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2006年2月27日改訂

今 日

昨 日

♪栄華の墓所・水の宮・鎮守の森・想い川

水の宮・和風BGM TAM Music Factory

パノラマ写真(1900x1000)324KB

水垢離や静かに聞こゆ初鼓    北 舟

2000年7月31日開設

氷柱の中の禊

寒中水浴大会(鐵砲洲稲荷神社/東京都中央区湊一丁目)

2006年の日記  

 

2
 

1月

2月

3月

目次

2006年2月27日(月)晴   
■■■     国府宮はだか祭」完成版アップ! ■■■
 2月10日(金)愛知県稲沢市に鎮座する國府宮ではだか男9千人、観客14万人を集めて行われたはだか祭を取材し、その翌日に「國府宮はだか祭」速報!をアップしたが、昨日、完成版ができあがった。3000枚撮影した中から厳選し、6頁55枚の大作になった。
楼門に達した渦(國府宮はだか祭 / 愛知県稲沢市)
黒石寺蘇民祭(岩手県水沢市)
拡大写真(1400x720)188KB

感動の裸祭り

 この祭りには見せ場が沢山あり、撮影した私自身、ワクワクしながらシャッターを切っていたので、ファンの方もきっと喜んで見て頂いたと思う。最後に劇的なフィナーレがあり、命を掛けたドラマが更に感動を呼ぶ。
 凄い祭りだとは聞いていたが、前半の楽しい祭りから一転して激しい裸の渦の凌ぎ合いという結末が設定されているのは矢張り驚きで、これはまさしく奇祭である。日本三大奇祭は、四天王寺どやどやを外し、黒石寺蘇民祭と西大寺会陽とともに國府宮のはだか祭を加えるべきだと思った。

 これほどまでに非日常のお祭りに打ち込む魅力とその原動力はどこから来るのだろうか。全裸の神男は、日本古来の裸文化でしか生み出し得ない独自性溢れる存在である。國府宮の裸祭りは日本人のアイデンティティを限りなくふくらませてくれる祭りであった。


2006年2月19日(日)晴     
■■■     「しおざわ雪譜まつり」速報! ■■■
 2月18日(土)4時起きして新潟県南魚沼市塩沢で開催された「第22回しおざわ雪譜(せっぷ)まつり」に出掛けた。JR東京駅0700発上越新幹線「とき303号」はスキー客などですし詰め状態となり、大宮では積み残しが出たほど。東京を出発して72分後、長い長いトンネルを出たとたん、銀世界の越後湯沢に到着。上越線に乗り換え、4つ目、17分で塩沢駅に到着。祭りのメイン会場は歩いて10分ほどの鈴木牧之(すずきぼくし)記念館のそばの広場である。

魚野川・前島橋から眺めた越後連山(南魚沼市塩沢)

  八海山(1778m)↓                 ↓越後駒ヶ岳(2003m)                         金城山(1369m)↓       巻機山(1967m)↓

魚野川・前島橋から眺めた越後連山(南魚沼市塩沢)

パノラマ写真(2100x900)313KB

 しおざわ雪譜まつりは、22年前、町おこしのイベントとして塩沢町商工会が発起人となって始まったもの。塩沢町で生まれた江戸時代の文人・鈴木牧之(すずきぼくし)が書いた「北越雪譜(ほくえつ・せっぷ)」にちなんで「雪譜まつり」と名付けられた。
 今回、最初に行ったところは、午前10時から始まる「山伏水行の儀」が行われる会場で、山岳修験道の霊山として知られる巻機山(まきはたやま 1967m)の登山口にあるC水(しみず)と呼ばれる村落で、塩沢駅から車で15分ほどで着く。

豪雪に埋まるC水地区

霊峰巻機山を望む登山口

豪雪に埋まるC水地区 霊峰巻機山を望む登山口

拡大写真(1400x1050)179KB

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 「山伏水行の儀」は、天台系の山伏である本山修験宗(ほんざんしゅげんしゅう)の巻機山萬学院(まきはたやま・まんがくいん)住職・田村昌法(たむらしょうほう)さん59歳が主催する滝行である。里山伏(さとやまぶし)と呼ばれる山伏は、新潟県と高知県にしか見られないという。

太陽を背に雪中の祈り(午前10時10分)

