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★★★  ようこそ 写真俳句の世界へ! ★★★

Wa☆Daフォトギャラリー  和田北舟の俳句  
2011年5月7日改訂

今 日

昨 日

「ペレアスとメリザンド」より「シチリアーノ」:フォーレ Sicilienne

2001年7月16日制作

汽笛鳴る明石海峡夏霞
明石海峡大橋 《世界最長の吊り橋:橋長3911m,中央支間長1991m》

050 2001年6月23日(土)

我先に乗り出すヨット海開き

The start of the swimming season,
yachts dashing to the sea.

J24世界選手権大会(新西宮ヨットハーバー)

 兵庫県には、新西宮ヨットハーバーや須磨ヨットハーバーといった大きなヨットハーバーが沢山ある。

 新西宮ヨットハーバーは兵庫県が建設し、第三セクターとして施設を維持管理し、関西ヨットクラブとともに、その運営に当たっている。約40年前に堀江健一さんが世界初の単独太平洋横断記録を成し遂げたときの出発港でもある。同氏は、現在関西ヨットクラブの名誉会員だ。7月下旬、世界8ヵ国のクルーザー型ヨット38艇300名が参加するJ24世界選手権大会が開催されるなど、ヨットやモーターボートなど海洋レジャー活動の日本における屈指の拠点となっている。

 須磨ヨットハーバーは神戸市が建設したもので、関連団体が施設を維持管理し、須磨ヨットクラブとともにその運営に当たっている。世界一の大富豪となったビル・ゲイツの豪邸があることで知られるシアトルと神戸(須磨)との間のヨットレース(レガッタ)が3年に一度開かれる。日本では宝船杯と呼ばれる。日本セイリング連盟(Japan Sailing Federation JSF)の会長を務められ、現在同顧問の秋田氏が始められたという。また、毎年、神戸マリンフェスタの一環としてヨットレースも開かれている。兵庫の海は、ヨットマンが世界に羽ばたく舞台となっている。
049 2001年6月17日(日)

ステテコで銭湯に来る隠居かな

A retired man
comes to the public bath
 wearing underclothing only.

 私は銭湯や温泉が大好きだ。特に遠赤外線サウナがあると最高だ。5分の砂時計を倒し、汗を流して、冷たい水風呂に飛び込むときの快感は素晴らしい。特に冬場は、手足の先がちりちりと痺れてくる感覚は、映画「タイタニック」のジャックになった気持になる。これを5回繰り返すと、確実に体重が1kg減っている。その後のビールの美味いこと!銭湯のお陰で、ここ数年、風邪を引いたことがない。皮膚の刺激が乾布摩擦代わりになるのだろう。また、金冷法の実践にもなるので、いつも元気だ。

 神戸に赴任して来て、近くの銭湯を探したところ、宿舎から1kmほどに二宮温泉があった。温泉と表示しているが銭湯であり、340円で入浴できる。神戸は、6年前の大震災のあと、多くの銭湯が店をたたんだという。自宅に風呂場があっても、銭湯に通う人は多い。私もその一人だ。棺桶のような湯舟で、身体を清潔にするだけの機能だけでは満足できない。銭湯の広い湯舟でゆったりと汗を流し、リラックスする。今はお湯を濾過していて衛生的だし、ジャグジーや電気風呂、露天風呂、サウナなど、盛りだくさんの施設を楽しむことができる。昔は貧乏人が通っていた大衆浴場だが、今は銭湯に行く方が贅沢なのだろう。三宮の近くにある二宮温泉には、青い目の外人もやってくる。外人さんに混じって、近所のご隠居さんがステテコ姿でやってくる銭湯は、昔と何ら変わらない。微笑ましい風景だ。
048 2001年6月13日(水)

灯台の白さ目に染む青岬

Whiteness of the lighthouse
on the blue cape
stimulating my eyes. 

潮岬灯台(和歌山県・串本町)

 青岬は、夏の季語で、岬が草木で覆われ、青々とした様子を示す言葉だ。その先端に灯台が建っている。夜は光を放ち、昼は白い塗色で、沖行く船の海の道しるべとなっている。夏は灯台がひときわ白く輝き、目に染みるようだ。

 紀伊半島南端で、本州最南端に位置する潮岬(しおのみさき)は、太平洋に突き出た岬だ。岬の上に立つ潮岬灯台の純白の灯塔は20mの高さがあり、沖合遙か遠くから肉眼で視認できる。夜になると、海面から50mの高さで15秒毎に1閃する灯光は、19海里(35km)の沖合まで到達する。
047 2001年6月5日(火)

熱帯魚ガラスの中の小宇宙

Tropical fishes
in the glass tank
of microcosm.

 今年は全国的に猛暑が続き、暑い。悠然と泳ぐ熱帯魚を見ると、しばし暑さを忘れるが、水槽の中は別世界のようで、小宇宙そのものだ。
046 2001年6月1日(金)

空堀の大阪城の夏木立

Summer grove
of the castle Osaka
with a empty moat.

