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一番勝負 |
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▼ いよいよ、子供たちにとって最後の取組となった。一番勝負は、三役以外の子供たちが取る相撲で、低学年から順に10組の対戦が行われた。 |
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写真下は、颯乃龍(はやのりゅう)こと安部颯人(あべ・はやと)くん(2年生)の土俵入り。 練習の成果があらわれていて美しい。 |
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颯乃龍 |
こと |
安部颯人 |
くん(2年生)の土俵入り 15:27 |
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三役揃い踏み |
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▼ 一番勝負のあと、呼出しにより東西の小結・関脇・大関の三役が呼び出され、三役揃い踏みが披露された。 |
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▼ 和田乃神社の御本社に向かって奉納する相撲は、直射日光に晒され、最初からカメラマン泣かせの逆光となった。力士の顔は真っ黒になり、前垂れの四股名でしか判別がつかないほどであった。特に、三役揃い踏みの頃になると、太陽は西に傾き、力士たちは低い太陽光線に晒された。 |
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そのため、画像編集ソフトのフォトショップV6のトーンカーブを調整して、ハイトーンの階調を和らげ、デジタル写真家を標榜する筆者の持てる技術を最大限に駆使して鮮明な画像を作り出した。その成否の判定は、ゲストの皆さんにお任せしたい。 |
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たいようを せおいしきょうの どひょういり |
Today's sumo ring performance, carrying the sun on their backs. |
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三役相撲 |
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▼ 三役相撲の最初は、東方・海都(かいと)こと山崎海都(やまざき・かいと)くんと、西方・歩虎(あゆとら)こと深沢歩樹(ふかざわ・あゆき)くんの小結同士の対戦。五年生5人抜き優勝を果たした海都(かいと)が土俵際で見事な投げを見せて有終の美を飾った。 |
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▼ 続いて、東関脇・朋希龍(ともきりゅう)こと野村朋希(のむら・ともき)くんと西関脇・輝龍(きりゅう)こと榎戸大輝(えのきど・だいき)くんの対戦。熱戦の末、輝龍(きりゅう)の外掛けが見事に決まった。 |
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輝龍の番付表の紹介:五年生、西関脇。毎日、六年生に混じり激しい稽古をこなした。相手とがっっぷり四つに組んでからの取り口に見応えがあり、熱戦を繰り返した。六年生は強いが、引けは取らない。 |
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関脇の対戦 / |
朋希龍 |
- |
輝龍 |
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結びの一番・千秋楽 |
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▼ 結びの一番は、東方・浜野山(はまのやま)こと浜野 亮(はまの・りょう)くんと西方・雷乃神(らいのしん)こと谷部野雷(やべの・らい)くんの大関同士の対戦。 |
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結びの一番・大関の対戦 / |
浜野山 |
- |
雷乃神 |
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15:51 |
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▲▼ 真剣な表情で取組を見守る観客の前で、力相撲が展開され、低い体制からもろ差しとなった浜野山が優位に立ち、土俵際で懸命にこらえる雷乃神を寄り倒した浜野山に軍配が上がった。 |
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▼ 六年生五人抜きの優勝に続き、結びの一番も勝利して完全優勝を果たした東大関の浜野山に、ひときわ大きな優勝カップが東方行司の原嶋一喜さんから授与された。一年生から六年生まで、完全優勝を成し遂げた浜野くんに大きな拍手を送りたい。 |
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▼ 東方力士のテントを覗くと、子供たちの籠が様々な賞品でいっぱいになっていた。右下のてるてる坊主が入った籠は、優勝した浜野くんのもので、優勝カップは入りきれず、外に置かれていた。土俵上では、八幡幣(はちまんべい)の準備が行われていた。 |
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▼ 八幡幣(はちまんべい)は、今年生まれた男児に健康長寿を祈念した八幡幣と呼ばれる幣束を授与する行事である。今年は4人の男児が誕生したので、八幡幣は4本用意されていた。 |
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この起源は、九州の宇佐八幡宮だと云われている。八幡様の幣束であることから八幡幣と呼ばれるようになったものであろう。八幡幣は、神職ではなく、相撲の世話人が作って奉納してきた。明治の中期から後期まで和田福太郎、大正初期まで野村慶藏、大正中期から昭和中期まで野村藤三郎、終戦から現在まで野村福治の各氏が制作してきたという。 |
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招待席に飾られていた4本の |
八幡幣 |
(幣束) 12:17 |
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▼ 来賓や多くの観客が見守るなか、赤ちゃんを抱いた男性が八幡弊を持って土俵中央の俵の上に立ち、行司の合図で、赤ちゃんの健康長寿を願いながら豆力士たちが何度も胴上げした。感動的なシーンである。 |
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力士たちが |
八幡幣 |
を貰った赤ちゃんを胴上げ! 15:58 |
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そらたかく はちまんべいの あかごかな |
Toword the high sky, a baby of Hatiman-bei the lucky charm. |
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▼ 相撲は礼に始まり礼に終わる。和田乃神社の奉納相撲もまったく同じで、力士たちは土俵上で円陣を組み、呼出しの拍子木に合わせて手締めをしたあと、頭を深々と下げて一礼し、予定より5分早くお開きとなった。 |
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▼ お開きの後、土俵上で記念撮影が行われた。NHKの鈴木記者の要請で、全員、元気よくガッツポーズをとることになった。私も一緒に撮影し、何十枚も撮ったが、顔が隠れてしまったり、よそ見したり、気合いが入っていない子がいたりして、なかなか良い写真は撮れなかったが、その中のベストが下の写真である。 |
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▼ 五年生五人抜きで優勝した東小結の海都(かいと)こと山崎海都(やまざき・かいと)くんが呼出しをつとめたお父さんと土俵中央に立って記念写真を撮った。この写真は、素晴らしい親子の触れ合いを記録した一生の記念になることだろう。 |
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▼ 八幡幣を貰った家族が和田乃神社と土俵をバックに記念写真を撮った。赤ちゃん誕生に喜びも一入(ひとしお)だろう。未来の日本を背負う赤ちゃんに幸多きことを祈る! |
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八幡幣 |
を貰った赤ちゃん家族 16:10 |
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▼ テレビでお馴染みのイタリア人エッセイストのパンツェッタ・ジローラモさんが地元の知人の招待で奉納相撲を観戦したあと、土俵をバックに記念写真を撮った。外国人の相撲ファンといえば、フランスのシラク前大統領が有名だが、日本の裸褌文化を海外の方々にも知って貰うことは大変意義深いことである。 |
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