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▲ 平成19年(2007)1月7日(日)午前10時から石川県金沢市金沢城公園新丸(しんまる)広場で「平成19年金沢市消防出初式」が行われ、そのアトラクションとして加賀鳶はだか放水が行われたので取材した。 |
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江戸の「大名火消」で最も有名なものが、加賀百万石の「加賀鳶」で、今の東京大学のある本郷に本拠を構え、華麗で鯔背(いなせ)な装束で知られる。加賀藩は、五代藩主綱紀(つなのり)のときに江戸の防火組織を強化し、藩士の火消役のほかに92人の鳶職を雇って消防隊を編成した。 |
加賀鳶が一躍有名になったのは、享保3年(1718)12月3日江戸本郷弓町の大火の際、幕府の定火消役の仙台兵庫の鳶と火口(ひぐち)の先陣争いで大喧嘩になり、江戸町奉行大岡越前守らの裁きで加賀鳶が勝った事件である。 |
江戸火消しの文化が現代の金沢に継承されているとは思いもよらなかった。寒いときに褌一丁の裸形(らぎょう)になるのが日本古来の男の美学である。決してやせ我慢ではなく、日頃の鍛錬の賜であり、大和撫子(やまとなでしこ)たちは、その姿に感動したのではなかったか。観客が遠くのテントの中で見学しているなか、ずぶ濡れになりながら肉薄して激写したお陰で、二度と撮れない傑作が生まれた。思い出多き一枚である。 |
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▲ 冬は裸祭のシーズンである。平成20年(2008)1月7日(月)午後8時半から福島県河沼郡柳津町(かぬまぐん・やないづまち)圓蔵寺(えんぞうじ)福満虚空蔵尊(ふくまん・こくぞうそん)の本堂・菊光堂(きくこうどう)で奇祭「七日堂裸詣り(なのかどう・はだかまいり)」が行われたので、長谷川昇司さんの案内で激写してきた。 |
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七日堂に入った裸たちは真新しい麻綱(あさづな)を奪い合い、互いに押しあいながら威勢良く鰐口(わにぐち)登りを始める。鰐口は、仏堂正面の軒下につるされている扁円・中空の音響具で、参詣者は、打ち綱(うちづな)を振り動かして打ち鳴らし、堂内を浄めるためのものである。 |
身軽で体力がないと上までは登れない。堂内は、もみ合いながら打ち綱をよじ登る男たちの熱気が立ちこめ、見物人たちは寒さを忘れて見入っていた。堂内は満員で身動きできず、撮影場所を確保するのに難儀したが、どこからでも絵になる構図だったため、オリンパスの愛機のお陰で、フラッシュの光が天井に回り込み、傑作をものにすることができた。 |
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平成17年(2005)初めて鐵砲洲稲荷神社寒中水浴大会を取材 |
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▲ 平成17年(2005)1月9日(日)、三木芳樹さんに誘われて、東京都中央区湊一丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社の寒中水浴大会を取材した。神社は地下鉄・日比谷線八丁堀駅A1出口から徒歩7分にある。 |
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この行事は薄着と水浴により難病から救われた地元の人々が氏神様への感謝の気持ちを込めて始めたものといわれ、戦後復活して今回で50回目となる。この日は穏やかな天候に恵まれ、女性2名を含む38名が参加した。 |
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50年間寒中水浴大会を催行された中川正光・前宮司 |
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毎年北海道の網走川で北方戦没者慰霊の寒中水浴 |
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50年間、寒中水浴大会を催行されてこられた中川正光・前宮司は、97歳の長寿を全うされた。毎年、北海道網走市の網走川で北方戦線の戦没者の慰霊のために外気温-6℃の中で寒中水浴を続けてこられた。 |
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介添役の平野五雄さんによると、禊が終わってシャーベット状の網走川から上がると、全身が凍りつき、体毛が小さなツララ状となる。それを拭うと、毛が根本から折れて、毛穴から血が滲んでくるというから凄い寒行である。 |
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平成17年(2005)5月例大祭パンフレット |
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十八代中村勘三郎丈 歌舞伎座前お祝い担ぎ |
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▲ 平成17年(2005)の5月には鐵砲洲稲荷神社例大祭が開催され、中村勘九郎さんの十八代中村勘三郎襲名を祝賀して、5月1日、弥生会から勘三郎さんに半纏がプレゼントされ、歌舞伎座前で御本社神輿のお祝い担ぎが行われた。 |
