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はじめに |
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平成22年(2010)9月5日(日)(9月の第一日曜日)、東京都青梅市日向和田(おうめし・ひなたわだ)二丁目に鎮座する和田乃神社(わだの・じんじゃ)(藤野満治ふじの・まさはる宮司 90歳)で例大祭が開催され、江戸時代から続く古式ゆかしい奉納相撲を取材した。 |
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【凡例】 ▲:上の画像の説明文 ▼:下の画像の説明文 〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示 |
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Google Earth |
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▲▼ 和田乃神社は、JR青梅線・青梅駅から奥多摩行きに乗り換えて次の宮ノ平(みやのひら)駅で下車し、無人改札機を通り、南側の出入口1(1という表示はない)から点線の近道を歩くと、5分もかからない。青梅市河辺町(かべまち)の我が家から自転車で行ける距離だが、暑いので電車で往復した。 |
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JR青梅線・ |
宮ノ平 |
駅から |
和田乃神社 |
への道 |
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Google Earth |
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▼ 創立年代は分からないが、当地の旧称和田村は、多摩川の水流を境界として、日当たりの良い北岸を日向和田(ひなたわだ)、南岸を日影和田(ひかげわだ)と区分していたが、村が拓けるにつれて、村人たちは両地区を和田村に統合し、社(やしろ)を建立して和田明神と称し、総鎮守とした。 |
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慶長3年(1598)、和田村を日向和田村と日影和田村に分村したので、この社を三島明神(みしまみょうじん)と改称した。明治維新の際、社号を復古して明神を神社に改め、和田乃神社となった。先週取材した青梅市根ヶ布(ねかぶ)の虎柏神社は、かつて諏訪神社と称していたことから今でも「お諏訪様」と呼ばれているが、和田乃神社も「お三島様」と呼ばれている。 |
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和田乃 |
神社の参道入口/青梅街道 2010.9.5 10:43 |
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▲▼ 青梅街道に面した参道入口の石鳥居をくぐって石段を登り、鬱蒼とした鎮守の森(境内地:約1100m2、隣接地:約2,200m2)を60mほど奥に入ると、正面に拝殿がある。その奥の寛政5年(1793)に再建された御本社には、大山祗神(オオヤマツミノカミ)、磐長比売神(イワナガヒメノカミ)、茅野比売神(カヤノヒメノカミ)の三柱の御祭神が祀られている。 |
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▼ 筆者は、今年、JR青梅線・河辺駅(かべえき)の北口に建つ青梅市中央図書館の郷土文化を紹介する大型液晶モニターを見て和田乃神社の奉納相撲を知った。神社の社務所に電話したがつながらなかったので、青梅大祭のご縁でお付き合いさせて頂いている村野公一さんに相談したところ、地元長老の芦澤賢頴(あしざわ・けんえい)さんを紹介していただき、和田乃神社でお会いした芦澤さんのご厚意により、密着取材することができた。 |
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和田乃神社の奉納相撲 |
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▼ かつての和田村時代に多摩川を挟んだ両地区で何かと争いがあったことから、和田村総鎮守であった和田明神の御神慮を仰ぐために相撲を奉納し、その勝敗により紛争を解決するようになったことが奉納相撲の始まりといわれている。 |
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▼ 和田乃神社の御本殿が再建された寛政5年(1793)ころは、江戸をはじめ全国的に相撲が盛んで、拝殿に江戸時代以降に奉納された立派な相撲絵馬(額)が残されていることからも、当時の賑わいを偲ぶことができる。 |
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▲▼ 現在、和田乃神社に残されている最古の絵馬(額)は、天保15年(1844)8月吉日に当所・森田清蔵が奉納した相撲額である。勧進相撲の二人の力士と裃(かみしも)姿の行司が描かれており、当時の相撲褌(まわし)や行司の装束を知ることができる。 |
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天保15年(1844)8月吉日に当所・森田清蔵が奉納した相撲額
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明治維新後は、草相撲の力士が各地に輩出し、興業相撲が催されるようになり、和田乃神社は、八幡講(はちまんこう)という力士グループによって、明治中期から大正・昭和の初めにかけて相撲が奉納された。 |
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奉納相撲の講元は、小兵(こひょう)で技が冴えた「玉の川」という力士が仕切っていたという。昭和に入ると、講元は奥多摩町梅沢の「誠石(四股名)」となり、終戦後は地元親睦会の青年団に受け継がれ、現在は日向和田(ひなたわだ)子供会が9月1日に近い日曜日に奉納している。 |
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▼ 和田乃神社の絵馬は、大相撲の力士が相撲を取っている姿が描かれている。これは、氏子たちが9月の例大祭で奉納相撲を取り、神人一心となって神慮を慰め、健康長寿、家内安全、福徳円満、無病息災を祈願するためのものである。 |