 久しぶりに家内と二人で大阪城に行った。JR三宮駅から大阪駅まで新快速で20分しかかからない。本当に近くなった。大阪城の掘は、一部空堀になっているところがある。わざと空堀を残してあるのかどうかは知らない。色々な悲劇を超えて、現在に復元された金ビカの天守閣が聳えている。周囲の夏木立は、静かな佇まいである。
045 2001年5月27日(日)

躑躅咲く白鷺城の陣太鼓

A battle drum
of  White Heron Castle
azaleas bloom.

 姫路城は、国宝でありユネスコの世界遺産に登録されている。城郭の形から白鷺城ともいわれている。訪れた時は、春の季語・ツツジが咲き乱れていて、本当に素晴らしかった。ツツジも大きく、立派だった。熊本城など、日本の城にはあちこち訪れたが、矢張り姫路城が天下一だと思う。大阪城と違って裸足で板張りの城内を歩く。凄いラッシュで、一旦城内に入ると引き返せないので、注意が必要だ。最低でも1時間はかかる。当時の城内での生活の模様が保存されていて、興味が尽きない。西洋の城とはコンセプトや文化がかなり違っているので、外国人客も面白いのではないだろうか。
044 2001年5月23日(水)

パノラマの神戸の港春霞

Panoramic view
of Port Kobe
in the spring haze.

 神戸港にはパノラマという言葉が似合う。特に六甲山から眺めるとパノラマの神戸港が眼下に広がる。神戸は、4月に着任以来、ずっと霞んでいる。視界がクリアーになった日はない。秋から冬にかけて、北西の季節風が吹く頃になると、遠くまで視界が広がるのだという。休日に街に出かけてはデジカメのシャッターを押しているが、もやっているために、いい写真が撮れないのが悩みの種だ。
043 2001年5月17日(木)

緑立つ六甲の山風そよか

Gentle breeze
over Mt. Rokko
with fresh verdure.

「緑立つ」は春の季語である。長い冬が終わり、若々しい新目が一斉に萌え出ずる春。まさに緑が立ち上がる季節である。六甲山を爽やかな風が吹き抜けていく。瑞々しい若芽の薫りと息吹を運びながら...。
042 2001年5月10日(木)

銭湯や背中に跳ねし五月鯉

A may carp jumping
on the back
of tattooed man
in the public bath.

 銭湯大好き人間の小生。神戸に来ても宿舎から1kmほどの二宮温泉を見付けて、時間のある限り通っている。多いときには一週間に3〜4回ほど行く。温泉といっても銭湯なので、340円という安い値段だ。神戸は、暴力団・山口組発祥の地。そのせいか、二宮温泉で背中や全身に入れ墨をした人を良く見かける。毎回必ず一人は目に入るほどだ。この日も背中に五月の鯉が跳ねている人を見かけた。
041 2001年5月3日(木)

春の海眼下に望む異人館

The foreigner's house
overlooks the sea
of spring
under my eyes.

 異人館は、六甲山麓、いわゆる山手の高台にあるため、眺望が良く、神戸港を一望できるが、矢張り最高の場所は、「うろこの家」だろう。

 「うろこの家」は、うろこを張ったような外装からそのような名前で神戸市民に呼ばれている洋館で、1915年(明治38年)に建てられた旧ハリヤー邸である。外国人の高級借家として旧居留地に建築され、その後明治後期に現在地に移された。西洋の古城のような建物の外壁を飾る天然石のスレートが魚のうろこのように見える。異人館の中でも最も人気のある洋館である。

 うろこの家のベランダから見た神戸の港は、素晴らしく、誰もが絶賛する。この日も美しい春の海が眼下に広がっていた。
040 2001年4月18日(水)

風光る館の空に風見鶏

A weathercock
on the roof
under sky
with a glistening wind.

 神戸といえば異人館。その中でも風見鶏の館 Weather Cock House が有名だ。

 尖塔の上にいただいた風見鶏。山々の緑にひときわ映える色鮮やかな赤レンガの外壁。市街を見下ろす高台に建つ風見鶏の館は、神戸のシンボル的存在。この界隈唯一のレンガ造りの建物で、国指定重要文化財となっていて、現在神戸市が維持運営している。この館は、1919年(明治42年)ドイツ人貿易商G. トーマス氏によって建てられ、自宅として使用されていたものだ。

 青空の中にポツンといる風見鶏を眺めていると、「風光る」という春の季語が浮かんできた。日ざしの明るい春は、吹く風が光るような感じがする。風見鶏は、ひたすら光る風を見つめているのではないか。
 
039 2001年3月26日(月)

島々のそのまた先の春岬

The spring cape
far far away
from the islands.
 