太陽を背に雪中の祈り

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 滝行の指揮を執る最長老は、南魚沼市六日町(むいかまち)の快蔵院(かいぞういん)住職を務める雲尾(くもお)さん(75歳)。外気温-5℃の雪中行を前に、法螺貝が吹き鳴らされ、お祓いと祈祷が始まり、あたりは厳かな雰囲気に包まれた。

滝行に入る8名の山伏たち

滝行に入る8名の山伏たち

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 夜の百八燈大護摩の火生三昧*(かしょうざんまい)と同じ気持ちで滝行をするという萬学院昌法さんを先頭に、8人の行者が火生の滝に向かい、大勢のカメラマンや観客の前で寒中の滝行がはじまった。

*火生三昧:火渡り護摩のことで、天台修験の最大の修行。あらゆる災難を除き、諸願を叶えて招福する。

雪で洞窟のようになった火生(かしょう)の滝

雪で洞窟のようになった火生(かしょう)の滝

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 最初に白衣を脱ぎ、越中褌一丁の裸形で滝に入った昌法さんは、足から清水を浴びて徐々に身体を冷水に慣らし、肩、首、頭頂と冷水を浴びていった。山伏の流儀で、頭巾(ときん)に脚絆を付け、藁沓(わらぐつ)を履いている。裸足では雪中歩行ができず、滝の中で滑って危ないという。

雪とツララに囲まれた滝行 / 外気温-5℃

冷水を肩に浴びる

雪とツララに囲まれた滝行 / 外気温-5℃ 冷水を肩に浴びる

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拡大写真(1400x1050)311KB

 みるみるうちにからだが赤くなり、見ているだけで厳しさが伝わってくる。手で印を結び、呪文を唱えて精神を集中することで堪え忍んでいるように見える。目を閉じず、カッと見開いているのが昌法さんの流儀のようである。

印を結んで滝に打たれる昌法さん

印を結んで滝に打たれる昌法さん

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 後続の7人の若者は全員目を閉じていたので、特に印象に残った。滝行が終わったあと、焚き火で暖を取ったが、震えがきて止まらない人もいた。厳寒の滝行は終わってからが寒いという。気合いが抜けるからだろうか。

合掌して滝浴びする若者

合掌して滝浴びする若者

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 滝行のあと、無料の送迎バスで南魚沼市塩沢にある鈴木牧之(すずきぼくし)記念館を訪れたあと、昼食。市内目抜き通りに面する旧家の飾り雛を見たあと、塩沢の萬学院を訪ねた。有り難いことに、突然の取材要請に気持ちよく応じて頂き、夜の大護摩の準備の様子を撮影することができた。中央が斎主の昌法さん。私と同い年であることにビックリ。滝行とは違って非常ににこやかで、好感が持てた。

夜の大護摩の準備 / 萬学院(午後4時20分)

夜の大護摩の準備 / 萬学院

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 夜の大護摩も紫の房の結袈裟(ゆいげさ)をつけた快蔵院雲尾さんが取り仕切るという。最長老だけあって、総てに通暁されていて貫禄がある。結袈裟の房の色で階級が分かるそうで、山伏の最高位は赤。雲尾さんの紫はそれに次ぐ高位とのこと。最下位は白だという。

蝋燭神輿を先頭に入場する山伏一行(午後5時7分)

後方の山は、中央が金城山(きんじょうさん 1369m)、向かって右が修験の霊山・巻機山(まきはたやま 1967m)

蝋燭神輿を先頭に入場する山伏一行

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 午後4時40分、百八燈大護摩の主役を務める山伏一行は萬学院を出発。市内の目抜き通りで蝋燭神輿と合流し、午後5時10分に会場に到着。間もなく本日のメイン・イベントが始まった。

霊峰・巻機山を背に祈祷する斎主・萬学院昌法さん(午後5時21分)

霊峰・巻機山を背に祈祷する斎主・萬学院昌法さん

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 霊峰・巻機山を背に、斎主・萬学院昌法さんが北方に置かれた祭壇に向かって開式の祈祷が始まり、最長老の快蔵院雲尾さんがマイクを持ち、簡明直裁な解説が流れるなか、大護摩の行が進んでいった。神力加持の法弓を持って生死の悪魔を破る法弓の儀では、四方へ破魔矢が放たれ、子供たちが福に与(あずか)るべく走り廻って矢を拾う光景が見られた。

白煙を噴き上げる柴燈(さいとう)大護摩(午後6時7分)

