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2009年9月30日改訂

今 日

昨 日

♪山伏/邦楽囃子
 

勢子衆の御影落しや鎮火祭   北舟

 

The fire extinguishing ritual,
Carriers drop the Mikage portable shrine.

2000年7月31日開設

御影落し 17:00

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  御影落し/北口本宮冨士浅間神社(山梨県富士吉田市)
2009年の日記  

 

9月下
  8月下 9月上 9月中 9月下 10月

目次


 
2009年9月30日(水)雨
 
 

■■■ 「見付天神裸祭/御大祭」速報! ■■■

 
   平成21年(2009)9月26日(土)27日(日)、一泊二日の日程で静岡県磐田市(いわたし)で行われた見付天神裸祭(みつけてんじん・はだかまつり)の御大祭(ごたいさい)を密着取材した。9月26日(土)東京駅新幹線ホームで群馬の新尺俊勝さんと合流し、午後1時ころ磐田市に到着。旧東海道見付宿(みつけじゅく)の見付天神入口にある江戸時代の寛政12年(1800)創業の老舗割烹旅館「大孫(だいまご)」にチェックインしたあと、二人で御大祭の主要ポイントを下見して最終チェック。  

見付天神・矢奈比賣(やなひめ)神社公式サイト  見付天神裸祭保存会公式サイト
 その後、見付天神裸祭保存会事務局長の福代陽一(ふくよ・よういち)さん宅に行き、新尺さんを紹介し、打ち合わせを行った。新尺さんは、保存会副事務局長の松本直希(まつもと・なおき)さんが所属する西中区梯団の二番觸(にばんぶれ)(二番町)にお世話になることになった。また、3日前の浜垢離(はまごり)に参加した3名のうち、相模原市の庄さんが引き続き福代さんが所属する東中区梯団の御瀧車(おんたきぐるま)(宿町(しゅくまち))にお世話になった。

【凡例】  ▲:上の画像の説明文  ▼:下の画像の説明文  〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示

「浦安の舞」奉納/見付天神拝殿(静岡県磐田市) 2009.09.26 16:15

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▲ 午後4時から見付天神幣殿で5人の小学校6年生女子による「浦安の舞」が奉納された。毎年、4梯団から2人ずつ小学6年生の女子が舞姫に選ばれ、8人が練習を重ねてこの日に備えてきた。本職の巫女のように、素晴らしい舞を見せてくれた。

輿番たちの練り上げ/見付天神拝殿 16:20

輿番たちの練り上げ/見付天神拝殿 16:20

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▲ 神輿を担ぐ輿番は、東区梯団の権現(権現町)と東中区梯団の地脇(地脇町など東中区5町)が交代で担当しており、平成21年(2009)は地脇の番だった。午後4時半から拝殿の西側にある祓所(はらいどころ)で、輿番清祓(こしばん・きよはらい)が行われた。輿番は、鬼踊りには参加できないので、拝殿の前の上り口で練りを行った。

褌を締める

腰蓑をつける

褌を締める 腰蓑をつける

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▲ 褌(ふんどし)・腰蓑(こしみの)に着替えるのは自宅という町内が多いが、ここ西区梯団の元喬車(げんきょうしゃ)(加茂川通)では、加茂川会館で行われるというので、東中区梯団長の片山千代三さん(御瀧車)に案内して頂き、撮影させてもらった。
 加茂川会館では、子供連の午後6時の出発に備え、午後5時過ぎから子供や大人たちが集まり、「裸っぽ」の準備が始まった。元喬車では、脱衣したあと、褌の一端を口にくわえ、前から後ろに股を通して締めて行く方法をとっていた。これだと前を隠すことができ、羞恥心が和らぐ(写真左)。腰蓑は、両端の紐を腹巻の上で一周させ、腰蓑の前下がりの内側で蝶々結びにする(写真右)。

裸腰蓑姿の子供連/御瀧車(宿町)会所前 17:45

裸腰蓑姿の子供連/御瀧車(宿町)会所前 17:45

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▲ 御瀧車(おんたきぐるま)宿町(しゅくまち)に戻ると、既に子供たちが会所前に集合していたので、記念写真を撮った。午後6時に交通規制が始まると、子供連は、歩行者天国になった旧東海道の見付宿町通り(みつけしゅくまちどおり)をパレードしたあと、見付天神に向かった。
 