しまなみ海道の島々

 春の海に突き出た岬を春岬という。夏は青岬、冬は枯岬だ。瀬戸内海は多島海である。春霞でもやがかかっているが、いくえにも島々が重なり合ったそのまた向こうには、春岬が突き出ている。瀬戸内は、春先に浮島現象も良く見られる。枯岬から徐々に青さが戻り、春岬から青岬へと変化していく様は、いくら眺めていても飽きない。

038 2001年3月17日(土)

春の空鏡の如き瀬戸の海

The surface
of Seto inland sea
like a mirror
under spring sky. 

 冬の季節風の吹き荒れた海から一変して、春の海は優しい。風のない時は、海面が鏡のように滑らかになる。空の雲や島や岬や船が海面に映っている。鏡のようだ。夜は、満天の星が映ることもある。春の夜の満天の星空のもとを航海するのも素晴らしい。船首は押しのける波に夜光虫が光り、眩いばかりに明るく美しい。
037 2001年3月11日(日)

薄日差す弥生の瀬戸の潮速し

Soft light
from the sun,
Strong tide
of the strait
of May. 

 春秋の二大潮といわれる。春と秋が最も潮が速くなる。薄日の差す瀬戸の海。急潮流が船を押し流している。しっかりと舵を取らないと潮に持って行かれる。狭い瀬戸ほど潮が速く、航海の難所となる。向かい潮よりも追い潮の方が操縦困難となる。

 山から瀬戸を望むと、光の反射加減で潮の速さや方向が分かる。

036 2001年3月4日(日)

春愁の瀬戸の小島の地蔵かな

A guardian deity of children
on an islet
of inland sea,
Languid sprig. 

 春愁(しゅんしゅう)とは、華やかな楽しさの中にふと感じられる春の哀愁、ものおもいである。長い冬が去り、木々の新芽が吹き出てきた喜びの中に、昔と変わらないお地蔵様の佇まいが、人間の悠久の営みのはかなさやもののあはれを教えてくれる。瀬戸の小島は、訪れる人も少なく、ひっそりと静まりかえっている。昔と全く変わらない風景がそこにある。
035 2001年2月25日(日)

浮鯛を掬ひし瀬戸の朝ぼらけ

A floating sea bream
at the strait
was scooped up
with a net
at dawn.

 浮鯛(うきだい)とは、春先、産卵のため外海から内海に入ってきた鯛が、水圧の変化で腹をふくらまして水面に浮き上がる現象である。特に潮の速い瀬戸や、水温の低い場所では、浮き袋の調整機能が十分に働かず、潮に煽られて海底から水面に持ち上げられた鯛が腹を上にして漂っている。水温の暖まらない早朝に良く見られる。たも網で簡単にすくい取ることができる。鯛にとっては災難だが、人間様にとっては有り難い一時である。船の上から目を凝らして水面を監視し、浮鯛を探すのは楽しいもので、瀬戸の風物詩のひとつだろう。
034 2001年2月18日(日)

早春のてんころ舟や赤ふどし

Players
each wearing a red loincloth 
rowing Tenkoro boats
for competition
in the early spring.

肌を刺す寒さの中、力いっぱい櫂をこぐ選手たち

 毎年2月に京都府宮津市の天橋立海岸で行われている天橋立観光協会主催の名物イベント「寒中てんころ舟競争」。てんころ舟は地元の漁師があさり貝やジャコ漁などに使う舟で、それを2隻横に並べて使用する。赤ふんどし姿の10人が1組になって舟を操り、5チーム単位で往復600mの距離を競う。当日は特設テントが設置され、甘酒やあつあつの寒ぶり大根などが無料で振るまわれる。最近では地元民だけでなく、舞鶴市の海上保安学校の学生など、遠くから参加するチームも増えているという。男子は全員赤の六尺褌を締めて漕ぐというのがルール。残雪が残る山々を背景に、寒さを吹き飛ばすてんころ舟競争は、早春の天橋立の風物詩である。

 今年も「第18回天橋立寒中てんころ舟競争」が行われ、京都新聞(internet)が「雪の中、赤ふんどし一枚の姿でかいをこぐ男子選手らの威勢良いかけ声が響いた。今回は、地元の丹後地方や京都市などから男性23チームと女性5チームが参加。スタート前は気温4度と寒く、時折横なぐりの雪が降る中、選手らは水しぶきを上げながら懸命にレースを展開、観光客ら約1万8千人(主催者調べ)の見物人から盛んな声援を浴びた。」などと報じている。

 「ふどし」は褌(ふんどし)の意。

033 2001年2月8日(木)

厳寒の波に洗わる渡船(わたし)かな

A ferryboat
being washed 
with waves
in the coldest season.

