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27,000柱を祀る連合国軍兵士の墓地/タウチャン 09:04 |
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▼ 写真下の英語で書かれた墓標を読むと、1944年4月17日に26歳と31歳の若さで戦死した兵士の墓であることが分かる。左の墓標には"Whatsoever
things are pure, whatsoever things are lovely...Think on these things"
(和田仮訳:物事が純粋であるほど愛らしい・・・良く考えてみよ)、右の墓標には
In loving memory of a darling
husband and daddy. R.I.P. (仮訳:愛おしい夫であり父の愛おしい記憶を刻む。R.I.P.)と書かれている。 |
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1944年4月17日に26歳と31歳の若さで戦死した兵士の墓標 |
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ヤンゴンの北東約70kmにあるバゴーは、バゴー管区の州都であり、マンダレーやバガンと並ぶ古都として知られる。13〜16世紀にはモン族の王都となり、下ビルマの中心地として栄えた。しかし、18世紀の半ばに、最後のビルマ族王朝コンバウン朝を開いたアラウンパヤー王によって征服され、爾来、バゴーは、昔日の栄華を取り戻すことなく今日に至っている。 |
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チャッカワイン僧院/バゴー 10:14 |
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▲▼ チャッカワイン僧院は、ミャンマー屈指の規模を持つ僧院で、常に1000人以上の若い僧が修業に励んでいるという。ここは、僧院内の立入や見学が許されているので、多くの観光客が訪れる観光スポットとなっている。 |
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僧院の入口で裸足になり、中に入る。これが面倒で、足の裏は、直ぐに真っ黒くなる。丁度食事前に到着できたので、托鉢・喜捨の風景と食事をしている様子を見学することができた。 |
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仏教を象徴する黄金の柱「サオサッタナー」 |
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▲ 入ってすぐに一本の金の柱があり、これはサオサッタナーという仏教を象徴する柱だそうで、ミャンマーの各地でみられるものである。 |
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信者たちから喜捨を受ける僧侶たち 11:03 |
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▲▼
多くの信者たちが山盛りのご飯やそのほか色々なものを喜捨していた。農村部では収入の50%もの大金を仏塔への寄進や僧侶の托鉢(食事)のために使用するという。日本の一部仏教のように現世の利益を求めるのではなく、来世の幸せのために、進んで寄進する。 |
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山盛りのご飯を喜捨する女性たち |
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▲▼ 日本と違って、上座部仏教は、僧侶は自分で食べるものは自分で作ってはいけないという戒律があり、また噛んで食べるものは午前中ということで、丁度その食事に合わせて見物することができた。
各所に素焼きの土器に水が入れられて飲み水として供されていたが、私たちは遠慮した。 |
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お金もOK |
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僧侶が食事をするところは随分広い建物で、飯台が幾つも並べられ、あぐらをかいて坐っていた。食べているものは結構いいもので、質素な食事とは思えなかった。食事の始まる前に手を合わせるということはなく、読経のような声を発し、それが終わってから食事が始まった。食べ方は、スプーンでおかずをとって、それを自分の托鉢の鉢に入れ、それをご飯とかき混ぜながら食べるという作法だった。 |
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大広間で僧侶たちの昼食 11:20 |
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食事の最後にはアイスクリームのデザートまであり、予想以上に豪華な食事である。寺男が手早い操作でアイスクリームを丸い金属の容器に入れ、若い僧侶が各テーブルに配っていた。 |
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これだけ多くの僧侶が不労人口として毎日在家の人々の喜捨によって養われている光景を見ると、豊かな生活ぶりとは思えない一般市民の負担は重く、働き盛りの男たちが働けば、社会はもっと豊かになるのにと思うのは、日本人的発想なのだろうか。 |
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デザートのアイスクリーム |
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▼ 昼食後、キンプンという村落から軽トラックの荷台に乗せられて出発。目指すは、ゴールデン・ロックとして名高いチャイティーヨー・パヤーである。 |
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パヤーというのは仏塔のことで、一般にはパゴダとして知られる。ミャンマーの寺院では、「○○パヤー」と呼ぶところと、「○○寺院」や「○○僧院」と呼ばれるところがあり、その違いはよく分からない。本稿では、現地の表示名に従って記述する。 |
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キンプンで軽トラックの荷台に乗せられて出発! 15:09
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▼ 我々乗客の座席は、トラックの荷台に板を渡しただけの粗末なもので、日本では、このような大量輸送手段は、安全面から絶対に認可されない。それがこの国では、政府が運営している輸送ルートだというので驚いた。写真のように荒っぽい運転で急坂を登っていったが、途中の舗装のないところでは砂埃をかぶりながらの運行で、まるで家畜並みの扱いだった。 |
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▲▼ やがて山腹の中継地ヤテタウンに到着。写真下のアルミ製の大きな鉢を差し出している男性は、運賃以外の金を集めているところで、喜捨なのかチップなのかは分からなかった。 |
