2011年5月7日改訂 |
今 日 |
昨 日 |
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100 |
2002年5月19日(日) 見渡せば桜に埋る蔵王堂
Looking
around from the observatory,
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2002年5月8日(水) 吉野山峰に連なる桜かな
Cherry
blossoms
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2002年5月5日(日) 鶯や時を忘れし苔清水
A
bush warbler, |
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097 |
2002年4月28日(日) 桜咲く西行庵の山険し
Cherry blossoms
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2002年4月21日(日) 灯台を見上げる小道空の花
Cherry blossoms under the sky |
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2002年4月14日(日) ただ一つ聳ゆる天守花盛
Only a castle tower
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2002年4月7日(日) 宴会のグラスで受ける花吹雪
Each of them |
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093 |
2002年3月31日(日) 山の端の白灯台や春の雲
Spring
clouds, |
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092 |
2002年3月28日(木) 春風や光りの躍る波頭
Spring
breeze, |
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091 |
2002年3月23日(土) 春寒し崩れてこぬか磨崖仏
Cold
spring, |
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090 |
2002年3月17日(日) いかなごの網曳く船の多きかな
Too many boats, |
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2002年3月10日(日) 風の音の岬灯台春迎ふ
Loud sounds of wind, |
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088 |
2002年3月5日(火) 舷灯のひとつふたつや冬茜
Dark red sky of winter, |
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087 |
2002年3月2日(土) 自転車をこげば寒風なんのその
Pedaling a bicycle, |
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086 |
2002年2月28日(木) 冬晴れや大仏殿の鴟尾光る
Winter sunshine,
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085 |
2002年2月24日(日) 寒日和手にあたたかきエンタシス
A column of entasis |
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084 |
2002年2月16日(土) 冬の霧橋下の汽笛過ぎ去りぬ
Whistles passed away |
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083 |
2002年2月9日(土) 灯台の凛と立ちたる冬岬
A gallant lighthouse |
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082 |
2002年1月30日(水) 海原の無事を願ひて初暦
Set a New Year's calendar, |
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081 |
2002年1月19日(土)
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080 | |||||||||||||||||||||
079 |
2002年1月13日(日) 白銀の日輪見えし年の朝
