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★★★  ようこそ 写真俳句の世界へ! ★★★

Wa☆Daフォトギャラリー  和田北舟の俳句  
2011年5月7日改訂

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「ペレアスとメリザンド」より「シチリアーノ」:フォーレ Sicilienne

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2001年7月16日制作

水上バイク(2002年海の日・神戸港ボート天国)

水上バイク (神戸港ボート天国2002年海の日)

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2003年6月14日(土)

姐さんのそっと手をやる祭髪

A lady gently fixing
 her hair
with her hand
in summer festival.

淺草・三社祭

淺草・三社祭

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2003年5月31日(土)

夏祭ともにふんどし父子なる

Both son and father
wearing loincloth
in summer festival.

 お祭りは専ら行列を追いかけるだけだけど、実は・・・、お神輿を担ぐ人のふんどしを締めたお尻が美しい!中学生の頃からなんてセクシーなんだろうと思ってた、キャハハ。ませてたのかな。
 
  水森亜土(みずもりあど) 談 (東京人 2003年6月号52頁)
 日本橋の向こうからお囃子が聞こえてくると、お尻がウズウズしてきて、おうちを飛び出しちゃうの、キャッホー。
「もう、がまんできない!」です。亜土はなんと日本橋室町に三代続く江戸っ子で、神田明神の氏子なのだ。(略)
夏祭ともにふんどし父子なる

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2003年5月25日(日)

母も娘も神輿を担ぐ神田子

Natives of Kanda
including mothers and sisters
carry a portable shrine
in Kanda festival.

 5月10・11日の土日、都心に初夏の到来を告げる神田祭があった。11日・日曜日は、終日、メインイベントの神輿宮入(みこしみやいり)で賑わった。
 
 神田、秋葉原、日本橋など108の氏子町会から200基にのぼる大小の神輿が境内や車道に繰り出し、20万人の人出で賑わった。電気街で有名なJR秋葉原駅周辺は歩行者天国となり、この日だけは江戸っ子の担ぐ威勢の良い神輿に占領された。
母も娘も神輿を担ぐ神田子

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 神田祭は江戸の華。江戸っ子の粋で鯔背(いなせ)な姿は、老若男女(ろうにゃくなんにょ)を問わない。女性たちも男性の中に混じって神輿を担ぐ。男性中心の祭りが多い中にあって、神田祭はみんなが楽しめる素晴らしい祭りだ。

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2003年5月5日(月)

四月寒む駅構内の迷い鳩

Cold April
a dove strayed
into the station.

 新宿駅に通う毎日だが、四月の初めはまだ寒いときがあった。ある肌寒い日、一羽の鳩が通勤ラッシュで熱気のある駅構内に迷い込んでいた。

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2003年4月28日(月)

多摩川の春風の家我帰る

Spring breeze blowing
over the river Tamagawa,
I returened my home.

 我が家は多摩川の土手に建つマンションの一室である。目の前に青梅市の運動公園があり、その向こうを多摩川が流れている。山あいにある青梅市としては、一番平地の広がる憩いの場所に我が家がある。南向きに建つ我が家は、南に日当たりを遮る建物はいっさいないし、これからも建つことはない。狭いながらも、これからの人生を過ごすに申し分ない場所だと思っている。
 5年間の単身赴任の後にやってきた、ささやかな幸せのとき。ベランダに立つと春風が心地よく、私の帰還を祝ってくれているようだ。

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2003年4月24日(木)

春暑き新宿駅の人の波

Warm spring
human waves
at Shinjuku station.

 4月1日、二年間住んだ単身赴任の神戸から東京・青梅の我が家に戻ってきた。その日から第2の人生が始まった。終の棲家と考える我が家から新宿西口の新しいオフィスへ通勤する毎日が始まった。
 一日の乗降客が100万人を超す日本一の新宿駅。毎日、押し寄せる人波の中を通勤する。

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2003年4月12日(土)

春の雲熊野三山八咫烏

The clouds of spring,
Yatagarasu the raven
at Kumano three shrines.

はるのくも くまのさんざん やたがらす

 八咫烏の「咫」は長さの単位で、それ1字では「あた」と読み、「八咫(やあた→やた)」で「大きな」という意味だという。日本サッカー協会のシンボルマークでお馴染みである。
 熊野三山にお参りすると、熊野の神々の使いとされる三本足の八咫烏(やたがらす)が出迎えてくれる。写真は熊野本宮神社。

熊野・本宮神社

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2003年4月4日(金)

春光や白波砕く畳岩

The flat rocks breaking
the white waves 
in the spring sunlight.

しゅんこうや しらなみくだく いわだたみ

 南紀白浜の潮岬の近くに千畳敷がある。岩畳が広い範囲に敷かれたように見えることからつけられた名前で、観光スポットとなっている。波打ち際まで降りてゆくことができ、気持ちの良い広々とした眺めを楽しむことができる。

千畳敷(南紀白浜)

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2003年3月23日(日)

春の浜岩海苔採りの老女かな

An old woman
gathering laver on the rocks 
at the beach of spring.

