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和田義男

 旅紀行ジャパン

2009年7月29日改訂

今 日

昨 日

♪和楽器メドレー

 

益荒男や山笠清道を駆け抜けり   北舟

 
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Brave men ran through
the purified road with a yama on their shoulders.

2009年7月23日制作

大黒流の疾走!

撮影:ちばあきお

博多祇園山笠(福岡県福岡市)

世界を撮す遊び人
1,000万アクセス突破記念!
和田義男講演会

祭6

船橋大神宮子ども相撲

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   平成16年(2004)10月17日(日)千葉県船橋市に鎮座する船橋大神宮で学童による奉納相撲が開催されたので取材した。この奉納相撲は約400年前に徳川家康が鷹狩りで船橋に滞在した際地元漁師の子供たちが相撲を取って見せたところ、大変喜んだ家康が神社に奉納したことに始まるという。  
 家康の船橋御殿が廃止された後も、その広大な地所を与えられた大神宮の祭礼に相撲は欠かせない行事となった。江戸時代には行司の差し違いがあるたびに力士の応援者同士で喧嘩が起きたところから「船橋のけんか相撲」の異名がつき、関東でも屈指の草相撲として名を馳せたという。
(別名)船橋のけんか相撲 見事な土俵際の上手投げ!

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  ▲ アマチュア相撲を取り仕切る日本相撲連盟や国際相撲連盟は世界中に日本の相撲を広めるためパンツの上に相撲褌(まわし)を締めることを認めてしまい、正視に耐えない姿で相撲が行われるようになってしまったが、ここでは、国技の伝統に従い、女子以外は直接肌にまわしを締めさせている。  

団体戦二連覇の海神小学校

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  ▲ 大会役員の説明の中で、褌を締めて相撲を取るという言葉が紹介され、子供たちは相撲まわしも「ふんどし」と呼ぶことをおそわっていた。  
  パンツの上にまわしを締めるなら参加するという学校があるが、伝統文化を損なう申し出には一切応じないという。船橋の人々が400年もの昔から受け継いできた国技の相撲をかたくなに守っていることに感動した。

盛岡舟っこ流し

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  ▲ 平成20年(2008)8月16日(土)、岩手県盛岡市で盆の送り火の行事として知られる北上川の「舟っこ流し」が開催された。北海道のH.I.さんは、自身も赤褌(あかふん)を締め、毎年伝統の水褌(すいこん)姿で参加している曹洞宗(そうとうしゅう)長松寺(ちょうしょうじ)仙北二丁目自治会を密着取材し、処女作「盛岡舟っこ流し」が生まれた。  
 精霊流し(しょうりょうながし)又は灯籠流し(とうろうながし)は、8月16日の送り盆の日に死者の魂を弔って灯籠や精霊舟(しょうりょうぶね)、お盆の供え物などを川や海に流す仏教の送り火の行事である。盛岡の「舟っこ」と呼ばれる流し舟も精霊舟の一種である。
 「舟っこ」は、船首に竜頭があることから竜頭舟(りゅうとうせん)とも呼ばれ、舟の中央部に墓石をかたどった供養塔を立て、その前後に物故者の戒名札を張り出し、南無阿弥陀佛と墨守した五色幣などで彩られる。多くが町内会単位で、一月ほど前から制作が始まる。
観衆の前で精霊舟に点火 炎上し火焔をはく竜頭舟

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水褌の少年

水褌の少年

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  ▲ 夏の水浴といえば、戦前まで男子は水褌(すいこん)が当たり前で、盛岡では全員赤褌(あかふん)を締めて北上川で泳いでいたことから、「舟っこ流し」も全員赤褌姿で行われていたという。
 長松寺(ちょうしょうじ)の斗ヶ澤祥悦(とがさわ・しょうえつ)住職(66歳)によると、戦後からその風習が崩れ、現在、古式ゆかしい赤褌姿で参加している団体は長松寺の仙北二丁目自治会だけになったという。
 今も「舟っこ流し」は人気があり、是非参加させて欲しいという申込みが多いが、赤い六尺褌を締めて行うことを告げると、尻込みする人が多いという。「最近の若者はひ弱になったものだ」とは住職の感想であり、嘆きである。

★☆

 現在でも学習院は夏の臨海学校で赤褌を締めて泳いでいる。当時の皇太子殿下の赤褌写真は、よく知られている。巣鴨や九段高校も実践しており、伝統の裸褌文化の伝承に力を入れている。小学校唱歌「我は海の子」を彷彿とさせる社会教育であり、エールを送りたい。
 