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▲ 平成18年(2006)1月8日(日)、鐵砲洲稲荷神社で51回目の寒中水浴大会が開催され、初めて弥生会の半纏をお借りして密着取材させていただき、「続寒中水浴大会」として発表した。取材終了後、弥生会の直会(なおらい)で氏子の皆さんと一緒に会食する機会を得た。 |
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平成18年(2006)2月弥生会の会友となる |
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▲ 密着取材が縁で、平成18年(2006)2月の弥生会総会で青柳晴男会長から会友に推挙され、承認された。送られてきた弥生会の名簿には、「名誉会員・中村勘三郎」に並んで「会友・久芳勝也 和田義男」と並んで表示されており、大変光栄に思った。 |
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ちなみに、久芳勝也(くば・かつや)さんは絵地図画家で、鐵砲洲大祭の美しいイラストマップを作成されている。 |
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▲ 平成19年(2007)1月14日(日)、鐵砲洲稲荷神社第52回寒中水浴大会を取材し、「鐵砲洲寒中水浴'07」として発表した。この年から大型円形水槽がお目見えし、前年の秋、東京メトロの広報パンフレットに私の写真4枚を使って寒中水浴大会が紹介されたこともあって、観客も飛躍的に増え、寒中水浴大会は新たな時代を迎えた。 |
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▲ 昭和22年(1947)丁亥(ひのとい)の年に生まれた私は、平成19年(2007)3月6日に満60歳の還暦を迎えた。心身を一新して二巡目の人生を健康で明るく過ごしたいと思い、平成20年(2008)正月13日(日)に鐵砲洲稲荷神社で還暦記念の寒中水浴をして、厄払いをすることにした。 |
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午前11時から川面流旭会(かわづらりゅう・あさひかい)の道彦(みちひこ)・小杉與四郎(こすぎ・よしろう)さんの指導で一般参加者36名を含む約60人が裸(女性は白衣)になって53回目の寒中水浴が行われた。 |
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▲ 中川文隆宮司のご高配により、神事の寒中水浴に続き、赤褌(あかふん)を締めて平野五雄さんと三木芳樹さんの3人で還暦記念水浴を行った。介添役の長谷川昇司・石川辰夫両氏はじめ約20人の方々が一緒に参列水浴して還暦を祝っていただいた。今回は星宏幸さんに撮影をお願いし、「鐵砲洲寒中水浴'08」として発表させて頂いた。 |
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初めての寒中水浴は、大変厳しいものがあったが、何とか醜態を見せることなく終わったので、安堵した。これまで見る立場ばかりだったが、初めて祭に参加して見られる立場となったことは良い経験になり、一生に一度の還暦記念赤褌水浴は、終生の思い出となった。 |
恒例の弥生会の直会に出席し、歓談させていただいたが、スピーチを求められたので、これから毎年、寒中水浴大会に参加させて頂くことを表明し、以後、鐵砲洲の粋な江戸っ子たちとの心温まる交流が始まった。 |
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▲ 2008年12月中旬、(株)交通新聞社第1出版事業部/ムック・書籍編集部から大人の首都圏散策マガジン「散歩の達人ムック/祭り&イベントカレンダー2009」(平成20年12月27日発行 96頁 定価780円)が送られてきた。先月、編集部からWa☆Daフォトギャラリーの写真の使用願いがあり、深川八幡祭、秩父夜祭、高尾山薬王院・大火渡り祭、鐵砲洲寒中水浴大会、鹿島神宮大寒禊など7点の写真を提供していた。 |
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14頁から始まる「水の祭り」では、トップに鐵砲洲稲荷神社の寒中水浴大会が紹介され、私の写真が掲載されていた(写真上)。次点は私の撮影した鹿島神宮大寒禊だった。鐵砲洲の寒中水浴大会が関東一の水の祭りにランクされたことはとても素晴らしく、私の一連の作品がその一助になったとすれば、大変嬉しく思う。 |
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▲ 平成21年(2009)1月11日(日)午前11時から鐵砲洲稲荷神社で第54回寒中水浴大会が開かれ、昨年に引き続き参加した。この模様は星宏幸さんが撮影され、第5作となる「鐵砲洲寒中水浴'09」が生まれた。 |
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▼ 今回、初めて僧侶が鐵砲洲寒中水浴に参加した。この方は、昨年9月7日武蔵御嶽神社主催の滝行の取材で知り合った高野山真言宗 小林宗峰 阿闍梨(あじゃり)(写真下・左)で、御嶽山で鐵砲洲寒中水浴大会にお誘いしたところ、このたび弟子たちと共に参加されたものである。 |