 瀬戸内海といえども冬の時化は大変だ。広島の宇品から松山観光港までフェリーで渡った際、時化の洗礼を受けてしまった。乗客は船酔いでシートに横たわり、ローリングやピッチングに耐えている。波の飛沫がキャビンの窓を洗う。港に着いても、ポンツーンは波で揺れていて、上陸するまでに波の飛沫をかぶって大変だった。海は人類に素晴らしい恩恵を与えてくれるが、同時に牙を向けて襲ってくる存在でもある。
032 2001年2月11日(日)

灯台の山道険し冬椿

Winter camellias bloom
above the steep mountain path
to the lighthouse.

経ヶ岬灯台(京都府・丹後町)

 灯台は、離れ小島や岬の先端に建っている。しかも、遠くからよく見えるように山の上にある。昔は灯台守と呼ばれていた海上保安庁の航路標識事務所の職員の苦労が忍ばれる。「喜びも悲しみも幾年月」の世界を思い出すが、現在は集約管理や遠隔監視システムが整備されていて、家族が岬の先端や離れ小島で暮らすというようなことはない。それでも灯台の維持管理のために職員が険しい山道を登る必要があることは、昔と変わることはない。冬の日だまりに華麗に咲く冬椿が出迎えてくれるのも同じだ。

 丹後半島の先端、海抜140mの断崖に立つ経ヶ岬(きょうがみさき)灯台は、京都百景に選ばれた景勝地。 映画「新・喜びも悲しみも幾年月」の舞台にもなった。沖を通る船から見ると、経ヶ岬の海岸は、玄武岩が崖状になって岐立していて経本のように見えるので、船人達がここを通る時、安全を祈り、お経を唱えながら通ったのでこの名がついたといわれている。
031 2001年2月4日(日)

渦潮に揺られし灯標(ブイ)の冬なかば

A light buoy swinging
by the eddying current
in midwinter. 

 

 冬の海はなかなか題材が見つからない。しかし、じっと目を凝らしていると、見慣れた光景の中に、キラリと光るものがある。ひらすら航海の無事を祈って点滅する灯標が揺れている。渦潮と冬の季節風と両方に翻弄されながら...。
030 2001年1月28日(日)

石ぶろに籠りてしばし春を待つ

People taking
a cave-like bath
waiting for
the arrival
of spring.

 広島の南警察署近くの丹那町に、「丹那の石ぶろ」がある。大都市のど真ん中に、山をくり抜いて造った古式のサウナ風呂である。毎朝、柴を燃やして室(むろ)を熱すると、1日その熱で蒸し風呂を楽しむことができる。地元では石ぶろと呼んでいる。
 室には小さな四角いドアの入り口があり、這って入ると、中は真っ暗な洞窟みたいな感じで、筵(むしろ)が引いてあるだけ。閉所恐怖症の人なら気持ちが悪くなるようなところだ。我慢して座っていると、強烈に汗が噴き出てきて、筵にポタポタと音を立てて汗が落ちる。我慢できず外に出ると海水風呂がある。その側に筵が5組ほど並んで敷いてあり、火鉢に番茶が入ったヤカンが乗せてある。番茶をすすり、杉の角材を切っただけの枕にスッポンポンで横たわる。筵の臭いが心地よい。物質文化に浸りきっている現代、古き良き時代を体験できる空間だ。
029 2001年1月27日(土)

島影に船影見え来冬茜

Dark red sky
in winter,
Outline of a ship
appeared
in the distance
of islands.

 冬はあっという間に日が暮れる。瀬戸内の空があかね色に染まる頃、島影がシルエットになる。遠くその向こうに船影が見える。これから夜航海が始まる。瀬戸の海は、静かに暮れていく。

028 2001年1月20日(土)

大橋の下行く巨船寒の凪

A big ship sailing
under the big bridge
in a midwinter calm.

 瀬戸内海には、本州と四国を結ぶ3ルートの橋が架かっている。しまなみ海道と呼ばれる尾道・今治ルートは、一番西にある架橋である。その最も南にある来島海峡大橋は、瀬戸内海で最大の航海の難所となっている来島海峡に架かっている。狭くて潮が速い海峡を巨大船が行き交う。渦潮で有名な鳴門海峡も急潮流で知られるが、明石海峡があるので巨大船は通らない。しかし、ここから先、西に進むには、巨大船といえども来島海峡を通らざるを得ないのだ。この日は凪の状態で、巨大船が悠然と大橋の下を通過していった。
027 2001年1月14日(日)

寒垢離やふどしに暖をたくするに

Loincloths won't protect them
form cold
in the ascetic practice
of midwinter.

 函館にいた頃、詠んだ句である。函館の近くに木古内(きこない)町があり、毎年1月中旬、寒中みそぎ祭りが行われる。

 町内から選ばれた4名の若者が、御神体を抱いて厳寒の津軽海峡に飛び込み、五穀豊穣と大漁を祈願するという、冬の木古内を代表する行事である。佐女川(さめがわ)神社に160年あまりの昔から伝わる伝統の神事で、開催時には全国から多くの観光客が見物に訪れる。若者はみそぎ祭りの2日前から当日の朝まで水ごりで身を浄め、晴れの舞台に臨む。

 まだ残雪のある中を、氷のような水を頭からかぶり、津軽海峡に飛び込む。歯がガチガチと音をたてないように白い布を口にくわえて寒さを我慢している姿は、痛ましさを通り越して神々しくさえ思える。褌(ふんどし、ふどし)一丁といういでたちでは、身体を温めるすべはない。
026 2001年1月13日(土)

初春や鏡の如き瀬戸の海

Seto inland sea
perfect calm
like a mirror
in early spring.