白煙を噴き上げる柴燈大護摩

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 雪を踏み固めてつくられた巨大な護摩壇の中央にうずたかく積み上げられた生の柴木(しばき)に点火されると、白煙がモクモクと立ち上がり、やがて巨大な炎となって夜空を焦がしていった。寒かった会場も燃え上がる炎の輻射熱で凌ぎやすくなった。

護摩木を炊きあげる山伏たち(午後6時20分)

護摩木を炊きあげる山伏たち

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 山伏たちは護摩壇の西に置かれた護摩木(ごまぎ)を火焔に投じ、一枚一枚心を込めて炊きあげていった。護摩木のあとは神札で、同じく護摩壇の西側に積み上げられた古いお札や達磨などが火の中に投げ込まれていった。

神札を炊きあげる山伏たち(午後6時33分)

神札を炊きあげる山伏たち

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 山伏だけでは間に合わないとみえ、祭典関係者や一般の人たちが護摩壇に上がり、お炊きあげが続いた。護摩壇の巨大な炎と、その周りに奉納された千本を数える大きな蝋燭の炎とがあいまって、雪上の幻想的な光景が見事に演出された。

奉納された千本蝋燭(午後6時40分)

奉納された千本蝋燭

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  延々と神札の炊きあげが続けられるなか、午後7から雪中歌舞伎が始まった。地元塩沢歌舞伎保存会の方々で、雪上の舞台で20分にわたり白波五人男を熱演。大勢の観客から熱い拍手が送られた。会場の周辺に大きなかまくらがつくられ、焼き餅や甘酒が振る舞われていた。歌舞伎のあと、民話の語り部があり、福餅撒きを最後に午後9時ころ閉会した。

雪中歌舞伎・白波五人男 / 塩沢歌舞伎保存会(午後7時21分)

雪中歌舞伎・白波五人男 / 塩沢歌舞伎保存会

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 素晴らしい天候に恵まれ、美しい雪国の春を呼ぶ雪譜祭りを激写し、800万画素・2千枚、3.2ギガを切り取ってきた。祭りの主役を務めた山伏に焦点を合わせて取材したので、ひと味違った作品ができあがったと思う。撮影の合間に新潟の美味しい樽酒を飲ませて頂いた。春を迎える雪国の人々の祭りに賭ける熱い思いがヒシヒシと感じられ、とても素晴らしい祭りだった。後日、ロマンと感動の大作として仕上げたい。乞うご期待!

2006年2月14日(火)晴   
■■■     アクセス・ラッシュが続く「国府宮はだか祭」速報! ■■■
 先週の金曜日、年休を取って日帰りで愛知県稲沢市の国府宮はだか祭を激写し、土曜日に速報版を徒然日記に掲載したところ、12日(日)にアクセス1009件を記録、13日(月)は769件を数えた。これまでどんな人気のある作品でも1日に1000件を超えたことはなかったので、非常に嬉しい。

追記:(「国府宮はだか祭」速報! 12日:1009件 13日:769 14日:590 15日:567 16日:422 17日:376 18日:439 19日:443)
    (「しおざわ雪譜まつり」速報! 20日:939件 21日:765 22日:618 23日:534)

父と子のはだかの触れあい

このあと幼児は父の肩車に乗ってはだか連に参加した。

父と子のはだかの触れあい

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    おさなごも  ふんどししめる  やくおとし
 をさな児も褌しめる厄落  北 舟 
 撮影した私自身、この祭りには見せ場が沢山あり、ワクワクしながらシャッターを切っていたので、ファンの方もきっと喜んで見て頂いていると思う。最後に劇的なフィナーレがあり、命を掛けたドラマが更に感動を呼ぶことになる。これほどまでに非日常のお祭り騒ぎに興じる魅力とその原動力はどこにあるのだろうか。日本人のアイデンティティを限りなくふくらませてくれる祭りである。