 熊野三山に行く途中、南紀白浜を巡った。串本港の岩場で、老女が一人黙々と岩のりを採取していた。
 
 潮時も良く、低潮で干上がった岩場には岩のりだけでなく、色々な海草類が付着していた。

天然記念物
橋杭岩はしくいいわ

和歌山県串本市 2003年3月15日

春の浜岩海苔採りの老女かな

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2003年3月17日(月)

春日和海より望む那智の滝

Nachi falls
viewing from the sea 
in a sunny day of spring.

 

 先日、熊野三山に行ってきた。中でも落差133mもある日本一の那智の滝を擁する那智大社は素晴らしかった。赤い三重塔とのマッチングは特に素晴らしい。

那智の滝

那智の滝

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2003年3月8日(土)

玉筋魚を網一杯の二艘曳

A pair of fishing boats
trawling a net 
full of sand lances.

 2月の中頃から3月の終わりにかけて、赤石海峡の朝は二艘引きの漁船で一杯になる。イカナゴ漁の漁船である。100隻以上もの漁船が、2隻で袋網を曳航する。漁船群の蝟集により、しばしば巨大船の通行が妨げられる。通行船舶にとっては1年で一番航海の難しい時期である。
 大丸では旬のイカナゴを使ったクギ煮が並んでいる。100gあたり500円で売られている。神戸市民は、イカナゴ漁のはじまりで、春の到来を知る。

いかなごを あみいっぱいの にそうびき

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2003年2月20日(水)

春空に童戯る東福寺

A boy playing
at Tofukuji temple
under the spring sky.

 先日、東福寺に行ってきた。東福寺は洛南にあり、紅葉の名所として名高い。テレビでお馴染みのスポットを見たが、立春を過ぎたといえ、冬木立のままで、寂しかった。
 境内ではわらべが1人自転車に乗って遊んでいた。

はるぞらに わらべたわむる とうふくじ

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2003年2月16日(日)

海見ゆる席に移りて春の旅

Spring tour
shifting to the seat
of seaside view.

 国府宮裸祭りは、毎年旧暦正月13日が儺追(なおい)神事のクライマックスで、大勢のはだか男が練り歩く。internetで調べると、「平成12年国府宮裸祭」のサイトがあった。 http://members.tripod.co.jp/attttstudio/index.html  
今朝、テレビの週間ニュースを見ていると、愛知県稲沢いなざわ市で、大勢のはだか男たちがふんどし一丁で練り歩く勇壮な国府宮こうのみや裸祭りの報道があった。
国府宮裸祭り

国府宮裸祭り 旧暦正月13日  資料

 参加「はだか男」約7000人。見物客約16万人。春とはいえまだ寒そうだが、日本の裸祭りの伝統が続いていることを嬉しく思う。

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2003年2月9日(日)

船旅や春のきざしの波頭

A touch of spring
in the wave crests
at a voyage.

 2月4日は立春だ。暦の上では春なのだが、今年はまだまだ寒い。
 しかし、春は着実に巡ってくる。船に乗ってじっと波頭を眺めていると、きらきらと輝くその中に春の兆しがあるように見えた。波の輝きが、知らず知らずのうちに力強くなっているのに、あなたはきっと気づくことだろう。

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2003年2月1日(土)

突堤のひっそりと立つ冬鴎

A winter sea gull
standing quietly
on the jetty.

 冬の鴎が一羽、突堤に佇んでいる。じっとしていて、動かない。冬の寒さにじっと耐え忍んでいるようでもある。いや、一羽で楽しんでいるのかも知れない。
 我々人間には考えの及ばない、鴎の営みがあるのかもしれない。人間はああも孤独にはなれないと思うのだが・・・。

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2003年1月29日(水)

一筋の波の寄するや牡蠣筏

A straight waves
rushing toward
the oyster rafts.

 冬の瀬戸内海はひっそりとしている。一筋の波が糸を引いたように牡蠣筏に向かって進んでいる。
 船が走るときにできる航走波である。牡蠣筏は暫く揺れ動いたが、そのあと、何事もなかったかのように静かになった。

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2003年1月23日(木)

六甲の日溜りひとつ冬薔薇

A winter rose
in the sun
of mountain Rokko.

 今日も低気圧が通過し、大気は不安定となっている。神戸は朝雨が降っていたが、午後から晴れてきた。しかし、日本海側は厳しい寒さが続き、明日は雪が降るとの予報だ。
 同じ兵庫県でも神戸は暖かい。六甲山でも日だまりに咲く冬の薔薇が心を慰めてくれる。

ろっこうのひだまりひとつふゆそうび

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2003年1月19日(日)

冬港ひときわ白き巡視船

A patrol boat
remarkably white
in a winter port.

