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大内宿(おおうちじゅく)は、福島県南会津郡下郷町(しもごうまち)にある宿場町で、日光今市から会津若松に通じる旧会津西街道(別名・下野(しもつけ)街道、南山(なんざん)通り)に沿った山間の平地にある。国道121号を会津線・湯野上温泉駅(ゆのかみおんせんえき)」のそばで西に折れ、川沿いの山道を4kmほど走ると、整備された駐車場が現れる。ここに車を停めて田舎道を100mほど歩くと大内宿に入る。 |
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雪解けが進む「 |
大内宿 |
」付近の田園 |
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大内宿は、東に小野岳(1,383.4m)、西に神籠ヶ岳(かろうがたけ)(1,376.3m)・烏帽子岳(えぼしだけ)(1,095.4m)などに隣接した標高658mの山間部に開けた集落で、東側を小野川が流れ、上流には大内ダムがある。 |
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写真:フリー百科事典 Wikipedia |
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写真上は、大内宿を空から撮影したもので、大内ダム湖のすぐ下流に大内宿が見える。江戸時代の宿場の雰囲気をよく残しており、年間を通じて70万人を超える観光客が訪れる。大内ダムの堤頂部からは大内宿を一望できるため、大内宿と大内ダムをセットで訪れる観光客も多い。 |
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大内宿は、全長約450mの往還*(おうかん)に沿って、道の両側に妻**(つま)を向けた寄棟造、茅葺の民家群が40〜50軒ほどほぼ等間隔に建ち並んでおり、1981年(昭和56年)、伝統的建造物群とその周囲の環境が地域的特色を顕著に示しているものとして、重要伝統的建造物群保存地区に選定された。宿場町としては長野県の妻籠宿と奈良井宿に次いで、全国で3番目。 |
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*往還:ゆききする道。街道。 **妻:建物の長手方向の端(はし)。棟と直角の壁面。 |
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往時は、旅人が泊まる旅籠(はたご)や木賃宿(きちんやど)、大名行列のための本陣などが軒を連ね、宿場稼ぎで村人の暮らしは潤った。しかし、明治17年(1884)、国道121号の開通で大内宿はその道筋から外れ、いつしか人影が跡絶えてしまった。 |
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その後も村人たちによって守られてきた大内宿は、昭和40年(1965)代になって、江戸時代の面影を残す貴重な文化遺産として注目を浴びるようになり、やがて会津一の観光地として蘇った。 |
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中心部には高倉神社に続く木製の一の鳥居がある。鳥居のすぐ右奥に石標があり、金箔の押された高倉神社の菊の神紋が目を引く。神社までは田圃に囲まれた土の道が続き、二の鳥居から鎮守の杜となり、三の鳥居をくぐってやっと辿り着くことができる。時間があれば参拝したいところである。 |
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高倉神社に続く一の鳥居
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大内宿は、茅葺き屋根の家並みが道の両脇に重なるように連なり、澄んだ水が流れる二本の水路が広い道路の両脇に走っているのが特徴で、この水路は「大内宿の自然用水」として日本の音風景100選に選ばれている。 |
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江戸時代から現代まで、大内宿の人々の生活を支える自然用水が奏でる心地よい響きが郷愁を誘(さそ)い、その町並みと共に旅人たちを数百年前の古き良き時代に誘(いざな)ってくれる。 |
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昭和59年(1984)、大内宿本陣跡に宿駅時代の問屋本陣が復元された。大内宿の本陣は幕末に没落したといわれており、現在も図面などの記録は見つかっていないため、同じ会津西街道の川島本陣や糸沢本陣を参考に再建され、町並み展示館として蘇った。 |
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館内は、身分の高い人だけが籠で出入りする乗込(のりこみ)(玄関)、殿様の休憩や寝室に利用された上段の間、檜(ひのき)風呂などを備え、当時の面影を偲ぶことが出来る。また、昔の風習を伝える写真や生活用具1,300点が展示され、囲炉裏(いろり)では茅葺き屋根の保護のために年中薪(まき)が焚かれている。 |
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大内宿は、幅6mの道路の両側に水路(側溝)があり、更に幅4.5mの馬つなぎ場を隔てて、家並みが続いている。当初、道路中央に1本流れていたのを明治19年(1886)に改修して現在の2本の側溝になったという。 |
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根雪を掘り起こす女性
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かやぶきの やねのざんせつ きゆるころ |
It's time the remaining snow vanishes on the thatched roofs. |
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まだらゆき やねにやねする けむりぬき |
The remaining snow, a chimney with a roof on the roof. |
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大内宿の奥(大内ダム側)の山の麓に子安観音があり、その石段を上がって右手の山道に入ると、大内宿が一望出来る定番のスポットがある。多くのアマチュア・カメラマンが順番待ちで撮影していたので、筆者もパチリ。同じスポットから撮影した夏の写真があったので、並べておく。読者はどちらを好まれるだろうか。 |
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写真:フリー百科事典 Wikipedia |
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