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2009年10月30日改訂

今 日

昨 日

♪山伏/邦楽囃子
 

長き夜や褌腰蓑鬼踊  北舟

 

A long autumnal night,
Ogre Dance wearing a loincloth with a straw apron.

2000年7月31日開設

早くも佳境に入った天下の奇祭「鬼踊り」 23:00

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  早くも佳境に入った天下の奇祭「鬼踊り」/見付天神拝殿(静岡県磐田市)
2009年の日記  

 

10月
  9月上 9月中 9月下 10月 11月

目次


 
2009年10月30日(金)晴
 
 
■■■       感動写真集第125集 「ブルガリア・ルーマニアの旅」完成! ■■■
 
   10月27日(日)、今年第29作(通算第399作)目の作品をアップした。

         感動写真集第125集「ブルガリア・ルーマニアの旅」 / 撮影・原作:小池淳二 監修:和田義男

 
 
撮影・原作:小池淳二 (こいけ じゅんじ)

住居:兵庫県明石市

昭和11年(1936)生まれ

趣味:音楽鑑賞 旅行 ウォーキングなどの運動

感動写真集第125集/特集!旅紀行第87集 「ブルガリア・ルーマニアの旅」

   平成21年(2009)10月11日 作品:第29作  画像:(大78+小19) 頁数:6  ファイル数:220 ファイル容量:61MB
   平成12年(2000)〜平成21年(2009)
 作品数:399 頁数:1,501 ファイル数:53,038 ファイル容量:7,337MB
ブルガリア・ルーマニアを旅して
 クラブ・ツーリズムの「ブルガリア・ルーマニアとバラ祭り10日間」に参加した動機はこのバルカン半島の2国は今まで訪問していないことと、6月7日のバラ祭りが見たかったからです。
 しかし、メキシコで発生した豚・新型インフルエンザが4月28日にはフェーズ4となり、国内でも神戸、大阪で発生して国内大流行が危惧されるようになりました。このため、参加申込みのあと、しばらく様子を見て、この病気の悪性がそれほどでないことを確信し、最終決断をいたしました。

★☆★彡

 私は元来勉強が好きではありませんが、「人文地理」だけは学生時代からあまり勉強をしなくても良い成績でした。もともと海外の国などに興味があったためでしょう。私はリタイアしてから海外旅行に行くようになりましたが、出かける前にその国の歴史、文化、産業などを調べてから出かけます。その勉強が楽しくなったのです。「知るは楽しみなり」です。
 でも、今回の旅先の国、バルカン半島の国の歴史はちょっと違いました。ブルガリアは古くはトラキア人がおり、ルーマニアにはダキア人が住んでいたのですが、そのあとの歴史が複雑すぎるのです。両国ともローマの支配、異民族の度重なる侵入、マケドニアやハンガリーの影響、オスマン・トルコの長期支配などなどで私の老化した頭は混乱するばかりでした。それに加えて土地が分割支配されているので益々複雑です。
 近代に入ってからもドイツやロシアの干渉を受け、私はもう勉強は楽しくない心境です。現在、ルーマニアの北東部にはモルドヴァ地方があり、その国境外にはモルドヴァという国がありますが、この国は以前ルーマニア領でルーマニア人が人口の8割近くを占めています。
 でも、歴史は判らなくてもブルガリア、ルーマニアの旅行は、とても楽しいものでした。それは両国の住人が皮膚の色の違う我々東洋人をわだかまり無く受け入れてくれたからです。私は日本国内で肌や目の色が違う人を見かけるとちょっと腰が引けます。でもここの人たちはとてもフレンドリーで、それがとても自然でした。
 この度の旅行写真に出てくる現地の人々の表情にそれが表れているといいのですが、いかがでしょうか。
両国の歴史、地理的な条件が、我々東洋人へ友好的なことと関係があるか否かはわかりませんが、楽しい旅でした。 〈 完 〉  2009.10.27 小池淳二
 
 
  薔薇よりも赤き衣装や薔薇ダンス 北舟 

ばらよりも あかきいしょうや ばらだんす

The rose dance, the costumes redder than roses.

 
 

フォルクローレに合わせたフォークダンス

フォルクローレに合わせたフォークダンス

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  2009年10月20日(火)晴  

■■■ 見付天神裸祭」アクセス1万件突破! ■■■ 

 本日午前10時頃、「見付天神裸祭」のアクセスカウンターが10000(1万)件を突破した。内訳は、11日(2時間):153、12日:3189、13日:1764、14日:1109、15日:835、16日:646、17日:846、18日820、19日:592、20日(10時間):46で、8.5日でアクセス1万件を突破した。これは、Wa☆Daフォトギャラリー10年にして黒石寺蘇民祭の6日間で1万件(2007年3月16日)に次ぐ2番目の記録である。特に、12日・13日の二日間で5000件近いアクセスがあったのが大きい。

アクセス1万件を突破した「見付天神裸祭」のトップページ

アクセス1万件を突破した「見付天神裸祭」のトップページ

 アクセスが多いのは、色々な要因が重なっていると思われるが、この作品を見た人が大変感動し、家庭や学校、職場などで連絡し合い、クチコミで広がったことが主因と推測される。私の写真が綺麗で良く撮れているというよりは、祭礼の内容が素晴らしく、読者に大きなインパクトを与えたものと思われる。ただ単に裸で騒ぐ祭であれば全国に多々あるが、喧噪の裸祭と、厳粛な神事が同時に進行してゆくことが人々の心を打ったのではないだろうか。
 発表してから1週間を過ぎた現在も、毎日500件を超えるアクセスが続いているので、あっという間に、1万件を突破し、日本全国に知られる裸祭りとなることは間違いない。早くも「見付天神裸祭」の来年の催行が待たれるが、全国各地から大勢の参加者が参集し、この祭りのロマンと感動を体感して頂ければ幸いである。

