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▼ ツアー3日目はデルフィ遺跡を巡った後、専用バスでカランバカに入って一泊し、翌4月24日(金)は朝からギリシャの世界自然文化複合遺産として名高いメテオラの修道院を観光した。 |
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カランバカは、ギリシャ本土のほぼ中央部に位置するテッサリア地方の都市で、宿泊施設のないメテオラに代わってメテオラ観光の拠点となっている。メテオラまでは約3kmしかなく、奇岩を背景に、白壁と赤屋根の街並みがとても美しい。 |
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なのはなの さきはきゅーぽら からんばか |
Kalambaka, a cupola beyond the rape blossoms. |
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ギリシャ本土のほぼ中央にある2,000m級の山々が連なるピンドス山脈から端を発するピニオス Pinios 川がテッサリア平原に達するところに、突如としてメテオラの奇岩群が現れる。大小様々な岩山の上に、ギリシャ正教の修道院が建っている。 |
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メテオラでは、敬虔な修道士や修道女たちが隔絶された岩山の頂上で、厳しい戒律を守りながら、昔と変わらぬ共同生活を営んでいる。20世紀初頭までは岩山には階段や梯子もなく、下界から人間や生活物資を運ぶ手段は、滑車に吊した網袋だけで、メテオラとは「空中に吊り上げられた」「中空の」という意味のメテオロス μετέωρος に由来しているという。 |
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カランバカの直近にあるアギオス・ステファノス修道院(575m)の朝
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メテオラの奇岩の成因については、「あるとき、怒り狂ったゼウスが天界から投げつけた石が残ってメテオラが出来た」という伝説や「風化や水の浸食で奇岩が形成された」という自然現象説など様々な説があって、未だに謎となっている。 |
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世界複合遺産メテオラの奇岩群と修道院 / ルサノス修道院(左)とアギオス・ニコラオス修道院(右)
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メテオラの歴史 |
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最初にこの地に人が住み始めたのは、9世紀頃で、社会との交流を絶ち、人里離れた山奥に遁世してひたすら神に祈る信仰の生活を送ることが目的だったという。14世紀にセルビア人がテッサリア地方に侵入してくると、戦乱を逃れて大勢の修行者たちがメテオラの岩山に逃れ、共同生活を始めるようになった。 |
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てんくうに うかぶじいんや はるのはて |
The end of spring, a temple floating in the sky. |
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天空に聳える修道院
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1356年、アトス山から聖アサナティオスが移住し、数人の修行者とともに最初の修道院メガロ・メテオロンを岩山の頂上に建設した。これを嚆矢(こうし)として次々に修道院が岩山の上に建てられ、最盛期の15〜16世紀にはその数が24にも達したという。 |
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その後、メテオラの修道院は、ギリシャ正教の聖地として、代々の国王の庇護を受けて発展してきた。しかし、メテオラの風光明媚な景色と修道院文化への関心から、観光地化が進み、世俗を避ける修道士にとっては活動に適さなくなりつつある。そのため、メテオラを捨てて、より閉鎖的なアトス山に移住する修道士が増加している。 |
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その結果、現在もメテオラで修業を続けている修道士は50人余りで、修道院の数は6箇所、うち2箇所が女子修道院となっている。 |
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▲▼ ツアーバスに乗り込み、カランバカのホテルを出発した一行が最初に目にした修道院が、標高565mの岩山の頂上に建つアギア・トリアダ修道院だった。絵葉書に良く出てくる修道院で、残雪のピンドス山脈を背景に、空中に浮かぶ城砦のようで、感動した。いつもの撮影スポットで下車し、10分ほど撮影タイムを取ってもらったので、素晴らしい写真を切り取ることができた。 |
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▲▼ この修道院を見学するには、1925年に造られた130段の階段を上がらなければならない。今回、6つの修道院の内、2箇所を訪問することになったが、アクセスに難があるので、遠くから見学するだけでパスした。 |
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春の草花に囲まれた美しいアギオス・ステファノス修道院
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アギオス・ステファノス修道院 Agios Stefanos
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▲▼ 最初に訪問したアギオス・ステファノス修道院は、今朝散歩して、下から見上げた修道院で、カランバカに一番近い尼僧の修道院である。全体に綺麗に手入れされており、カランバカの景色がとても素晴らしかった。 |
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▼ 修道院を見学するに当たっては、華美な服装は慎まなければならない。神聖な修道院の中では真夏であってもタンクトップやミニスカートは厳禁。女性は長ズボンでも身体のラインが見えるという理由でスカートの着用が義務付けられている。 |
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▲ スカートを持参しなかった場合は、修道院が用意したスカートを無料で借りることができるが、人出が多いと、品切れになるので、あらかじめ用意して行った方が良い。 |
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ギリシャ正教会 Εκκλησία της Ελλάδος Church of Greece
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ギリシャ正教会は、正教会の独立教会のひとつ。アテネに大主教座を置き、主としてギリシャ共和国の信徒を管轄する。ただし、ギリシャ共和国領とは完全には一致せず、クレタ島はコンスタンディヌーポリ総主教庁の管轄下にある。 |
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ギリシャは王国として1830年にオスマン帝国から独立を果たした。これにともない、新生ギリシャ王国内の正教会は、アテネ大主教を首座として、旧宗主国オスマン帝国の影響下にあるコンスタンディヌーポリ総主教からの教会独立を宣言、1850年に至って総主教の側から承認を受け、相互に独立を承認した教会の関係になった。ただし、ギリシャ正教会の首座主教は「総主教」ではなく「アテネ大主教」のままである。 |
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写真:フリー百科事典 Wikipedia |
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▼ ギリシャ正教会の最も大きな特徴は、イコン(聖画像)を敬うことである。イコンとは、ギリシャ教会で祀るキリスト・聖母・聖徒・殉教者などの画像をいい、敬拝 προσκύνησις の対象とされるものをいう。 |
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ギリシャ正教会では、教会や家庭などで用いるイコンとイコンを描く画家については厳格な規制がある。イコンを描くことは神に近づく道のひとつであり、祈祷のかたちのひとつであるばかりでなく、イコンを見る他の信者を神に導く道だからである。 |
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更にギリシャ正教会を特徴づけるのは、「イエスの祈り」と呼ばれる短い祈祷文で、この祈りは「主イイスス・ハリストス、神の子や、我罪人を憐れみ給へ Jesus Christ, Son of God, Have mercy on me, a sinner. 」という短い章句を繰り返すもので、修道士らによって伝播し、今日では修道士ではない一般の正教徒にも広く行われている。 |
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▼ アギオス・ステファノス修道院のバックヤードから見たカランバカの眺望は素晴らしい。村の向こう側を流れるのがピンドス山脈から端を発するピニオス川で、この地に豊かな恵みをもたらせてきた。人の世は流転するが、川の流れは昔と変わることがない。 |
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