 毎日寒い日が続く。冬であってみれば当然かも知れない。神戸の港も、冬場は船の出入りが少なく、ひっそりしている。白い船体の巡視船がやけに白く見えるのは私だけなのだろうか。
 巡視船は、季節に関わりなく、日夜、安全で明るく美しい海を目指して頑張ってくれている。その白くシンプルでスマートな船体を頼もしく思う今日この頃である。

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2003年1月1日(水)

初凪の海に向ひてようそろう

Steady!
towards the sea
of New Year's calm.

 謹賀新年!
 2003年の年賀状に載せた俳句。新しい年に向かって、静かに乗り出してゆく心境を詠った。
 人によっては心安らかではないかも知れない。世の中デフレが深刻化し、失業率が過去最大という。私の年収も下がってしまった。しかし、希望を持って船出したい。きっと良いことがあるに違いないと信じて!
年賀状(73KB)

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2002年12月25日(水)

暁や海の寒さの中に入る

Cold on the sea
at dawn.

 瀬戸内海も日に日に寒くなってきた。
 特に早朝は、海の上も寒いことには変わりがない。海で働く人々はいつものように船に乗り、黙々と出港してゆく。

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2002年12月15日(日)

灯台のぬくもりひとつ冬岬

How warm the lighthouse
on a promontory.

 いよいよ冬の俳句となった。
 最初は、せめてもの灯台のぬくもりを詠んでみた。昼間は短い太陽の光を受けてひときわ白く見える灯台。夜は、マッチ売りの少女のように暖かい光を放つ灯台。植物や動物は冬の寒さにひっそりとしているが、灯台だけは冬でも変わることなく暖かい営みを続ける。今日もひたすら航海の安全を願って・・・。

129

2002年11月29日(金)

東山苔むす庭の濡紅葉

Wet colored leaves
 on a moss-covered garden
at Higashi-yama.

 週末、京都に行き、紅葉の名所めぐりをしたが、今年の京都の紅葉は、例年になく鮮やかだった。

拡大写真(1200x900)276KB

 夏以降、暖かい気候が続いた後、急激に冷え込んだためだという。今年の秋は、短く、長い夏から急激に冬に移ってしまったように思う。

 そのためか、オフィスでは体調を崩した人もいる。今日からオフィスにも暖房が入り、いよいよ冬を迎えたことを実感する。短い秋を惜しむ今日この頃である。

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2002年11月28日(木)

三門を登れば京の山紅葉

Looking from the upstairs
 of the temple gate
how beautiful the autumn leaves
of mountains around Kyoto.

 週末、京都の紅葉の名所めぐりをした。東山の南禅寺は、色鮮やかな紅葉が最盛期を迎えていた。

 南禅寺の三門は、石川五右衛門が「絶景かな絶景かな」といったことで有名だ。大泥棒も有名人になると、あちこちで語録を残している。

 「石川や浜の真砂はつきるとも、世に盗人の種はつきまじ」 これは歌舞伎で、三門の下で五右衛門が言う台詞だ。

127

2002年11月24日(日)

保津川の急流下る紅葉舟

Maple tree viewing boat
going down 
the river Hozu.

 先日の週末、トロッコ列車と保津川の急流下りに行ってきた。
 
 今年は紅葉の発色が素晴らしく、川下りの船から見る紅葉は格別だった。
保津川の急流下る紅葉舟

拡大写真(1200x900)200KB

 2時間の船旅は、あっという間だった。最前列の飛沫を浴びる席だったが、思ったよりも揺れは少なく、見ている方が大変そうだった。

 嵐山に着いて、世界遺産の天竜寺に行った。ここも紅葉が素晴らしかった。日本に生まれて良かったと思う。

126

2002年11月13日(水)

火祭や鞍馬の宿の鉾飾

Kurama fire festival
displaying spears
 at villager's inns.

 

 鞍馬は山の中である。京都市左京区、鞍馬山麓の鞍馬川沿いにひらけた集落で、上賀茂から丹波へ通じる鞍馬街道が通る。
火祭や鞍馬の宿の鉾飾

拡大写真(950x600)160KB

 鞍馬の火祭りは、鞍馬寺の鎮守社・由岐神社の例祭で、毎年10月22日に行われる。(雨天決行) 大小の松明を担いで「さいれーや、 さいりょう!」の掛け声とともに鞍馬街道を練り歩く紅蓮の炎の祭典として知られ、那智の火祭りや久留米市・玉垂宮(たまたれぐう)の鬼夜(おによ)とともに日本三大火祭りに数えられる。

 火祭りは午後6時からだが、始まる前に大篝や大松明を据え、鉾を飾っている七仲間の宿の飾席(かざりせき)は必見だ。

125

2002年11月8日(金)

鴟尾光る寺屋根高き鰯雲

Mackerel sky
over the temple,
The roof ends
glistening.

 東大寺の金堂である大仏殿は、奈良時代に創建されてから治承と永禄の二度の兵火に遭い、現在の建物は江戸時代に公慶上人によって再建された。
 
 天平と鎌倉の大仏殿は桁行十一間であったが、財政困難の理由で七間に規模が縮小された。それでも高さや奥行きは創建時のままで、世界最大の木造建造物である。
鴟尾光る寺屋根高き鰯雲

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 東大寺大仏殿の巨大な屋根には、金色の鴟尾(しび)が輝いている。奈良のどこからもその偉容を望むことができる。日本が世界に誇る素晴らしい世界文化遺産である。天高き秋空に今日も輝いている。

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2002年10月27日(日)

名月の海に向ひて舫解く

Loosing a mooring rope
for the sea
of harvest moon.