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山腹のヤテタウンに到着 15:28 |
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▼ 友人と私は、ここで太い孟宗竹に安楽椅子をくくりつけた蓮台(れんだい)に乗り換え、江戸時代の駕篭や神輿のように四人の舁手(かきて)に担がれて山頂を目指した。 |
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蓮台に乗り代える 15:35 |
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▲▼ 担ぎ手にとっては大変な重労働だが、ここでは大きな雇用が生まれており、外国人観光客はすべてこの蓮台に担がれて上っていった。ミャンマー人は歩いて上り下りし、ゴールデン・ロックのすぐそばまでトラックで乗り付ける団体もあった。 |
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注意して見ていると、時々肩が痛くなるらしく、担ぐ肩を代えながら担いでいた。途中で沢水が貯えられている所で一服したが、全員汗だくで、黙々と担いで登ってくれるのには感動した。 |
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4人が担ぐ蓮台で山道を上る 15:48 |
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▲▼
担ぎ手の上着は制服のようで、皆が青色の開襟シャツを着ていた。下はミャンマー伝統のロンジー(腰巻)が圧倒的に多く、中には半ズボンという若者もいた。この先、日本のように、経済発展と共に伝統衣装が廃れていくのかも知れない。 |
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▼
約30分ほどで、目的地のチャイティーヨーに着いた。ガイドはこの蓮台には乗らず、近道を歩いて上ったので、我々がチャイティーヨーのホテル前に到着したときには、先行していて、出迎えてくれた。 |
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ガイドから一人1000チャット払ってくださいと云われたので、人足4人分4000チャット(約400円)を支払った。チップを要求してきたので、感謝の気持ちを込めて手渡した。本来なら不愉快なことだが、これだけの重労働でたった100円しか稼げないのかと思うと、こゝでは感謝の気持ちの方が強かった。
どうせ後で雇い主にピンハネされるだろうから、彼らが手にできるのはその半分以下かも知れず、だから彼らはチップを欲しがるのだろう。 |
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巨大な獅子が護るチャイティーヨー・パヤー(ゴールデン・ロック)の山門 17:00 |
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▲▼ ヤンゴンの北東方約184kmに位置するチャイティーヨー山の山頂に位置するチャイティーヨー・パヤーは、ゴールデン・ロック
( Golden Rock )とも呼ばれ、ミャンマーのモン州にある仏塔(パゴダ)である。ミャンマーではヤンゴンの
シュエダグォン・パヤーとマンダレーのマハムニ・パヤーに次ぎ、三番目に重要な
仏教巡礼地である。 |
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▼ 僧院内で日本のような入れ墨をしている若者がいたので、了解を取って撮影させてもらった。日本の褌に当たるロンジーしかまとっておらず、入れ墨を誇示しているように見えたが、日本と同じ文化があることに驚いた。 |
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▼ 巡礼者の寄付によって貼り付けられた金箔に覆われた花崗岩の巨岩の頂上に、高さ7.3mの小さな仏塔が載っている。この仏塔の中に収められている仏陀の遺髪がバランスを取っているために転げ落ちないのだという。 |
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ミャンマー人の聖地「ゴールデン・ロック」 17:12 |
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おうごんの かがやくいわお ふゆぼしょく |
The
color of winter
sundown, the golden lock shining. |
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大勢の巡礼客で賑わうゴールデン・ロック |
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表 |
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金箔を購入 |
裏 |
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▲▼ 私も巡礼者の仲間入りをして金箔を購入し、ゴールデン・ロックに貼り付けた。この仏塔に上がることができるのは男性のみで、かつて日本の高野山などにもみられた女人禁制の掟が今も存続している。 |
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ゴールデン・ロックに金箔を貼る |
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金箔を貼る信者たち 17:43 |
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▲▼ 伝説によると、11世紀に、ある隠者が仏陀の頭髪を自分の髷(まげ)の中に隠し持ち、国王に自分の頭に似た丸石を探し出すよう要請したところ、国王は海底にあったこの巨大な岩石を山頂まで運び上げさせ、仏陀の頭髪をその上に祀ったという。それ以来今日に至るまで、落ちそうで落ちないこの奇跡の巨岩がミャンマー屈指の巡礼地となっている。 |
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今にも転げ落ちそうなゴールデン・ロック |
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▲▼ この巨岩は、今まさに丘を転がり落ちそうな状態に見え、あたかも重力を否定しているかのようである。この奇跡とも思える「重力の否定」を一目見ることで、ゴールデン・ロックは、多くの人々に仏教へ帰依するためのインスピレーションを与えて続けてきた。 |
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▲▼ ミャンマーの人たちは、宿賃が高いために山頂のホテルへ泊まることができず、境内にゴザを敷いて一夜を明かすのだという。暗くなっても境内には多くのミャンマー人たちが残っていたのは、そのためだった。 |
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日没のゴールデン・ロック 17:48 |
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