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■ 九日目/5月30日(金):リスボン観光(泊) |
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★☆★彡 |
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▼ 8時45分にホテルを出発し、イザヘラさんと金子さんのガイドで終日リスボンの観光を楽しんだ。この日も晴天に恵まれ、ジャカランタの並木道が綺麗だった。 |
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ジャカランタの並木道 / リスボン |

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北緯38度43分、西経9度8分に位置するリスボンは、ポルトガルの首都で、ポルトガル最大の都市。南ヨーロッパ有数のグローバル都市でもある。面積84.6km2に約57万人が住む。近郊を含む都市的地域の人口は250万人で、ポルトガルの人口の20%余りに相当する。日本語では「リスボン」というが、これは英語名をカタカナ表記したもので、ポルトガル語では「リシュボア」という。 |
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リスボンは、大西洋に流入するテージョ川
Rio Tejo
の河口に位置する港湾都市である。テージョ川の岸近くまで丘が迫っており、市街地の多くはその丘の上に発達している。そのため坂の多い街であり、別名「7つの丘の街」とも呼ばれる。 |
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テージョ川を背景に急坂を上り下りするケーブルカー |

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▲
これらの坂を上り下りする市電とケーブルカーが名物である。市街地はテージョ川沿いの旧市街とその北の高台に広がる新市街からなる。 |
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リスボン |
リスボンとテージョ川対岸のアルマダとを結ぶ長さ2,277mの吊り橋「4月25日橋」 |
アルマダ |

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ヨーロッパの都市の中でも比較的治安が良く、のんびりとしたリスボンは、ヨーロッパの他の国々のように世界的に知られる名所旧跡は少ない。石畳の道を踏みしめ、旧式のケーブルカーに乗り、旧市街を散策して、自分なりのリスボンを見つけるのも一興だろう。 |
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エンリケ航海王子の死後500年を記念して建てられた「発見のモニュメント」 |

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発見のモニュメント Padrão dos Descobrimentos
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▲ リスボン中心部から6kmほど西のテージョ川沿いに広がるベレン地区は、エンリケ航海王子を嚆矢(こうし)として、海の男たちが敢然と未知の海に乗り出し、大航海時代の幕開けとなったところである。 |
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発見のモニュメントは、1960年にエンリケ航海王子の500回忌を記念して造られたもので、高さ52mの巨大なオブジェである。大海へ乗り出す帆船をモチーフとし、勇壮なカラベラ船の模型を手にしたエンリケ航海王子が先頭に立ち、天文学者や宣教師、船乗り、地理学者などが後に続いている。 |
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▼ モニュメント前の広場には、大理石できた巨大な世界地図があり、各地にポルトガル人が発見した年号が記されている。日本が発見されたのは1541年となっているが、これはポルトガル船が豊後に漂着した年で、種子島に漂着して鉄砲が日本に伝来したのは、1543年である。 |
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到達年を表示した路上の世界地図 |

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キャラベル船(カラベラ船)は、小型の帆船で、高い操舵性を有したことなどから探検活動が盛んとなった15世紀に主にポルトガル人とスペイン人の探検家たちに愛用された。15世紀にポルトガルの国家管理の下で開発されたものといわれている。 |
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初期のキャラベル船は全長20~30m、重量50ton程度で、二本のマストを備えたものがポピュラーで、全長と全幅の比は3.5:1となっていてバランスが良く、高い速力と機動性を両立した。 |
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15世紀の末頃に喜望峰ルートが開拓されると、必然的に遠洋航海の必要性が高まり、3本のマストを用い、フォアセイル・メインセイル(四角帆)・リアセイル(三角帆)という組み合わせが取り入れられるようになった。 |
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大航海時代に活躍したキャラベル船 |

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資料 |
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▼
リスボンの世界文化遺産として知られるベレンの塔とジェロニモス修道院は、テージョ川沿岸のベレン地区にあり、バスコ・ダ・ガマのインド航路発見など大航海時代を支える重要な基地であった。 |
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ベレンの塔は、港の要塞で1515~1519年に建造された。正式名称は、「サン・ヴィセンテの砦」。外観は優雅なマヌエル様式だが、中に入ると潮の干満を利用した政治犯の地下水牢があった。現在、内部は博物館として公開されている。 |
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昔の税関 「ベレンの塔」(世界文化遺産) |

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ジェロニモス修道院 Mosteiro dos Jerónimos
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▼ ジェロニモス修道院は、リスボンのベレン地区にある壮大な修道院で、リスボンにある世界文化遺産のひとつである。大航海時代の富をつぎ込んで建築されたマヌエル様式の最高傑作といわれている。2007年12月13日にリスボン条約*の調印式が行われた場所でもある。 |
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*リスボン条約:既存の
「EU 欧州連合」の基本条約を修正する条約。2009年12月1日発効。 |
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りすぼんの せいどうそびゆ なつのくも |
The summer clouds, the chapel rising high in
to the sky of Lisbon. |
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大航海時代の富の象徴ジェロニモス修道院(世界文化遺産) |