 ブルーハワイではなくても、瀬戸内海の夜の海も捨てたものではない。満月の夜は明るい。もやい索を解き放ち、これから海に向かうボートがある。夜釣りにいくのだろうか。

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2002年10月25日(金)

秋遍路巨木の森に踏み入りぬ

A path of pilgrimage
leads to the forest
of huge trees
in the autumn.

 千年杉のそばを遍路が行く。悠久の時を刻んだ巨大な杉の木を見ていると、人の命がいかに短く小さな存在であるかを思い知らされる。

 「父母(ちちはは)のしきりに恋し雉(きじ)の声」という芭蕉の句碑があった。杉木立にこだまする哀切な雉の鳴き声を聴いていると、今は亡き父母がしきりと恋い慕われると芭蕉は詠んだ。

 芭蕉(1644-1694)は行基(668-749)の「山鳥のほろほろと鳴く声聞かば父かとぞ思う母かとぞ思う」を踏まえてこの句を詠んだという。 

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2002年10月20日(日)

秋彼岸海上渡御の神輿舟

Portable shrine
on a boat at sea
in the autumnal equinoctial week.

 2002年10月12日(土)、神戸市垂水区宮本町に鎮座する海神社(かいじんじゃ)の海上渡御祭(かいじょうとぎょさい)に行った。神戸・JR三宮駅から下り15分ほどで垂水(たるみ)駅に着く。海神社は垂水駅の南隣りにある。
秋彼岸海上渡御の神輿舟

拡大写(1024x768)101KB

 神輿を乗せた御座船など約20隻の漁船は、2時間かけて海上を巡行した。御座船は、平磯灯標(ひらいそとうひょう)付近、塩屋漁港、マリンピアの船溜まりに行き、伊藤宮司が祝詞(のりと)をあげて海の安全を祈った。

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2002年10月5日(土)

秋彼岸千年杉の遍路道

Autumn pilgrimage
under cedar trees
of thousand years of age
in the autumnal equinoctial week.

 2002年9月21・22日の土日に高野山に行った。1200年もの間、安息を求めて数限りない人々が訪れてきた信仰の地・高野山は、陣ヶ峰、揚柳山、弁天岳など1,000m前後の山々に囲まれた海抜820m・東西5km・南北1kmの平坦地に金剛峯寺(こんごうぶじ)のほか117の寺院が建ち並ぶ一大宗教都市である。
秋彼岸千年杉の遍路道

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 高野山は、多くの信者や遍路、先祖の墓参りに来る参詣人、四季の風情を求める行楽客、建築や彫刻の愛好家、林間学校の子供たちなど多様な人々で賑わう。

 一の橋から東に向かい、中の橋を経て御廟までの約2kmの石畳の道が奥の院参道である。昼なお暗き巨大な杉並木の道の両側には、20万基を越えるあらゆる時代のあらゆる人の墓碑が建てられている。日本最大の墓石群だという。

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2002年9月29日(日)

通し矢の音中天に菊日和

The sound of shooting arrows
up to the sky
of fine autumn day.

 通し矢といえば正月の成人の日に行われる京都の三十三間堂が有名だが、ここでは秋に行われる神社の弓矢の奉納の情景を詠んだ。

 矢が的に当たる音が澄み渡った秋空に響く。日本古来の伝統文化が息づいている。世界に誇れる情景である。

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2002年9月3日(火)

阿波踊りは、経済波及効果はもとより、何よりも地域の連帯や国際交流など、人と人との繋がりが深まるのが良い。そして、日本の伝統文化が受け継がれていくことが素晴らしい。 

阿波踊泥棒のよな頬被

Awa-odori dance, the cover of a head and
cheeks with a towel looks like a thief.

一晩に二度踊り込む阿呆連

Ahoh-ren,
dancing into the promenade twice a night.

殿様連

阿波踊泥棒のよな頬被り

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2002年8月30日(金)

夜更けまで老若男女の踊りの輪

Dancing circles
young and old
until late-night.

夜更けまで老若男女の踊りの輪

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 阿波踊りは、1585年(天正13年)阿波徳島藩祖蜂須賀家政の徳島築城祝いに町民が踊ったのに始まるという説がある。「阿波の殿様蜂須賀公が今に残せし阿波踊り」とよしこの節の歌い出しにあるものの、当時まだ土地の土豪が家政に反抗して治安が悪く、そんな状況ではなかったという。

 文献などから、その土地で踊られた盆踊りに端を発し、その時代の社会状勢やその時々に盛んだった芸能の影響を受けて変化を遂げ、現在の姿になったといわれる。

 よしこの節は、7・7・7・5調の囃子唄で、有名な「♪踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々・・」はこの唄の中の1節。明治の流行歌の1つで、藍商人が歌っていたものが阿波踊りに歌う「阿波よしこの」となって定着したという。

踊り女の赤い鼻緒の利休下駄

Rikyu-getas of women dancers, with a red clog thong.

