|
3月16日(木)クラブツーリズムのバスツアーに参加して、家内と二人で梅を見に行ってきた。長い冬の影響で、梅の開花が二週間ほど遅れていることが幸いし、早めに予約していたこの日が見頃の期間に入ったのはラッキーだった。前日は快晴の行楽日和となったが、この日は下り坂となり、夜には雨が降ったものの、日中は花曇りの状態で、綺麗な写真を撮ることができた。(今日の関東地方は瞬間風速20m/secを超える強風が吹き荒れ、我がオフィスの新宿センタービル(地上54階高さ216m)も柔構造のためかギシギシと音がして、船と同じような揺れがあり、今日でなくて幸いだった。) |
筑波山梅林(茨城県つくば市) |
|
パノラマ写真(2100x940)528KB |
|
筑波山梅林 |
JR青梅線河辺(かべ)駅前から出発したツアー・バス3台は、圏央道青梅インターから高速に乗り、関越道から東北道に入り、最初の訪問地、茨城県つくば市にある筑波山(つくばやま)(標高876m)の梅林に到着。「第33回筑波山梅まつり」の最中で、ウイークデーにもかかわらず駐車場入口が多くのバスやマイカーで渋滞しており、超人気スポットであることがよく分かった。梅も七分咲きとなり、見頃を迎えていた。 |
この梅林は「四六(しろく)の蟇(がま)の油売り」でお馴染みの筑波山の麓(ふもと)にあり、1000本の梅が植えられている。要所に展望台があり、とても眺めがよい。天気が良い日には富士山も見えるそうだが、この日は春霞で霊峰を拝むことはできなかった。 |
赤・白・桃の競い咲き |
|
桜のような八重紅梅 |
|
|
|
拡大写真(1400x1050)448KB
|
|
拡大写真(1400x1050)375KB
|
|
偕楽園の梅 |
続いて更に北上し、大洗(おおあらい)港で昼食の弁当と土産物を調達した後、岡山の後楽園と金沢の兼六園とともに日本三名園の一つとして知られる水戸の偕楽園(かいらくえん)に到着。こちらも「水戸の梅まつり」の最中で、今年は110回目だった。水戸の梅まつりは、明治29年(1896)水戸・上野間の鉄道開通を機に、観梅列車が運行されたことに始まるという。 |
水戸偕楽園の好文亭と梅林(茨城県水戸市) |
|
パノラマ写真(2000x640)305KB |
|
偕楽園は、天保13年(1842)、水戸藩第九代藩主徳川斉昭(とくがわ・なりあき)によって造園された。斉昭は、千波湖(せんばこ)に臨む七面山を切り開き、弘道館で文武修行する藩士の休養の場とすると同時に、領民と偕(とも)に楽しむ場にしたいとして「偕楽園」と名づけたという。 |
園内は予想外に広くて13haもあり、合わせて100種3000本の梅が植えられている。木造三階建ての好文亭(こうぶんてい)は、斉昭の別墅(べっしょ 別荘)であるが、己ひとりの楽しむところではなく、衆と偕(とも)に楽しむところであった。梅の異名・好文木(こうぶんぼく)にちなんで名付けられたこの別墅は、昭和20年(1945)の水戸空襲で焼失したが、昭和47年(1972)に復元された。 |
2006年梅大使の茨城洋子(いばらき・ひろこ)さん |
紅白のたすきには青色で「2006年水戸の梅大使」と書かれている。 |
|
拡大写真(1200x1225)295KB |
|
水戸では毎年ミスコンテストで、10人の梅大使が選ばれる。以前は梅娘と呼ばれていたそうで、天下の副将軍の鶴の一声で娘から大使に取り立ててもらったのだろうか。(^^; 私は清純なイメージの梅娘の方がよいと思う。丁度梅林の前で記念撮影に応じていたので、撮影させてもらった。水戸観光協会のホームページ 水戸の梅大使 で調べると、この方は茨城洋子(いばらき・ひろこ)さんで、着物も帯も全て梅のデザインでとても気品があり、和服の似合う美しい女性だった。 |
偕楽園・南崖(なんがい)の梅 |
|
拡大写真(1400x800)359KB |
|
園内は大変広く、好文亭をじっくりと見学したこともあって、一時間半の自由時間では全てを廻ることができなかった。
