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▼ 我々は、チャイティーヨー・パヤーから歩いて5分ほどホテルで一夜を過ごした。豪華なホテルではないが、小奇麗で、山上のためか涼しいほどで、朝焼けも素晴らしかった。 |
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チャイティーヨーの夜明け 2012.02.12 06:53 |
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喜捨を集めるチャイティーヨーの仙人 |
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▲▼ 翌朝も再びチャイティーヨー・パヤー
に行き、朝の風景を切り取って来た。仙人のような風体の僧や小型のゴールデン・ロックなど、新しい遭遇があった。 |
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もう一つの小型ゴールデン・ロック |
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昨日のゴールデン・ロックは西から射す夕日に輝いていたが、今朝は、東側から射す朝日に光り輝いていた。この金色は、豊かさを象徴する世界普遍の色で、民族の違いにかかわらず、
誰しもが豪華で美しいと感じる不思議な色である。 |
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朝のゴールデン・ロック |
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▼ ミャンマーでは、どこの山門にも日本の神社の狛犬のように一対の獅子が置かれている。邪悪を祓う門番である。巡礼者たちは、早朝からゴールデン・ロックに参拝し、獅子の前で記念撮影していた。 |
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獅子の前で記念撮影 07:36 |
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▼ 朝食後、同じルートを引き返して下山し、バゴーに向かった。途中、長閑な田園風景が見られ、川辺で水牛が草を食んでいる姿が見えた。 |
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川辺の水牛/バゴーに向かう車窓の風景 09:54 |
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▼ 昼近くにバゴーのシュエモード・パヤーに到着。パヤーというのは仏塔という意味で、ここでも当然靴と靴下を脱いで参拝しなければならない。中に入ると、ガイドがお供えする二種類の線香と蝋燭のセットを買ってくれた。 |
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カメラは300チャット(30円)、ビデオは500チャット(50円)ということで料金を払った。お金を払うと、輪ゴムのついた支払済みの紙を渡してくれるので、それをカメラの紐に付けて撮影した。 |
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バゴー最大の見所がこのシュエモード・パヤーで、この仏塔の歴史は1200年以上も昔に遡るといわれている。仏陀の遺髪2本を納めるために高さ23mの塔を建てたのが始まりといわれ、その後、改築を繰り返して、大きくなって行った。地震による倒壊もあったという。現在の塔の高さは114mあり、ヤンゴンにあるミャンマー第一の巡礼地シュエダグォン・パヤーよりも高いという。 |
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バゴー王朝の栄華を偲ばせる巨大な黄金の仏塔/シュエモード・パヤー |
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仏塔の周りに建つ仏堂 |
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仏堂に祀られた仏像 |
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▼ この寺には、比較的小さな寝仏(ねぼとけ)(寝釈迦ねじゃか)があった。仏陀が入滅(死亡)した後の姿が涅槃仏(ねはんぶつ)で、生きているときの姿が寝仏(寝釈迦)である。フリー百科事典や地球の歩き方では、両者を同じものとして解説しているが、全く違ったものである。 |
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涅槃仏や寝仏といっても上半身や顔を見ただけでは区別がつかない。その見分け方は、足の形で、足が揃っていて、扁平足であれば涅槃仏で、写真下のように揃っていなければ寝仏(寝釈迦)となる。タイでは涅槃仏の方が多いが、ここミャンマーでは寝仏(寝釈迦)がほとんどだった。 |
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寝仏(寝釈迦) |
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▼ ミャンマーの仏像は全て釈迦像で、彩色を施されているものが多い。真っ赤な唇の釈迦像は、日本人には異様にうつる。仏壇には、どの寺院にも共通する24花弁の菊の紋章があしらわれている。 |
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真っ赤な唇の釈迦座像 |
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▼ バゴーでは、古ぼけたビルや中古車が目についた。軍事政権下では、中古車の輸入に軍人の利権がからんでいるらしく、現在はびっくりするような価格で売られているという。 |
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バゴーの街並み 13:25 |
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▲▼ 親米政策でそういった軍人の利権が取り払われ、今後は安くなるといわれているが、果たしてそうなるのか疑問である。邦貨にして日本の中古車が数百万円という。ミャンマーの民主化が進まない限り、貧しい民衆の生活は向上しないことは間違いない。 |
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ミャンマーのツクツク |
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▼ 遅い昼食の後、ハンターワディ王宮に行った。16世紀に栄えたモン族のモン様式と呼ばれる見事な王宮の遺跡が発掘され、再建されていた。新しく建てられた宮殿は、1955年に完成したもの。古くはチーク材を使って建てられており、発掘された太いチーク材が展示場に並べられていた。 |
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ハンターワディ王宮/バゴー 13:37 |
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黄金に輝く宮殿の内部 |
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再建された王宮や発掘された黄金の宝物を見れば、当時の王朝が如何に壮大なものであったかが分かる。ミャンマー政府が莫大な予算を投じて発掘事業を推進する価値は十分にあると思った。 |
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発掘された黄金の宝物 |
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王の乗る黄金の御車 |
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発掘された巨大な木造円柱(チーク材) |
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王の寝殿「蜂の玉座ホール」 Bee Throne Hall |
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続いて、バゴーで最も有名な巨大寝仏(全長55m、高さ16m)のあるシュエターリャウン寺院に行った。例によって山門には一対の獅子像が睨みをきかせている。この寺院は、13〜16世紀のモン族の王朝時代に栄えたが、18世紀半ばにミャンマー族コンバウン朝アラウンパヤー王に征服されてから衰退してしまったという。 |
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寝仏で知られるシュエターリャウン寺院/バゴー 14:39 |
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994年にモン族ミガディパ王によって建立されたシュエターリャウン寝仏は、私が長いこと参拝したいと思っていたところである。バゴー王朝の滅亡とともに密林に埋もれたが、イギリス植民地時代に、鉄道敷設の技術者によって偶然発見されたという。 |
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大ホールの奥に巨大な寝仏が横たわる |
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ねぼとけの ほほえみうれし はるどなり |
Spring
at hand, the sleeping Buddha smiling to make happy. |
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安らぎを与えてくれるシュエターリャウン寝仏
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▲▼ 寝仏の尊顔は実に柔和で、期待していたとおりの穏やかな笑みをたたえていた。見る角度によってさまざまな表情に見える。私はこの寝仏の柔和な表情が大好きである。黄金の法衣は、戒色の木蘭色(もくらんじき)をあらわしているのだろうか。 |
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黄金の法衣をまとった寝仏 |
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このシュエターリャウン寝仏は、中井貴一主演の日本映画「ビルマの竪琴」でもロケ地として使われている。 |
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寝仏の全身 |
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▼ 両足が上下に揃っているものが涅槃仏なので、この仏は交差しており、明らかに寝仏であることが分かる。 |
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寝仏の足の裏 |
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▼ 発掘された当時の寝仏は痛みが激しく、全面的に修復されたために、新品同様の姿になっている。日本では、古めかしい姿を温存するのが通例だが、このように塗り替えてしまうミャンマー流は、人によっては違和感を覚えるかも知れない。 |
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感動のシュエターリャウン寝仏をバックに記念撮影 |
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