裸で揉み合う子供たち/見付天神拝殿入口 18:20

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  ▲ 子供連は、大孫(だいまご)のそばの入口から見付天神の参道を進み、拝殿入口に設けられたスロープに上がって次々に裸練りを披露した。子や孫の晴れ姿を一目見ようと大勢の大人たちがまわりを取り囲み、フラッシュが光った。大人になると夜中に堂入りして鬼踊りを奉納する晴れ舞台が約束されている子供たちにとっては、大人と同じ祭衣装を身につけて裸練りを経験できる年に一度の機会である。  
 大人顔負けの裸練りを披露してくれたのは、3日前の浜垢離(はまごり)でも素晴らしかった西区梯団の水陣(すいじん)の子供たちである。頭から足先まで、完璧に衣装統一が図られており、満点の出来栄えである。これでこそ、重要無形民俗文化財にふさわしい裸練りである。センス抜群の指導者にエールを送りたい。
 残念なことに、水陣以外の祭組の子のパンツと運動靴が見える。これが如何に祭の品位を落としているか、よく見て頂きたい。博多山笠、西大寺会陽、國府宮裸祭など全国的に知られる一流の裸祭は、子供を含め一人として変な格好をした者はいない。
 全国の裸祭に参加されてきた新尺さんによると、博多山笠では、変な格好をした者がいれば、兄貴分の赤手拭い(あかてのごい)が、それが違う流れの者であっても直ぐに注意し、相互に祭の品位を保持し合っているという。
 

幼児や女子も参加する裸祭

裸で揉み合う子供たち/見付天神拝殿入口 18:20

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  ▲ 幼児や女子も子供連に参加して、裸練りに加わっていた。貴重な体験を全身で味わった子供たちは、それぞれの思いを胸に、拝殿や本殿などを時計回りに一周してから引き上げて行った。  
 

白丁姿に変身した筆者/福代邸 20:10

白丁姿に変身した筆者/福代邸 20:10

拡大写真(1450x1600)315KB 撮影:福代陽一
 
  ▲ 福代邸で保存会が見付天神社から借りた烏帽子・白丁に着替えた。白足袋・草鞋も保存会が準備してくれた。大変有り難かった。裸祭の最大の見せ場が拝殿での鬼踊りで、神社から取材許可の腕章をもらわないと堂入りできないが、更に幣殿に上がって、ベスト・ポジションから取材するには、先供や輿番と同じ装束でないと上がることが出来ない。国の重要無形民俗文化財に指定されているだけあって、古来から伝わる掟や定めは厳格に守られている。そこで、この装束となり、晴れて裸祭の一員として取材が認められた。下着は越中褌のみで、袖をたくし上げ、股立ちを取ると、とても涼しく、昼間から着替えていれば良かったと反省した。(^^;  
 

東中区梯団御瀧車(宿町)の方々と記念撮影/御瀧車会所前 20:35

東中区梯団御瀧車(宿町)の方々と記念撮影/御瀧車会所前 20:35

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  ▲ 午後7時過ぎに子供連の取材を終え、大孫に戻って新尺さんと夕食をご一緒した。生ビールが渇いた喉を潤してくれた。1時間ほどの休憩の後福代邸に戻ると、御瀧車の氏子たちの準備が出来たというので、すぐそばの会所に行き、記念写真を撮った。  
 私と肩を組んでいる人が11ヵ町という4梯団中最大グループを統括する東中区梯団長で、浜垢離で記念写真を撮らせて頂いた片山千代三さんである(青襷)。梯団長は梯団の最高責任者で、片山さんの号令一つで梯団が動く。
 私の右隣が大変お世話になった見付天神裸祭保存会事務局長の福代陽一さん。最前列の赤襷の人は、祭組・御瀧車の責任者である警固長の永田孝幸さん。
 私の前が浜垢離に引き続き相模原市から参加した庄俊之(しょうとしゆき)さん。庄さんは、片山さんのご自宅にも招待されて歓待を受けるなど、多くの方々のご支援のお陰で、御瀧車の体験入隊を無事に成就した。後日、長文のお礼のメールを頂いた。彼の面倒を見て頂いた方々に私からも御礼申し上げる。
 