The silver sun appears |
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078 |
2002年1月3日(木) 新年の汽笛一斉扇港に
Whistles are blowing
at once |
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077 |
2001年12月31日(月) 流れゆく渦の如くに年越ゆる
Seeing the old year out |
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076 |
2001年12月28日(金) 心まで暖められし柚湯かな
A hot bath |
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075 |
2001年12月15日(土) 鐘楼に溜りし枯葉風に舞ふ
Withered
leaves |
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074 |
2001年12月2日(日) 瀬戸内の穏やかに晴る十二月 December |
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073 |
2001年11月25日(日) 古寺の枯山水や秋気満つ
Fresh autumn breeze
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072 |
2001年11月18日(日) 東山巡りて惜しむ古都の秋
Enjoy
autumn
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今年の秋は、急激に深まり、駆け足で走り去ろうとしている。毎週、週末はデジカメを携え、撮影旅行に忙しい。
今、京都の紅葉が素晴らしい。清水寺や銀閣寺など、東山界隈は、写真の宝庫だ。今週は大原に出かけた。寂光院や三千院など、山奥の紅葉は今が盛りだ。 |
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071 |
2001年11月13日(火) 楠公を祀る社の菊白し
All of chrysanthemums |
秋の神社は、七五三など、お宮参りの家族連れで賑わう。楠公(なんこう)さんの愛称で神戸市民から慕われている楠木正成を祀る湊川神社も例外ではない。 楠公は、後醍醐天皇に忠誠を尽くし、湊川の戦いで足利尊氏軍と戦い、壮絶な戦死を遂げる。以後、尊氏は京に入り、室町幕府を樹立する。 境内には楠公の墓があり、白菊が供えられていた。澄み渡る青空の下、菊の白さが心清らかな楠公の魂を映しているように思えた。 |
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070 |
2001年11月7日(水) 銀閣寺苔むす庭の秋日影
A moss-covered garden
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まだ紅葉には早い10月の京都。神戸のJR三宮駅から新快速で50分で京都駅に着く。片道1,050円。日帰りで十分に往復できるのが有り難い。 東山の山裾にひっそりと立つ銀閣寺。見学者が耐えないが、池を中心とした庭園を一回りするには、山を登って行かねばならず、予想外に歩き回る。苔寺に行かなくても、銀閣寺の庭園は、至る所苔で覆われている。緑の絨毯のようだ。日も傾き、木々の間から柔らかい秋の光が優しく青苔を照らしていた。 |
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069 |
2001年11月3日(土) 腕守り腰に自慢の秋祭 A man proudly wearing |
「男たちの写真展」が完成し、播州秋祭シリーズ三部作が完結した。これで一区切りだ。次は淡路島紀行や京都探訪など、撮り溜めた沢山の写真が出番を待っている。今日はテニスで汗を流す予定だったが、雨のため中止になってしまった。雨が降るとパソコンの作業が捗るのだが、毎日夜遅くまで秋祭りの編集を続けてきたので、少々疲れ気味だ。「作品を仕上げたときの作家の気分」といえば大げさだが、今、播州秋祭という作品を世に送り出した満足感と虚脱感を味わっている。今日は一日ノンビリと過ごしたい。 | |||||||||||||||||||
068 |
2001年10月30日(火) 秋日照る喧嘩祭に燃え尽きぬ
Autumn
sun shining
