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▲ 西洋の驚異といわれるモン・サン・ミシェル(聖ミカエルの山)は、フランス西海岸、サン・マロ湾上に浮かぶ小島に築かれた修道院で、カトリックの巡礼地のひとつ。1979年に世界遺産に指定され、1994年にラムサール条約登録地となった。 |
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かつては巡礼者が満潮で溺死するなど、悲劇が繰り返されたため、道路が建設されて巡礼や観光に便利になったが、島が海砂に埋まってしまったため、以前の景観に戻すべく道路を撤去して橋が架けられることになった。フランスの観光も日本人に人気があるが、モン・サン・ミシェルは特に人気が高い。 |
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▲ 感動写真集作者の横尾ただしさんは、世界中の路面電車を撮影してホームページに掲載されている。2009年は70日間のヨーロッパ旅行を終えて6月上旬に無事帰国された。 |
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▲ 横尾さんのサイトには、これまでに45ヵ国 340都市 6,541枚の写真が収録されており、世界を旅して路面電車を収集してこられた情熱には頭が下がる思いで、いつも元気を頂いている。この写真はシドニーのトラムとモノレールを撮影したものだが、撮影チャンスを忍耐強く待つことが大切だと教えられる。 |
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▲ 2008年6月中旬、家内と二人でクラブツーリズムが主催する「ドイツハイライト8日間」に参加し、初めてドイツを旅した。最初はドイツ南部のライン川下りに参加。伝説で有名なローレライを通過したが、にわかに黒雲が湧き上がり、雷雨に見舞われた。昔の舟人は、妖精の仕業だと考えたのだろうか。 |
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ここはS字カーブになっていて川の流れが速く、ローレライの岩山の下部には暗礁があり、航海の難所となっている。ただの岩山があるだけだが、かつて学校で習ったローレライの名曲を思い出し、何故か懐かしさを感じた。 |
ローレライを航過した先で下船し、昼食を取ったが、船着場の売店でドイツ語で歌うローレライの曲が入ったCDを買った。後日、日本に持ち帰って聞いてみると、行進曲風の勇ましい曲で、伝説を思い浮かべるような雰囲気ではなかった。同じ曲でも日本のローレライの方が詩情豊かで、ドイツ人と日本人の感性の違いを強く感じた。 |
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▲ シンデレラ城のモデルになったといわれるノイシュヴァンシュタイン城は中世風の城だが、築城は19世紀後半の1869年のこと。政治には一切関心がなく、築城オタクといわれるバイエルン国王ルードヴィヒII世(1845-1886)が17年の歳月と巨費をつぎ込んで建てた白亜の美しい城である。見る方角によって姿が変わるロマンあふれる名城として名高い。 |
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ドイツの偉大な作曲家リヒャルト・ワーグナーのパトロンとして、異常なまでにオペラに取り付かれたルードヴィヒII世は、「ローエングリン」「トリスタンとイゾルデ」など数多くのオペラの場面を城内の壁画に描かせている。 |
ノイシュヴァンシュタイン城のグランドデザインを任されたのは、城郭建築の専門家ではなく、宮廷劇場の舞台装置や舞台美術を専門にしていた画家だったというのも驚きで、この城は、中世の騎士道を崇拝するルードヴィヒII世が、こだわりをもって完成させたワーグナーのオペラの舞台に似合う趣味の城に他ならない。 |
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▲ ロマンチック街道は、ドイツ南部にあるヴュルツブルクからフュッセンまでの366kmの街道である。ここに城壁で囲まれた「中世の宝石箱」と呼ばれるローテンブルクがある。ドイツ観光のハイライトとなっているローテンブルクは、正式には「ローテンブルク・オプ・デア・タウバー」(タウバー川の上方にあるローテンブルク)という。 |
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町の起源は9世紀まで遡り、最初の城壁は12世紀に完成。17世紀の三十年戦争の頃まで自由都市として栄えた。現在も中世の面影をほぼ完璧に残している町として、世界文化遺産に登録されている。 |
この写真は、市庁舎(ラットハウス)の展望台からパノラマ撮影した自慢の逸品だが、我々の後に上がってきた観光客は、僅かに閉門時間を過ぎていて登らせてもらえなかった。日本なら海外からやってきたことを考えれば、5分もかからない延長をサービスすると思われるが、この門番は国民性を思わせる冷酷さを見せた。 |
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▲ 2007年6月中旬、家内と共にクラブツーリズム主催の「美しき北欧4カ国スペシャル8日間」の旅に参加し、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの北欧4ヵ国を巡った。 |
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圧巻はノルウェーの世界一のフィヨルドである。フィヨルドとは、両岸を急峻で高い断崖に挟まれた細長く深い湾で、氷河に浸食された氷食谷(ひょうしょくだに)(コル)が沈水した地形のこと。ノルウェー語で「内陸部へ深く入り込んだ湾」という意味である。 |
ノルウェー西部にある全長204km、最深部1308mのソグネフィヨルドは、世界一長くて深いフィヨルドで、入口はベルゲンから約72km北のノルウェー海にあり、そこから大地を裂くように東に切り込み、内陸部に進むにつれて何本ものフィヨルドに枝分かれしている。ナーロイフィヨルドは、その枝分かれの部分である。 |
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▲ フィンランドの首都ヘルシンキでは、UFOを思わせる特異なデザインのテンペリアウキオ教会を訪れた。この写真を見た読者が感動し、ヘルシンキに行って見ると、大したことはなくてガッカリしたとの苦情が寄せられた。「百聞は一見に如かず」という諺は、写真にも当てはまることを思い知らされた。 |
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▲ デンマークの首都コペンハーゲンの港には、ハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話「人魚姫」をモチーフに造られた人魚姫の像がある。両足に尾鰭(おひれ)がついている高さ125cmの銅像は、人魚姫のバレエに感銘を受けたカール・ヤコブセンの依頼により、彫刻家エドワード・エリクソンが妻エリーネをモデルに制作したもので、1913年に公開された。俳優の岡田眞澄さんは、モデルのエリーネの甥に当たるという。 |