 
2009年10月19日(月)晴
 
 

■■■ 「釣上古式子供相撲土俵入り」速報! ■■■

 
   
 平成21年(2009)10月18日(日)、埼玉県さいたま市岩槻区釣上(いわつきく・かぎあげ)220に鎮座する釣上神明社(かぎあげ・しんめいしゃ)(高梨佳樹(たかなし・よしき)宮司)において、平成17年(2005)2月に国の重要無形民俗文化財に指定された「古式子供相撲土俵入り」が行われたので、密着取材した。
 
 300年を超える歴史を持つ「古式子供相撲土俵入り」は、地区の氏神である釣上神明社に子供たちの健やかな成長を願って奉納される伝統行事で、戦時中でも中断なく行われてきたという。子供のことを真砂(まさご)ともいうことから「真砂土俵入り」とも呼ばれ、「子供の土俵入り」とも云われる。釣上神明社例大祭は、毎年10月21日に近い日曜日と定められており、今年は10月18日(日)に開催された。

【凡例】  ▲:上の画像の説明文  ▼:下の画像の説明文  〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示

行司宿・磯野家の前庭(さいたま市岩槻区釣上) 2009.10.18 12:20

行司宿・磯野家の前庭(さいたま市岩槻区釣上) 2009.10.18 12:20

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▲▼ 今年、土俵入りを奉納した宮本を中心とする子供たちは、幼稚園児から小学6年生17名の元気な男児たち。12時に行司宿である磯野家に集合し前庭で裸になり、幅の狭い子供用の越中褌を締め、その上に化粧まわしを締めてもらった。

行司宿・磯野家の前庭で化粧廻しを身につける子供たち

行司宿・磯野家の前庭で化粧廻しを身につける子供たち

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▲▼ 子供たちが身につけている化粧まわしは、誕生を祝ってあつらえた専用のもので、表に名字が表示されている。日輪や鷹、虎、鯉など勇壮で縁起の良い柄を刺繍したものが多く、その豪華さ如何によって値段が決まるが、安いものでも20万円はかかり、高いものになると天井知らずという。前垂れの裾の表か裏に鈴がつけられているので、動くと鈴の音が響く。男児を授かった親の喜びと愛情が代々豪華な化粧まわしに表されてきた。

和やかな雰囲気でお爺さんやお母さんに自分の化粧廻しを締めて貰う子供たち

和やかな雰囲気でお爺さんやお母さんに自分の化粧廻しを締めて貰う子供たち

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▼ 赤い紋付襦袢(もんつき・じゅばん)を羽織った子供たちがリーダーの6年生を囲んで円陣を組んだ。土俵入りのポイントを復唱し、最後のおさらいをしたあと、気合いを入れた。豆力士たちの頼もしい出陣式である。

円陣を組んで気合いを入れる豆力士たち 12:45

円陣を組んで気合いを入れる豆力士たち 12:45

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▼ 午後1時から神社で例大祭の神事が行われ、その終了を待って赤襦袢を着た豆力士たち17名が裸足のまま行司宿を出発し、年少者を先頭に一列縦隊で200mほどの距離を歩いて宮入りしたあと、参拝した。

行司宿から釣上神明社に宮入りした裸足の豆力士たち 13:50

行司宿から釣上神明社に宮入りした裸足の豆力士たち 13:50

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▼ 本殿と水屋の間に今年新調されたばかりの相撲場があり、豆力士たちは赤い紋付襦袢を羽織ったまま、土俵の東西に分かれて整列し、高梨宮司によるお祓いと祝詞奏上が行われた。
 

高梨宮司によるお祓い  14:00

高梨宮司によるお祓い  14:00

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  ▼ 今年の行司は金子友和さん。古式子供相撲土俵入りの指導者である。宮司の後、土俵にあがり、東西南北の徳俵に御神酒を注いで土俵を清める儀式を行った後、祭壇が取り除かれ、土俵中央の盛り土を東西南北に崩した後、行司を先頭に豆力士たち全員が土俵に上がった。  
 

土俵に上がった赤い紋付襦袢の豆力士たち  14:09

土俵に上がった赤い紋付襦袢の豆力士たち  14:09

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  ▼ 土俵を一回りしたところで、襦袢を脱ぐと、隠れていた豪華な化粧まわしが現れた。力士たちは、輪になって土俵を廻り、化粧まわしを観客たちに披露した。  
 

襦袢を脱いで豪華な化粧まわしのお披露目 14:10

襦袢を脱いで豪華な化粧まわしのお披露目 14:10

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  ▼ 化粧まわしの披露が終わると、古式子供相撲の土俵入りが始まった。最初は、年少組8人の出番。年長組9人が土俵の南に正座して見守るなか、片手を額に、片方を腰に交互に当てながら歩く「ヤッコを踏む」所作(しょさ)が始まった。「ヤッコ」は古式子供相撲を特徴付けるもので、この所作を繰り返しながら土俵の外周を廻って土俵の中に入った。  
 

ヤッコを踏む年少組8人

ヤッコを踏む年少組8人

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  奴踏む相撲童や土俵入 北舟 

やっこふむ すもうわらべや どひょういり

Ceremonial entrance to the ring, sumo children perform Yakko walk.