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▲
エンリケ航海王子の偉業を称え、ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路開拓を記念して、エンリケ航海王子が建てた礼拝堂の跡地にマヌエル
I 世が1502年に着工させた。1511年に回廊など大部分が完成したものの、マヌエル
I
世の死やスペインとポルトガルの同君連合による中断などもあり、最終的に完成するまで300年ほどかかっている。 |
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その建築資金は、最初ヴァスコ・ダ・ガマが持ち帰った香辛料の売却による莫大な利益によって賄われ、その後も香辛料貿易による利益によって賄われた。 |
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美しい南門 |

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レース細工のように繊細な彫刻が美しい南門は、フランス人建築家ボイタックが建造したもの。上部中央にはエンリケ航海王子の像が置かれ、また、盾型壁には聖ジェロニモスの生涯が描かれている。 |
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マヌエル様式の壮麗な回廊 |

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▲ ジェロニモス修道院の見所のひとつは、中庭を囲む55m四方の壮麗な回廊である。2階建のアーチには繊細な彫刻が施され、1511年に完成した。 |
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▼ 修道院に付属する聖堂・サンタ・マリア教会の中央祭壇の後方の壁面は上中下3段に区分けされ、宗教画が描かれている。祭壇の背景がこの様な造りになっているのは極めて珍しいという。 |
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巨大な聖堂の内部 |

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ヴァスコ・ダ・ガマ(1469頃-1524)は、ポルトガルの航海者で、探検家である。ヨーロッパからアフリカ南岸を経てインドへ航海した記録に残る最初のヨーロッパ人であり、インド航路を初めて開拓した人物である。 |
当時未知だったインド航路を拓いた偉業により、ポルトガル海上帝国の基礎が築かれた。バスコ・ダ・ガマとも表記される。 |
第一次航海の成功で「インド洋提督」の称号を得たヴァスコ・ダ・ガマは1502年2月12日に20隻の船団を率いて再びインドへ航海した。アラブ商人に対してカリカットでのポルトガルの貿易権を獲た功績をもって、帰国後伯爵に序せられた。インド洋航路の開拓は莫大な富をもたらし、ヨーロッパ諸国の通商圏を大幅に拡大させた。 |
1524年、インド総督として赴任のため三度目の航海を行ったが、ゴアに到着して間もなくマラリアに感染し、クリスマス・イヴの12月24日に死亡した。 |
▼ 聖堂の内部には、インド航路を発見したヴァスコ・ダ・ガマや彼の偉業を謳った16世紀の国民的大詩人 カモンエスの石棺が安置されている。 |
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聖堂に安置されているヴァスコ・ダ・ガマの石棺
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白と黒のモザイクが美しいリベルダー大通りの歩道 |

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ポンバル侯爵広場 Praça Marquês de Pombal
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▼ ポンバル侯爵(1699-1782)は、ジョゼ
I
世の宰相を務めたポルトガルを代表する政治家。1755年のリスボン大地震で壊滅した首都をパリに似た現在の美しい街に造り変え、多くの分野で改革を行い、近代化を進めた。 |
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ロータリーになっている広場の中心に立つ巨大な円柱の頂上から、ライオンを従えた侯爵の像がリスボンの町を見下ろしている。 |
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ポンバル侯爵広場 |

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ロッシオ駅 Estação
Ferroviária do Rossio
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ロッシオ(ロシオ)駅は最も重要な広場であるロシオ広場に位置している。ロ
ッシオ駅は以前は中央駅 Estação Central
として知られ、その名称は現在でもファサードに残されている。 |
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駅はポルトガル王国鉄道
Companhia Real dos Caminhos de Ferro
Portugueses によって発注され、1886~1887年にポルトガル人建築家ホセ・ルイス・モンテイロ
José Luís Monteiro によって設計された。 |
広場の北西側の美しいネオ・マヌエル様式のファサードは16世紀初期のポルトガルのマヌエル様式を豊かに再現している。最も特徴的なものは、二つの蹄鉄をかたどった入口で、時計の小塔や豊富な彫刻、駅構内の様式もユニーク。 |
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19世紀ネオ・マヌエル様式で建てられたロッシオ駅 |

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リスボンのロッシオ広場は、リベルダーテ大通りとバイシャ地区の接合部にある。その中央には、ブラジル初代総督ペドロIV世のブロンズ像が立ち、広場の周囲には18~19世紀の建築物が並ぶ。鉄道、地下鉄、バス全ての交通機関の拠点となっている。 |
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ロッシオ広場は、通称ペドロIV世広場
Praça de D. Pedro IV
の名が広く知られている。中世からの長い歴史を持つこの広場は、かつては民衆の反乱や祝祭、闘牛、公開処刑が行われた。現在は、リスボン市民や観光客の好んで指定する待合い場所となっている。 |
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ロッシオ広場(ペドロIV世広場)
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ドナ・マリアII世国立劇場 Dona Maria II National Theatre
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リスボンのロッシオ広場に面して建つドナ・マリアII世国立劇場は、風格のある立派な建物で、6本のイオニア式列柱が美しい。その名にふさわしく、最高レベルのオペラや演劇、ミュージカルが上演される。 |
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ドナ・マリアII世国立劇場
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