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▼ バガン最後の仏跡シュエサンドー・パヤーに向かう途中、土埃を濛々と上げて走る二頭立ての牛車に遭遇した。でこぼこ道で揺れる車窓から撮影したが、最後までピントが合うことはなかった。 |
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二頭立て牛車/バガン 2012.02.13 17:18 |
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▼ シュエサンドー・パヤーは、アノーヤター王がこの地を征服してタトォン国を建国した際に、真っ先に建てられた寺院の一つで、1057年の建立は、バガン黄金期の初期にあたる。国を統一したアノーヤター王の意気込みが感じられる見事なもので、仏陀の遺髪が納められた仏塔の基礎部分は5層構造になっている。
仏塔部分は白い漆喰で塗られ、形も良いことから、海外の観光客の評判はすこぶる良い。 |
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シュエサンドー・パヤーが目前に!/バガン |
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▼ ここは、アンコール・ワットの中央塔へ登る時のような急な階段を上っていかなければならないが、幸いにも手すりが設けられているので、老人でもそれを頼りに急な階段を安全に上り下りすることができる。 |
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白い漆喰が塗られたシュエサンドー・パヤー 17:22 |
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▲▼ 既にシュエサンドー・パヤーは、夕日に照らされて赤みがかって見える。この寺院は、屋上から望むバガン平野の日没の光景が素晴らしく、全世界から観光客が集まるミャンマー屈指の観光スポットとなっている。ガイドが先を急いでいたのは、この展望所の場所取りのためで、遅くなると良い場所が空いていないからである。 |
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急な階段を登る |
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「サンドー」とはビルマ語で「聖髪」を意味し、その名の通り、この仏塔の中にモン族(タトォン国)の所有していた釈迦の遺髪が納められているという。 |
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風雪に晒されてきた仏塔 |
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バガンの落日/壱 〜太陽の輝き〜 17:26 |
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ぶっとうの こうやをてらす ふゆいりひ |
Winter
sunset, dyeing the range of pagodas. |
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バガンの落日/弐 〜夕日に染まる仏塔〜 17:28 |
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▲▼
例によって入口で裸足になり、傾斜のきつい階段を息を切らせながら屋上に上がり、夕焼けの真正面を撮影できるように場所取りをした。当初韓国人が私の前にいたが、途中でいなくなったので、障害物はなくなった。全周をフリーハンドで撮影した後、三脚を使用して、壮大な日没の景観を激写した。 |
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バガンの落日/参 17:37 |
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▲▼
私は長い間この光景を眺めるのが夢だった。今回のバガン行きが三回目の挑戦だった。そして今この地に自分の足で立ち、この光景を自分の眼で眺めていると、長年の夢が叶ったという喜びと、生かしていただいているお蔭でこの光景を見ることができたのだという喜びで私の心は満ち溢れた。 |
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バガンの落日/四 〜黄金に染まるバガン遺跡〜 |
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▲▼
そして、もう私の人生では二度と来ることはない最初にして最後の光景であるという思いもあり、熱いものが込み上げて来るのを感じながら、本当に幸せだと心が震えた。 |
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バガンの落日/五 〜切り絵の世界〜 |
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バガンの落日/六 〜山の端に迫る夕日〜 17:55 |
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▲▼ また、南伝仏教と北伝仏教の違いはあっても、釈尊からの仏教伝搬は日本も同じである。この地に花開いた仏教が当時の権力者によって寺院建立という形でなされたことは、日本の法隆寺や東大寺の建立を考えれば、日本人と変わらぬごく自然な心情ではなかったかと思う。 |
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バガンの落日/七 〜冬茜〜 17:56 |
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▲▼ バガン遺跡にはおびただしい数の仏塔が建てられている。余りにも多くの仏塔を建てすぎて国防が疎かになり、北方騎馬民族の蒙古軍に滅ぼされたという歴史評価があるが、さもありなんと思わされる程の数だった。 |
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バガンの落日/八 〜赤い夕日〜 17:57 |
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▲▼
仏塔から下を眺めると、多くの観光バスや車が駐車場に停まっていた。全世界の観光客がこの仏塔にのぼってバガンの落日を一目見ようとやってきているのである。それに応えるように太陽はバカンの空を紅に染め、やがて山の端にかかると、急速に光力を減じ、そして隠れてしまった。 |
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バガンの落日/九 〜薄れゆく夕日〜 17:58 |
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▼ 太陽が西に沈んだ後、東の方を見やると、残照でほんのりと明るく浮き上がったおびただしい数の仏塔が見え、闇の訪れを待っているかのようだった。 |
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バガンの落日/拾 〜残照〜 18:05 |
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▲▼
私はたまたま生まれた家がそうだったということもあるが、自分が仏教徒であって本当によかったと心から感じさせていただいた。感動と感謝とそして幸福感に満たされたバガン遺跡の旅
だった。さらばバガンよ! |
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煉瓦の階段を慎重に下る 18:06 |
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バガン遺跡の見物を終え、私たちはバガンにある「ナンダ・レストラン」へ行った。ここは、ミャンマーの伝統的な操り人形のショーが見られる高級レストランである。操り人形はミャンマー語で「ソージー」というらしい。 |
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操り人形ショーが上演されるナンダ・レストラン/バガン 18:27 |
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▲▼
ここで初めてビールを飲んだ。ミャンマー・ビールというもので、マークは聖鳥を模した「カラウェイ」と呼ばれる船がシンボル。これは後のインレー湖で見ることができる。そしてヤンゴンでの夕食はこの「カラウェイ」を模した水上レストランだった。 |
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ミャンマー・ビール |
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ソージー・ショーが始まった。とても細やかな動きで実に楽しかった。舞台の幕は、通常は人形劇に必要な高さだけに上がり、時々人形を操っている人に拍手を求める時だけ上まで上がる。なかなか考えている。 |
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ミャンマーの人形劇は、18世紀から盛んに行われるようになったという。恐ろしくて話もできない王を登場させるなど、演劇では表現できないような話題を人形劇で演じたという。馬の動きなど、どれも年季が入っていて実に鮮やかで、日本の人形浄瑠璃のようにとても成熟した民俗芸能であると感じた。 |
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操り人形ショー/参 〜オールキャスト〜 19:22
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ショーが終わるとソージーの人形が舞台から降りてきて客席をまわり、ちょっとした動きを見せながらチップを集めにきたので、写真を撮らせてもらった。我々のチップはタイバーツだったが、問題ないようだった。 |
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