 
 

年少組の土俵入り 14:12

年少組の土俵入り 14:12

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  ▲ 行司が土俵中央で北の神殿に向かって蹲踞(そんきょ)の姿勢を取り、その廻りを取り囲んだ年少組の豆力士たちは、様々な所作を組み合わせた土俵入りを披露した。  
 

土俵の中のヤッコ踏み/年少組 14:13

土俵の中のヤッコ踏み/年少組 14:13

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  ▲ 年少組が土俵入りを披露しているなか、年長組マスゲームのような動作を見せ、南から北に移動して土俵正面に背を向けて正座した。これは年長組9人が土俵入りを行うための準備行為である。  
 

年長組9人のヤッコ踏み 14:14

年長組9人のヤッコ踏み 14:14

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  ▲ 年少組の土俵入りが終わり、南で正面を向いて正座すると、年長組の豆力士たちは、行司を先頭に時計回りに廻りながらヤッコを踏みつつ土俵の中に入った。  
▼ そして、土俵中央で北の神殿に向いて蹲踞(そんきょ)する行司の周りを廻りながら種々の所作を組み合わせた土俵入りを披露した。途中で、南で正座していた年少組が北に移動してきた。
 

年長組の土俵入り 14:17

年長組の土俵入り 14:17

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  ▼ 年長組の土俵入りに続いて、橋本・池澤・森井くんの三役による土俵入りが行われた。他の力士たちは、土俵から下がることなく、土俵の外周に正座して、三役の土俵入りを見ている。正面に背を向けて座っている子供たちが邪魔になるが、この土俵入りを考えた人は、観客のことよりも、豆力士全員、最後まで土俵から下りずに演技を行うことにこだわっているようである。  
 

三役(槁本・池澤・森井)の土俵入り 14:21

三役(槁本・池澤・森井)の土俵入り 14:21

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  ▼ 続いて、橋本くんと池澤くんの二人組による土俵入りが披露された。土俵の廻りに正座している年少組は、緊張感が切れてしまったのか、練習で見飽きているためか、土俵入りを見ないでごそごそしている子がいておかしい。確かに、彼らにとっては退屈な時間である。土俵下に退避せず、私の目の前にいるのだから、その仕草が土俵入りよりも目に付いてしまうのは仕方のないことである。  
 

槁本・池澤二人組の土俵入り 14:27

槁本・池澤二人組の土俵入り 14:27

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  ▼ 続いて、池澤くんと橋本くんの土俵入りに移った。池澤くんは、三役の池澤くんとは別人で、これで四人組の土俵入りが披露されたことになる。  
 

池澤・橋本二人組の土俵入り 14:28

池澤・橋本二人組の土俵入り 14:28

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  ▼ 以上を持って、300年以上も昔から続いている古式子供相撲の土俵入りが終わり、豆力士全員が土俵上で円陣を組んで観客に向かって一礼したあと、赤襦袢を羽織り、土俵を下りた。宮司のお祓いが始まってから約30分が経過していた。  
 

最後に一礼して終わり 14:30

最後に一礼して終わり 14:30

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  豆力士たち17人は、古式子供相撲土俵入りの奉納を済ませたあと、宮入したときと同じ位置に一列縦隊に整列し、最後の参拝をして、予定の行事を終えた。  
 

最年少の本橋くんと橋本くん/最後の参拝 14:34

最年少の本橋くんと橋本くん/最後の参拝 14:34

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  ▼ 新しく完成した土俵をバックに、金棒曳、行司、拍子木、力士のオールキャストが勢揃いして、記念写真を撮った。豆力士たちは、格好良く腕を組んでポーズを取った。お陰で、豪華な化粧まわしを一望することができた。こうして見ると、豆力士たちには橋本くんが多いことが分かる。  
 屋根付きの立派な土俵は、国の補助を受けて今年完成したもの。組立式でないと援助が出ないということで、毎年、組立と解体・収納作業が必要である。この素晴らしい古式豊かな伝統文化を支える氏子総代会や保存会のご苦労が偲ばれる。
 

オールキャスト勢揃い 14:38

オールキャスト勢揃い 14:38

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  ▼ 豆力士たちは、記念写真を撮ったあと、金棒や行司を先頭に一列縦隊で行進し、行司宿に帰還した。リーダーの「良くやった」とのお褒めの言葉をもらって、子供たちから笑顔が漏れた。緊張の糸がほどけたようで、元の天真爛漫(てんしんらんまん)を取り戻したようだった。  
 行司が途中で間違ったところがあり、子供たちに謝っていたのが印象的だった。子供たちの心を掴み、頼られるリーダーとして慕われている様子が良く分かった。子供たちからは、ご褒美がもらえることを教えてもらった。どんなご褒美かと尋ねると、お小遣いということで、1000円貰えるのが楽しみだと、屈託無く話してくれた。みんな元気で良い子たちばかりだった。
 

大役を果たして笑顔を取り戻した子供たち/行事宿・礒野家 14:50

大役を果たして笑顔を取り戻した子供たち/行事宿・礒野家 14:50

 
  ▼ このあと、子供たちは、入浴したり、足を洗ったりすることもなく、そのまま茣蓙(ござ)の上で裸になり、洋服に着替えていた。汗や泥を流すのは、自宅に帰ってからということなのだろう。人前で裸になることに抵抗を感じるような子供は一人もなく、日本古来の裸文化を当たり前のように受け入れている子供たちをみて、とても頼もしく思った。  
 