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10月15日、雲ひとつない秋晴れに恵まれ、姫路市・松原八幡神社で行われた灘のけんか祭りの本宮に出かけた。3台の神輿がぶつかり合い、壊し合う。灘祭りは、播州の秋祭りの頂点に位置する祭りといっても良い。 残念ながら、男性一人が、重さ約350キロある神輿の下敷きになり、死亡するという痛ましい事故が発生した。死亡事故は10年ぶりだという。前日の宵宮とあわせて22人のけが人が出ている。大いに盛り上がるのは良いが、事故だけは避けたいものだ。 神輿合わせのあと、旧灘七村から6台の大屋台が入場し、つぎつぎに屋台練りを披露。上気した赤い肌に祭りまわしをキリリと締め込んだ練り子たちは、屋台を高々と秋空高く差しあげ、力強さを競った。 「死ぬまでに一度は見て欲しい。」と地元の人は言う。イタリア旅行で知った「ナポリを見て死ね」という諺が脳裏を横切る。地元民の灘のけんか祭りへの思いはそれほどまでに強く、そしてそれほどに素晴らしい。 灘のけんか祭りを頂点とした播州の秋祭りは、昔からの伝統をかたくなに守り、世紀を超えても変わらない。地域の和。支える人々の心意気。ふる里への強い思い入れ...。播州から発せられるこの祭りの強烈なメッセージは、これからも人々の熱い思いを蘇らせてくれることだろう。 |
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067 |
2001年10月20日(土) 秋高く翳す屋台や灘祭 Nada festival, |
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066 |
2001年10月14日(日) 布引の滝の音高し薄紅葉
Light colored leaves,
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布引の滝(ぬのびきのたき)は、紀州・那智の滝と日光・華厳の滝と並び、三大神滝と呼ばれている。上流から雄滝(おんたき)、夫婦滝(めおとだき)、鼓滝(つづみだき)、雌滝(めんたき)の四つの滝をあわせて布引の滝と呼ぶ。10月上旬に訪れたときには、水量の関係か、雄滝と雌滝しか確認できなかった。 滝の落ちる姿が白い布のように長く引いて流れるところから名づけられた布引の滝は、新神戸駅の裏山を10分ほど登れば最下流の雌滝に到着する。古くから神秘的な伝説があり、物語や詩歌に多く引用され、名瀑として知られている。大都市の中でこれほど美しい深山幽谷の景色を楽しむことができるところは他にはない。 布引の滝は、平安の昔から景勝の地として知られ、多くの人が訪れた。京都に住む貴族も旧山陽道を通って滝見物に来ていたようで、伊勢物語にもその様子が描かれている。 明治の初めになって、花園社という市民団体が布引の滝を詠んだ多くの和歌の中から36首を選び歌碑を建てた。その後散逸してしまったものが多いが、後にいくつかが復元され、現在も布引渓流に沿って点在しており、私も10点ほど確認した。 |
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065 |
2001年10月8日(月) 播州の男はふどし秋祭 |
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064 |
2001年10月8日(月) 秋祭揺らぐ屋台に稚児二人
Two children |
播州の秋祭りは、乗り子2人又は4人を乗せた屋台を練り子が担ぐ。若者が発散する圧倒されそうな熱気に、夢中でシャッターを切った。愛機オリンパスCAMEDIA C-3040ZOOM の連写機能を使えば、一度に5枚の連写が可能だ。気がつけば300万画素で400枚撮っていた。128MBのスマートメディアを3枚使った。 沢山撮ればそのうち何枚かは良いのがある。「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」という諺は、デジカメにこそふさわしい。会心作を集め、準備でき次第、「旅紀行ジャパン」にアップロードしたい。 |
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063 |
2001年9月30日(日) 夕暮れの磯に砕けし秋の波 |
今日で9月も終わる。先週のはじめ、夏布団とタオルケットで寝ていたら、夜中に寒さで目覚め、押入から冬布団を引っ張り出した。今年の神戸は例年になく暑かったが、急速に秋めいてきた。 | |||||||||||||||||||
062 |
2001年9月24日(月) |
今日は秋分の日の振替休日だ。先週末、冷たい高気圧が北から張り出してきて秋風が吹き、すっかり涼しくなって、宿舎のエアコンもお役御免となった。 | |||||||||||||||||||
061 |
2001年9月16日(日) 独り身の夕餉を飾る秋刀魚かな |
台風15号は、大阪湾を直撃するかと思われたが、途中で北上し、東海・関東地方に向かったので、神戸港も一部にフェリーの運休があったが、11号の時のように全船避難するということもなく、事なきを得た。以来、ぐんと秋めいてきた今日この頃である。 秋の味覚といえば、秋刀魚(さんま)。今が旬だ。三宮のダイエー地下二階の食料品売場では、ときどきセールで一匹100円の秋刀魚が置いてある。非常に鮮度が良い。そのそばにハーフカットの大根が置いてあり、独身には重宝する。細長い魚体を半分にカットし、ガスレンジで焼く。脂がのっていて本当に美味い。単身赴任の身としては手軽に秋の味覚が味わえるので有り難い。 |
