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平成20年(2008)2月11日(月)から21日(木)までの11日間、朝日サンツアーズが主催する「哀愁のモロッコ旅情11日間」に参加し、実質8日間、早春のモロッコの旅を満喫した。 |
★☆★彡 |
ツアー初日は午後1時頃エールフランス機で関西国際空港を出発。約12時間のフライトの後、午後5時頃パリのシャルル・ド・ゴール空港に到着。パリ市内のホテルに一泊し、翌12日(火)昼前にオルリー空港を出発、約3時間のフライトの後、午後1時半頃モロッコのマラケシュ空港に到着した。 |
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モロッコとサハラ砂漠 |
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写真:フリー百科事典 Wikipedia
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1956年にフランスから独立したモロッコは、正式にはモロッコ王国という。アフリカ大陸の北西端に位置し、最狭部が14kmしかないジブラルタル海峡を挟んでスペインと向き合っている。海岸のうち約3/4は北大西洋に面し、残りは地中海に沿っている。 |
日本の1.2倍の国土に3,200万人が暮らす。国王はムハンマドVI世で、国教はイスラム教(スンニ派)。首都はラバトだが、最大の都市はカサブランカ。時差は日本より9時間遅れ。通貨はディラハム(DH)で、1DHは約14円。 |
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モロッコ全体地図 |
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資料 |
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住民は、2/3がアラブ人、1/3がベルベル人とその混血。憲法上、公用語はアラビア語となっているが、国民の大半は学校教育で正則アラビア語を習わずにモロッコ特有のマグレブアラブ語を話すため、他のアラビア語圏の住人とは意思の疎通が困難という。フランスの植民地であったことから、学校教育はフランス語で行われることが多く、フランス語が事実上の公用語で、公文書もフランス語で書かれる。 |
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ツアーコース(赤線) |
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資料 |
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標高450m、モロッコのほぼ中央に位置するマラケシュは、66万人が住むモロッコ第二の大都市。フェズに次いで二番目に古い街でもある。その南部には標高3,000〜4,000mのオート・アトラス山脈が走り、北の肥沃な大地と遙か南の広大なサハラ砂漠とを画している。 |
我々ツアー一行はマラケシュに2連泊し、2月12日(火)13日(水)の2日間に渡ってマラケシュ市内を観光した。 |
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12世紀の門をくぐりメディナ(旧市街)へ |
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東西2km、南北3kmの城壁に囲まれたメディナ(旧市街)は、世界文化遺産に指定されており、その西にそびえるクトゥビアは、高さ77mの美しいミナレット(塔)で、マラケシュのシンボルとなっている。 |
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マラケシュのシンボル・クトゥビアの塔 |
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旧市街(メディナ)の中心は、このジャマ・エル・フナ広場(以下「フナ広場」)。夕方には屋台が出て、大道芸人や人波でお祭り騒ぎになる。二頭立ての馬車(クチ)に乗れば、街巡りが楽しめる。 |
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ジャマ・エル・フナ広場の全景1/2 |
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まらけしゅの 春のにぎわい にとうばしゃ |
A two-horse carriage, spring prosperity of Marrakech. |
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ジャマ・エル・フナ広場の全景2/2 |
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フナ広場の北側、マグレブ銀行の正面にはオレンジジュースの屋台が並んでおり、その向こうにカフェがある。 |
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ワゴンでオレンジジュースの販売 |
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ジュラバ姿の雑貨商 /
フナ広場 |
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フナ広場の北側のメディナ(旧市街)に広がるスーク(市場)は、世界最大ともいわれる。マラケシュは沿岸諸都市とサハラ砂漠との交易の中継地として発展してきた町で、スークの多様さをみれば、かつてマラケシュが北アフリカの重要な都市であったことが偲ばれる。 |
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マラケシュのメディナ(旧市街)にあるスーク(市場) |
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カラフルな陶器を売る店 |
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アイシャ・ラドワーンは、モロッコ出身の女性歌手。主にアラブ古典音楽の歌い手として知られ、近年、アラブの歌姫として人気がある。BGMに流れる曲は、イラクのマカームMakam (旋律法)によるサマーイー Samai。 |
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ベンチで休む民族衣装の老人たち |
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古い町並み |
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アラビア語で城塞のことをカスバという。かつてモロッコでは、外敵の来襲に備え、高い城壁を巡らした中に砦を築き、住民の住居がつくられた。マラケシュのメディナ(旧市街)では当時のカスバの町並みを見ることができる。 |
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カスバの赤い壁 |
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撮影:南光桂子 |
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カスバの路地裏 |
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メ ナラ庭園は、12世紀のムワッヒド朝時代に造られた広大な庭園である。中央に貯水池があり、その周りを地平線まで続く広大なオリーブの林がとり囲み、市民たちの憩いの空間となっている。 |
貯水池に面しているパビリオンは、19世紀に修復されたもので、スルタン(王族)たちのデートスポットでもあったという。 |
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朝のメナラ庭園 |
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撮影:南光桂子 |
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サーディン廟には、サアード朝(1549-1659)代々のスルタンが葬られている。廟には3つの部屋があり、いずれもコーランの一節や幾何学模様の美しい装飾が施されている。 |
第2の部屋の「12円柱の間」は、最も荘厳な雰囲気があり、色彩豊かなモザイクタイルが壁面を飾り、イタリア産の大理石でできた12本の柱が木や漆喰の装飾的なアーチを支えている。中央の最大の墓がサアード朝の黄金王アフメド・アル・マンスール王の墓。 |
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モザイクタイルの文様が美しい12円柱の間 |
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バイア宮殿は、大邸宅の周囲に広大な庭園を巡らし、豪華な個室が並ぶ宮殿で、時々現国王が宿泊する輝ける宮殿である。広くて明るい中庭の周りの建物は、4人の妃と24人の側女たちが住んでいたという。 |
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バイア宮殿 |
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バイア宮殿の美しい天井の文様 |
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バイア宮殿にて |
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撮影:南光桂子 |
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