着替えて解散! 14:55

着替えて解散! 14:55

 
   このあと、神社境内の一角にある下組集会所(しもぐみ・しゅうかいしょ)で、古式子供相撲土俵入りを主宰する釣上神明社氏子総代会と釣上神明社子供相撲保存会の直会が開かれ、取材した後、午後3時半ころ帰途に着いた。  
 古式子供相撲土俵入りがあることを知ったのは、internetの検索で偶然目にしたもので、JR中央線・西国分寺駅から武蔵野線に乗り換え、30分ほどで東川口駅に行き、そこからタクシーで1400円ほどの距離で神明社に着く。こんなに近いところに国指定重要無形民俗文化財があるとは思ってもみなかった。
 さいたま市の教育委員会に電話して、密着取材を申し込んだところ、担当の女性事務員が保存会会長の橋本勇さんに電話してその可否を聞き、了解を得て電話番号を教えてくれた。とても丁寧な対応をして頂いたことに、お礼申し上げたい。
 橋本さんに電話したところ、例大祭の流れを教えていただき、行司宿の集合時間や神事の時刻などが分かり、主催者である総代会会長の森田邦利さんにも連絡を取って頂いた。当日、神社でお二人に挨拶し、行司宿の取材から拝殿内での神事や直会まで、全ての取材を認めて頂いた。お陰で、その全貌を1500枚3.8GBに撮し取ることができた。
 教育委員会の女性事務員が私のサイトを見て、「凄いホームページだ」と保存会に連絡してくれたようで、多くの方々のご厚意に心から感謝申し上げたい。取材途中で地元のさいたま市立新和(にいわ)小学校長の高良晴雄さんから私の写真を校内のギャラリーに展示したいとの依頼があり、保存会と校長にそれぞれ原画を全て収納したDVDをお送りすることにした。私の写真を大いに活用して頂ければ幸いである。
 直会の来賓の挨拶を聞いていると、この伝統行事が多くの方々の支援により、今日に続いていることを知った。少子化で子供たちが少なくなり、20人近くの頭数を集めるのに四苦八苦している内情を知ると、伝統文化を伝承することの苦労が良く分かった。中高生がいないのは、受験勉強が始まり、土俵入りの練習をする時間が取れなくなり、学校側も学生が参加することを快く思わないと父兄が言っていた。教育現場における学力偏重教育のあり方が問われるところである。そのため、土俵入りは小学生までとしているという。このような話を聞くと、とても残念に思う。
 埼玉県の国指定重要無形民俗文化財の数は、たった5つで、そのうちの1つがこの古式土俵入りであるという紹介もあった。日本一の人口を誇る東京都でもわずかに6つしかない。この重みを噛みしめることが大切だと思う。教育基本法の改正で、日本人の宗教心や相撲や柔剣道などの格技の伝承を学校でも取り組む道が拓けてきていることも紹介され、とても嬉しく思った。特に、相撲は戦後、学校から土俵が消え去り、児童がその文化に触れる機会が閉ざされてしまったままである。絶滅危惧種の状態にある日本の相撲文化を何とか次代に伝承していってもらいたいと思う。
 なお、さいたま市岩槻区(旧岩槻市)の古式子供相撲土俵入りは、釣上(かぎあげ)の他に、笹久保(ささくぼ)でも行われており、この双方が国の重要無形民俗文化財に指定されている。笹久保の方は、隔年で敬老の日の前日に行われる。今年は開催しない年に当たっていたが、9月20日(日)に土俵入りが披露された。開催年でないために、神事が行われないということだったので、取材を断念し、来年、取材することにした。
 この速報版は、子供たちの姿だけに限定しているが、後日発表する完成版には、神事や直会などのシーンも収録し、例大祭の流れに沿って古式子供相撲土俵入りの全貌を紹介する予定なので、乞うご期待! 2009.10.19 21:55  和田義男

 
2009年10月12日(月)晴
 
 
■■■       日本の裸祭り第97集 「見付天神裸祭」完成! ■■■
 
   10月11日(日)、今年第28作(通算第398作)目の作品をアップした。

                 日本の裸祭り第97集「見付天神裸祭」 / 撮影・制作:和田義男

 
 

白丁姿の密着取材

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撮 影


2009年9月23・26・27日

E-30  E-510

 
 12-60mm
 
9-18mm 70-300mm


1230万画素 5,300枚 13.2GB

 

 素晴らしい裸祭りで、感動した。この感動巨編は終始感動しながら編集し、本日、一気呵成(いっきかせい)に仕上げることができた。
 ひと言で感想を云えば、見付天神裸祭は「天下の奇祭」にふさわしい、ロマンと感動に満ちあふれた勇壮な裸祭りだといえる。
 鈴木宮司以下神官と大勢の氏子たちが褌一丁になって荒波寄せる遠州灘で垢離を取る勇壮な浜垢離神事、旧東海道を褌腰蓑の大集団が進む街道練り、クライマックスの拝殿での鬼踊り、最後に深夜暗闇の街道を行く神輿渡御は、そのどれもが全国に例がなく、国の重要無形民俗文化財にふさわしい豊かな伝統文化を今に伝えている。
 特に褌姿は、日本人男性のアイデンティティ(日本人らしさ)の最たるもので、日本の高温多湿の気候風土に育まれた世界に誇る伝統文化であり、それを背負う見付の人々が羨ましく、また、頼もしくもある。
 見付天神裸祭が国の重要無形民俗文化財に昇格したことを機に発足した見付天神裸祭保存会は、石川大造会長を中心に、国の重要文化財にふさわしい品位と格調を具備した裸祭りを目指して頑張っておられる。どの祭りも完璧で完成したものはなく、更に高きを目指して切磋琢磨する姿はとても美しい。私も微力ながら応援させていただきたい。