 今年の瀬戸内海は、穏やかな日が多い。鏡のように静かな瀬戸の初春。べた凪という言葉そのものだ。今年の平穏無事を祈ろう。
025 2001年1月7日(日)

箸を持つ妻の手白き雑煮椀

Zoni bowl
and chopsticks
 in my wife's white hand.

 正月は、家内が青梅から広島にやってきてくれ、二人だけのノンビリした正月だった。久しぶりに妻のつくった雑煮に舌鼓を打つ。独り身が長かったせいか、妻の手が予想外に白く見える。
024 2001年1月1日(月)

除夜の鐘鳴りて始まる新世紀

New century has come
after temple belles finished
on New Year's Eve.

 NHKの行く年来る年を見ながら、除夜の鐘の音を聞く。21世紀が除夜の鐘と共に静かに日本に訪れた。20世紀は動乱の世紀だった。21世紀にこそ平和な世が実現することを祈りたい。ひと眠りしたあと、宇品から高速艇で宮島の厳島神社に初詣に行った。穏やかな元旦の瀬戸内海であった。
023 2000年12月10日(日)

浦舟の入江にありて小春凪

Small boats
at an inlet
peaceful
in an Indian summer.

 小春(こはる)とは陰暦10月の別称で、ほぼ陽暦の11月に当たる。冬ではあるが、良く晴れて穏やかな暖かい日和のつづくことをいう。

 モノトーンになりがちな冬の瀬戸内海であるが、入江に浮かぶ小さな漁船が、小春凪の内海(うちうみ)で魚を捕っている。穏やかで平和な風景がここにある。
022 2000年12月3日(日)

島伝いゆく磯舟や夕時雨

Small boats sailing
along the islands
in a shower
of early winter. 

 俳句の世界では、時雨(しぐれ)とは、初冬の頃、降ってはすぐにあがる雨を差している。瀬戸の時雨は、そんなに激しくはない。夕闇せまる内海(うちうみ)を島伝いに家路につく磯舟が見える。時雨れてはいるが、落ち着いた静かな夕暮れ時である。
021 2000年11月25日(土)

牡蠣棚の微動だにせぬ日和かな

Oyster rafts
in a stationary state
owing to the good weather.

 広島湾の冬の風物詩といえば、もちろん牡蠣棚(かきだな)だ。島や陸岸の廻りに、びっしりと牡蠣棚が置かれている。海が時化ると、ときには牡蠣棚が流されるときがある。

 今日も冬ではあるが穏やかな日和となった。平穏無事に1日が終わることを予感する。牡蠣棚が冬の季語である。
020 2000年11月20日(月)

落日のゴッホの墓に黄菊咲く

Sun setting,
Yellow chrysanthemums bloom
in the grave of Gogh.

 1999年秋、妻と二人でフランスに旅行したときの一句。

 11月5日午後、ゴッホ終焉の地、オーヴェル・シュル・オワーズを訪問。オーヴェルは人口5,700人の小さな町だ。ゴッホが描いた「オーヴェルの村役場 La Mairie á Auvers 」で、フランス人女性のガイドが我々に合流し、ここからゴッホツアーが始まった。主な見学コースは、ゴッホが二階に泊まっていたラヴー亭Ravoux、ザッキン作のゴッホ像、石段を上がった教会、少しぬかっていたがゴッホが自殺した麦畑、最後はゴッホのお墓だ。

 何の変哲もないオワーズ川沿いのこの村が多くの旅人を引きつけるのは、ひとえに、あの炎の天才画家ヴァンサン・ヴァン・ゴーグ Vincent Van Gogh(英語読み:フィンセント・ファン・ゴッホ)のためだ。晩年、すでに狂気にとらわれていたゴッホは、この村で彼の最後の名作を描き、1890年7月、村はずれの畑でみずからの銃弾を胸に撃ち込んで、37歳の生涯を閉じたのだ。

 フランス人は日本から輸入した菊を大変気に入ったようだ。日本と同様、お墓参りに菊を供える。ただ違うのは、日本は切り花だがフランスは生花だ。鉢やプランターに植えられた色とりどりの菊ががお墓を飾っている。ゴッホはひまわりに代表されるように、黄色を好んで使った。フランス市民もそのことをよく分かっているのか、ゴッホの墓には黄菊が沢山供えられていた。丁度黄色に輝く落日に照らされ、オーヴェルの町に黄金の時が静かに流れた。
019 2000年11月2日(木)

沙魚を焼き妻と二人の夕餉かな

Happy supper
with my wife
grilling gobies.