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060 |
2001年9月1日(土) 潮の香をほのかに孕む秋日傘 |
猛暑の洗礼を受けた神戸だが、9月に入り、今日は防災の日。3日前からクーラーなしで寝ることができるようになり、かすかな秋の気配を感じるようになった。 しかし、日中は相変わらず日差しが強く、メリケンパークなどのウォーターフロントを訪れる人々は、まだまだ夏服で、日傘をかざす女性が散見される。ときおり心地よい風が頬をかすめる。ほのかな潮の香りをのせた秋風を孕む日傘が心に残った。 |
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059 |
2001年8月25日(土) 湯上がりのタオルのままの冷奴 |
のろのろ台風11号が去った後、少し凌ぎやすくなったような気がするが、まだまだ暑い。風呂に入った後、バスタオル一枚の格好で冷奴をつつきながら飲むビールは、暑い夏ならではの醍醐味だ。昔はふんどし一丁だったのだろう。宿舎でもまだエアコンを入れずに頑張っている。 昨日の夜遅く帰宅すると、1階の宿舎のベランダの前からコオロギの鳴き声が聞こえてきた。季節は着実に秋に向かっていることに気がつく。暑い日々ももう少しで終わる。今日は午後から3時間ほどテニスで汗を流す予定で、夜のビールが楽しみだ。 |
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058 |
2001年8月18日(土) 風見鶏見上げる人の夏夕べ |
連日猛暑が続く神戸だが、先日の夜、家内と二人で異人館の夜景を見に行った。宿舎からぶらぶら歩いて15分ほどで風見鶏の館 Weather Cock House に着く。夏休み期間中なので若いカップルの姿が多い。旅行客も目につく。 私と同じように、カメラを三脚に据え付けてファインダーを覗くアマチュア・カメラマンの姿も多い。みんなが三脚をたてている場所に行けば、そこが最高のアングルだということが直ぐに分かる。(写真) |
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057 |
2001年8月11日(土) 夕立のあと輝ける夜景かな |
昨夜、神戸市内定期観光バスに乗って、夏季限定の六甲山納涼コースに参加。931mの六甲山山頂にある六甲山ホテルでジンギスカン・バーベキューを食べながら夜景を鑑賞。六甲山頂は、夕立のあとで、気温が地上より4〜5度低い感じで、真夏の夜のバーベキューも全く汗が出ず、快適だった。 |
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056 |
2001年8月4日(土) 浦風に魚の跳ねて夏暮るる |
今年は例年になく、猛暑が続いている。8月に入ったばかりだというのに、もう1ヵ月も真夏が続いている。これからが夏本番だと思うと、少々うんざりだ。お年寄りなど体力のない人には厳しい試練だ。神戸は午前中は風が弱く、午後から海風 sea breeze
が吹いてくる。夕方、日が落ちて爽やかな風にあたると、やっと生きた心地がする。浜辺から夕陽を見ていると、心が洗われる。辞書を当たると、浦風とは「浦を吹く風。海辺を吹く風。はまかぜ。」とあった。 |
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055 |
2001年7月29日(日) 汽笛鳴る明石海峡夏霞 |
明石海峡は、兵庫県明石市と淡路島の間にあり、大阪湾と播磨裁をつなぐ海峡だ。六甲山地とその延長である津名丘陵の間が陥没してできた海峡で、もっとも狭い神戸市舞子と淡路町の松帆ノ浦の間は約4kmで、潮流最強時は時速9kmに達する。現在、海峡を通過する船舶は1日約1200隻で日本一の通行量を誇る。このため全長200m以上の船には航行管制が行われている。明石市と淡路町岩屋の間には連絡船が発着している。1998年4月世界最長の吊橋、明石海峡大橋(橋長3910m、中央支間長1990m)が完成、既に開通している鳴門大橋と合わせて本州四国連絡橋神戸・鳴門ルートが貫通した。 |
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054 |
2001年7月22日(日) 海見ゆる異人の館蝉時雨
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神戸の夏は本当に蝉時雨が凄い。朝五時頃から鳴き始める。 |
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053 |
2001年7月14日(土) 夏の夜の舳先の波に海蛍 |