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毎年、参拝者は、この絵馬を戴いて持ち帰り、神棚や門口(かどぐち)などに掲げて1年間の守り札とし、翌年の例大祭にお礼参りして絵馬を納め、新しい絵馬を持ち帰るのが昔からの習わしであるという。 |
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▼ 下の写真は、神社で知り合った地元のアマチュア写真家・平泉清さんの
土俵開き/青梅からの便り からお借りしたもので、小学校の夏休みが中盤を迎えた8月8日(日)に行われた土俵開きの様子を撮影したものである。 |
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和田乃神社の土俵開き 2010.8.8 |
撮影:平泉 清 |
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▲▼ オレンジ色のTシャツを着た子供会の役員は、毎年6年生の父兄が担当する決まりで、1年限りの奉仕のため、相撲褌(まわし)の締め方や玉串の捧げ方など、始めてのことばかりで大変だという。相撲の練習は、約2週間涼しくなった夕刻にこの土俵で行われた。 |
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相撲役員の指導で土俵入の練習 |
土俵の整備(8月29日) |
撮影:平泉 清 |
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▲ 奉納相撲など例大祭の諸準備は、8月29日(日)に役員関係者約100人が神社に集まって行われ、参道入口に大幟が立てられ、花がけ板が設置された。常設の土俵は、屋根や柱のない簡素なもので、土俵の俵を取り替えて、入念に整備された。
祭りの準備/青梅からの便り |
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▲ 土俵の向こうに見える神楽殿では、夜6時半からお囃子が奉納され、北川ゆきえ(日本クラウンレコード)の歌謡ショーやカラオケ大会が開かれる。 |
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▼ その裏手の部屋が力士たちの支度部屋になっており、子供会のご厚意で撮影させて頂いた。今年はNHK総合テレビの取材班が来ており、リーダーの女性記者にも声をかけたようだが、撮影したのは筆者だけだった。 |
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支度部屋で |
相撲褌 |
を締めてもらう子供たち 11:04 |
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▲▼ 子供たちは、支度部屋で裸になり、呼出しや拍子木を担当する相撲役員や子供会役員に相撲褌(まわし)を締めてもらっていた。本式の締め方だが、四股名(しこな)を表示した前垂れを垂らしている。 |
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まわしを締めて |
浜野竜 |
になった二年生の浜野くん |
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▲▼ 奉納相撲に参加するのは、小学1年生から6年生までの男子で、全員四股名(しこな)を持っている。毎年、地元の書道家に墨書してもらった布を前垂れに縫いつけている。 |
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黒帯を締める三役力士の |
雷乃神 |
/西方大関・谷部野くん(6年生) |
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奉納相撲では力士の番付表が作成されて配付される。今年は、去年より10名少ない19名の力士が参加した。小結・関脇・大関の三役に昇進すると黒帯となるが、黒帯は10本用意され、相撲を卒業する6年生や強い上級生にも締めさせるそうで、今年は四番手まで黒帯を締めていた。1年生がいないのが残念だが、小学校が違ったり、子供会に入っていても野球やサッカーの練習を優先する子がいるとのことだった。 |
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「平成22年度 和田乃神社 奉納相撲・演芸プログラム」と題するB4・4頁のプログラムが用意され、この順番に従って奉納相撲が執り行われた。 |
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1. 力士入場 |
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▲▼ 予定通り、正午丁度に力士が入場してきた。神楽殿に向かって左側の黒幕の中から東方(ひがしかた)と西方(にしかた)の力士が一列縦隊になって現れ、それぞれ土俵の東西に並んだ。 |
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ふんどしを しめてしこなの すもうとり |
A sumo wrestler being called his ring name after fastening a string loincloth. |
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2. 神 事 |
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▼ 土俵中央に八幡幣(はちまんべい)と呼ばれる幣束(へいそく)4本が植えられており、神社を背にした宮司により、清祓神事(きよめはらえのしんじ)が行われた。 |
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▼ 芦澤さんによると、和田乃神社の奉納相撲は、神事相撲の性格が強く、古式に則った掟や装束が厳格に守られているという。他所では女子小学生も相撲を取るところがあるが、ここでは、女性は土俵に上がることは許されない。 |
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