★☆★彡

 来年の平成22年(2010)は、9月8日(水)が浜垢離、9月11日(土)・12日(日)が御大祭である。これにあわせて「霊犬悉平太郎(れいけん・しっぺいたろう)700年祭」が予定されているので、盛大な裸祭となることだろう。
 来年は私が世話人になって和田グループを結成し、新尺俊勝さんに裸っぽリーダーをお願いし、見付天神裸祭参加希望者を保存会に斡旋したい。参加者は、磐田市へのアクセス、宿、食事、祭装束(印手拭い・腹巻・褌・腰蓑・黒足袋・草鞋)の購入など祭に参加するために必要な準備を含め全て自己責任で行動していただく。祭当日は裸祭の遵守事項を厳守しお世話になる祭組の指示に従い勝手な行動はとらないことなどを徹底させたい。
 また、祭に参加しないアマチュア写真家の方々も和田グループに申し込んで頂ければ、撮影許可の斡旋やガイドブックだけでははっきりしない祭の進行予定や最適撮影場所などの取材情報を提供したい。
 既に私を始め今年参加した新尺さんや庄さんが来年の参加を予定しているが、全国から多数のファンが和田グループに加わって裸祭のロマンと感動を味わって頂きたい。現地では、初心者でも安心して参加できるよう、全国の裸祭に参加しておられるベテランの新尺さんに伝統に則した褌・腰蓑・足袋・草鞋の装着法などを指導して頂き、保存会が目指しておられる品位と節度に優れた裸祭りを実践したいと考えており、ご賛同の方は、是非、応募願いたい。応募要領その他は、来年、しかるべき時機(御大祭の2ヵ月ほど前のガイドブックが完成する頃)に掲示したい。
 来年の9月11日(土)・12日(日)は、大孫に連泊し、神輿の渡御だけでなく、還御も含めて密着取材したい。既に新尺さんも私も大孫の予約を完了している。今年は、東中区を中心とした取材だったので、和田グループがお世話になる西中区・二番觸を中心に、西区や東区もできる限り伺って満遍なく取材したい。来年の新しい出会いと感動を今から心待ちにしている。

謝 辞
 このたび、見付天神裸祭の本格的な密着取材を実施させて頂き、浜垢離3,000枚、御大祭2,300枚、合計5,300枚13.18GBにのぼる1,230万画素のデジタル写真を撮影できました。これは一重に見付天神社と見付天神裸祭保存会始め地元の方々の惜しみないご支援ごと鞭撻のお陰であり、心よりお礼申し上げます。
 写真の原画は、後日全てDVDにコピーして保存会にお送り致しますので、今後の広報や記録保存にご活用下さい。これからも交流の輪を広げさせて頂き、少しでもお役にたてれば幸いです。どうか宜しくお願いします。有り難うございました。 2009.10.12 和田義男 〈 拝 〉

日本の裸祭り第97集 「見付天神裸祭」

撮影・制作 : 和田義男

  平成21年(2009)10月11日 作品:第28作  画像:(大185+小16) 頁数:11  ファイル数:451 ファイル容量:120MB
  平成12年(2000)〜平成21年(2009)
 作品数:398 頁数:1,495 ファイル数:52,504 ファイル容量:7,224MB
 
 
  白褌の波に洗わる秋の垢離 北舟 

びゃっこんの なみにあらわる あきのこり

The autumnal purification, white loincloths being washed by the waves.

 
 

編集子の選ぶ傑作

波の中の裸練り/一番觸(西区) 11:06

波の中の裸練り/一番觸(西区) 11:06

拡大写真(2400x1500)587B

 
 

「見付天神裸祭所感    新尺俊勝 (群馬県)

力水を被って裸練り/二番觸(西中区)

拡大写真(1450x1600)294KB

 この度は、見付天神裸祭に参加させていただき、大変ありがとうございました。これほどすばらしい祭が全国的にあまり知られてないとは驚きです。重要無形民俗文化財として、更にすばらしいものとして頂きたいと願っております。今回参加させていただき、自分なりに他の祭と比べてすばらしいと思ったこと、こうしてもらいたいと思うことを以下に述べさせていただきました。参考となれば幸いです。
T すばらしいと思うところ
1 浜垢離
 今回は参加できなかったのですが、「身を清める」垢離を町を挙げてやっているのは、博多祇園山笠以外ないと思います。ここも同じように締め込み・水法被の正式装束で箱崎浜で身を清め、潮(砂浜の塩砂)を持ち帰ります。その砂はお汐井取りに参加できなかった者や山(山車)を舁く(担ぐ)男衆に振り掛けて厄除けをします。