4月に神戸に赴任してきて、海に出ると、赤潮が出ていた。4月にしては早い。神戸市の水産局の人に聞いてみたら、表層だけであり、漁業に被害を与えるようなものではないから心配ないという。それより、赤潮は夜になると光り、きれいですよという。夜光虫が赤潮の実体であることを始めて知った。世界大百科事典で調べると、 ヤコウチュウ(夜光虫) Noctiluca scintillans (Macartney) Ehrenberg 暖海の沿岸にもっともふつうに見られるプランクトン。浮遊生活をする直径1〜2mmの球形の海産単細胞生物で,波の動きなどの刺激により発光する性質がある。生体は淡い桃色を呈し,春〜初夏に大繁殖して赤潮を起こし,養殖中の魚貝類を大量に殺すことがある。 とあった。赤潮は、大量発生したプランクトンの死骸だと思っていたが、そうではない赤潮もあるのだ。プランクトンを小魚が食べ、それを大きな魚が食べる。生態系のバランスの上に、海の恵みがある。人間の営みによる海の富栄養化がプランクトンの大量発生をもたらし、エコサイクルを崩す原因となる。夜光虫は、別名海蛍というが、夏の夜のロマンと公害のサインとは、紙一重の存在なのだった。 |
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2001年7月7日(土) 浜掃除終はりて須磨の海開き |
須磨海水浴場は、兵庫県下屈指の海水浴場である。例年、海開きの際、大阪湾クリン作戦の一環として、数千人のボランティアにより海浜清掃が行われる。砂浜の掃除だけでなく、遊泳者が足を怪我しないよう、ダイビング愛好者による海底清掃まで行われる。こうして多くの善意に支えられ、今年も須磨海水浴場はオープンし、多くの市民が海水浴を楽しむことができるようになった。今年は例年になく猛暑で、海水浴場はどこも盛況だ。水難事故のないことを祈念している。 | |||||||||||||||||||
051 |
2001年7月1日(日)
灯台を目指して進む卯波かな
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卯波とは、「うなみ」と読み、陰暦4月(陽暦5月)頃の波で、夏の季語である。卯月波ともいうらしい。波をじっと眺めていると、船と同じように灯台を目指して進んでいるような気がした。 新西宮ヨットハーバー沖で、練習中の大学のヨット3隻が転覆、学生6人が流されるという事故が起こった。近くにいた警戒艇も波が大きくて救助できず、118番で海上保安庁に助けを求めたという。全員無事救助され事なきを得たが、夏山だけでなく、夏の海でも急に突風が吹いたり気象が急変することがある。波と上手に付き合わないと、とんでもないことになる。 渥美半島の南端、伊良湖岬(いらごみさき)の先端に立つ伊良湖岬灯台は、鳥羽との間の伊良湖水道を通過する船の大切な目標になっている。海面からニョキッと立っている感じで、海が時化てくれば、波に洗われることだろう。灯台といえば丘や岬といった高台に立っているのが普通だが、このような灯台は珍しい。 |
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神戸 2002年8月11日 暑い夏が続いている。昨日は夏休みの帰省ラッシュのピークを迎えた。おかげさまで、Wa☆Daフォトギャラリーも無事に二周年を迎え、毎月一万件のアクセスをいただけるサイトに成長した。一周年記念として始めた俳句「海の風景」も未だに続いており、継続は力なりで遂に百句を超えてしまった。読み返してみると、駄作もあるが、なかなか良い句だと自慢したくなるような作品もある。 神戸 2001年7月29日 平成13年4月1日、広島から神戸に赴任。俳句は、相変わらず月に一回うつみ会に7句を投句し、高橋三洋子先生の添削と講評を受けている。いわば通信教育という形で続いており、先生のご厚意に感謝申し上げる。
広島 2000年4月23日 平成12年4月1日、函館から広島に赴任した。友人から勧められ、俳句同好会「うつみ」に入会、月一の例会に出ることになった。仕事の合間を見て俳句づくりに専念する毎日が始まった。稚内在任中から俳句を創作していたので、ある程度の自信があるが、句会に出席し、先生に講評を仰いだり、添削を受けるのは初めてである。少し緊張するが、楽しみながら自然流で俳句をつくりたい。先生の俳号は高橋三洋子で、正岡子規の弟子である高浜虚子の流れを汲むという。種田山頭火のような自由律の俳句ではなく、古典派ともいうべき俳句で、キチッとした季語が必要であり、自然で平易なものでなければならないと教わった。
稚内 1994年3月26日 平成6年は吹雪で明けた。日本最北端の地・稚内市に来て一年足らずであるが、現在貴重な冬の体験を積みつつある。窓の木枯らしを聞きながらテレビで正岡子規のドキュメント・ドラマを見ていたら、ふと、この稚内市を中心とした宗谷の出来事を点描してみたら面白いのではないかと思った。今まで俳句などというのは創ったことがないが、挑戦するのも楽しいのではないか。稚拙ではあるが、北国の思い出をファイルする趣旨で詠んでみたところ、アッという間に百首を越えてしまった。思ったより簡単である。粗製濫造気味ではあるがこれからも続けたい。俳号は日本最北端の地にちなんで北舟とした。
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