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ブサコ国立公園 Mata
Naçional do Buaco
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▼ ポルトガル中西部にあるブサコ国立公園は、コインブラ Coimbra の北方約30kmに位置し、広大な森林が広がる。17世紀にカルメル会の土地になり、修道院が置かれた。 |
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▲▼ 20世紀初頭、ポルトガル王マヌエル
II
世が狩猟目的の離宮を建てたが、完成直後に革命が起きたため使用されず、現在は五つ星ホテル「パレス・ホテル・ド・ブサコ Palace Hotel do Bussaco 」として利用されている。 |
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宮殿にまがいなきアズレージョを配した豪華な大理石階段 |
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▼ アズレージョ(スペイン語ではアスレホ)は、ポルトガルやスペインで生産される上薬をかけて焼かれたタイルのこと。500年もの間生産され続け、ポルトガルの伝統文化のひとつとして知られ
る。 |
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ポルトガルでは、宮殿や教会、鉄道や地下鉄の駅、一般の家屋など、あらゆる場所でアズレージョが見られる。その多くは、ポルトガルの歴史的・文化的シーンを記録したものである。壁や床、天井にさえにも使われており、装飾のためだけでなく、室温管理のような特別な機能も持つという。 |
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エンリケ航海王子のアズレージョ(タイル絵) |
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▼ メインダイニングでプサコの名物料理「ミルクだけで飼育した子豚の丸焼き」をいただく。とても美味だった。 |
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メインダイニング |
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大学の町 コインブラ Coimbra |
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▼ 政治のリスボン、商業のポルトに次ぐポルトガル第三の都市コインブラは、文化の中心地で、約320km2に15万人が住む。総面積約3372km2の16の自治体が集まってコインブラ大都市圏を構成しており、その総人口は43万人を超える。バイショ・モンデーゴ地域の中心都市で、コインブラ県の県都でもある。 |
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ポルトガル最古の大学「コインブラ大学」 / コインブラ |
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▲▼ ポルトガル最古の大学であるコインブラ大学 University of Coimbra は、コインブラにある国立大学である。大学が街の中心とみなされ、黒いマントを着たコインブラ大学の学生が行き交う。約2万2千人が学んでおり、8つの学部が存在し、学部ごとにシンボルカラーがあるという。 |
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床のモザイク「学問の女神」 |
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18世紀ジョアン
V 世よって建てられた図書館 |
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資料 |
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▲
コインブラに初めて大学が置かれたのが1308年。ディニス王により1290年にリスボンに創立された大学がこの地に移転してきたことに始まるという。ジョアン
V
世治世下の1724年に完成した図書館は、30万冊もの蔵書を有し、華麗なターリャ・ドウラーダ(金泥細工)の内部装飾や調度品が素晴らしい。 |
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大学の礼拝堂で結婚式を挙げたばかりの新婚さん |
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■ 四日目/5月25日(日):トマール〜バターリャ観光〜ナザレ観光〜
アルコバサ観光〜トマール(泊) |
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▼ ツアー四日目は晴天に恵まれ、朝9時にホテルを出発し、バターリャの修道院、漁村のナザレ、アルコバサの修道院を観光後、トマールに連泊した。 |
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バターリャ修道院(世界文化遺産)/バターリャ |
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バターリャ Batalha |
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▲▼ ポルトガル語で「戦い」を意味するバターリャは、レイリア県にある町で、中心市街地には7,500人ほど、そのほかの行政区を含めて、15,000人が居住している。バターリャの歴史は、ジョアン
I 世が1385年のアルジュバロータの戦いでカスティーリャ王国軍を破ったことを祝し、聖母マリアに感謝するために建設したバターリャ修道院とともに始まる。 |
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正式名「勝利の聖母マリア修道院」の正面ファサード |
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勝利の聖母マリア修道院 Mosteiro de Santa Maria da Vitória |
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▲▼
バターリャ修道院は、正式名を「勝利の聖母マリア修道院」といい、ポルトガルの独立を象徴する建造物である。ポルトガル最古の後期ゴシック建築の傑作であり、マヌエル様式も用いられている。1983年、ユネスコの世界文化遺産に登録された。 |
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バターリャ修道院入口のアーチ・ヴォールト |
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西側の広場に面する修道院の入口は、アーチ・ヴォールト*の形をとっており、そのヴォールトの中には、78体の聖像が飾られている。聖像は6列に分かれて並んでおり、旧約聖書に登場してくる王、天使、預言者、聖者が天蓋の下に並んでいる。 |
