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▼ エンタシスは、古代ギリシャ建築の円柱の柱身が中央部でややふくらんでいる様子(胴張り)を指す言葉である。直線的な輪郭では、中央部が細く見えてしまうのを矯正するためや、円柱の重心を低くして安定性を増すためともいわれている。 |
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▼ この手法は、紀元前3世紀〜紀元2世紀のヘレニズム時代に東方に伝わり、ペルシャや中国を経て、日本の法隆寺などにもその影響が表れており、シルクロード経由の文化東漸(ぶんかとうぜん)の好例とされている。最近の日本では、エンタシスをギリシャ装飾円柱の意味で使っている例が見られる。 |
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▼ アテネの市街地は平坦で、アクロポリスの丘からは、南方に広がるエーゲ海を遠望でき、また、南西方約10kmに位置するアテネの海の玄関口であるピレウス Pireas 港も視認することができる。 |
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↓ディオニソス劇場 |
エーゲ海 |
↓ピレウス港 |
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ディオニソス劇場 Theatre of Dionysos
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▼ アクロポリスの南麓に造られたすり鉢状の野外劇場であるディオニソス劇場は、現在は使われておらず、遺跡として残されているだけである。古代都市にはアクロポリスと劇場が必ずといって良いほど建設されており、古代アテネの劇場はこのディオニソス劇場で、紀元前6世紀に建造され、15,000人を収容する大劇場だったという。 |
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ディオニソスとは、ギリシャ神話に登場する酒と演劇の神で、ローマ神話のバッカスに当たる。かつては毎年春の3月にこの劇場で祭礼行事としてのディオニソス祭が開かれて悲劇の競演が行われ、ギリシャ悲劇の揺籃(ようらん)の地となった。 |
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▲ ギリシャ悲劇は、ヨーロッパ最古の演劇で、紀元前6世紀に始まった。当時、悲劇の上演はアテナイの国家行事として日中ディオニソスの野外劇場で行われた。その起源から宗教性を持ったもので、ディオニソス神にまつわる歌舞が一種の劇的パフォーマンスを取り始め、紀元前534年の第1回ギリシャ悲劇競演会において、悲劇の祖といわれるテスピスが優勝した。 |
芸術性(虚構性)に重きを置いたテスピスが敷いたギリシャ悲劇の流れの上に、アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスらが紀元前5世紀中葉以降の悲劇全盛時代をもたらしたという。 |
3大悲劇詩人と呼ばれるのは、「アガメムノン」など「オレステイア」3部作で知られるアイスキュロス、「オイディプス王」「エレクトラ」などで知られるソフォクレス、「メデイア」「トロイアの女たち」「バッコスの信女たち」などの傑作を残したエウリピデス。ギリシャ悲劇はヨーロッパ演劇の源流で、今も世界中で上演される。ちなみに、古代ギリシャ劇には喜劇もあり、「女の平和」などで知られるアリストパネスがそれを代表する。 |
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▼ アクロポリスの見学のあと、アテネの旧市街地であるプラカ地区にあるタベルナ tabepna (食堂)で昼食を取った。ギリシャ語のPは英語のRの発音なので、TABEPNA はタベルナと発音する。しかしPをRに代えてTABERNA と表記すると誰でも読めるので、この店では TAVERNA XANI と表示していた。食べるところを「食べるな」と呼ぶのが面白い。 |
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昼食を取ったプラカ地区のタベルナ TABEPNA (レストラン)
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TAVERNA↓ |
TAVEPNA↓ |
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▼ ブズーキは、ギリシャ音楽の中心となる楽器であり、セルビアやボスニア・ヘルツェゴビナといったバルカン半島の民族音楽でも使用されているという。洋梨を半分に割った形のボディと長いネックを備えた弦楽器で、リュート属に入り、マンドリンに似ている。ピックで演奏され、鋭い金属的な音が特徴的である。 |
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ギリシャの民族楽器 ブズーキ BOUZOUKI を売る店
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▲ ギリシャ旅行中にギリシャ音楽のCDを5枚購入したが、ブズーキを主体とした演奏が多い。ブズーキ専用店があるということは、ギリシャでは現在もブズーキが人気を集めている証拠である。この作品のBGMには、哀愁を帯びたブズーキの調べが流れているので、じっくりと味わっていただきたい。 |
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第1回近代オリンピックが開かれたパナティナイコ・スタジアム
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パナティナイコ・スタジアム Παυαθνυαικο σταδιο Panathinaiko Stadium