宮島玉取祭

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  ▲ 安芸の宮島の玉取祭は、毎年大潮のときに広島県廿日市市(はつかいちし)・厳島(いつくしま)(通称・宮島)に鎮座する厳島神社(いつくしまじんじゃ)で行われる神事で、裸の男たちが大鳥居と社殿の間の海中に据えられた櫓(やぐら)に吊された宝珠(ほうじゅ)を奪い合う勇壮な裸祭である。  
 厳島神社は、平清盛(たいらのきよもり)の平安時代に、平家一族の拝するところとなり、仁安3年(1168)には本格的な社殿が造営されて、安芸国一宮へと発展し、大いに栄えた。
 平家滅亡後、鎌倉時代から戦国時代にかけて社運は衰退したが、弘治元年(1555)毛利元就(もうりもとなり)が厳島の合戦で勝利を収め、神社を深く崇敬した。豊臣秀吉も九州遠征の際に立ち寄り、安国寺に大経堂の建立を命じている。また、千畳閣も秀吉の奉納で、死亡により、未完のまま現在に至っている。

火焼前の沖合に設置された櫓

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  ▲  厳島では、約400年前の戦国時代から旧歴7月14日の夜、本社拝殿に5尺(約1.5m)四方の台をつくり、その中央に恵比寿・大黒の福神像をすえて延年行事を行ない、行事がすんで台がおろされると、待ち構えていた褌姿の男たちにより、福神像の激しい争奪戦が演じられたという。  
 この延年祭(えんねんさい)は、明治維新後の神仏分離政策により廃止されたが、明治初期に玉取祭として復活した。宝珠の落し主、取り主には年男として今年1年の幸運が約束される。
火焼前から海に入る裸衆 櫓に吊された宝珠を奪うはだかたち

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  ▲ 玉取祭は水褌(すいこん)という伝統の祭装束に統一されておらず外来文化である海水パンツ姿の参加者が大勢いて、著しく品位が損なわれており世界文化遺産に指定された厳島神社の神事とはとても思えない。本来なら没にしたいくらいだが、パンツ姿を極力カットすることで作品の品位を高め、何とか完成した。  
 平成21年(2009)2月、広島で厳島神社の禰宜と会食する機会があり、この件を指摘したところ、参加者が少なく海パンを認めざるを得ないとのことだった。厳島神社は代々時の政権に庇護され地元民を守る産土神(うぶすながみ)でなかったことが、このような悲惨な状況になっているのだろうか。
 神社の大切な無形文化財たる神事は、それを支える氏子たちが先祖から受け継いだ伝統文化を変質させることなく次代に受け継いで行こうとする熱意にかかっている。廿日市市の良識ある市民の奮起を促したい。

四天王寺どやどや

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  ▲ 四天王寺どやどやは、昔は旧正月の修正会(しゅしょうえ)結願日(けちがんび)の夜、西大寺会陽や黒石寺蘇民祭と同じように地元民が激しい争奪戦を繰り広げていたため、日本三大奇祭の一つに数えられていた。  
 しかし、現在は褌一丁で御札を奪い合うという伝統は固持しているものの、外来者が入ることによる事故や混乱を避けるため、日中に特定の中高生だけが参加する行事となっている。しかも、赤白に別れてはいるものの、学校対抗ではなく、同じ学校同志の争奪戦となっている。
 観光客からすれば、日本三大奇祭のひとつを日中容易に見物することができるようになったが、反面、余りにも過保護になったきらいがあり、古来から継承されてきた伝統が変質している点は否めない。現代を生きる学生に日本の裸褌文化を経験させるという社会教育には大賛成だが・・・。

博多祗園山笠/福岡市

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  ▲ 平成16年(2004)7月1日(木)から15日(木)まで、福岡県福岡市で、博多の夏を告げる博多祇園山笠(はかた・ぎおん・やまかさ)が開かれた。昭和54年(1979)に国の重要無形民族文化財の指定を受けたこの夏祭は、櫛田神社の祇園例大祭で、760年の歴史を持つ。  

大庭靖雄さんの名作「しぶきを上げて!」/中洲流

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  ▲ 毎年7月1日から市内各所で華麗な飾り山が展示され、1日に当番町・役員が箱崎浜(はこざきはま)で身を清めるお汐井とり(おしおいとり)に始まり、10日の流れ舁き(ながれがき)、11日の朝山(あさやま)、12日の追い山馴らし、13日の集団山見せと次第に盛り上がり、15日の追い山で最高潮に達する。  
かわいい女児もふんどしルック 女の子も褌を締める博多山笠

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  ▲ 博多山笠の裸褌文化は徹底している。女児の締める褌(地元では「締め込み」と呼ぶ)も販売されており、祭期間中の博多っ子は、女の子までが褌を締めている。女の子もみんなで締めれば恥ずかしくないのだろう。  
大手デパートで行われた「男の尻写真展」 追い山/迫力のタイムレース

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▲/写真左 祭り期間中、「男の尻写真展」が三越で開かれていた。主催と共催を見ると、博多祇園山笠をプロモートしているれっきとした公的団体である。当然ながら、展示写真は締め込み姿の男性の尻の拡大写真ばかりである。受け取り方は様々だと思われるが、おおらかな裸褌文化が息づく博多ならではの企画といえよう。
  時  期 : 7月1〜14日
  主 催 者 : 博多祇園山笠振興会(共催:福岡市観光課 西日本新聞社)
  開催場所 : 福岡三越 1階 ライオン広場

