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▼ 諏訪神社前面右(北)側の広場には、明神神輿1台と御山神輿3台の合計4台の子供神輿が置かれており、午後4時過ぎに神職によるお祓いを受けたあと、次々と子供神輿が出発していった。 |
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子供神輿には御霊入れの神事は行われなかったが、既に冨士浅間神社の御神札が納められているので、主神の魂が込められている。子供神輿は、3台を男の子たちが担ぎ、1台の御山神輿を女の子だけで担いでいた。 |
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▼ 午後4時過ぎ、諏訪神社の本殿前で諏訪神社祭が行われた。これも諏訪神社の祭神に対し、神輿への動座を乞うための神事である。その後、浅間大神と諏訪大神が明神神輿(大神輿)に奉斎(ほうさい)され(祀られ)、神職が拝殿から大幣を振り、勢子(担ぎ手)たちに対して修祓(しゅばつ)を行った。 |
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▼ 諏訪神社での神事を終えた午後4時半頃、勢子たちが待ちに待った明神神輿と御山(おやま)神輿の出御(しゅつぎょ)が始まった。 |
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浅間の大神と諏訪の大神を奉斎して諏訪神社を出御する大神輿 16:30
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▼ 勢子たちの「ヨイヨイ!」「ワッショイ!」と威勢の良い掛け声が境内に響き渡るなか、明神神輿と御山神輿は、諏訪神社を出御(しゅつぎょ)し、浅間神社と諏訪神社の間にある広さ100m2の高天原(たかまがはら)まで渡御した。 |
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高天原に向かう明神神輿 |
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しゅうかいの たかまがはらに こしむかう |
The portable shrine going to Takamagahara of autumnal atmosphere. |
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勢子たちに担がれて御山神輿の出御! |
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▼ 勢子たちは大きな神輿を担ぎ上げ、勇ましく諏訪神社から出御したが、高天原は50mほど進んだ境内にあるので、折角の気勢が途切れてしまった。これも古くから行われてきた神事なので、畏(かしこ)まる他はない。 |
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▼ 高天原は、4本の檜(ひのき)の神木の間に注連縄を張った方形の祭場である。氏子たちが低頭するなか、宮司による祝詞奏上があり、発輿祭(はつようさい)という最後の神事が執り行われた。高天原に入ったのは明神神輿だけで、御山神輿は後方で待機していた。 |
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冨士浅間神社・ |
上文司厚 |
宮司による祝詞奏上 |
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▼ 明神神輿の発輿祭(はつようさい)が終わると、聖地を囲む注連縄が取り払われ、勢子たちは2台の神輿に取り付いて氏子中(うじこちゅう)(氏子町会)に向け出発、中町(なかちょう)にある御旅所の富士吉田市立コミュニティーセンターまで勇壮な渡御が始まった。 |
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▲▼ 2台の神輿の担ぎ手を勢子(せこ)と呼び、その中心は上吉田の氏子青年たちだが、身近な仲間同士が寄り集まって睦会が結成されており、揃いの法被が祭りの雰囲気を盛り上げている。2台の神輿のうち、明神神輿の方を担ぐのは、世話人経験者たちの勢子団体で、御山神輿の方は一般の睦会が担ぐことになっているという。 |
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こしたかく ふじのおしまち あきまつり |
The portable shrine high above the carriers,
the autumn ritual at the village of Fuji mountaineering masters. |
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▼ 赤富士を模した珍しい御山(おやま)神輿は、親しく「お山さん(おにアクセント)」と呼ばれ、正式には御影(みかげ)という。寄せ木造り・漆塗りで約1トンの重さがあり、勢子たちに担がれて、明神神輿の後に続く。富士山を写した神輿であることから御影(みかげ)と呼ばれるのだろう。 |
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▲▼ 御山神輿には魂入れは行われなかったが、4台の子供神輿と共に、既に神札が納められており、霊峰・富士山の神霊が宿る神聖な神輿である。御山神輿は、遅くとも江戸後期の宝暦年間には存在しており、由緒ある神輿である。 |
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▼ 広い鎮守の杜を抜け出ると、神輿は氏子町会の渡御に入った。白い斎服に身を包んで御山神輿を先導するのは江戸時代より富士講を支えてきた御師たちである。 |
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▼ 沿道に出て渡御行列に向かって読経をしているのは、西念寺(せいねんじ)の住職たちである。西念寺ではこれを「お下り」「お迎え」と称している。明治維新では厳しい廃仏毀釈が行われたが、神仏を区別することなく信仰する日本人の精神構造を変えることはできず、神仏習合(しんぶつしゅうごう)の伝統が今に息づいているのは嬉しいことである。 |
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渡御行列に向かって読経する |
西念寺 |
住職たち 17:00 |
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