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人魚姫の銅像は、ベルギーのブリュッセルの小便小僧とシンガポールのマーライオンと共に世界三大ガッカリに数えられているが、背後にあるロマンを考えると、唯物的にしか考えられない心の貧しい人の評価であると思う。 |
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▲ デンマークの首都コペンハーゲンのストロイエ通りには皇室御用達のロイヤルコペンハーゲンの本店があり、陶磁器のショッピングを楽しんだが、レジで後回しにされた人がいて、バスの出発が遅延した。迎えに行った現地ガイドによると、日本人は店内に長くいても安心だから後回しにしたとの弁明を受けたという。 |
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日本人の評価が高いのは有り難いことだが、とかく日本人は、羊のようにおとなしく、優しいといわれているが、馬鹿にされないためには、ときには不正に対して怒りをあらわにしたクレーマーになることも必要である。 |
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▲ 2009年4月下旬、家内と共にクラブツーリズムが主催するギリシャ10日間の旅に参加した。古代アテネの栄光を象徴するパルテノン神殿は、首都アテネのアクロポリスの丘に建っている。ドリア式の列柱に囲まれた横31m縦70m、柱高10mの堂々たる建物で、15年の歳月を費やして、紀元前432年に完成した。 |
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2440年もの間、風雪に耐えてきた神殿は、アテネの守護神アテナ女神を祀ったもので、市内の至る所から見え、アテネ最大のシンボルとなっており、1987年に世界遺産に登録された。エンタシスと呼ばれるふくらみを持つ円柱は、法隆寺の中門(国宝)の柱にも影響を与えている。 |
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▲ ギリシャのアテネ考古学博物館は、ギリシャ各地の遺跡から出土した遺品が多数収蔵されている。特に、ギリシャ語で「少年」や「息子」を意味するクーロスという青年裸像が多数展示されているのが特徴である。 |
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中でも古代ギリシャのアルカイック期(紀元前7〜5世紀)に造られたクーロスは、口元に微笑をたたえた表情をしていることから、そのような微笑をアルカイック・スマイルと呼ばれるようになった。パリ・ルーブル美術館の「モナ・リザ」や奈良中宮寺の「弥勒観音菩薩半跏思惟像」に見られる神秘的な微笑がアルカイック・スマイルといわれるのは、このクーロス像に見られる微笑に似ているからである。 |
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▲ かつてギリシャで行われていた古代オリンピックは、主神ゼウスに捧げる祭典で、紀元前6世紀の壺絵によると、都市国家から参加した選手たちは、日本の裸祭りのように、ゾマと呼ばれる褌一丁で競技していた。紀元前7・8世紀ころ、褌が外れる事故が発生し、以後全裸で競技するようになった。褌が外れたため転倒して死亡したからだとか、身軽になって優勝したためだとか諸説があるが、はっきりした理由は不明である。 |
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古代ギリシャでは、人間は主神ゼウスが自らに似せて創ったもので、鍛えられた肉体は誇るべきものとされていたため、選手たちは全裸で競技しても恥ずかしくなかったと考えられている。日本でも全裸による祭礼が散見されるが、羞恥心を越える価値観があるからで、ヌーディストクラブもその範疇に入る。 |
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▲ アテネの北西約180kmに位置するデルフィは、標高2,457mのパルナッソス山 南西部にあるファイドリアスと呼ばれる切り立った崖の麓の斜面に紀元前20世紀頃に建設された都市国家である。当時、この地は、オンファロス(大地のヘソ)、つまり、世界の中心地であると考えられており、アポロン神殿が築かれて、秩序と音楽の神アポロンの信仰の中心地として栄えた。 |
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▲ アポロン神殿では、ピュティアと呼ばれる巫女(みこ)によるアポロンの神託が行われ、神殿を中心としたアポロンの聖域には、紀元前6世紀ころの全盛期を偲ばせる遺跡が残されており、世界文化遺産に登録されている。 |
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巫女の口を通して授けられる神のお告げは、神官によって解釈され、依頼者に伝えられた。巫女の発する言葉は、しばしば曖昧であり、どのようにも解釈できることもあったが、それによって神託の権威が失墜することはなかった。写真は、三脚台に座って神のお告げを授かる巫女と神官の姿を描いたものである。 |
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▲ 以上で6大陸全てを駆け足で巡る旅を終えたい。海外から帰国するたびに日本の素晴らしさを実感する。治安の良さ、美味い食事、清潔、接遇の細やかさ。これらは間違いなく世界一で、日本人に生まれて本当に良かったと思う。 |
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▲ これからも気力・体力・資金の続く限り、ロマンと感動を求めて世界の旅を続け、読者の期待にお応えしたい。 |
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▲▼ 第一部 世界の旅を終えて休憩に入る前に記念品抽選会を行い、Wa☆Daフォトギャラリー9年の結晶が全て詰まったDVD版Wa☆Daフォトギャラリーと昨年東京・大阪のオリンパスプラザで開催した写真展に展示していた全紙とA3大の写真を当選者に進呈した。 |
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▲ 抽選方法は、写真左上の星さんが手にしている抽選箱から私が無作為に番号札を取り出して読み上げるもので、受付でお渡ししたプログラムのお客様番号と一致した方が当選者となる。写真右上は長崎から参加された甲斐賢一郎さんが獲得した一等賞のマウント・ナウルホエのパネル写真(全紙大)。 |
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