東中区梯団の渡り付け/御瀧車会所前 21:12

東中区梯団の渡り付け/御瀧車会所前 21:12

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  ▲ 東中区梯団の11ヵ町の祭組は午後9時から東中区内の「渡り付け」と呼ばれる挨拶廻りを始めた。東中区の親町(おやまち)である御瀧車では最初に分担して他の10ヵ町へ渡り付けに出かけそれが終わると渡り付けを受ける。数が多いので、纏めてやってくる祭組もあった。写真上は手拭いを見ると、緑ヶ丘(みどりがおか)(緑ヶ丘)、北見(きたみ)(北見町)、龍宮社(りゅうぐうしゃ)(新通町)、元宮社(げんぐうしゃ)(元宮町)地脇(じわき)(地脇町)が合同で御瀧車(宿町)に渡り付けにやってきたことが分かる。4梯団で最大規模の渡り付けと思われる。  
   独特の作法があり、双方が提灯を一列に並べ、鉢巻を外して首に掛け代表者が「渡り付け有り難うございます。提灯の合図のもと、親町との合流、宜しくお願いします。」と口上が述べられると御瀧車の代表者がお礼の口上を述べ、若者が盃を配って御神酒を振る舞ったあと、拍手をして見送った。  
 

由緒ある屏風と天神様を祀った祭壇の前に陣取る長老たち/御瀧車(宿町)町会所

由緒ある屏風と天神様を祀った祭壇の前に陣取る長老たち/御瀧車(宿町)町会所

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  ▲ 御瀧車(宿町)の会所の内部を撮影させてもらった。由緒ある屏風に囲まれて、天神様が祀られており、その前に長老たちが陣取っていた。左列中央の眼鏡をかけた人が平成14年(2002)にこれまでの組織を再編して新たに発足した見付天神裸祭保存会の石川大造・初代会長である。裸祭の主催者は保存会なので、石川さんが祭の最高責任者である。  
 3日前の浜垢離で、御瀧車のテントの下で、郷土料理の昼食に舌鼓を打ちながら親しく歓談させて頂き、見付天神裸祭について忌憚のない感想や意見を述べさせて頂いた。特に、褌の徹底について持論をお話したところ、石川会長のご賛同を得られたのが嬉しかった。今後、この裸祭の衣装統一が徹底されれば、国の重要無形文化財にふさわしい「天下の奇祭」として、全国の有識者から高い評価が得られるものと思われる。
 

御瀧車の行進/見付宿場通り 21:35

御瀧車の行進/見付宿場通り 21:35

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  ▲ 午後9時、煙火一発が打ち上げられ、宵祭が始まった。宿町の祭組「御瀧車」は、旧東海道の見付宿場通りに繰り出し、行進を始めた。最前列は「前〆(まえじめ)」として隊列が崩れないようスクラムを組み、その中に練りの集団を封じ込めている。青のリストバンドが前〆であることを示す。「オイッショ、オイッショ!」の掛け声と共に行進する裸腰蓑集団は、あっという間に町中を熱気に包んだ。  
 

東中区梯団各町の合流/福代邸前(旧東海道見付宿) 21:42

東中区梯団各町の合流/福代邸前(旧東海道見付宿) 21:42

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  ▲ 福代邸の二階からの眺めが素晴らしい。まさに高見の見物とはこのことだろう。この交差点で、東中区梯団の地脇と北部4町が御瀧車などと合流。見付天神裸祭最大の勢力にふくれあがりその熱気に圧倒される。このアングルの写真は福代さんのお勧めによるもので、裸祭のスケール感を表現できた。このあと、裸の集団は、全員西(右)に流れて行った。  
 

静岡銀行前で西区と擦れ合った御瀧車/見付宿場通り 21:46

輿番たちの汐練り込み/地脇

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  ▲ 二階から急いで下りて街道を走り、やっと御瀧車に追いつき、旧東海道での撮影に入った。静岡銀行前で西区と東中区の梯団同志の擦れ合い(すれ違い)があり、たった10分ほどで、盛り上がりは頂点近くに達し既に陶酔状態の人もいる。二列目に庄さんの姿が見える。凄(すさ)まじいばかりの熱気で、私も全身汗だくになりながら、シャッターを切り続けた。  
   このあと、西区と東区との擦れ合い(農協前)など見せ場が続いたが、夜店などに阻まれて、擦れ合いのスケール感を出せる写真はうまく撮れないことが分かり、再度、福代邸の二階に陣取った。  
 

静岡銀行前で東中区と擦れ合ったあと東に向かう西区梯団/福代邸前 21:55

静岡銀行前で東中区と擦れ合ったあと東に向かう西区梯団/福代邸前 21:55

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  ▲ 期待したとおり、福代邸二階から東中区梯団との擦れ合いを終えて東に向かう西区梯団の勇姿を捉えることができた。  
 