117

2002年8月25日(日)

踊笠波打つ如く寄せ来る

Dancing braided hats of straw,
rushing to us
like waves.

阿呆連

踊笠波打つ如く寄せ来る

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 徳島市内には有料5ヵ所・無料3ヵ所の演舞場があり、8月12日から4日間、午後6時から10時半まで40〜60連の踊り込みが披露される。このほか5ヵ所のおどり広場やあちこちの街角で踊りが繰り広げられる。

 冒頭、徳島佐苗会の50人が三味線を弾きながら入場。阿波おどり実行委員会常任委員長や来賓の挨拶、テープカットのあと、徳島市観光協会・徳島新聞社主催の「2002徳島市の阿波踊り」が華やかに幕を開けた。

 トップを切って踊り込んできたのが阿波おどり振興協会所属・連員数145人の阿呆連(あほうれん)だ。

 阿波の阿の字は阿呆の阿。おなじみの掛け声で踊り込む。トレードマークの破れ傘は結成当初の昭和23年からで、浴衣の右肩に大きく描かれている。

 男性は頬被りをして提灯を持ち、豪快かつ奔放に暴れ踊り、正調武士の踊りを守り続ける。女性は独特の技法で躍動的に華麗に踊り、歓喜を表現する。正調阿呆連調を追求するトップ集団だ。

116

2002年8月24日(土)

編笠の笑顔こぼれし踊唄

A smiling face
under the braided hat of straw,
singing a dance song.

編笠の笑顔こぼれし踊り唄

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 2002年8月12日、夏休みに家内と二人で徳島の阿波踊りを見に行った。神戸・三ノ宮駅のバスターミナルから高速バスに乗り、淡路島を通ってJR徳島駅まで1時間50分。徳島は予想外に近かった。

  阿波踊りは、徳島市を中心に徳島県下一円で踊られている盆踊りをいう。兵庫県の淡路島でも踊る。阿波踊りの名称は、昭和初年に徳島出身の絵師・郷土芸能研究家の林鼓浪(はやしころう 1887〜1965)が旧国名によって命名したものという。男は尻ぱしょりの浴衣がけに手ぬぐい頬かぶり、足袋はだし、女は片肩脱ぎの浴衣を裾からげに着て赤い蹴出しを見せ編笠をかぶり、白手甲、白脚絆、白足袋、黒の利休下駄をはき、数十人単位の連(れん)を作り街道を流し踊り歩く。これを騒(ぞめき)という。

 8月12日から4日間、徳島は阿波踊り一色となった。期間中繰り出した踊りの連は延925連。踊り子は10万人を超えたという。観客は12日の35万人をトップに4日間で130万人だったというから凄い。盆踊りがこれほどまでに発展した例を私は知らない。阿波っ子の踊りにかける情熱には驚くばかりだ。

115

2002年9月16日(月)

ふた尋の茅の輪くぐりて浜に出る

I went to the beach
after passing 
through a Chino-wa ring
four meters in diameter.

 茅の輪は(ちがや)または藁(わら)をたばねてつくった大きな輪。六月祓(みなつきばらえ)の病気・厄よけのまじないとして鳥居などにかけ、人々にくぐらせる。

 注:スペースがなかったため 9月の日記に掲載し、さかのぼって挿入した。

114

2002年8月20日(火)

鮎鮨に舌鼓打つ夕間暮れ

Eating Ayu sushi 
in the evenig.

 8月も下旬に至っているが、いっこうに涼しくならず、寝苦しい夜が続いている。

 鮎鮨は夏の季語。行水の後浴衣がけとなり、うちわで扇ぎながら舌鼓を打つ鮎鮨の味が懐かしい。心地よい風鈴の音...。夏の暑さを楽しんでいた日本人はどこに行ったのだろうか。

113

2002年8月11日(日)

生稚児の注連縄切りや祇園の会

Sacred straw rope cutting
by the holy child
in Gion festival.

いきちごのしめなわきりやぎおんのえ

 しめ縄切りは、京都・祇園祭の山鉾巡行の際、四条通麩屋町(ふやちょう)で行列の先頭を行く長刀鉾の稚児が四条通を横断して張られている1本のしめ縄を切断する神事である。四条通の東端に八坂神社があるので、これにより山鉾は神域に入ることが許される。
  鉾町の護符は変わらぬ鉾粽  北舟 

ほこまちの ごふはかわらぬ ほこちまき

  汗ばめる綾傘鉾の徒歩囃子  北舟 

あせばめる あやかさほこの とほばやし

生稚児の注連縄切りや祇園の会

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 稚児は、7月13日社参の儀(お位貰いの儀)により、八坂神社から五位小将と十万石大名の格式を賜っている。

 練習の甲斐があり、見事に一刀両断し、しめ縄がパラリと落ちた。その瞬間、沿道から拍手喝采があがり、大役を果たした稚児の顔に安堵の色が浮かんだ。

山鉾は男の舞台京大路

The big street of Kyoto, Yamahoko is a stage of men.
やまほことは おとこのぶたい きょうおおじ

音頭取扇で舵取る辻廻し

Operation leaders, controling with a fan.
おんどとり おうぎでかじとる つじまわし

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2002年8月6日(火)

朝五時の目覚し代り蝉時雨

A continuous chorus of cicadas
wakes me up at five in the morning
instead of an alarm clock.

