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▼ 御旅所の神事の途中で退出し、富士みちに出てみると、既に世話人(せわにん)たちのサポートにより、大松明(おおたいまつ)の奉納主たちが次々に火を入れ始め、火祭り本番が始まっていた。 |
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▲ 二人の火付役は、点火用の竹竿の先の針金にヤニ木(やにぎ)と称する赤松の根の束を引っ掛け、小瓶に入れた灯油を降りかけてからマッチで火を付け、それを松明の上部に置いて点火する作業を繰り返していた。赤松の根は、ヤニを含んで燃えやすいため、ヤニ木と呼ばれるのだろう。 |
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竹竿を使ってヤニ木を結松明(大松明)の上に載せて点火 18:28
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▲▼ 竹竿で火のついたヤニ木を結松明(ゆいたいまつ)の頂上に乗せて松明に火が着くと、拍手喝采がわき起こる。三町の世話人たちは、それぞれの町内に立つ大松明に次々と火を付けてゆく。この作業は急を要するので、一番忙しい奉仕だが、最も重要な作業である。 |
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▲▼ 写真上の大松明の頂上には、竹竿の先端の針金に吊されたヤニ木が燃えている。大松明は77基あり、1基の奉納料は11万円。奉納主名を墨書した木札が立っているので、広告塔を兼ねる。奉納主の代表者が点火したあと、点火した松明を背にして記念写真を撮る光景が見られた。 |
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▼ 富士みちに面した各戸の前には、赤松や落葉松(からまつ)の薪(まき)を井桁に組んで高さ1.5mほどに積み上げた井桁松明(いげたたいまつ)が置かれており、次々に着火したヤニ木をのせて点火されていった。 |
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井桁に組んだ薪の上にヤニ木が置かれて点火 |
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▼ 大松明は、高さ3m、基部の直径90cm、頂部の直径30cmの円錐形で、巨大な筍(たけのこ)のような形状をしている。中には赤松などの薪(まき)が詰められ、杉や檜などを長方形に薄く削った経木(きょうぎ)で表面を覆い、藁縄(わらなわ)で束ねられている。その形状から結松明(ゆいたいまつ)とも呼ばれる。 |
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▼ 金鳥居(かなどりい)交差点と金鳥居(かなどりい)の間に立ち、富士の霊峰を背景に南方に延びる「富士みち」に並ぶ大松明(おおたいまつ)を見るのが最良のビューポイントで、この光景が地元のパンフレットに掲載されている。この日は曇天のため富士山を仰ぎ見ることができなかった。 |
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しゅうきみつ ゆいたいまつの ひいれかな |
Full of autumn atmosphere, lighting a big torch. |
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▲▼ 世話人たちは、この日を迎えるまで、ほぼ1年がかりで火祭の準備をしてきた。下町(下宿)の世話人たちが金鳥居を背景に記念撮影する姿は如何にも晴れがましい。一生一代の晴れ舞台である。 |
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▼ 金鳥居(かなどりい)は、富士山北口一ノ鳥居といわれ、富士吉田市上吉田の下宿(しもじゅく)にある国道139号と137号の交差点、通称・金鳥居(かなどりい)交差点の南に立つ。高さ9.7m、柱間7mあり、扁額「富士山」は新田道純(にった・みちづみ)(寛政10年(1798) - 嘉永7年(1854))の書という。 |
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この北側に脚立を持ち込み、数時間前から場所取りをしているアマチュア・カメラマンが大勢いて、このあたりで最良の撮影場所を確保するのは、至難の業だった。 |
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