2006年2月11日(土)晴     

初春や裸を飾る儺追布              なおいぎれ

   北舟
■■■     「国府宮はだか祭」速報! ■■■
 2月10日(金)愛知県稲沢市(いなざわし)に鎮座する尾張国府宮(おわり・こうのみや)で行われた裸祭りの速報版が今日完成した。国府宮のはだか祭は正しくは儺追神事(なおいしんじ)といい、毎年旧正月の13日に斎行される。なおい笹を奉納した裸男(はだかおとこ)たちが厄を落とすべく全裸の神男(しんおとこ)に触れようと揉み合う勇壮な祭りで、江戸時代の末頃から始まったという。今年は9千人のはだか男と14万人の観衆が国府宮に押し寄せ、大規模な裸のページェントが繰り広げられた。
 国府宮の正式名は尾張大國霊神社(おわり・おおくにたま・じんじゃ)といい、翌日午前3時に斎行される「夜儺追神事(よなおいしんじ)」が本来の祭りで、その起源は古く、約1200年前の奈良時代、称徳天皇の勅命により悪疫退散の祈祷が全国各地の国分寺で行なわれた際、尾張国司が総社である国府宮において祈願したことに始まるという。 国府宮公式サイト

巨大な鏡餅が奉納された尾張国府宮拝殿

巨大な鏡餅が奉納された尾張国府宮拝殿

パノラマ写真(3100x840)546KB

 鐵砲洲稲荷神社寒中水浴大会でお世話になった三木芳樹さんの紹介で、この祭りに10年前から参加しているという千葉市在住の坂本勇一さんとJR東京駅で合流して新幹線に乗り、名古屋駅から名鉄本線に乗り換え、昼前に名鉄・国府宮駅に着いた。直ぐに国府宮の参道を通り、楼門をくぐって拝殿に行った。(写真上)既にかなりの人混みだった。
 坂本さんは古神札納所(ふるいおふだおさめしょ)(写真上左端)で去年の儺追布(なおいぎれ)を返納した後、拝殿に向かって右にある儺追殿(なおいでん)で新しいなおいぎれを入手した。紅白模様のなおいぎれには、赤地に白く「なおい」の文字が染め抜かれ、白地に赤く「國府宮」の文字が染められている。(写真下)

神男が渦から引き揚げられる儺追殿(なおいでん)

1本100円の儺追布(なおいぎれ)

神男が渦から引き揚げられる儺追殿(なおいでん) 1本100円の儺追布(なおいぎれ)

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 神社や参道を下見して取材計画をたてた後、坂本さんがいつも参加するはだか連の写真屋さんに行った。この店にお願いすると、部外者でも5000円ではだか男になれる。店に着くと、神社に奉納するなおい笹の準備が行われていた。

なおいぎれを預かる

なおいぎれを儺追(なおい)笹に結ぶ

なおいぎれを預かる なおいぎれをなおい笹に結ぶ

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 全国から集まったはだか男たちは写真屋さんの二階で晒木綿一反(35cmx10m)を使って腹巻・褌姿となり、お神酒を酌み交わして出陣式を行ったあと、午後1時前、白の地下足袋にバラエティ豊かな鉢巻を締めてあらわれた。

 地元の氏子と共に記念写真を撮った後、先導者の指揮によりなおい笹を担ぎ、店の前から意気揚々と出発。「ピッピッ」「わっしょい!」「ピッピッ」「わっしょい!」・・・と軽快なリズムで歩行者天国となった町内の車道を蛇行しながら練り歩いた。

全国から集まったはだか男たち

なおい笹を担いでいざ出発!

全国から集まったはだか男たち なおい笹を担いでいざ出発!

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 写真屋さんは参道の直ぐ西にあるのだが、例年どおり、名鉄・国府宮駅前から駅前商店街を通って参道に入る迂回コースをとった。商店街では観衆の人垣に突っ込んだり、女の子の頭をなでたりと、地元市民とのスキンシップを図っているのが印象的だった。厄を拾っていくという趣旨なのだろう。

名鉄・国府宮駅前

町内を練り歩く

名鉄・国府宮駅前 町内を練り歩く

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  はつはるや はだかをかざる なおいぎれ
 初春やはだかを飾る儺追布  北 舟 
 はだか祭は、参道入口の石鳥居前の交差点が最初の見せ場となっている。三方向からさまざまな「はだか連」がなおい笹を持って乗り込んでくる。警備している警察官は、「間もなくはだか男が来ます。危ないから道路には入らないで下さい。」とアナウンスし、その都度ロープを張り、横断歩道から観客を排除する。はだかたちは、最初にこの交差点をひとまわりして気勢を上げ、なおい笹を垂直に立てる。

参道入口で盛り上がるはだか連

参道入口で盛り上がるはだか連

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 グループによっては、笹を立てると同時にのぼり始める人もいる。笹竹が途中で折れることもあり、長老たちはハラハラして見守っている。登らせないように足を引っ張る人もいる。全員、程度の差はあれ酒が入っているので、子供のように陽気で羞恥心もなくなっている。背中の落書きもそのせいだろう。