  沙魚(はぜ)は、秋の季語で、鯊とも書く。河口や浅場に多く棲む。十数センチの体長で淡褐色、口が大きい。秋の彼岸前後が鯊釣の時期。
 秋の味覚の沙魚を焼き、ささやかな幸せを妻と分かち合った。
 
018 2000年10月21日(土)

秋潮や渦巻く瀬戸を巨船航く

A big ship sailing
 through eddying tide
of autumn
in a narrow strait.

 春秋の二大潮というが、秋は潮が強い。瀬戸内海の海峡や水道と呼ばれるところは、場所によっては渦が発生するほどだ。その中を悠然と大きな船が通過していく。写真のように逆光だと島が動いているかのように見える。航海の無事を祈りたい。
017 2000年10月9日(月)

パソコンに向かひしままの夜食かな

Midnight snack
sitting at
my personal computer.

 秋の夜長は、私の場合、パソコンの前で過ごすことが多い。夜食もパソコンに向かったままだった。ホームページをアップしてから、更にその傾向が強くなったようだ。リピータが沢山集まるサイトを目指して、コンテンツを丹念に作成する。いつの間にか翌日になっている。
016 2000年10月1日(日)

燈台の光芒走る星の秋

A beam of light
from the lighthouse
scanning the autumn sky
of star dusts.

大王埼灯台(三重県・大王町)

 秋は空気が澄んでいて、遠くまでよく見える。夜、真っ暗な海を見ると、満天の星空の下に灯台の光芒(こうぼう/尾をひく光のすじが見える。絵に描いたように美しい世界がある。シーマンにとってみれば、ありふれた光景かも知れないが、思えば不思議な光景で、海のロマンといっても過言ではない。

 遠州灘と熊野灘を分けてぐんと突き出している岬が大王埼で、荒波寄せる断崖の上に白い灯台が立つ。かつて戦国時代に活躍した熊野水軍の根拠地は、江戸時代「波切千軒志摩の江戸」と呼ばれて賑わった。

 大王埼灯台は、海面から灯光までの高さが46mあり、光達距離は18.5海里(約34km)ある。航海の難所を意味する灘(なだ)を航行する船乗りにとって、灯台は今も昔も海と陸をつなぐ接点として大きな役割を担っている。
015 2000年9月17日(日)

水澄むや一輪挿しの備前かな

Clear water,
A small flower base
of Bizen.

 単身赴任の身であるので、所帯道具は簡素なものである。花瓶はこの一輪挿しの備前のみである。若い頃岡山県玉野市に勤務していた頃、備前焼の里を訪れ、すっかりその土と炎の芸術に魅せられてしまった。

備前焼 岡山県の東南部,備前市(旧伊部村)を中心として焼かれている中国地方最大の窯業地の製品。釉薬を使わない独特の焼物。俗に伊部(いんべ)焼とも呼ばれている。
014 2000年9月10日(日)

宮島の海をうずめし花火舟

Many boats occupied waters
 in front of Miyajima island
watching fireworks
in the sky.

 8月中頃、広島港から高速フェリーに乗って宮島にわたり、宮島水中花火大会に行った。花火の数は宇品の花火大会と比べるとグッと少なかったが、テーマごとに解説があり、音楽が流れる中、水面から花火が炸裂。なかなか素晴らしかった。花火見物のボート客が多く、例年終わったあと、酔っぱらい運転などにより牡蠣棚に乗り揚げたりと、事故の発生が懸念されたが、今年は無事に終了している。厳島神社を舞台に、ひと味違ったコンセプトの花火大会、特徴があり、良かったと思う。

厳島神社 広島湾南西部に浮かぶ厳島(広島県佐伯郡宮島町)に鎮座。市杵島姫(いちきしまひめ)命,田心姫(たごりひめ)命,湍津姫(たぎつひめ)命をまつる。旧官幣中社。平氏時代には社領が急増し,法皇,上皇や貴族も参宮し,《平家納経》をはじめ平安文化の成果を多く宝物中にとどめる。海中の大鳥居(1875建立)が特に有名。ユネスコの世界遺産に登録されている。
013 2000年8月24日(木)

浜風に帽子取られつ熱砂ゆく

Walking
on the burning sand,
My hat blown off
by a sea breeze.

 熱砂(ねっさ)は夏の太陽の直射熱で、焼けるように熱くなった砂をいい、夏の季語となっている。高知の漁村に育った少年時代、ビーチサンダルなどという気の利いたものがなく、ふんどし一丁の裸足で砂浜を駆け抜け、海に飛び込んだ。足の裏が本当に火傷をするほど熱かった記憶が、いまだに消えない。
 子供の頃とは舞台が違うが、夏の海水浴場は相変わらず砂が焼けるほどに熱い。浜風に帽子を飛ばされてしまった人を見ると、ついつい少年時代を思い出してしまう。
012 2000年8月17日(木)

楠木のどこにゐるのか蝉の声

Cicadas shrilling
in a camphor tree,
No one knows
where they are.