見付天神に向かう西区の先頭集団/東区梯団宮本(住吉町)会所前 22:42

見付天神に向かう先頭集団/東区梯団宮本(住吉町)会所前 22:42

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  ▲ まだ午後11時の堂入りまでに20分もあり、かなり余裕があると思っていたが、既に西区の先頭集団は、東区梯団の宮本(住吉町)会所に差し掛かっており、何とか追い越して、宮本町会所の前を進む裸っぽたちの勇姿を捉えることができた。  
 堂入り一番乗りは、西区梯団の月松社(げっしょうしゃ)(中央町)と決まっている。はやる彼らを抑えるべく、横一列にスクラムを組み、青手拭いで手首を縛り付けてスクラムが解けないようにしている前〆(まえじめ)たちは、西区梯団を拝殿まで〆ている龍陣(りゅうじん)河原町(かわらちょう)の青年である。
 

一番乗り「月松社」の堂入り/見付天神拝殿 22:47

一番乗り「月松社」の堂入り/見付天神拝殿 22:47

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  ▲ 一足先に拝殿のスロープで待機していたところ、予定よりも13分も早く、午後10時47分に「境松」の提灯を持つ月松社(げっしょうしゃ)(中央町)の堂入りが始まった。出来る限り鬼踊りを長くしたいとの思いで堂入りを早めた西区梯団長の英断だろう。早めに待機していたことが功を奏し、一番乗りで拝殿に駆け上がる裸っぽたちの勇姿を切り取ることができた。  
 

鬼踊りの開始/見付天神拝殿 22:47

鬼踊りの開始/見付天神拝殿 22:47

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  長き夜や褌腰蓑鬼踊 北舟 

ながきよや ふんどしこしみの おにおどり

A long autumnal night, Ogre Dance wearing a loincloth with a straw apron.

 
 

早くも佳境に入った天下の奇祭「鬼踊り」/見付天神拝殿 23:00

早くも佳境に入った天下の奇祭「鬼踊り」/見付天神拝殿 23:00

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  ▲ 西区の堂入りに続き、西中区、東中区、東区と4梯団が順に堂入りし、広い拝殿は裸っぽたちで埋まり、見付天神裸祭は佳境を迎えた。天井のスプリンクラーの水煙が力水となり、汗と熱気と腰蓑の藁の臭いが堂内に満ち、「オイッショ、オイッショ!」の掛け声も勇ましく、地団駄(じだんだ)踏んで床音が響き渡る。「シャン、シャン、シャン」の鈴の音も喧噪の中に打ち消され、「鬼踊り」と称されるにふさわしい勇壮な裸練りが1時間以上にわたって繰り広げられた。褌腰蓑という独自の装束を身にまとった男たちは、群集心理の中で自己陶酔の境地を彷徨(さまよ)っているかのように見えた。  
 

鬼踊りの最中に拝殿から幣殿に乗り込む輿番たち 23:37

鬼踊りの最中に拝殿から幣殿に乗り込む輿番たち 23:37

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  ▲ やがて乱舞する群衆をかき分けて神輿を担ぐ輿番の白丁たちが拝殿を横切り、宮神輿が安置されている幣殿に雪崩れ込んできた。拝殿と幣殿を分ける厩栓棒(ませんぼう)と呼ばれる丸太の仕切り棒を乗り越えるさまは圧巻で、脚立の上からその精悍な姿を捉えることができた。  
 

渡御奉告祭/見付天神幣殿 2009.9.27 00:05

渡御奉告祭/見付天神幣殿 2009.9.27 00:05

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  ▲ 午前零時、拝殿で躍動感溢れる鬼踊りの真っ最中に、その奥の幣殿では、宮司ら神職、先供輿番一同が本殿の前に据えられた神輿を取り囲んで整列し、渡御奉告祭(とぎょほうこくさい)が始まった。神輿の周りに、浜垢離で先供が波打ち際から持ち帰った12個の小石が置かれ、鈴木宮司の祝詞奏上が行われた。常識では鬼踊りを止めて行うべき神事が並行して催行される不思議。 宮司の祝詞は鬼踊りの大音響に打ち消されて全く聞こえない。静と動の同居する奇妙な神事である。  
 この後、明かりが全て消されると、輿番たちが神輿の担ぎ棒を抱え、暗闇の中で鬼踊りに興ずる裸っぽの間を割って、拝殿から境内に下り、全てが闇に閉ざされたなか、拝殿〜参道〜旧東海道〜御旅所の総社まで神輿を担いで渡御することになる。消灯されると、フラッシュ撮影ができず、移動もおぼつかなくなるので、幣殿での撮影を早めに切り上げ、福代さんに誘導されて幣殿の横口から境内に出て、二番觸の松本さんと合流。以後、松本さんの案内で、次の神事が行われる山神社(やまじんじゃ)に向かった。
 