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▲ 武蔵御嶽山綾広の滝での水行で知り合った最長老74歳の羽場左近さん(写真上・右)は、今年は鐵砲洲寒中水浴大会に出席できなかったが、来年の55回大会に参加される予定で、今からご一緒できることを楽しみにしている。実現すれば中川正光・前宮司に次ぐ長老の水行者となる。 |
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▲ 滝行は、厳しい修業で知られる山伏が最も得意とする水行である。平成18年(2006)2月18日(土)、新潟県南魚沼市塩沢で開催された「第22回しおざわ雪譜(せっぷ)まつり」の冒頭、積雪・氷柱に囲まれた厳寒の火生滝(かしょうのたき)で行われた巻機山萬学院(まきはたやま・まんがくいん)田村昌法住職(里山伏)による壮烈な滝行を取材したのが最初である。 |
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立源寺水行式(東京都目黒区中根) 2009.2.10 |
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▲ 滝に打たれたり、川や海に入る水行もあるが、日蓮宗の水行は、経文を唱えながら水を浴びる修行法である。昔から水には霊力があって身心の穢れを払うと信じられており、仏教でも六根清浄の方法として古くから水行が行われてきた。 |
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平成21年(2009)2月10日(火)午後1時半から東京都目黒区の日蓮宗・立源寺(りゅうげんじ)で水行式と大祈祷会(だいきとうえ)が開かれ、立源寺のご厚意により、半纏をお借りして密着取材することができた。この行事は、厳冬期100日間の厳しい水行を無事に終えた日蓮宗の荒行僧たちの成満祭(じょうまんさい)である。 |
日蓮宗の水行は、水行桶で水盤から水を汲んで澡浴(そうよく)する独得の方法で行われる。水行中に唱える水行肝文(すいぎょうかんもん)は、水行の目的と願旨を法華経中より撰出した経文である。この水行は、日像上人を嚆矢(こうし)とし、多くの先師たちの実践を経て今日に継承されている。 |
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▲ 平成21年(2009)4月10日(金)、東京都千代田区九段に鎮座する靖國神社で日本相撲協会による奉納大相撲が開催された。靖國神社創立140年を記念して横綱手数入(でずいり)(土俵入)が奉納されるとあって、朝5時起きして相撲場に赴き、4時間に及ぶ大相撲無料公演の取組みを激写した。 |
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相撲は日本の国技で、神社の奉納相撲によって発展してきた。古代ギリシャのオリンピックの格技に該当するもので、古代ギリシャでは全裸で行われたが、日本では相撲褌一本の裸形で行われる。 |
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▲ 江戸時代になると、深川の富岡八幡宮で勧進相撲が誕生。現在の大相撲に発展し、日本独自の裸褌文化として開花した。絹のカラフルな相撲褌(まわし)や一本の褌が進化した化粧廻し、行司や呼び出しの古式豊かな装束など、独特の相撲文化は、日本人のアイデンティティ溢れる祭典として、海外からも人気を集めている。 |
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▲ 江戸時代の伝統装束を継承してきた大相撲は、神事や礼儀を重んじ、ただ強いばかりではなく、相手を敬う心や心技体に品格が備わって初めて横綱に推挙されるなど、全人格を追求する相撲道にまで昇華している。 |
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▲ 東京深川の富岡八幡宮には横綱力士碑があり、代々の横綱の四股名が石碑に刻まれ、その功績が末代まで讃えられている。横綱に昇進した席取りは、拝殿の前で土俵入りを奉納するのがしきたりとなっている。 |
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フランスのシラク前大統領は、愛犬に Sumo と名付けるなど、大の大相撲ファンで、富岡八幡宮にも来訪し、フランス大統領杯を創設したことで知られるが、現在のサルコジ大統領は、「髷を結った太った男たちによる美しいとはいえないスポーツ」と酷評し、大統領杯を廃止したことで、日本人の反感を買った。 |
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▲ 平成19年(2007)9月16日(日)、勇壮な御柱祭(おんばしらまつり)で知られる長野県諏訪市に鎮座する諏訪大社(すわたいしゃ)の上社(かみしゃ)本宮(ほんみや)で十五夜相撲が開かれた。境内には相撲界最強と讃えられる信濃出身の雷電爲右衛門の銅像があり、八幡宮と同様に、諏訪大社や諏訪神社が相撲に力を入れていることがよく分かる。 |
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長野県無形民俗文化財の十五夜相撲は、200年ほど前の江戸時代から行われており、取組の前に化粧まわしをつけた地元力士が相撲甚句にあわせて相撲踊りを奉納する。この踊りは、両手で胸を叩く胸叩(むねたたき)と呼ばれる仕草が特徴である。余り知られていないためにカメラマンの姿も少なく、力作を切り取ることができた。 |
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