 ベランダの前の木に止まった蝉が、朝5時になると一斉に鳴き始める。これが凄くやかましい。アルミサッシを閉め切っていても、確実に目が覚める。目覚まし時計はいつも5時を指している。

 夏は夜遅くまで起きているので、朝5時に起こされるのは辛い。ある人に聞くと、神戸の蝉は関西弁で鳴くのでうるさいのだという。(^^; 実は神戸は熊蝉(クマゼミ)なので、鳴き声が大きいのが特徴だという。

111

2002年8月6日(火)

山鉾は男の舞台京大路

Yamahoko floats
stages of men
on the avenue of ancient capital.

山鉾は男の舞台京大路

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 祇園祭は、京都の園社(現、東山区八坂神社)と同社を勧請(かんじょう 神仏の分霊を迎えて祀ること)した地方の祭礼をいう。京都の園祭は、山鉾(やまほこ) の巡行を中心とした盛大な祭礼として、東京の神田祭・大阪の天神祭と共に日本三大祭の一つに数えられ、現存する山鉾29基すべてが国の重要民俗文化財に指定されている。

月 鉾

月鉾(日本画風)

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 祇園祭は、貞観(じょうがん)11年(1869)京中や全国に疫病が流行り、清和(せいわ)天皇が神泉苑に長さ2丈(約6m)の矛(ほこ 鉾 諸刃(もろは)の剣に長い柄(つか)を取り付けた武器)66本(当時の国の数)を立て、祇園社の神輿を迎えて疫神の退散を祈ったことに始まる。山鉾が夏の季語。

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2002年8月4日(日)

宵山の駒形提灯点りをり

Komagata lanterns
became lighter
on the eve of Yamahoko parade.

宵山の駒形提灯点りをり

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 祇園祭は、古くは園御霊会(ごりようえ)といい、6月に行われていたが、現在は月遅れの7月に催される。祭礼はぼほ1ヵ月に及ぶが、その間、神社側で行う行事のほか、氏子の住む町(鉾町)が独自に行うものがかなりの部分を占め、町衆を主体とするこの祭礼の特色を示している。
 山鉾の巡行は応仁の乱でいったん中絶するが、のちに復興し、南蛮文化の流入に伴い山鉾の装飾はいっそう豪華になり、江戸時代を通じてたびたび大火にあいながら、よく今日に盛観を伝えている。

 室町時代以降、各地の大名が京都をまねた町作りを行い、いわゆる〈小京都〉の出現をみるが、その際、京都のシンボルとして園社が勧請され、それに伴って園祭も導入される場合が多く、京都の園祭の地方都市への伝播が進んだ。

 ことにその中心をなす山鉾は地方都市の祭礼に大きな影響を与え、園社勧請の有無を問わず、山車(だし)の出る祭りの形態を全国に普及させることとなった。

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2002年7月28日(日)

夏草の小径に続く岬道

A pass covered with summer grass
following the narrow pass
up to the promontory.

 台風6号7号と立て続けに台風に見舞われ、かなりの雨が降った。その後急に暑くなり、学校は夏休みに入っている。

 7月20日の海の日は、神戸港でボート天国などがあり、炎天下、メリケンパーク側の海域で水上バイクやヨット、モーターボートを楽しむ人たちで賑わった。

 夏草は、一雨来ると猛烈なスピードで伸びてゆく。岬の先端の灯台に至る道は細く険しい。

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2002年7月22日(月)

真昼間の大輪の花砂日傘

A beach parasol
like a large flower
at high noon.

 7月4日、神戸で最も大きい須磨の海水浴場が海開きをし、海水浴シーズンが到来した。

 砂浜は焼け付くようで、ビーチパラソルが必須で、まるで大輪の花が咲いたようだ。

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2002年7月9日(火)

島結ぶ橋の真上の雲の峰

Cumulonimbus
just above the bridge 
connecting the islands.

 台風6号が東海地方の沖合を北上中で、東海地方や関東甲信越地方が暴風域に入る恐れがあり、警戒が必要だ。今朝から新幹線や空の便が乱れている。神戸は幸い大したことはなく、ホッとしている。

 大阪湾では、もう夏雲が現れている。夏雲は入道雲だ。雲の峰といい、夏の季語となっている。

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2002年7月4日(木)

昼網の瀬戸の黒鯛踊りをり

The black sea bream dancing
caught by the daytime net

at Seto inland sea.