 夏といえば朝から晩まで蝉の声が聞こえる。青々と茂った楠木からも大きな蝉の声が聞こえる。

 芭蕉が山寺で詠んだ「閑さや岩にしみ入蝉の声」という句があるが、短い命を惜しむように、精一杯声を張り上げる蝉の声は、身体にしみいるように思えるほど強烈だ。

 フランス南部のプロヴァンス地方で玄関に飾る蝉の陶器を見付けた。魔よけやお守りの意味があるという。フランス人も蝉のすさましいバイタリティを感じたに違いない。
011 2000年8月16日(水)

真夏日や陰から陰へ回り道

Make a detour
f
rom shade to shade
in a midsummer day.

 今年の広島の夏は、例年になく暑い。オフィスに着くと汗で下着がビショビショになっている。しばし扇風機のお世話になる。通勤路は遠回りでも陰のある道を選ぶのが人情というもの。
010 2000年8月14日(月)

夏の雲海に映ろふ船出かな

Departure of our ship
beneath the summer clouds
reflecting on the sea.
 

 広島の海にもモクモクと入道雲が沸き立っている。夏本番だ。その雲が、何と海に映っている。その中を、宇品から船が出帆する。夏の暑さを忘れ、その光景にしばし見とれてしまった。
009 2000年8月6日(日)

差し潮に磯の香の満つ海の家

As the tide being in,
The beach house
filling smell
of the sea.

 海水浴場に海の家が沢山出ている。潮が引いているときは、砂浜が広いが、潮が満ちてくると海の家の直ぐ前まで波打ち際が上がってくる。海の家にほのかな磯の香が充満する、爽やかな夏の一時である。
008 2000年8月3日(木)

走島上げ潮止る夏夕べ

Tidal current stopped
at Hashiri island
in the summer dawn.

 瀬戸内海の真ん中に走島(はしりじま)という島がある。潮が満ちてくると、紀伊水道から上がってきた潮と豊後水道を通って上がって来た潮とが、この走島の沖合でぶつかる。そして満潮になるのだ。従って、走島から東の瀬戸内海は満ち潮といえば西に向かう流れだし、走島の西では満ち潮は東に向かって流れる潮だ。満ち潮は、上げ潮ともいう。自然の悠久の営みが、昔から今に至るまで、同じように続いている。

 夏夕べ(なつゆうべ)は、長い夏の日の夕暮れ。暑い1日が暮れ、ほっとするときである。
007 2000年7月31日(月)

海水の塩辛きを知る子らの夏

Children experienced
salty seawater
at their summer beach.

 海の水が塩辛いことを知らない子供がいる。夏休みに海に親しむことで、多くのことを学ぶことができる。日本の明日を担う子供達。波風を受け、汗を流しながら、逞しく育って欲しい。
006 2000年7月30日(日)

浦凪ぎし水軍の島蝉時雨

The chorus of cicadas
dominating
in a calm islet. 

村上水軍の鶏小島

 瀬戸内海には多くの水軍の島がある。村上水軍、塩飽水軍などなど。歴史に大きな足跡を残してきた水軍。今も昔も蝉時雨だけは変わらない。

 瀬戸内の本島(ほんしま)に塩飽水軍の本拠地がある。幕末、勝海舟は咸臨丸でアメリカに渡ったが、そのときの乗組員(水夫)は、塩飽水軍がつとめた。今でもその水夫が書いた日記が残されているが、達筆で素晴らしいアメリカ見聞録となっている。彼ら全員に学があり、単なる海の海賊ではなかった。

 鶏小島は、しまなみ海道の伯方島ICから少し東に向かったところ、島の南端から見える白い灯台のある小さい島だ。船折瀬戸の急流の中にぽっかりと浮かんだこの島の周りは、他にも能島、鵜島、鯛崎島などが大島との間に所狭しと浮かんでおり、風光明媚なところだ。鶏小島には村上水軍の出城があったとされ、海岸には桟橋の跡も見られる。
005 2000年7月26日(水)

突風に白帆かたむく青岬

A white-sailed boat
leaning by a blow
from the green cape.

 青岬は、夏の季語で、岬が草木で覆われ、青々とした様子を示す言葉。その岬をかすめて白いセールのヨットが見える。ブローと呼ぶ突風が吹くたびに、大きくヨットが傾く。その岬を航過するには、さらなる努力がいりそうだ。
004 2000年7月23日(日)

夕凪や潮目一筋動かざる

A strait border
of seawater
staying still
in the evening calm.

 瀬戸の夕凪は本当に暑い。風がピタッと止まり、全てが動かない。海面を見ると、潮と潮の境目である潮目が一筋見えるが、微動だにしない。
003 2000年7月22日(土)

島影に舷燈点る夏の夕

Navigational lights appeared
around the distant islands

 i
n the summer evening.