なおい笹をよじ登る男たち

なおい笹をよじ登る男たち 1 なおい笹をよじ登る男たち 2

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 ひとしきりパフォーマンスを終えた一行は、石鳥居をくぐり、参道に入る。町内神輿のように順番はなく、到着順に宮入するようだ。坂本さんのグループは午後1時と3時の二回、宮入をした。二回目の宮入でなおい笹を拝殿に納めた。この日奉納される笹竹は、大小あわせて100本ほどになるという。

参道に入る男たち

参道に入る男たち

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  国府宮の参道は幅広くかなりの距離がある。参道の両側にはベニヤ板が張られ、観客は立入禁止になっている。やがて時が経つにつれ、この広々とした空間が何千人というはだか男たちで一杯になってゆく。ガラス瓶の一升酒は割れると危ないので持ち込み禁止となり、今はやりの紙パックの一升酒を携える酒飲みもいる。
なおいざさ  ふんどししゅうの  やくおとし
 儺追笹褌衆の厄落  北 舟 

参道を縦横無尽に駆け回るはだか男たち

参道を縦横無尽に駆け回るはだか男たち

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 国府宮の約27,000m2の境内には、楼門や拝殿など貴重な文化財が建っている。特に印象的な楼門は室町時代の建築と伝えられ、国の重要文化財である。拝殿もこの地方の代表的な神社建築で、楼門から拝殿、本殿までの配置が一直線上になく、「く」の字状になっており、尾張風といわれる建築方式を伝えている。
 楼門に向かって左に木造三階建ての櫓(やぐら)があり、三階が愛知県警の警備指揮所、二階が報道関係席となっている。私は櫓の対面にある店の屋上に設けられた有料観覧席の当日券を5000円で買い、前から三列目に陣取った。脚立が使えないので、立ったまま、前方のカメラマンの間隙や頭越しに何とか撮影することができた。

楼門を通過する巨大ななおい笹(午後4時半)

楼門を通過する巨大ななおい笹(午後4時半)

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  はつはるや  はだかでうまる  こうのみや
 初春やはだかで埋まる国府宮  北 舟 
 巨大ななおい笹が次々と楼門を通過した後、参道は神男を待ち受けるはだか男たちで一杯になった。神男は参道のどこから入ってくるか分からないが、必ず楼門を通って儺追殿に向かうので、楼門付近が一番の混雑となる。
 午後4時37分、外気温7℃のなか、待望の小池正明寺町 (こいけしょうめいじちょう) の手桶隊が楼門に向かってやってきた。全員、小池正明寺と墨書(ぼくしょ)された手桶を持っている。彼らは毎年、参道に数箇所設けられた水槽から手桶で水を汲み、神男の渦に力水を降りかける重要な任務を負っている。

手桶隊登場!(午後4時37分)

手桶隊登場!

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 手桶隊が参拝して参道に引き返したあと、間もなく神男が参道に現れ、はだか男たちが「ワッショイ!」「ワッショイ!」と声を掛けながら一斉に神男に殺到してはだかの渦が生まれた。今年の神男は籤(くじ)で選ばれた津田敏樹さん(31歳)。神男の警護役は水谷光晴さん(40歳)。4時55分、楼門に最も近い水槽に手桶隊が現れた。

人海戦術で水を汲む手桶隊(午後4時55分)

人海戦術で水を汲む手桶隊

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 午後5時5分、日没の太陽で楼門が仄かに赤く染まったが、裸の渦は左手の街路樹の向こうで停滞しているようで、楼門付近では、はだか男たちが神男が来るのを今か今かと待ちこがれていた。その中で、手桶隊がまるで働き蟻のように水槽から水を汲み、渦にかける作業を黙々と繰り返していた。暗くなればこの位置からの撮影は無理なので、明るいうちに神男が楼門を通過することを神に祈るばかりであった。

日没の参道・・・神男を待つはだかたち(午後5時5分)

日没の参道・・・神男を待つはだかたち

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 遂に裸の渦が湯気をたてながら我々の前面に現れた。望遠レンズが渦の中心を捉えたのが午後5時15分。ぎりぎりの時刻である。感度をISO400に上げ、全自動モード(P)からシャッター速度を1/125に設定して、シャッター優先モード(S)に切り替え、連写を始めた。ファインダーは露出不足の警告が表示されているが、画面が暗くても階調さえ整っていればあとでどうにでもなる。スローシャッターの適正露光では、被写体ブレでピンぼけになり、写っていないのと同じことになるのだ。