 毎日ジメジメした日が続いている。梅雨本番なのだが、台風も来ており、海で働く人々には気が抜けない。

 三ノ宮のダイエーに行くと、生鮮食料品売り場で、昼網と称する活きの良い魚を売るコーナーがある。昼網という言葉があるのを初めて知ったのだが、活きの良さの魚に人気がある。港町ならではの光景だ。

 黒鯛は、チヌとも呼ばれ、夏の季語となっている。今が旬だ。

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2002年6月30日(日)

出潮や磯火仄めく海の家

As the tide in,
A fire glimmering

at the beach house.

 夏本番が近づいている。兵庫県では須磨海水浴場が毎年大勢の海水客で賑わう。磯火仄かな夜は、最高の雰囲気がある。

 出潮(いでしお 出汐)は、月の出る頃にさして来る潮。

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2002年6月26日(水)

夜を焦がす烏賊火連なる瀬戸の海

The lights of fishing boats
for cuttlefish

burning the night

of Seto Inland sea.

 瀬戸内では、夏の夜は、烏賊(いか)釣り船が煌々と明かりをつけて、徹夜で操業する。船橋でライターの火をつけただけで幻惑されるほど明るく感じるので、烏賊船の灯火は目が眩むほどの光量で、瀬戸内海の風物詩となっている。

よをこがすいかびつらなるせとのうみ 

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2002年6月14日(金)

時経てど葵づくしの祭かな

Time flies
enumerating hollyhock
at Aoi festival.

 葵祭の見どころは、路頭の儀(行列)で、勅使(ちょくし)をはじめ、検非違使(けびいし)、内蔵使(くらづかい)、山城使(やましろつかい)、牛車(ぎっしゃ)、風流傘(ふりゅうがさ)、斎王代(さいおうだい)など、平安貴族そのままの姿で列をつくり、総勢500余名、馬36頭、牛4頭、牛車2台、輿1台の風雅な王朝行列が京都御所を出発、下鴨神社を経て上賀茂神社へと向かう。その道のりは8kmに及ぶ。

 2002年、葵祭の行列は、曇り空のなか、予定通り5月15日午前10時半、京都御所・建礼門(けんれいもん)を出発したが、残念ながら雨のため下鴨神社から先は中止となってしまった。

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2002年6月2日(日)

武士の冠に揺るる懸葵

A hollyhock trembling
on the coronet
of samurai warrior.

もののふのかむりにゆるるかけあおい

 

山城使

山城使

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 葵祭(あおいまつり)は、賀茂御祖(かもみおや)神社(下鴨神社)と賀茂別雷(かもわけいかづち)神社(上賀茂神社)の例祭で、毎年5月15日に行われ、祇園祭や時代祭とともに京都三大祭に数えられる。中でも葵祭は1400年の歴史があり、我が国の祭の中で最も優雅で古趣に富んだ祭として知られる。

 祭儀は、宮中の儀、路頭の儀、社頭の儀の三つからなるが、現在宮中の儀は省かれ、路頭の儀と社頭の儀だけが行われている。

 賀茂祭が葵祭と呼ばれるようになったのは、江戸時代の1694年(元禄7年)に祭が再興されてのち、当日の内裏宸殿(だいりしんでん)の御簾(みす すだれ)をはじめ、牛車(御所車)、勅使、供奉(くぶ)者の衣冠、牛馬にいたるまで、すべて葵の葉で飾るようになったからだという。使用される葵はフタバアオイで、毎年両神社から御所に納められる。

京都御所・建礼門を出発する行列(京都御苑)

京都葵祭り

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2002年5月28日(火)

屋島寺に四十二たびの遍路かな

Forty-second pilgrimage
to Yashimaji temple.

 梅雨が続き、肌寒い。夏布団に毛布を出してきて寒さをしのいでいる今日この頃。

 この句は、二年前、高松の屋島に旅行した際、屋島寺(やしまじ)に立ち寄り、多くの遍路さんと会話を交わしたときに詠んだもの。その遍路さんは、これで42回目だという。驚いて聞いていると、元気である限り、死ぬまで遍路を続けるという。

 遍路さんが四国八十八カ所のすべてのお寺に納めるお札がある。そのお札を入れる箱に手を突っ込んでいるお遍路さんがいた。何をしているのかと尋ねると、人のお札を勝手にもらうのだという。見ると百回を超す人のお札があった。そのようなお札は値打ちがあり、御利益があるということだ。

★彡 日本初の写真俳句 ★彡

. 俳句「海の風景」文頭

東京 2003年8月16日 8月の盆休みで日本列島は里帰りのシーズンだ。今週は会社全体が夏休みなので、私も休みを取っているが、東京は雨続きで、外出ができない。一日中、家の中で過ごしている。お陰で、未編集の作品を数本、一気に仕上げてアップすることができた。また、これまでの作品に手を加えたりして、時間を有効に使っている。

