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デルフィ Δελφοι Delphoi Delphi
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3日目、4月23日(木)は、朝からデルフィ博物館とデルフィ遺跡を観光した。アテネの北西約180kmに位置するデルフィ(デルフォイ)は、標高2,457mのパルナッソス山 Παρνασσοσ Parnassos 南西部にあるファイドリアスと呼ばれる切り立った崖の麓の斜面に紀元前20世紀頃に建設された都市国家である。 |
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当時、この地は、「大地のヘソ」、つまり、世界の中心地であると考えられており、アポロン神殿が築かれて、秩序と音楽の神アポロンの信仰の中心地として栄えた。 |
この神殿では、ピュティア Πύθια Pythia と呼ばれる巫女(みこ)によるアポロンの神託が行われ、神殿を中心としたアポロンの聖域には、紀元前6世紀ころの全盛期を偲ばせる遺跡が残されており、世界文化遺産に指定されている。 |
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▲ デルフィの町から遺跡に向かう間にデルフィ博物館がある。1902年に開館し、1961年に再建された。デルフィの神域であるアポロンの聖地から発見された出土品を多数収蔵している。デルフィは古代ギリシャで最大の信仰地であったため、各都市国家はアポロン神殿のそばに宝物庫を建設し、神託のお礼に最高の美術品を奉納した。 |
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ここには「大地のヘソ」など、見るべきものが多い。展示場は全部で11室に別れており、紀元前7・6世紀のアルカイック期から紀元前2〜紀元4世紀のローマ時代までの美術の移り変わりを知ることができる。 |
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ナクソスの柱頂に飾られていた有翼のスフィンクス(右面)
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▲▼ 最初に見たのが、有名なナクソス Naxos のスフィンクス Sphinx 。エーゲ海はキクラデス諸島にあるナクソス島に住むナクソス人によってアポロン神殿の南側に立てられたイオニア式円柱「ナクソスの柱」の柱頭に載せられていた有翼のスフィンクス像である。女性の頭部、ライオンの肢体、鳥の翼を持つ怪物で、アポロン神殿を守護するナクソス島のシンボルだった。紀元前6世紀のアルカイック期に造られたもので、アルカイック・スマイルを浮かべた頭部に特徴がある。 |
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オイディプスがこの怪物と出会ったとき、問い掛けられた謎「朝(乳児)は4本足、昼(成人)は2本足、夕(老人)は3本足、それは何か?」との問に「人間」と答えると、スフィンクスは谷底に身を投げ、オイディプスはテーベ(テーバイ)の危機を救ったという有名な「オイディプス王伝説」に登場するスフィンクスである。 |
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ナクソスのスフィンクス(左面) / アルカイック期(紀元前7〜5世紀)
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シフノスの宝庫の部屋 |
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▼ アポロンの聖域には、各地の都市国家による奉納品を収蔵する宝庫が20戸ほど神殿を真似て建設されていたが、現在、復元されているのは、「アテネ人の宝庫」だけである。宝庫の破風(はふ)やフリーズと呼ばれる水平の梁には、戦闘シーンなどを描いたレリーフ(透彫)があり、当時を忍ぶことができる。写真下は、シフノス島の金鉱の収益金で建てた「シフノスの宝庫」の破風とフリーズに彫られたレリーフで、紀元前525年の作という。 |
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▼ 写真下は、北面フリーズの「神々と巨人族の戦い」を表現した浮彫りで、ライオンに襲われている兵士の姿を描いた有名なレリーフである。猛獣が戦力の一端を担っていたのだろうか。画面中央に重なって描かれている人物像はゼウスの双子の子供で、手前がアポロンで、奥がアルテミス。ミニスカートのような短衣は男性を、丈の長いスカートは女性を現している。 |
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当時、兵士は下着を着けていなかったようで、男性器が露出している。これを見て、イギリスはスコットランドの民俗衣装であるスカート状のキルトを着た男性もその下には何も着けていないことを思い出した。人類の歴史の中では、下着を着ける習慣は、意外と新しいといえるのかも知れない。 |
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ライオンに襲われる兵士たち/神々と巨人族の戦い(北面浮彫り)
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▼ アテネ国立考古学博物館で見たアルカイック期(紀元前7〜5世紀)のクーロス(青年裸像)がここにもあった。アルゴス人の兄弟クレオビスとビトンの像で、ポリメデスによる紀元前600年ころの作といわれる。 |
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こうして二体を並べてみると、改めて素朴な様式性を感じる。頭髪のかたちなどを見ると、エジプト文化の影響を受けていることが分かる。クーロスのそばに立つ女性は、流暢な日本語を話す現地ガイドのエルキアさん。 |
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エジプト文化の影響を受けたクーロス像 / 紀元前600年ころ
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▼ 黄金を使った装飾品も展示されている。写真下は黄金と象牙でつくられたアポロン像の頭部で、紀元前550年ころに作られたものとみられている。高価なためか大きな金細工はないが、その輝きは2000年後の現在も失われていないのが凄い。 |