 長い夏の日が終わり、夕暮れ時になってきた。島影がシルエットになってくる。あちらにぽつり、こちらにぽつりと、船の舷灯が灯り始めた。瀬戸内海に海風が吹き始め、やっと涼しい夜が訪れる。
002 2000年7月20日(木)

立葵大雨のあと伸び切りぬ

Mallows
grew up
after heavy rain.

 立葵(たちあおい)は夏の季語で、紅・紫・白色などの五弁の花が下から順に咲きのぼる。通勤路に長さ数キロに渡り、立葵が咲いている道路がある。毎日その成長ぶりを観察しながら宿舎とオフィスを往復している。大雨が降ったあと、あっという間に立葵が伸び切った。素晴らしい成長ぶりだ。
001 2000年7月16日(日)

枇杷の木を揺すりゐし子ら玉の汗

Children
shaking a loquat,
Drops of sweat
from their foreheads.

 枇杷(びわ)は夏に小さな鶏卵くらいの実が熟す。種が大きくて、果肉は水気が多く、甘い。子供達は、汗だくで枇杷の実を落とそうと枇杷の木を揺すっている。果たして烏に食べられる前に子供達がどれだけ果実を手に入れることができるのか、興味津々だ。

★彡 日本初の写真俳句 ★彡

. 俳句「海の風景」文頭

神戸 2001年7月29日 平成13年4月1日、広島から神戸に赴任。俳句は、相変わらず月に一回うつみ会に7句を投句し、高橋三洋子先生の添削と講評を受けている。いわば通信教育という形で続いており、先生のご厚意に感謝申し上げる。
 昨年7月から個人のホームページ・Wa☆Daフォトギャラリーを始めて1年余りになる。アクセス13,000件を突破し、すっかり軌道に乗ってきた。そこで一周年記念として、これまで徒然日記の冒頭に折々の俳句を載せてきたので、それを集めて、俳句「海の風景」というタイトルにまとめ、それに写真とコメントを付けてみた。また俳句の英訳もつけた。英訳にも意訳が入り、イメージの広がりが期待できる。これは誰もやっていない試みである。まだまだ素人の域を出ていないが、当ホームページのビジターに海の素晴らしさや季節感などを画像と同様に感じとっていただければ有り難い。わずか17文字でイメージ(画像)を表現できれば幸いだ。これまで海で仕事をしてきた経験を生かし、海の風景を一幅の絵のように切り取ってみたい。これが作者のテーマでありコンセプトである。ただ、海の句に限定したわけではないので、折々の身近な風景を適宜織り込んでいきたい。

パノラマの神戸の港春霞 風光る館の空に風見鶏

Panoramic view
of Port Kobe
in the spring haze.

A weathercock on the roof
under sky
with a glistening wind.

広島 2000年4月23日 平成12年4月1日、函館から広島に赴任した。友人から勧められ、俳句同好会「うつみ」に入会、月一の例会に出ることになった。仕事の合間を見て俳句づくりに専念する毎日が始まった。稚内在任中から俳句を創作していたので、ある程度の自信があるが、句会に出席し、先生に講評を仰いだり、添削を受けるのは初めてである。少し緊張するが、楽しみながら自然流で俳句をつくりたい。先生の俳号は高橋三洋子で、正岡子規の弟子である高浜虚子の流れを汲むという。種田山頭火のような自由律の俳句ではなく、古典派ともいうべき俳句で、キチッとした季語が必要であり、自然で平易なものでなければならないと教わった。

白藤や水面に鯉の浮き沈み 草鞋揺る仁王門より遍路発つ

Carp sink and float
to the surface
under white wisteria.

Pilgrims started
 thorough Deva gate
on which straw sandals swinging. 

稚内 1994年3月26日 平成6年は吹雪で明けた。日本最北端の地・稚内市に来て一年足らずであるが、現在貴重な冬の体験を積みつつある。窓の木枯らしを聞きながらテレビで正岡子規のドキュメント・ドラマを見ていたら、ふと、この稚内市を中心とした宗谷の出来事を点描してみたら面白いのではないかと思った。今まで俳句などというのは創ったことがないが、挑戦するのも楽しいのではないか。稚拙ではあるが、北国の思い出をファイルする趣旨で詠んでみたところ、アッという間に百首を越えてしまった。思ったより簡単である。粗製濫造気味ではあるがこれからも続けたい。俳号は日本最北端の地にちなんで北舟とした。

正月や昆布拾いの海人ふたり 流氷の接岸告げる尾白鷲

Two fishermen
pick up kelp
on New Year's Day.

A white-tail eagle signals
the arrival of drift ice
to the coast.

日本伝統俳句会 現代俳句協会 インターネット俳句会 俳句センター 帆船 俳句庵 see haiku here

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