山神社祭 00:15

父と子の触れ合い 12:25

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  ▲ 山神社の前で待機していると、渡御奉告祭を終えた宮司ら神職・先供たちが現れ提灯と松明(たいまつ)の明かりを頼りに、山神社祭(やまじんじゃさい)が執り行われた。白衣正装の鈴木宮司による祝詞奏上が行われているなか、一番觸、二番觸、三番觸の儀が行われた。  
   「一番觸」の声がかかると、世話方より觸榊(ふれさかき)が御山役(おやまやく)に渡され、野次(やじ)と呼ばれるお付きたちとともに觸鈴(ふれすず)を打ち鳴らしながら山を下り、「いちばーんぶれー」と連呼しながら総社まで走って神輿渡御が近いことを知らせる。まだフラッシュ撮影が許されていたので、出発する一番觸の姿をうまく撮し取ることが出来た。  
   「二番觸」が出発すると煙火(はなび)が上がり、それを合図に神輿渡御のコース上の照明が全て消される。ここからはフラッシュ撮影ができないので、二番觸の松本さんに手を引かれながら二番觸の二列目に付き、「にばーんぶれー」と連呼しながら小走りで総社に向かった。  
   街道に出ると、一つ残らず灯火が消されて暗闇が広がっており、露店の姿も暗くて見えない。神輿渡御の際は、煙草の火さえつけてはならないという厳しい掟が厳守されている。これが国の重要無形民俗文化財に昇格した理由の一つである。背景燈火の影響で、沿道には神輿渡御を見送る観客が並んでいるのが分かり、我々が前を通過すると拍手がわき起こる。祭を進める人と声援を送る人たちとの触れあいが心地よく、走りながら感動を覚えた。私の後ろには白丁姿になった新尺さんがいたことを後で知った。この機会を与えて頂いた西中区梯団長の鈴木さんのご配慮に心からお礼申し上げたい。  
 

篝火のそばを渡御する神輿/総社石鳥居 00:33

篝火のそばを渡御する神輿/総社石鳥居 00:33

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  ▲ 総社入口を示すため、暗闇の街道に唯一西中区(二番觸)の舞車(まいぐるま)の提灯1個が点灯していた。その前を右に折れ、総社の参道を走って行くと、鳥居のそばに庭燎(にわび)と呼ばれる篝火(かがりび)が焚かれ、石段を照らしていた。  
 見付天神では、二番觸出発の煙火の合図で明かりが消され、暗闇の中を神輿が拝殿を下り、山神社まで近づくと、三番觸が出発。神輿が離れないよう、ゆっくりと走り、「さんばーんぶれ」と語尾を延ばさないように注意しながら連呼する。
 私が二番觸とともに総社にやってきたのは、篝火の明かりを頼りに神輿渡御を撮影するためである。デジカメの感度を最大限に上げ、1/30秒のフリーハンドで撮影したのが上の写真。鮮明とは言い難いが、暗闇の参道を神輿を担ぎ、「オッシ、オッシ」と掛け声をかけながら石段を駆け上がる輿番たちの勇姿を切り取ることができた。総社入口を示していた舞車の提灯が神輿の後に続いていた。
 暗闇の中でも鬼踊りに興じていた裸っぽたちは、神輿が拝殿を出ると、踊りを終えてその後に続く習わしである。ハイテンションになっている裸っぽが神輿を奪ったり、担ぎ棒にあがったりと、狼藉をはたらかないように神輿の後ろをガードする〆切(しめきり)を務めるのが東区(三番觸)の元門車(げんもんしゃ)(富士見町)である。暗闇の部隊なので、仲間を識別できるよう黄色の襷に印手拭いの頬被りをしているが、その姿を撮影することはできなかった。
 

神輿総社着御祭/総社拝殿 00:40

神輿総社着御祭/総社拝殿 00:40

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  ▲ 神輿が御旅所の総社に到着すると、煙火が上がり、それを合図に町内は光を取り戻した。ここから再びフラッシュ撮影が可能となった。やがて総社拝殿では、白丁たちが見守る中、神輿総社着御祭(みこし・そうしゃ・ちゃくぎょさい)が始まった。  
 