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ヴォールトから地面へとつながる部分の両脇には、使徒と鎖で縛られた悪魔の彫像がある。修道院の入口のアーチ・ヴォールトの上部の三角形のような形をしたスペースには、キリストの戴冠の様子が彫刻で施されている。 |
*アーチ・ヴォールト:アーチを立体的につなげたもの。 |
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創設者の礼拝堂と中央に安置された石棺 |
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▲▼
建物の西にある入口から入ると、ステンドグラスから柔らかな光が降り注ぐ、教会内部の簡素な空間が広がる。すぐ右側に「創設者の礼拝堂」があり、ジョアン
I 世の家族の墓所となっており、中央には、手をつないで眠るジョアン
I 世と王妃フィリッパ・デ・ランカスターの石棺が置かれている。 |
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手をつないで眠るジョアン
I 世と王妃フィリッパ・デ・ランカスターの石棺 |
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ジョアン I
世と王妃の棺の南側には、三男(さんなん)エンリケ航海王子の棺が安置され、永遠の眠りに着いていた。そのほか、ペドロ王子やフェスで客死したフェルナンド王子など親族の棺がある。 |
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天にも届きそうな大祭壇 |
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ジョアン
I 世の三男エンリケ航海王子の石棺 |
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▼ 教会から「王の回廊
Claustro Real 」に出ると、マヌエル様式の独特な装飾パターンが出迎えてくれる。マヌエル様式は、大航海時代の繁栄を象徴するポルトガル独特の建築・芸術様式である。その様式名は、インド航路を発見して海外進出事業を押し進め、在位中にアフリカ、アジア、新大陸にまたがる一大海洋帝国を築いたマヌエル
I 世(1469-1521)の名に由来している。 |
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王の回廊 |
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▲▼ ゴシック建築様式をベースとしたものであるが、海外交易によって築かれた巨万の富を象徴するかのような過剰装飾が特徴である。イスラム様式のほかに、海草やロープ、鎖、貝殻、天球儀など海洋、新大陸、キリスト教の象徴などがデザインに取り入れられている。 |
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マヌエル様式の美しい柱の装飾 |
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▼
回廊の東の出口から一旦外に出て、「未完の礼拝堂 Capelas Imperfeitas 」に入る。八角形の霊廟で、1面が入口となるため、7つの礼拝室がある。ドゥアルテ
I
世が自身の墓所とするために建設を命じたものの、その完成を待たずに1438年に死去したため、天井が造られておらず、未完の礼拝堂となっている。 |
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天井のない未完の礼拝堂 |
ドゥアルテ
I
世と王妃レオノールの棺(中央下) |
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手をつないで眠るドゥアルテ I 世と王妃レオノールの石棺 |
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▼ 未完の礼拝堂には、珍しいカタツムリの装飾が施されていた。ポルトガルのカタツムリの殻は固く、建物が崩れないようにという願いが込められているというが、これもマヌエル様式のひとつなのだろうか。 |
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珍しいカタツムリの装飾 |
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▼ 82.4km2に1500人が暮らすナザレは、レイリア県に属し、コスタ・デ・プラタ(銀海岸)に面したポルトガル屈指のリゾート地である。言い伝えによれば、4世紀にパレスチナのナザレから一人の聖職者が聖母マリア像を持ち込んだことにちなんで町の名がついたという。 | |
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美しいナザレの漁村 / シティオ展望台
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あかやねの なざれのむらや しょかのうみ |
The beach of early summer, the red roofs of Nazaré
village. |
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初夏の陽光を受けて / ナザレ
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岬の先端に築かれたナザレの要塞
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大西洋に面する美しい砂浜 |
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▲▼ かつては小さな漁村でしかなかったナザレだったが、やがて絵のように美しい海辺の村として知られるようになり、ポルトガル屈指の観光地となった。大西洋に面し、良質で長い砂浜を持ち、夏期には観光客で混雑する。 |
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閑静なビーチで日光浴を楽しむ人たち |
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砂浜で日光浴を楽しむグループ |
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ナザレは漁民によって編まれる民族衣装でも知られる。既婚女性たちは黒衣を着込み、伝統的なスカーフで頭部を覆い、刺繍をほどこしたエプロンを多色使いのフランネルのスカートの上に重ねる。 |
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民族衣装を着たナッツ売りのおばさん
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