★☆★彡

▲/写真右 博多山笠は江戸時代までは褌一丁で行われていたが、明治維新以後は、裸が野蛮だとする西洋の価値観を鵜呑みにした明治政府の文明開化政策の影響で、褌の上に水法被をはおるようになった。
 その後は伝統の祭り装束を変質させることなく、裸褌文化が継承されている。山笠(やまかさ / 山・ヤマ)に熱中する男のことを「山のぼせ」又は「のぼせもん」という。2週間の祭期間中、300万人の観光客が福岡市を訪れ、博多の町は山笠一色になり、山のぼせたちで町が熱く燃えあがる。博多山笠は博多っ子の誇りであり、その勇壮さ
・男らしさ・熱中度において日本一の裸祭といえよう。

西大寺会陽

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  ▲ 日本三大奇祭の筆頭に数えられる勇壮な裸祭として名高い西大寺会陽(さいだいじ・えよう)は、岡山市・西大寺観音院で毎年2月の第3土曜日の夜に行われる。白褌一丁の男たち約9千人が真夜中の12時に投下される2本の宝木(しんぎ)をめぐって激しい争奪戦を繰り広げる。  
 平成21年(2009)には節目となる第500回会陽が開催された。諸般の利便を考慮し、翌年からは宝木投下が午後10時に変更されることになった。

西大寺の寺宝「会陽の図」/岡山県重要文化財

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  ▲ 江戸・寛文(かんぶん)年間(1655〜1672)に奉納された西大寺寺宝の「会陽の図」は、岡山県重要文化財に指定されているが、そこには着物に六尺褌を締めた男たちが宝木(しんぎ)を求めて揉み合っている姿が生き生きと描かれている。この日本人の裸褌文化こそが日本の祭のルーツであり、アイデンティティ(日本人らしさ)あふれる祭礼として継承されている。  

英国スコットランドの伝統衣装「キルト」の下はノーパン

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  ▲ 英国スコットランドの伝統衣装であるキルトの下は、何も履いてはいけない。いわゆるノーパンで、風が吹くとマリリン・モンローの「オーノー」スタイルになる。イギリスのチャールズ皇太子もキルト着用時は伝統に従っているという。  
 イギリスの結婚式で、男性はお色直しにキルトを着用することがあるが、そのとき、キルトを剥ぐってパンツを履いていないことを確認する好奇心旺盛な来客がいるので、新郎は気を許せないらしい。イギリス人は、古いものに価値を見出し、伝統を誇りに思う民族である。

子供たちに股間を覗かれて揶揄されている光景

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  ▲ 平成19年(2007)の青梅大祭の取材で、ある古刹の高齢の住職と歓談したとき、ふんどし談義となった。住職に聞くと、褌はタンスにしまっていて、パンツを履いているという。私はイギリスの伝統を重んじるキルトの話をしたところ、明日から褌に戻すといわれた。不便でも何でも、着物の下は褌でなければサマにならない。  
 写真左の「英国のキルト」と写真右の「日本の褌」はいずれも子どもが男性の股間を覗いて揶揄(やゆ)している図である。洋の東西を問わず、伝統文化を守るには、それなりのこだわりと忍耐が必要である。

日本の祭 終

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   日本の伝統の祭は、美しいもの、厳しいもの、勇壮なもの、男らしいものなど、色々とある。価値観も所によっては逆転することもあり、多様化しながらも日本古来の祭文化が継承されている。金子みすゞの詩のように、みんな違ってみんな良い。先祖伝来の伝統は、これからも変質することなく子々孫々に伝えられるよう祈念したい。  

おわりに

  ▲ 駆け足でWa☆Daフォトギャラリーのエッセンスを紹介したが、ここから見えてくるものは、上記に列挙したとおりである。個々に説明することは省略させて頂き、読者のご賢察を仰ぎたい。  

最後に日本人の遊び心を力説!

  ▲ 後白河法皇が極言された「遊びをせんとや生(むま)れけむ(たわぶ)れせんとや生(むま)れけん」は、還暦を過ぎた私にとっては、とても勇気づけられる言葉である。これからも世界一の長寿を誇る日本人の誰もが持つ遊び心を大切にして、彩り豊かな人生を送りたい。  
 「好きこそものの上手なれ」や「下手の横好き」という言葉があるが、それは人の評価であって、気にしなくて良い。要は、好きになり切れることが一番大切だと思う。そのためには、野次馬根性(知的好奇心)と根気(勤勉)と気力体力(健康)の3つが必要である。どれか一つが欠けると、とたんに元気がなくなる。
 日本人が持つ優れた遊び心は、経済を活性化する妙薬であり、元気な遊び人こそ高齢化社会の主役である。みなさん、いっしょに遊びましょ!

世界を撮す遊び人 終

  ▲ 2時間の講演は時間が足りず、「第二部 日本の祭」は靖国神社奉納大相撲以降すべて割愛してしまった。そのため、後日、自宅のパソコンでゆっくりと鑑賞していただけるようCD版電子紙芝居を希望者に進呈した。用意した20枚はあっという間に無くなり、後で10枚ほど郵送させて頂いた。  
Wa☆Daフォトギャラリー

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