腰蓑納め/総社 00:45

神輿総社着御祭/総社拝殿 00:40

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  ▲ 総社で神事が行われている一方で、神輿渡御にお供してきた裸っぽたちは、総社の西(左)の注連縄に囲まれた納所(おさめどころ)で腰蓑納めをしたあと、三々五々帰途に着いた。腰蓑だけでなく、草鞋も脱いで納める人もいた。  
 

二番觸最後の裸練り 00:53

神輿総社着御祭/総社拝殿 00:40

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  ▲ 全ての取材を終わり、松本邸に向かうと、腰蓑納めをして戻ってきた西中区・二番觸の氏子たちが、最後の裸練りを楽しんでいた。拝殿での鬼踊りは1時間余りしかなく、神輿が拝殿を出発した後は、禁止されているので、まだ余力が残る若者たちの最後の楽しみになっているようである。草鞋が片方しかない者や裸足の者など、鬼踊りの裸練りの凄まじさが想像される。  

白丁姿の密着取材

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 褌一丁の裸練りを撮り終えてから、新尺さんと共に松本邸にお邪魔して楽しい直会に加わり、ご馳走をよばれながら午前4時ころまで歓談させて頂いた。率直な感想として、こんなにも素晴らしい裸祭があまり全国に知られていないことを不思議に思った。このロマンと感動を地元の方々だけでなく、全国の希望者にも分け与えて頂けるという保存会のご好誼(こうぎ)はとても有り難く、今後、ご希望に添えるよう努力してゆきたい。
 今回、「はだかまつり」という48頁もある立派なガイドブックを頂き、大いに参考になったが、来年のガイドブックに掲載する寄稿文を依頼された。大変名誉なことで、喜んでお引き受けした。最後に松本さんの奥さんが車で大孫まで送って下さり、大変ご迷惑をおかけしてしまったが、見付地区の方々との貴重な出会いと交流は、一生の思い出となった。

 来年の平成22年(2010)は、9月8日(水)が浜垢離、9月11日(土)・12日(日)が御大祭である。これにあわせて「霊犬悉平太郎(れいけん・しっぺいたろう)700年祭」が予定されているので、盛大な裸祭となることだろう。

★☆★彡

 来年は、私が世話人になって和田グループを結成し、新尺俊勝さんに裸っぽリーダーをお願いし、見付天神裸祭参加希望者を保存会に斡旋したい。参加者は、磐田市へのアクセス、宿、食事、祭装束(印手拭い・腹巻・褌・腰蓑・黒足袋・草鞋)の購入など祭に参加するために必要な準備を含め、全て自己責任で行動していただく。祭当日は、裸祭の遵守事項を厳守し、お世話になる祭組の指示に従い勝手な行動はとらないことなど、ルールを定めたい。
 また、祭に参加しないアマチュア写真家の方々も和田グループに申し込んで頂ければ、撮影許可の斡旋やガイドブックだけでははっきりしない祭の進行予定や最適撮影場所などの取材情報を提供したい。
 既に私を始め今年参加した新尺さんや庄さんが来年の参加を予定しているが、全国から多数和田グループに加わって裸祭のロマンと感動を味わって頂きたい。現地では、初心者でも安心して参加できるよう、全国の裸祭に参加しておられるベテランの新尺さんに伝統に則した褌・腰蓑・足袋・草鞋の装着法などを指導して頂き、品位と節度に優れた行動を取りたいと考えており、ご賛同の方は、是非、応募願いたい。応募要領その他は、来年、しかるべき時機(御大祭の2ヵ月ほど前のガイドブックが完成する頃)に掲示したい。
 今後、浜垢離と御大祭の速報版を一括して 「見付天神裸祭」として発表する予定なので、ご期待願いたい。

謝 辞

 このたび、見付天神裸祭の本格的な密着取材を実施させて頂き、浜垢離3,000枚、御大祭2,300枚、合計5,300枚13.18GBにのぼる1,230万画素のデジタル写真を撮影できました。これは一重に見付天神社と見付天神裸祭保存会始め地元の方々の惜しみないご支援ご鞭撻のお陰であり、心よりお礼申し上げます。写真の原画は、後日全てDVDにコピーして保存会にお送り致しますので、今後の広報や記録保存にご活用下さい。これからも交流の輪を広げさせて頂き、少しでもお役にたてれば幸いです。どうか宜しくお願いします。有り難うございました。 2009.9.30  22:25 和田義男 〈 拝 〉 
  8月下 9月上 9月中 9月下 10月

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