 しかし見付天神ではそれだけではなく、浜垢離の神事が終わった後参加できない女衆と飲み食いしてちょっとした花遊山だったというではありませんか!神事の後にどんちゃん騒ぎのようなあっけらかんとした素朴な民衆のパワーを垣間見ることができると思います。(お江戸の時代の民衆にとっては1年に一度の祭ですから)
 決まり事・やることはしっかりやる、しかし楽しむときは目一杯楽しむ、そのバランス感覚を昔の人々は持っていたのでしょうね。そして、それが現代も実践されているところがすばらしいと思います。
2 参加している若者たち
 全国様々な規模・参加対象の裸祭があり、一概には言えませんが、ここ見付天神の氏子地域の広さ・氏子の人数を考えると、裸っぽとして参加している若者は比率的にとても多いと感じました。また、他の裸祭では20代から60代まで幅広く参加していますが、ここはほとんどが若者。一般には恥ずかしがり屋や祭に出てこないことが問題となる中、こんなに若者がたくさん集まっているのには驚きました。それだけ地元の祭として若者が認識している証ではないでしょうか。自分は参加するまで、見付宿のそんなに広くはない地域からこれだけの若者が集まってくるとは思っていませんでした。
3 祭組・梯団のまとまり
 各梯団がその区内を練り歩き、梯団が擦れ合うところは最初の見せ場ですね。(観光の1ポイントでしょうか) しかし、決してもめ事にならない、俺が俺がと出しゃばらない。なんともすばらしい、というか見付の人々の仲間意識・優しさまで感じます。
 
 見付では祭組・梯団がまとまって練り歩きます。裸祭で有名な西大寺、蘇民祭、的ばかいなどは、基本は個人で個々の押し合い(奪い合い)です。ここは皆が我が組、我が梯団としてまとまって練っているのはすばらしいと思います。
 
 自分は、今回二番觸に参加させてもらったのですが、出発前の注意事項として、「鈴は奪い合うな。どんどん渡して皆で振れ」とありました。皆の祭、皆で祝う、皆で踊るという意味がこもったこの一言がとても印象に残っています。
 
 数年前に三重伊勢神宮の伊勢市民祭に行った際、外宮(だったと記憶)の拝殿で宮司さんの言葉をいただきました。その中に「神様は人々みんなが力を合わせて一つのことを成し遂げることを喜ばれます」とありました。その言葉を思い出した一言でした。
4 子供連の練り
 子供たちの練りは、とてもすばらしいことです。伝統を継承するのは子供たち。将来、この子たちがどのように祭を継承してくれるのかが楽しみに思いました。そのためには各町内の子供会や学校、PTAなどと祭組との協力が大切です。
 
 子供たちは教えてやらなければ、自ら参加したい、我が町の祭に、我が町の一員として、という気持ちは芽生えません。形(装束)、決まり事はしっかりと徹底して教えてやることが大切だと思います。「いやだから自分はこれでいい」というのは、単なる我が儘でしかありません。逆に大人は決してそれを見過ごしてはいけないと思います。
 
 博多祇園山笠の祭では子供の時から祭に参加しています。参加しない、できないのは恥ずかしいことと子供たちは思っています。しかし、子供はずるをします。それを大人は他人の子供であれちゃんと叱ります。詰所では子供たちの場所が決まっており、大人と何時まで直来にいることができる、のかも決まっています。それでも子供たちは毎日楽しんでいます。
5 鬼踊りの盛り上がり
 鬼踊りに似た祭に新潟・栃尾の巣守神社裸押し合い祭りがありますが、見付天神裸祭はそれとは比べ物にならないほどの規模と盛り上がりです。
 
 最後の東区が入ってきた後は壮観ですね。まるで陶酔感にも似たような感じを覚えました。また、鬼踊りのさなか山神社への祈りと煙火、その中で「一番觸」、「二番觸」と鈴を持って駆け出す若者の姿は「神聖なもの」のように見えました。
 
 奈良春日神社の祭りでは神様を降ろし奉る際、神職の声で邪悪なものから神様を守っています。神社という神域・結界を出ると常に悪しきものが取り囲むといいますが、神職・子供・老人の「声」には邪悪なものを払う力があると言います。一番觸、二番觸と言い、暗黒の中を駆けるのは、まるで、邪悪なものを払いのけているような気がしました。天神様が御通りになることを触れてまわり、神域から出ていただくための露払いでもあるのでしょう。
 
 また、その間の街の通りの明かりが本当に全部消えていることにも驚きでした。おそらく、日本でもここでしかできないと思います。あの暗闇こそが神様の御旅を意味し、見付の人々が如何に見付天神を大切にしてきたかの証拠のようにも思われます。
 
 明かりを消すのは西大寺裸祭で、宝木(しんぎ)投入のときに行われます。しかし、観客・カメラマンは関係なしなのでフラッシュの洪水です。
 
 神輿が御旅所の総社に着御し、煙火が打ち上げられて明かりがつくときは、「やっと無事に御旅が終わった」という安堵感やまるで胎内くぐりをして外の陽の光を見たような安堵感と終わってしまったという失望感が入り交じったような、何とも形容しがたい脱力感に襲われたのを憶えています。緊張が一気に解き放されたせいでしょうか。
 
 失礼とは思いますが、このような地方の例大祭にこれほどの神事が行われているとは思ってもいませんでした。おそらく規模的に見ると他に例を見ないのではないでしょうか。
U こうあってもらいたいと思うこと
  祭装束は祭組・町会の証
 祭は、氏子がみなで年に一度神様を祝う行事です。皆が一緒になって神様を神域からお連れして我々の元にお旅していただくこと。民衆の氏子としての証・団結を示すものとしても装束は大切です。祭のどの時はどのような装束かをしっかり守ることは礼儀でもあります。
 
