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ポルトガル西部の町アルコバサは、リスボンの北約120km、ナザレの東約14kmのアルコア川とバサ川の合流点に位置する。1989年に世界文化遺産に登録されたアルコバサ修道院で知られる。ワインの産地としても有名で、国立ワイン博物館がある。 |
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サンタ・マリア修道院(世界文化遺産)/ アルコバサ
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サンタ・マリア修道院
Mosteiro de Santa Maria
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▲▼
アルコバサ修道院の正式名は、サンタ・マリア修道院で、アルコバサに建つシトー派総本山の修道院である。ポルトガル建国の父アフォンソ・エンリケス
I 世がレコンキスタ(国土奪還運動)に協力したシトー派修道会に感謝して12世紀初頭に建造を命じたものである。 |
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修道院の大食堂 |
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▲ 質素・簡潔を旨とするシトー派の修道院のために、過剰な装飾を廃した簡素なつくりになっている。最盛期には1000人近い修道士が生活していた食堂、寝室、厨房が回廊の北側に広がり、当時の様子が偲ばれる。 |
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ペドロ I
世の石棺 |
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▲▼ この修道院を特別なものとしているのは、イネスとペドロ王子の悲恋の物語であり、繊細で優美な彫刻が施された二人の石棺が目を引く。 |
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「ペドロ王とイネスの悲恋」として知られる |
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▲▼ アフォンソIV世の息子ペドロ王子は、隣国カスティーリャよりコンスタンサ姫と結婚したが、その侍女イネス・デ・カストロと恋に落ちてしまった。コンスタンサが出産後の肥立ちが悪くて亡くなると、ペドロはふたりの関係を公然たるものとし、3人の子供をもうけるが、カスティーリャ側からの圧力を恐れた国王は、刺客を放ってイネスを殺害してしまう。 |
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ペドロ王の棺に彫られた彫刻「人生の輪 運命の輪」 |
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▲▼ その2年後、アフォンソIV世が死亡し、ペドロ I 世として王位に就いたとき、イネスを正式な王妃と認めさせるために、死体を墓から掘り起こし、玉座に座らせて戴冠式を行った。 |
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家臣たちには、忠誠の証として腐敗した王妃の手に接吻させると共に、イネス殺害に関与した家臣を捕らえ、王自らの手で背中から心臓をえぐり出したという。 |
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イネスの石棺 |
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沈黙の回廊 Claustro do Silêncio |
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▼ 修道院の中庭を囲む沈黙の回廊は、14世紀初頭に造られ、その後、マヌエル様式の二階部分が増築された。 |
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沈黙の回廊 |
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■ 五日目/5月26日(月):トマール観光〜オビドス観光〜
ロカ岬観光〜シントラ(泊) |
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9時にホテルを出発。トマールにあるキリスト教修道院を見学後、城壁に囲まれたオビドスを観光。午後、ユーラシア大陸最西端のロカ岬を見学し、シントラに泊まった。 |
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キリスト教修道院(世界文化遺産)/トマール |
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トマール Tomar |
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サンタレン県に属するトマールは、ナバオン川
Rio Nabâo の中流に位置し、ユネスコの世界文化遺産に登録されているキリスト教修道院がある。 |
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ポルトガルで最大規模のシトー派修道院 |
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キリスト教修道院
Convento de Cristo em Tomar
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トマールのキリスト教修道院は、12世紀にテンプル騎士団*によって建設された。14世紀に解散命令が出た後、ポルトガルに存在したテンプル騎士団は、キリスト騎士団へと改編され、以後この修道院は彼らが管轄することとなった。 |
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*テンプル騎士団:中世ヨーロッパで活躍した騎士修道会。正式名称は「キリストとソロモン神殿の貧しき戦友たち(
ラテン語:Pauperes commilitones Christi
Templique Solomonici
)」で、日本語では「神殿騎士団」や「聖堂騎士団」などとも呼ばれる。
創設は1096年の第1回十字軍の終了後であり、ヨーロッパ人によって確保されたエルサレムへの巡礼に向かう人々を保護するために設立された。 |
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テンプル騎士団によって建てられた16角形の円堂(12世紀) |