神男にタッチ!(午後5時18分)

神男にタッチ!(午後5時18分)

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 結果は見てのとおり、オリンパス E-500 は完璧に裸の渦を捉えていた。渦の中心には全裸の神男がいるはずだが、銀塩450mm相当の望遠レンズを通したファインダーからは薄暗くて分からない。渦を取り囲む男たちの顔向きと湧き上がる湯気の位置で渦の中心を推測した。写真が鮮明なのは、フォトショップで大幅な画像調整を施したためで、実際の画像はカメラの警告通り、露出不足の画面である。

神男に向かう裸の渦

神男に向かう裸の渦

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 やくおとし うずをしずめる ておけみず
 厄落渦を鎮める手桶水  北 舟 

 今回、楼門付近で待ちかまえていた坂本さんが神男に触れることに成功した。三度目ということだが、このあと、原画を総てDVDに焼いて坂本さんに送り、神男が写っているかどうか、判定してもらうことにしている。事故防止のため、体毛を総て剃っているということで、今年の神男の頭もスキンヘッドだいう。

濡れ鼠になって圧力に耐える男たち

濡れ鼠になって圧力に耐える男たち

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 いずれにせよ神男が写っていたとしても頭部のみであり、本当に体毛を剃り落とした全裸であるのかどうかが分からない。そこで、国府宮から掲載の許可を頂いたのが、平成16年(2004)の第48回写真コンテストで特選に輝いた鈴木伸幸さんの作品と平成14年(2002)の第46回写真コンテストで特選に輝いた真野宏平さんの作品。

国府宮(尾張大國霊神社) 第48回写真コンテスト 特選 鈴木伸幸 「激走」

第48回写真コンテスト 特選 鈴木伸幸 「激走」

写真提供:尾張国府宮社務所
 鈴木伸幸さんの「激走」は、神男の救出のため、命綱(いのちづな)をつけた職員が儺追殿から渦の中に飛び込む瞬間をとらえた傑作(写真上)、真野宏平さん の「クライマックス」は、職員が渦の中から神男を救出し、儺追殿に引き揚げる一瞬を捉えた傑作である(写真下)。

国府宮(尾張大國霊神社) 第46回写真コンテスト 特選 真野宏平 「クライマックス」

第46回写真コンテスト 特選 真野宏平 「クライマックス」

写真提供:尾張国府宮社務所
 こうのみや ぜんらのかみに やくおとし
 国府宮全裸の神に厄落  北 舟 
 神社の説明どおり、神男は怪我を防ぐために全身の体毛を剃り落として肌がツルツルしている。しかし、身体の所々に打撲傷や引っ掻き傷が生々しく刻まれており、まさに命がけの行である。はだか男は、相撲を取るときと同じように、必ず爪を切っておかなければならない。 国府宮第48回写真コンテスト 国府宮第46回写真コンテスト

戦い終わって・・・泥道の参道を帰るはだかたち

戦い終わって・・・泥道の参道を帰るはだかたち

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 楼門から向こうは密集していて既に入場禁止になっているので、神男が楼門を通過した後は、参道にいたはだか男たちは一斉に引き揚げていった。乾いていた参道も手桶隊の散水で泥道になっている。右の男は両膝から血が滲んでいる。他にも血が出ている人が見かけられ、神男を巡って渦の中で激しい争いが繰り広げられたことがよく分かる。

祭りの勲章

はだか祭の勲章

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 平成15年(2003)の祭りでは、楼門付近で転倒したはだか男が圧死するという痛ましい事故が発生した。国府宮のホームページでは転んだときはうつぶせの防御姿勢を取るよう指導している。しかし、経験者に聞くと、将棋倒しになれば、巨大な圧力でなすすべもなく、生死は神に祈るしかないという。この祭りのフィナーレは命がけで行われており、警察は雑踏警備に全力を注いで、事故防止に努めている。
 凄い祭りだとは聞いていたが、前半の楽しい祭りから一転して激しい裸の渦の凌ぎ合いという結末が設定されているのは矢張り驚きで、これはまさしく奇祭である。日本三大奇祭は、四天王寺どやどやを外し、黒石寺蘇民祭と西大寺会陽とともに国府宮のはだか祭を加えるべきだと思った。(完)