 裸祭では、褌を締めるなど今の世では恥ずかしいと思うものが多いと思います。しかし、これは守るべき装束であり、神前での礼儀であり、また仲間としての証でもあります。
 
 博多祇園山笠では、小学生から締め込み(褌)姿で舁き手(男衆)の詰所に入ります。(女性は入れません) それを決して恥ずかしいとは思わず、仲間として扱われる喜びを感じています。大人も装束に関してはしっかり指導しています。
 
 見付天神裸祭も、皆がしっかりと褌を締め、腰蓑・わらじ、町会手ぬぐいの締め方まで揃いにした正装で臨んではどうでしょうか。半ダコ・パンツはとんでもありません。崩れた装束姿は祭組・梯団として注意し、正しい装束にさせるか、排除すべきと思います。〈 完 〉 2009.10.11 新尺俊勝
 
 
  長き夜や褌腰蓑鬼踊 北舟 

ながきよや ふんどしこしみの おにおどり

A long autumnal night, Ogre Dance wearing a loincloth with a straw apron.

 
 

編集子の選ぶ傑作

早くも佳境に入った天下の奇祭「鬼踊り」/西区 23:00

早くも佳境に入った天下の奇祭「鬼踊り」/西区 23:00

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参加して初めて知った祭りの醍醐味    庄 俊之 (神奈川県相模原市)

片山千代三梯団長と裸練り 20:28

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 まずは、この祭りへの参加を許可していただいた保存会事務局長の福代様、ご多忙のなか、部外者の上、祭りにも初参加の私の面倒を細やかに見ていただいた片山梯団長様、そして、大変おいしい料理でもてないしていただきました片山様の奥様、また、祭り内で面倒を見ていただきました宿町の団員の皆様、その他大勢の皆様に本当に感謝いたしております。
 私がこの祭りを知ったのは、何気なく見た和田フォトのホームページでした。写真の構図の参考だけではなく、それぞれの祭りの背景も詳しく書かれているため、バイブル的なホームページとして参照しており、今年の秋祭りはどこを観に行こうかな、とふとホームページを訪れたことがきっかけでした。
 もともと、観ているよりは、参加したいという気はあったのですが、背が低いこともあり、御輿を担ぐ祭りへの参加は、躊躇しておりました。
 見付のお祭りは、御輿は輿番が担当と、役が明確なため、体格によらず参加できそうな印象を抱き、参加を思い立ちました。和田フォトのホームページのフレンドリーな参加募集のフレーズにも惹かれました。ただ、ホームページを観たのが16日と祭りの直前。参加できなければ観るだけでも良いかなと思いつつ福代様に連絡したのが17日。快諾していただき、思いがけず参加できることになりました。
 最初の行事は浜垢離。今年が厄年ということもあり、いろいろな場所で禊は行っていましたが、祭りでの禊は初参加。浜垢離前からお酒が入り、ちょいと水に入るのに不安が。
 実際の浜垢離が始まると、和やかな雰囲気もあり、そんな不安も無くなり、祭り行事への初参加を果たしました。言葉だけでは分からなかった「練り」も実際に体験することで要領を得て祭りに馴染めました。
 浜垢離が終わると直会。片山梯団長様から、祭りに関連するいろいろな楽しいお話(「車」が付いているのは、たいてい商店街。お金を持っている町会だ。とか、神輿渡御の別の解釈など)を解説していただきました。
おかげさまで、大変居心地の良い時を過ごさせて頂きました.....。
 さて、御大祭。期待と不安の2日間の空きのおかげで、すでに気分高揚。片山梯団長家に直接訪問して準備を。片山梯団長様のはからいで、今回も宿町の中に加えていただきました。
 
 まずは、すぐに売り切れてしまうという、祭り衣装の調達。腰蓑は最後の1つでした。宵祭りまでには、しばらく時間があったので、露店を眺めつつ、練りのルートを確認。浜垢離の時とは異なり、見付宿場通りは露店で大賑わい。人通りも多いこの通りを練れるのか?というくらいの状況。後ほど、このような中を制御して練るのが一つの醍醐味であることを知ることになりました。
 
 子供連が出発すると気分も高まってきました。子供連も大人と同じ衣装で練っており、伝統あるこの祭りの次代を担う世代が確実に育っている、そんな感慨をうけました。橋の上で掛け水(力水)があり、寒いのではないかと心配していましたが、後で、この水のありがたさを痛感いたしました。
 
 子供連が終わると、しばらく間があり、食事をご馳走になりました。片山奥様のとてもおいしい料理だったのですが、祭り前は祭り本番への緊張で、祭り後は疲労で、たくさんはいただけなかったことがちょっと残念なところです。
 この、訪れる人を拒まない、そして、訪れる人たちを、苗字ではなく、名前で呼び合う、とてもフレンドリーな環境、これがこの荒々しい祭りを支える一つの柱になっているのではないかと感じました。
 20時を過ぎて、祭りも本番。練りの前の渡り付けと呼ばれる町内挨拶回り。片山梯団長様の特別な配慮により付き添わせていただきましたが、受け答えともに気合の入った言葉で、自然と緊張と期待が高まります。御嶽車は親町ということもあり、その後、各町から返礼が。地脇町の警固長さんの貫禄のある返礼が特に印象に残りました。
 