南門の近くに「南崖(なんがい)の梅」が咲いており、正岡子規の句碑が建っていた。 |
|
いうまでもなく、南崖は南に面した崖(がけ)のことで、子規は急斜面の崖に咲く梅の木がすべて斜めに生えていることに野趣を感じたのだろうか。子規と並んで筆者の駄作を披露するのは気が引けるが、名園の梅を眺むれば、歌心も湧いてくるというもの。 |
|
百草園の松連庵と寿昌梅(東京都日野市) |
|
パノラマ写真(1600x765)528KB |
|
|
3月19日(日)東京は絶好の行楽日和となったので、強風が吹き荒れる中をもろともせず、家内と二人でリュックを背負い、京王線百草園駅から徒歩10分の百草園に行った。「梅まつり」で賑わう百草園は、現在も豊かな自然を残す多摩丘陵の一角にあり、園内には松連庵(しょうれんあん)をはじめ若山牧水の歌碑や松尾芭蕉の句碑などが四季の草木に彩られ、2月〜3月に咲く800本の梅は見事で、関東の梅の名所として親しまれている。 |
江戸時代の亨保年間(1716年〜)、小田原城主大久保候の室(寿昌院)が出家したのち徳川家康の長男・岡崎三郎信康の追悼のために松連寺(しょうれんじ)を再建し、それに伴ってつくられた庭園が百草園であるという。樹齢300年を越すといわれる名木として知られる寿昌梅(じゅしょうばい)は、寿昌院がこの時自ら植樹したと伝わる。明治政府の廃仏毀釈により明治初期に廃寺となったが、地元出身の生糸商人が所有し、昭和32年(1987)に京王電鉄に移管され、現在に至っている。 |
梅に囲まれた松連庵 |
|
可憐な紅梅 |
|
|
|
拡大写真(1400x1050)437KB
|
|
拡大写真(1400x1050)132KB
|
|
|
3月21日(火)春分の日も東京は絶好の行楽日和となったので、家内と二人で、我が青梅市の誇る吉野梅郷に行った。JR青梅線・河辺(かべ)駅から奥多摩方向の四つ目の駅・日向和田(ひなたわだ)駅は、観梅客でラッシュ。JRは臨時改札口を設けて客を捌いていた。 |
梅の公園(東京都青梅市) |
|
パノラマ写真(2000x770)398KB |
|
吉野梅郷は、東京の奥座敷と呼ばれる秩父多摩甲斐国立公園の玄関口にあり、日向和田(ひなたわだ)駅から二俣尾(ふたまたお)駅に至る多摩川右岸(南側)の東西4kmに広がる地域である。 |
家族の憩いの広場 |
|
パノラマ写真(2000x900)419KB |
|
吉野街道が走るこの地域は、青梅市の「梅の公園」をはじめ、地元農家の梅園や吉川英治記念館などが点在し、200品種約25,000本の梅の木が紅白の花をつけ、ほのかな香りを漂わせる関東一の梅の里である。 |
競い合う紅梅と白梅 |
|
拡大写真(1400x1050)482KB
|
|
毎年3月1日から31日まで「梅祭り」が開かれ、露店などが出て連日賑わいを見せる。期間中の土・日・祝日には色々な催しがあり、観梅客がどっと押し寄せる。 青梅市梅だより |
山全体が梅の公園に |
|
パノラマ写真(2000x780)452KB |
|
梅の公園 |
吉野梅郷の中心地・青梅市「梅の公園」は、山の斜面を利用した4.5haの敷地に120種1,500本の梅の木が植えられている。周辺には都立天満(てんま)公園や民営の梅園、果実栽培用の梅畑が広がっている。 |
艶やかな紅梅 |
|
青空と梅 |
|
|
|
拡大写真(1400x1050)316KB
|
|
拡大写真(1400x1050)155KB
|
|
この日は、ゆっくりと「梅の公園」を散策した。東口は満開、北口は五分咲きとなっており、今年は開花が3週間ほど遅れているという。今週末には北口も満開となり、最盛期を迎える。 |
観梅の小径(吉野梅郷・梅の公園) |
|
拡大写真(1400x1050)548KB |
|
今年の梅めぐりは、後日とりまとめて「2006年梅の旅」としてアップしたい。乞うご期待! |