2006年2月9日(木)晴   
■■■     日本三大奇祭」がアクセス20万件を突破! ■■■
 本日、4年前の2002年1月26日に制作した旅紀行日本の裸祭り第8集「日本三大奇祭」がアクセス20万件を突破した。月平均4167件のアクセスがあったことになり、Wa☆Daフォトギャラリーの人気ナンバーワン作品である。
黒石寺蘇民祭(岩手県水沢市)
黒石寺蘇民祭(岩手県水沢市)

 ちなみにアクセス第二位は、2001年8月4日にアップした特集!旅紀行第12集「ベルサイユ宮殿」で、13万7千件。月平均2585件のアクセスがある。第三位は、2001年10月27日制作の旅紀行日本の裸祭り第8集「播州秋祭・灘のけんか祭り」の13万6千件。月平均2666件。

 驚異的に伸びているのが2003年5月10日制作の旅紀行日本の裸祭り第4+集「ふんどし談議」。僅か26月で13万3千件のアクセスがあり、月平均5115件となっている。これは2005年9月にinternet百科事典ウィキペディアにリンクされたことが大きく、それ以来毎日200〜300件のアクセスが続いている。いずれ「日本三大奇祭」を追い越してトップに出ることは間違いないので、今後も最新の話題を追加してゆきたい。

 こうしてみると、裸祭りシリーズの人気が非常に高いことがわかるが、その理由は、これだけ中味の濃い映像と解説を提供しているサイトは、世界広しといえどもWa☆Daフォトギャラリー以外には見あたらないことから、裸祭りファンの定番サイトに定着したためと考えられ、そうであるとすれば、大変光栄なことだと思っている。最近は裸祭りの取材要請のメールが寄せられるようになり、ファンの期待が大きいので、今後も力を入れて取材してゆきたい。


2006年2月8日(水)晴   
■■■     当サイトにJTB のバナー広告掲載 ■■■
 当サイトの愛読者は既にお気づきのことと思われるが、今週からWa☆Daフォトギャラリー初の広告を全ページに掲載している。本日三日がかりの作業が終了した。
 日本がブロードバンド環境となった現在、ダウンロード時間に殆ど影響はないものの、広告の掲載でサイトの雰囲気が低俗化してしまうことがないように配慮し、数あるオファー(広告依頼者)の中から国内最大手の旅行代理店である株式会社ジェイティービー(JTB)を選び、このほどアフィリエイト広告の老舗であるバリューコマース(VALUE COMMERCE)を介して合意が成立したので、掲載に踏み切ったものである。
 なるべく見苦しくならないように配慮しながら、オファー側の広報効果を高めて欲しいという希望を汲んで、各ページの文頭と文末にJTB 海外旅行とJTB 国内宿泊予約のバナー(横幕)広告を一度だけ表示するという方法をとった。また、バナー広告の種類も画面の雰囲気にマッチしたものを選んだ。
標準フルバナー(468 x 60) 標準ハーフバナー(234 x 60)
 
 

 読者のディスプレーにバナー広告が表示されただけでは報酬は得られないが、読者がバナーを1クリックすると一定の報酬が得られる(CPC)。成約して金銭が支払われると、定額報酬が入る。

 私のサイトは毎日2000人が訪れる優良店で、客筋も良いと見られており、これまで、あちこちから広告を掲載して欲しいとの依頼を受けていた。広告を掲載すると、ホームページの格調が低くなる恐れがあるで、これまで全て断っていたが、今回、広告を引き受けたのは、私のポケットマネーだけでは国内外の十分な取材費が捻出できず、読者にご協力いただいて得られた広告収入を取材費の補助に使い、よりハイグレードな取材を敢行して、クオリティの高いコンテンツを掲載してゆこうと思い立ったからである。愛読者の皆様のご理解とご協力をお願い申し上げたい。
 広告掲載に踏み切った背景としては、来年以降、700万人といわれる団塊の世代が退職すると、旅行業が活況を呈すると予測されており、その手配はinternetに移行してゆくものといわれているため、internetに店を抱える筆者としては、折角のビジネスチャンスを活かさない手はないと思ったからである。月にどれだけの収入が得られるかは未知数であるが、書店のパソコンコーナーにはアフィリエイト関連の書籍が溢れており、うまくゆけば高額所得が得られるという。ライブドアのような虚業ではないので、安心してアフィリエイト業界に参入した。現在、果報は寝て待てといったシチュエーションとなったので、今後、冬の裸祭りの取材と新作の編集作業に没頭することとしたい。