 練りで守るべき最低限のルール(練りに加わるときは後方からなど)を私担当の団員(すみません、お二人の名前覚えられませんでした)の方から教わり、宵祭りでの練り本番。浜垢離とは別物。各町の合流では、自分の立ち位置を見失なわない様にするだけで精一杯。他の梯団との擦れ合いは、まさに字のごとく。端の方に居たため、本当に擦れ合いでした。
 
 他の祭りでは、揉め事になることの多い場面ですが、各梯団共に、非常に統制が取られており、中に居ても全く不安になりませんでした。各町の梯団長、警固長ほか役割を持った方々の尽力の賜物だったと、後から気づきました。
 余裕が少し出てきたのは、加茂川での折り返しのあたり。少しまわりを見る余裕が出来るようになり、一度集団を離れて、草鞋の紐を締め直すことも出来ました(左の草履は紐が解けてしまい、この時点で既に失っていました)。事前の注意に従い、後方から合流、ほぼ元の位置に戻ることが出来ました。
 程なく総社。一旦集団が解けて社殿を一周。再度集団になり、三本松方向へ。それまでは、外周で集団を抑えている方の後ろで内からの圧力を逸らすようにしていましたが、タイミングの問題で外周についてしまいました。社殿での鬼踊りに備え、力を温存するため、練りの最初程の圧力はないものの、擦れ合いや、掛け水箇所では練りのパワーが復活。残っていた右足の草鞋の先の部分が磨り減って無くなってしまうほどでした。三本松への狭い通りで二番手に降りましたが、このわずかな区間(時間にして30分も無かったでしょう)での運動量が最も大きかった様に思えます。
 
 掛け水。これは本当に生き返りました。長丁場を見越して、水分補給を多めに取っておいたのですが、集団の中ではほとんど意味無し。摩擦熱による体温の上昇で力が入らなくなりそうになると、ちょうど良いタイミングで掛け水が入り、元気復活。子供練を観ていた時には冷たそうと思っていましたが、祭りに掛け水が重要なことをはじめて体感しました。
 
 三本松で折り返すと、次は堂入り。ここでも〆切の役割を頂き、連を外れて少し早めに準備箇所へ移動。堂入りのルートの説明を受けしばし待機。同じ梯団内に輿番が居る場合に、境内の外で待っている本職の〆切(富士見町)への引継ぎまでを担当すると聞いてなんとなく理解。後は、実際の場で警固の方に守られながら無事引き継ぎ。
 
 この堂入りからが、この祭りが最も盛り上がる場面。梯団長の指揮の下に、境内で踊りまくっている中を割って堂入りし、更に〆切のポジションまで戻る。全ての梯団が入った後は、刻限と共に神輿渡御。
 
 灯火が消えると練りも最高潮。荒さも倍増。事前に、片山梯団長様から聞いていた、「目が釣りあがる」という表現そのものでした。神輿を追う側、間を保つ側との攻防が最も激しく、それで居て神輿との距離を絶妙な位置(遠からず、近からず)に制御する必要があるという、この祭りの醍醐味と言える場面。最前列から離れた比較的安全なポジションどりの筈でしたが、それでも体で押しとどめる必要がある場面もあるくらいの迫力。押しこまれる場面もありましたが、富士見町の〆切に無事引き継ぎしたときはホッとしましたが、実はここが一番危なかったところで、.引っ張り出してくれたガード役の方、ありがとうございました。
 
 この後の神輿の疾走は幻想的。本職の〆切よりも神輿に近い位置という、贅沢な位置から観た闇を疾走する神輿。屋形しか見えないのですが、それがまた夢うつつ。直前まで続いていた攻防が幻と思えるくらい優雅に見えました。
  
 感覚的には、あっという間に総社に着き、迎えの舞車と合流。社殿に神輿安置と共に、絶妙のタイミングで花火が上がり、灯火点灯。祭りの終わり特有の一抹の寂しさを感じました。
 
 私にとってとても印象深い祭りでした。さほど多くの祭りは観ていませんし祭りへの参加も初めてでしたが、理由はそれだけではないと思います。
 明と暗 明かりの中での練り、闇の中での神輿追い
 静と動 激しい鬼踊りのすぐ脇で、粛々と神事が進められている
 緩と緊 統制の取れた練りと、闇の中での緊迫した攻防
 
 浜垢離も含め、多くの正対する事象がこの祭りの中にうまく取り入れられている、このコントラストの見事さ これが印象を深くした理由ではないかと感じました。
 祭りの後に、片山梯団長様がおっしゃっていた、「この祭りには完成形がない。常に変わっていくんだ。」という一言、かっこよかったです。 まさに、後世に残すべき日本の祭りだと感じ入りました。
 拙い文章の上、長文で申し訳ありませんが、自分が得た感動を伝えたくて書き綴ってみました。初めての参加者は、こんな印象を持つものも居るんだと、軽く読み流していただければ幸いです。
 
 このたびは、本当にいろいろとお世話になりました。来年も是非参加したいと思っています。またお会いできるときを楽しみにしております。有り難うございました。〈 完 〉 2009.10.11 庄俊之
 
 
  先觸の鈴の音爽か見付宿 北舟 

さきぶれの すずのねさやか みつけじゅく

Mitsuke Stage, the refreshing tinkle of a bell by a herald.

 
 

編集子の選ぶ傑作

一番觸が山神社を出発! 00:15:30

一番觸が山神社を出発! 00:15:30

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