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▲ 1896年、この競技場で第1回近代オリンピックが開かれた。紀元前331年にパン・アテナ大祭の競技場として造られたのが始まりで、その頃は観客席はなく、土手の斜面に立って見物したという。ローマ時代に大富豪のイロド・アティコスが大理石の観客席を寄贈したが、今は残されていない。 |
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現在の競技場は、第1回近代オリンピックが開かれる前年にアレキサンドリアの大富豪アベロフの援助を受けて、古代の競技場に近い形で復元されたもの。5万人を収容する観客席は大理石でできている。トラックは現在のものとは違って、細長い馬蹄形をしている。 |
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アテネオリンピック(2004年)のマラソンコース(青線)
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▲ 2004年8月13日から29日までアテネで開かれた第28回夏季オリンピック、いわゆるアテネオリンピックではここがマラソンのゴールになった。そのときのスタート地点はマラソンの故事で有名なマラトン。女子マラソンで野口みずき選手が優勝したのは、記憶に新しい。今も車道には当時のコースが青い線で示されている。 |
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アテネオリンピック・女子マラソンで優勝した野口みずき選手 撮影:2004.2.15 青梅マラソン/東京都青梅市
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▲ 写真上は、2004年2月15日に東京都青梅市で開かれた青梅マラソンに参加して優勝した野口みずき選手の晴れ姿である。青梅のコースがアテネのコースに似ていることから、事前練習に走ったという。このときのスターターが長嶋茂雄さんで、その後、病で倒れ、元気なときの最後の姿となった。 青梅マラソン |
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パナティナイコ・スタジアムから見たパルテノン神殿(南東面)
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シンタグマ広場 Plateia Syntagmatos
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▲▼ シンタグマ広場は、アクロポリスの北東、リカヴィトスの丘との中間にある広場で、1844年、ギリシャ王国の憲法がここで発布された。シンタグマ(ギリシャ語の発音はシンダグマ)は、憲法のことで、今も国会議事堂がこの広場に面し、その手前(西側)には無名戦士の墓がある。他にも官公庁や商業施設が多数この広場の周囲に集まり、観光客もこの広場を含むプラカ地区には昼夜問わず集まるので、アテネ観光の必見のポイントとなっている。 |
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無名戦士の墓 Tomb of the Unknown Soldier
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▼ シンタグマ広場にある無名戦士の墓は、1823年以来400年にわたるトルコの支配に終止符を打った独立戦争での戦死者や、それ以降の何度かの戦争で犠牲となった兵士たちの霊を弔うために造られた。碑には、死の床に横たわる裸の戦士の姿が彫られ、その両脇には、古代ギリシャの歴史家トゥキディデスの言葉がギリシャ語で刻まれている。後ろの建物は国会議事堂。 |
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碑文の言葉 右:英雄たちにとっては、世界中どこでも彼らの墓となりうる。左:伏している無名の戦士のために空のベッドが運ばれてくる。 |
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はるみそら せんしのはかを まもるへい |
The spring deep sky, soldiers guarding the tomb of warriors. |
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▲▼ ここが観光スポットとなっているのは、1時間ごとに行われる衛兵交代式が見ものであるのと、衛兵との記念撮影が人気を博しているためである。衛兵はエヴゾナス(エヴゾニ)と呼ばれる民俗衣装を身につけて微動だにしないが、余り近寄ると、銃剣の台座を地面に打ち付けて警告する。添乗員からは、触るのはタブーで、接近は50cmくらいまでと聞かされていたが、写真下の女性は、大胆にも接触寸前にあるが、何ともなかった。美女には甘い? |
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長い房の付いたベレー帽にワンピースの上着とソックスは、遠くから見ると女性がスカートをはいているように見える。靴の先端には大きな房がついており、靴底には金属が張られて、タップダンスのように音が出る。手足を大きく上げて行進するさまは、儀礼兵だからこそのパフォーマンスで、およそ実戦的でないのがおかしい。 |
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はるのよる ほのかにひかる えんたしす |
The spring night, seeing the dim light of entasys. |
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ライトアップされたパルテノン神殿(南面)/宿泊ホテル Divani Palace Acropolis 屋上より
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