2006年2月4日(土)晴   
■■■     飫肥(おび)城下まつり」アップ! ■■■
 先ほど、感動写真集・第62集「飫肥(おび)城下まつり」をアップした。この作品は、3年前に感動写真集に作品をお寄せ頂いた上平明さんの第2作である。上平さんは、昨年春から宮崎県日南市に単身赴任されており、去年の10月中旬、日南市飫肥で開かれた城下祭りの模様を撮影したものである。

今町組の泰平踊り(飫肥城下まつり/宮崎県日南市)

2005年10月16日 撮影

今組の泰平踊り

拡大写真(1400x770)290KB

魅力の日南市 飫肥おび の町

撮影・原作 上平 明 (かみひら あきら)

 日南市飫肥は、江戸時代の城下町を彷彿とさせる建物が並ぶ大変魅力ある町です。時間を見つけては、ペンタックスistDSを片手に散策するのが、日南での単身赴任の楽しみの一つとなりました。

 この度、その町並みと、6万人の観客を集めた秋の風物詩 「飫肥城下まつり」のメインイベントである泰平踊りを紹介しました。「飫肥城下まつり」は、毎年10月の第3土曜、日曜に開催されます。祭りの開始を知らせる早馬や、武者行列の市中パレードなどもありましたが、都合で撮影ができなかったものも多く、次回はぜひカメラに納めたいと思っています。
 ここ宮崎県は、天孫降臨を始め神話や史跡が多く存在するところであり、時間が許す限り訪れて写真を撮りたいと思っています。カメラは、Pentax istDS、シグマ18-125 で現在勉強中です。一眼デジカメの楽しさと難しさを実感しています。(完)

頼もしい南九州拠点

 このたび、3年前に 知床半島・流氷の尾白鷲 を発表頂いた上平明さんから宮崎県日南市の城下町の佇まいや飫肥城下まつりの貴重な写真をお送り頂いた。当ギャラリーには南九州の作品が少なく、今後、南九州の伝統文化や大自然の紹介に力を入れてゆきたいと思っていたところ、幸いにも、羅臼に勤務されていた上平さんが、横浜に勤務された後、去年の4月から宮崎県日南市に単身赴任されており、愛機 Pentax istDS を携えてロマンと感動を激写して頂けることになった。Wa☆Daフォトギャラリーの頼もしい南九州拠点が生まれたことは大変有り難い。上平さんの新しい作品を心待ちにしている。 2006.2.4 和田義男 

2006年2月1日(水)雨     

初春や雲の大河のうねりゆく

  北舟
■■■     続・中国山地の雲海」アップ! ■■■
 先ほど、感動写真集・第61集「続・中国山地の雲海」をアップした。この作品は、3年前から感動写真集に作品をお寄せ頂いている大森保武さんの第4作で、処女作の「中国山地の雲海」以来、3年間、毎日近くの展望台に通い、雲海を撮り続けられた中から選りすぐったものを続編として纏めたもので、大森さんでないとなしえない大変貴重な作品である。

茶畑から山々を望む - 2006年元旦の雲海 -

2006年1月1日 09:00 撮影

茶畑から山々を望む - 2006年元旦の雲海 -

拡大写真(1600X1200)114KB

魅惑の雲海

撮影・原作 大森保武 (おおもり やすたけ)

 我が家の近くにある大山(おおやま)展望台に日参するのが私の日課です。今は7時ごろを目安に行動していますが、暖かくなれば5時起きです。何も見えないときがたまにありますが、一筋の雲あり、厚い雲あり、薄い雲ありで変化に富み、二度と同じ姿を見ることはありません。時には中腹付近から通勤途中の人が「良い雲海出てますよ」と教えてくれることもあります。

 でも全てはタイミングです。これは凄いと感動を覚えるときもあれば、ガッカリすることもあります。前作を発表してはや三年。撮り溜めた中からこれはと思うものを続編として発表させていただきました。これからも私の日課は続きます。
 私の住む美作(みまさか)町は、平成17年3月に6町村が合併して美作市になりました。標高342mの大山展望台は、吉野川を挟んで湯郷温泉街に対面し、( 34°58’ 37”N,134°08’ 29”E )の位置にあります。

 

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