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▼有名な彩色絵皿の「リラを奏でるアポロン」は、480年ころの制作。リラは竪琴で、こと座の神話が残されている。 |
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★☆★彡 |
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ヘルメスは大神ゼウスとマイアの息子で、朝に生まれたヘルメスは、昼にはもうゆりかごを飛び出して、夜には牛泥棒をするほどに成長し、父ゼウスの使いとして、翼のある兜や靴を身につけることを許された。 |
ある日、ヘルメスの目の前を1匹の亀が歩いていた。空腹だったヘルメスは、その亀をつかまえて食べてしまい、あとに残った固い甲羅に穴を開け、亜麻糸を通して楽器を作った。糸の数は9人のムーサの女神をかたどって9筋あった。それはのちの時代にリラ(竪琴)と呼ばれ、ギリシャの人々にとってかけがえのない楽器となった。 |
ヘルメスに50頭も盗まれた牛は、腹違いの兄・アポロンが飼っていた牛だったので、アポロンは怒り、この幼い弟にどう償ってもらうかいろいろ考えていたが、ヘルメスが自分で作ったリラ(竪琴)を奏でると、不思議に怒りが収まっていった。 |
そうしてアポロンは、竪琴をもらう代わりに50頭の牛の件は許してやり、さらに2匹の蛇を巻きつけたカドゥケウス(神杖)をヘルメスに与えた。ヘルメスはカドゥケウス(神杖)を使って立派な働きをし、リラ(竪琴)を手に入れたアポロンは音楽の神として名を馳せ、ムーサの女神のひとりであるカリオペとの間に生まれた息子・オルフェウスにリラ(竪琴)と演奏技術を譲り渡した。のちにオルフェウスが亡くなると、リラ(竪琴)は天に昇り、多くの人々の心を癒した功績を称えられて、星座になった。それが今の「こと座」というわけである。 |
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オンファロス Ομφαλός L'omphalòs
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▼ デルフィ博物館で最も有名な大地のヘソ「オンファロス」は、大理石でできた巨大な砲弾の形をしている。アポロン神殿の前室の地下に置かれ、そこで神託が行われていたという。 |
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ギリシャ神話によると、ゼウスが天上の両端から同時に二羽の鷲を飛ばしたところ、ちょうどデルフィで出会ったので、そこが地球の中心である「ヘソ」だということになったという。オンファロスは、アポロン神のお告げである神託の祭事に欠かせない聖石で、その実物が復元されて展示されている。 |
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はるのたび ちきゅうのへその まちありき |
A spring tour, the town was on the navel of the earth. |
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司祭・哲学者の大理石像 Statua in marmo di filosofo o sacerdote
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アンティノスの大理石像 La statua in marmo di Antinoo
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▼ ナイル川で溺死した美少年を惜しんでハドリアヌス帝が作らせたアンティノス(アンティヌス)像。ローマ時代の紀元2世紀の作品で、アンティノスはローマ皇帝アドリアヌスの命を救うため、ナイル川に身を投じた美少年で、この像は、彼の死を惜しんで皇帝がつくらせたもの。使用されているのはキクラデス諸島のパロス島産。良質の滑らかな大理石だという。 |
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▲▼ アルカイック期のクーロスといい、ローマ時代の青年像といい、全て全裸の像が残されているのはなぜなのだろうか。現地ガイドのエルキアさんに尋ねたところ、青年の魅力を見せるためで、老人になると、布で隠すようになると説明してくれた。 |
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戦士であり政治家でもある古代ギリシャの男たちは、労働を蔑(さげす)み、女性や奴隷に任せて、体力の鍛錬と政治談義に日々を過ごし、その中でギリシャ哲学や科学が発達した。その一方で、年長者が精神的・肉体的に年少者を一人前に教育することが理想とされ、少年愛(同性愛)が公然と行われていた。 |
筆者は、女性の全裸像と同様の観点から青年の全裸像も造られているのではないかと感じた。ツアーを通じて少年愛の話題はタブーなのか、一切触れられなかった。 |
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名作・アンティノス像の上半身 (ローマ時代 / 紀元2世紀)
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青銅の御者の像 L'Auriga di Delfi
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▼ 10室に展示されている紀元前478年に作成された「青銅の御者の像」は、デルフィ博物館のもう一つの目玉ともいうべき作品で、紀元前474年にシチリア・ジェラの僭主ポリザロスがチャリオット(戦車)レースで優勝したことを記念して奉納されたものという。 |
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有名な青銅で作られた戦車レースの御者の像(紀元前478年)
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▼ 御者の像には睫毛(まつげ)があり、リアルな目玉が嵌められており、素足の様子や服の襞(ひだ)など非常に精巧に表現されており、名作の誉れが高い作品である。 |
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目玉とマツゲまである御者の生き生きした表情に感動!
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