 
俳句「海の風景」は、50句を束ねてアップしており、既に第4集に入っている。今年の4月に神戸から東京に転勤となり、海の句が殆どなくなってしまった。タイトルを修正しようかとも考えたが、既に2年を超えるシリーズとして定着しており、タイトルは従来のままとすることにした。

 世界の旅の写真館としてWa☆Daフォトギャラリーはこれからも歩み続けてゆくが、それとともに、この俳句も続けてゆきたい。そして、英訳と写真とをあわせて添えてゆく。このような試みは私しかやっていないと思う。かなり骨の折れる作業であるが、やる価値はあると思う。

神戸 2002年8月11日
 暑い夏が続いている。昨日は夏休みの帰省ラッシュのピークを迎えた。おかげさまで、Wa☆Daフォトギャラリーも無事に二周年を迎え、毎月一万件のアクセスをいただけるサイトに成長した。一周年記念として始めた俳句「海の風景」も未だに続いており、継続は力なりで遂に百句を超えてしまった。読み返してみると、駄作もあるが、なかなか良い句だと自慢したくなるような作品もある。

 徒然日記を書くごとに折々の俳句を挿入し、それを俳句「海の風景」に写し、英訳と解説文を加えてきた。この作業もかなり大変だが、何とか続けてきた。俳句は本来のフォトギャラリーとは必然性のないコンテンツではある。しかし、映像と17文字の言葉の違いこそあれ、情景を写し取ることには違いがない。むしろ情報過多の映像より、シンプルな文字の方が味わい深いこともあるのではないだろうか。私の拙句をそれなりに楽しみにして下さる読者もおられるようで、励ましのmailをいただくと、止められなくなる。写真の方も風景写真から始まって祭りや花の写真まで手を広げてビッグサイトになってしまったが、今更引き返すこともできない。これからも情熱と体力の続く限り、現在のコンセプトで進んでいきたい。

神戸 2001年7月29日 平成13年4月1日、広島から神戸に赴任。俳句は、相変わらず月に一回うつみ会に7句を投句し、高橋三洋子先生の添削と講評を受けている。いわば通信教育という形で続いており、先生のご厚意に感謝申し上げる。

 昨年7月から個人のホームページ・Wa☆Daフォトギャラリーを始めて1年余りになる。アクセス13,000件を突破し、すっかり軌道に乗ってきた。そこで一周年記念として、これまで徒然日記の冒頭に折々の俳句を載せてきたので、それを集めて、俳句「海の風景」というタイトルにまとめ、それに写真とコメントを付けてみた。また俳句の英訳もつけた。英訳にも意訳が入り、イメージの広がりが期待できる。

 まだまだ素人の域を出ていないが、当ホームページのビジターに海の素晴らしさや季節感などを画像と同様に感じとっていただければ有り難い。わずか17文字でイメージ(画像)を表現できれば幸いだ。これまで海で仕事をしてきた経験を生かし、海の風景を一幅の絵のように切り取ってみたい。これが作者のテーマでありコンセプトである。ただ、海の句に限定したわけではないので、折々の身近な風景を適宜織り込んでいきたい。

パノラマの神戸の港春霞

風光る館の空に風見鶏

Panoramic view
of Port Kobe
in the spring haze.

A weathercock on the roof
under sky
with a glistening wind.

広島 2000年4月23日 平成12年4月1日、函館から広島に赴任した。友人から勧められ、俳句同好会「うつみ」に入会、月一の例会に出ることになった。仕事の合間を見て俳句づくりに専念する毎日が始まった。稚内在任中から俳句を創作していたので、ある程度の自信があるが、句会に出席し、先生に講評を仰いだり、添削を受けるのは初めてである。少し緊張するが、楽しみながら自然流で俳句をつくりたい。先生の俳号は高橋三洋子で、正岡子規の弟子である高浜虚子の流れを汲むという。種田山頭火のような自由律の俳句ではなく、古典派ともいうべき俳句で、キチッとした季語が必要であり、自然で平易なものでなければならないと教わった。

白藤や水面に鯉の浮き沈み

草鞋揺る仁王門より遍路発つ

Carp sink and float
to the surface
under white wisteria.

Pilgrims started
 thorough Deva gate
on which straw sandals swinging. 

稚内 1994年3月26日 平成6年は吹雪で明けた。日本最北端の地・稚内市に来て一年足らずであるが、現在貴重な冬の体験を積みつつある。窓の木枯らしを聞きながらテレビで正岡子規のドキュメント・ドラマを見ていたら、ふと、この稚内市を中心とした宗谷の出来事を点描してみたら面白いのではないかと思った。今まで俳句などというのは創ったことがないが、挑戦するのも楽しいのではないか。稚拙ではあるが、北国の思い出をファイルする趣旨で詠んでみたところ、アッという間に百首を越えてしまった。思ったより簡単である。粗製濫造気味ではあるがこれからも続けたい。俳号は日本最北端の地にちなんで北舟とした。

正月や昆布拾いの海人ふたり

流氷の接岸告げる尾白鷲

Two fishermen
pick up kelp
on New Year's Day.

A white-tail eagle signals
the arrival of drift ice
to the coast.

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