の男女に解放された |
八角神輿 |
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▲▼ 昨日の住吉講による宮神輿渡御と全く雰囲気が変わり、この日だけは、地元氏子の老若男女が喜々として八角神輿を担ぎ、力水が神輿や担ぎ手たちに容赦なく浴びせ掛けられた。まさに無礼講神輿である。 |
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▲
晴海、勝どき、月島、新佃の担ぎ方は、佃一丁目の担ぎ方と違って、普通のいわゆる「江戸前担ぎ」で、深川祭のような消防ポンプでの放水こそないが、バケツやホースで盛大に水をかけるところに特徴がある。 |
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▼ 月島は、築地市場で働いている人が多く住んでいるため、午前中で仕事が終わり、午後から人も増え、気温も上がってくるので、このあたりから一番の盛り上がりを見せる。 |
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▼ 遺影を掲げる風習は、最近は東京の他の祭でも見かけることがあるが、古い写真を見ると、佃では少なくとも昭和30年(1955年)代には行われていたようである。 |
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かつて女性は宮神輿に触れることも担ぐことも許されなかったが、そのしきたりは過去のものとなった。草葉の陰で祭を見守る江戸時代のご先祖たちは、このウーマン・パワーがかつて大和撫子と云われた同じ日本女性だとは、誰も思わないだろう。 |
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佃の神幸祭では、渡御も還御もこの月島西中通りが最も華やかに盛り上がるところで、見物客も多いので、担ぎ手たちの腕の見せ所であり、氏子たちの檜舞台だといえる。月曜日にもかかわらず、午後から徐々に人出も増え、熱気を帯びて来た。 |
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盛り上がる神輿練り/月島西仲通り四番街 14:23
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午後1時に「四之部」から引き継いだ「三之部」の持ち時間は1時間半。午後2時半ころ、全員の手締式により、次の町会「二之部」に宮神輿が引き継がれた。 |
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宮元(佃一丁目)の |
獅子小屋 |
に展示された三対の獅子頭 14:50 |
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撮影:鈴木猛夫 |
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撮影:鈴木猛夫 |
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▼
宮神輿が各町会に担がれて巡幸中、宮元(佃一丁目)千貫神輿が住吉講によって担がれ、町内を渡御した。 |
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宮元千貫神輿【壱】 〜住吉講員たちに担がれて出発〜 15:00
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▲▼ 宮元・佃住吉講の有する神輿は「宮元大神輿」や「千貫神輿」といわれ、元は千葉市中央区に鎮座する寒川神社の宮神輿として製作されたが、台寸と胴寸を取り違えて造られたため、予想以上に大きな神輿になってしまい「おばけ神輿」と呼ばれた。 |
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宮元千貫神輿【弐】 〜黒木鳥居を通過する〜 15:08
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▲▼
余りに大きな神輿であったため手に負えず、日本橋人形町の末廣神社の宮神輿となったが、そこでも保管場所に困り、50年ほど前に佃住吉講に譲られた。その年に勝鬨(かちどき)の御旅所まで巡行したが、あまりの重さに当時の人々も音をあげ、それ以来、住吉神社の本祭毎に佃と新佃の一部のみを巡行するようになった。 |
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宮元千貫神輿【参】 〜町内を練り歩く〜 15:11
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▲▼
ただでさえ大きい神輿にもかかわらず、佃の狭い道にあわせて縦棒を短く切って太い担ぎ棒にしたために、肩を入れることのできる担ぎ手の数が減り、一人に掛かる荷重が大きく、多くの交代要員が必要となっている。 |
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▲▼ この千貫神輿は、町神輿としては浅草三社祭の西浅三北(にしあささんきた)神輿などと並んで都内でも最大級のものと思われる。本祭の初日に行なわれる町内神輿の連合渡御には加わらず、最終日の午後に2時間ほど担がれる。 |
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▼ 住吉講による宮神輿渡御に女性は参加できないが、他の町会と同様に宮元の町神輿には女性も参加できる。 |
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宮元千貫神輿【六】 〜女性も担ぐ神輿〜 15:50
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▼ 住吉神社の神紋は、丸に三つ星紋、鷺紋、左三つ巴の三種がある。宮神輿や町内神輿の屋根には、統一して三つ星紋があしらわれているが、
写真下のように千貫神輿が最も大きな三つ星を載せている。屋根に残っている白いものは、賽銭の入ったお捻り。 |
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宮元千貫神輿【七】 〜巨大な三つ星を持つ町神輿〜 16:03
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午後4時ころ、千貫神輿の渡御が終わったので、宮神輿渡御の現場に行った。この時間帯は一之部の持ち時間で、相変わらずホースなどで大量の力水がかけられ、ずぶ濡れ神輿となっていたが、お陰で熱射病には罹らないですむ。 |
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提灯の明かりが輝きを増してきたころ、新佃から住吉講にバトンタッチされた宮神輿は、午後7時半前に黒木鳥居を通過し、宮入すべく神社に向かった。神幸祭のフィナーレである。 |
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▲▼ 午後8時前、八角宮神輿は大勢の氏子たちの出迎えを受けながら無事に住吉神社に宮入し、最後の揉み上げが行われ、有終の美を飾った。 |
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かくして宵宮を含めると四日間にわたってロマンと感動を与えてくれた佃祭は、惜しまれつつ閉幕。この後、遷霊帰社祭が行われ、大団円を迎えた。(撮影禁止) 次回の例大祭は、平成27年(2015)に行われる。皆様、お疲れ様でした! |
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みやにいる なごりのみこし すみだがわ |
Sumida
River, the farewell mikoshi arriving in the shrine. |
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日本最古の佃煮店「 |
天安 |
」の夜 20:06 |
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▲▼ 4日間にわたる取材もこれで終わり、鐵砲洲の我が家に向かった。帰途、隅田川の心地よい夜風に吹かれつゝ
江戸情緒と近代化された摩天楼が混在する佃島の不思議な夜景を楽しみながら佃大橋を渡った。 |
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「佃島」夜の景 / 佃大橋 20:10 |
東→ |
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