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▲▼ テンプル騎士団の円堂は、12世紀に建設された。他のヨーロッパ世界にあるテンプル騎士団の教会と同様に、エルサレムにあるオマール・モスクをモデルとしている。このオマール・モスクは、十字軍がエルサレム神殿の名残と信じたモスクで、エルサレムの聖墳墓教会もモデルとなっている。 |
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16角形円堂の内部 |
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キリスト騎士団は、大航海時代のポルトガルを支え、ポルトガル海上帝国の礎を築いたことで有名である。このキリスト教修道院は、1983年にユネスコの世界文化遺産に登録された。 |
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プラレテスコ(銀細工)装飾の入口(16世紀) |
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左にキリストを抱くマリア |
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▲ 山道を上り、12世紀に築かれた城に入る。今では城壁を残すのみだが、かつては、キリスト騎士団の団長をつとめたエンリケ航海王子もここで暮らした。中庭を抜けると右奥に修道院のプラテレスコ(銀座細工)様式の正門がある。その上部には、キリストを抱くマリア像があるが、向かって左側にキリストを抱いているのは、きわめて珍しいという。 |
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沐浴の回廊 |
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▲▼ トマールのキリスト教修道院のハイライトは、1417年から1460年にキリスト騎士団の団長を務めたエンリケ航海王子の時代である。エンリケは、レコンキスタが終了したポルトガルを大航海時代に飛躍させた立役者であると同時に、トマールのキリスト教修道院では、沐浴の回廊と墓の回廊を増築した。 |
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墓の回廊 |
バスコ・ダ・ガマの弟の墓 |
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▼ 1484年にキリスト騎士団の団長に就任し、1495年に国王になったマヌエル
I 世*も修道院の増築を行った。円堂に至る新しい回廊を建設するとともに、修道院内部のマヌエル様式**の装飾や絵画を増設した。 |
*マヌエル
I 世(1469-1521):
傍流の六男として生まれながら偶然が重なって平和裡に王位につき、その治世においてインド航路の開設等の吉事に恵まれてポルトガル王国の黄金期を築いたことから、幸運王と称される。 |
先王ジョアンII世の推し進めた中央集権化政策を継承し、海外交易による莫大な利益を背景に、ポルトガルの絶対王政を確立した。 |
**マヌエル様式:ポルトガルが最も繁栄した大航海時代の王マヌエル
I 世(在位
1495-1521)のとき、ロープなど航海に関するもの、海草や珊瑚など海に関するもの、外国の珍しい植物などをデザインしたポルトガル独自の繊細な装飾様式。 |
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バスコ・ダ・ガマの弟の墓 |
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マヌエル様式の最高傑作といわれる大窓 |
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▼ リスボンの北方約80kmにあるオビドスは、城壁に護られ、面積143q2、人口800人ほどの小さな村である。「谷間の真珠」と呼ばれるように、赤屋根・白壁の町並みが絵のように美しく、夏には色とりどりの花々が軒先を彩る。 |
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王妃に愛されてきた美しい町オビドス |
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おびどすの しろきいえなみ なつはじめ |
The beginning of summer, rows of white houses in Óbidos. |
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城壁に囲まれた美しい街並み |
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オビドスの発祥は1世紀とされ、以後ローマ人やアラブ人が占領した。12世紀にはポルトガル初代王アフォンソ・エンリケスがアラブ人から奪回し、以後オビドスには、ドン・ペドロII世、ドナ・マリア
I 世、ドナ・レオノール、ドン・カルロスなど、王家の休息地や避難地として使われた。 |
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テーブルクロスを売るおばあちゃん |
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1210年にアフォンソ II 世がオビドスをウラカ王妃に捧げたが、後のディニス王は、1282年にアラゴン(今のスペイン)のイザベル王妃との結婚に際し、オビドスを結婚のプレゼントとして王妃に贈った。以来、オビドスは Wedding Present Town として知られ、1883年までポルトガル歴代王妃の直轄となった。 |
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土産物屋が並ぶディレイタ通り |
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▼ ポルトガルには、サクランボをつけ込んだジンジャと呼ばれるさくらんぼ酒がある。アルコール度数は18〜20%あり、12%前後のワインと比べると少し強めで、オビドス産は質の良いことで知られている。 |
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甘くて美味いオビドス名産のジンジャ(さくらんぼ酒) |
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オビドスのディレイタ通りで、赤ちゃんを前向きに抱っこしている若いお母さんがいた。珍しいので写真を1枚撮らせてもらった。おんぶも後ろ向きにおんぶする方式があり、所変われば品変わるという諺通りである。 |
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赤ちゃんの前向きだっこ |
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