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▲ 「竿燈まつり」は、毎年8月3日から6日まで秋田市で行われる夏祭。竿燈全体を稲穂に、連なる提灯を米俵に見立てて、平手・肩・腰・額などに載せ、豊作を祈る。国の重要無形民俗文化財に指定されており、青森のねぶた祭、仙台の七夕まつりと並んで東北三大祭の一つである。ちなみに「竿燈まつり」も暦の上では秋祭で、「竿燈」は秋の季語。 |
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▲ なまはげは、秋田県男鹿市を中心に約80の集落において大晦日に行われる伝統的な民俗行事であるが、本来は小正月の行事であったという。なまはげは、荒々しい仕草で家々を巡り、隠れていた子供たちを見つけ出しては訓戒を与え、災禍を祓い、祝福を与えて去ってゆく。1978年に「男鹿のナマハゲ」として、国の重要無形民俗文化財に指定された。 |
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▲ 花笠まつりは、毎年8月に菅笠(すげがさ)に山形特産の紅花(べにばな)をあしらった花笠を手にし、「花笠音頭」にあわせて街を踊り歩く祭である。この祭は山形市を筆頭に尾花沢(おばなざわ)市や天童(てんどう)市など山形県内数ヵ所で開催されるが、山形市で行なわれるものが広く知られている。東北三大祭に山形市の花笠まつりを加えた4つの祭りを東北四大祭と呼ぶ。 |
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▲ 仙台七夕まつりは、五節句の1つの「七夕」にちなみ、毎年8月6日から8日まで仙台市で行われる夏祭で、地元では「たなばたさん」とも呼ばれる。大規模な飾り付けがなされるのは一番町や中央通りなどのアーケード街、仙台駅周辺などだが、商店街組織や単独の店舗に家庭などを加えると、大小あわせて3000本といわれる飾り付けがなされ、街中が七夕一色になる。東北三大祭のひとつに数えられ、例年200万人以上の観客が訪れる。 |
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▲ 宮崎県は「神楽(かぐら)なしでは夜の明けぬ国」であり、現在でも県内の200ヵ所以上で様々な形の神楽が行われている。国の重要無形民俗文化財に指定されている高千穂の夜神楽は、その代表格であり、毎年晩秋から翌年の早春にかけて高千穂町内19地区で開催される。 |
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撮影:上平 明 |
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▲ 感動写真集作者の上平明さんは、平成17年(2005)12月3日(土)に下川登(しもかわのぼり)地区で行われた「下川登神楽」に一夜限りの氏子として参加し、徹夜で激写して貴重な作品を発表された。そのお陰で、千穂の夜神楽の全容を鑑賞することができるようになった。改めて上平さんのご労苦にお礼申し上げたい。 |
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▲ 平成20年(2008)5月2日(金)から5日(月)にかけて東京都中央区湊一丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社(中川文隆宮司)の例大祭が開かれたので、弥生会(青柳晴男会長)の全面的な支援を受け、神社近くのホテルに2泊して密着取材することができた。 |
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鐵砲洲大祭のハイライトは、歌舞伎座前の神輿練りである。弥生会の手配により、歌舞伎座前のビルの窓から晴れやかな御本社神輿の神輿差しを撮影することが出来た。 |
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▲▼ 御本社神輿は、次々にリレーされ、丸一日かけて氏子17ヵ町を渡御した。立派な御本社神輿に肩を入れる栄誉は、地元の氏子たちだけでなく、町外から参加した睦会のメンバーたちにも与えられた。 |
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▼ 御本社神輿は、鐵砲洲児童公園前で弥生会の会員にバトンタッチされたあと、宮前まで進み、神輿差しを行った後、午後7時前、宮元町会の大神輿や大勢の観客に見送られながら無事に宮入を果たした。 |
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平成20年(2008)の鐵砲洲大祭は6年ぶりに巨大な御本社神輿が17ヵ町を巡行する素晴らしい神輿祭だった。ヘトヘトになりながら御本社神輿と共に全町内を廻ったが、それぞれに風情があり、楽しみながら土地勘を身につけることができた。 |
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江戸っ子文化が躍動する東京の夏祭は、この鐵砲洲大祭から始まるが、何といっても歌舞伎座前の神輿練りが圧巻で、その感動を対面のビルの窓から撮影したのは私が初めてである。弥生会始め多くの方々のお陰で、江戸っ子たちの躍動する素晴らしい作品が生まれた。お世話になった皆様方には、心よりお礼申し上げたい。 |
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写真:志村清貴 |
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▲ 江戸の下町情緒が色濃く残る浅草に暮らす江戸っ子たちは、漁師が神様になった三社様(さんじゃさま)の氏子として、先祖代々、庶民の伝統文化を受け継いできた。小さいときから血湧き肉躍る三社祭に親しんできた浅草っ子にとって、三社祭は正月のようなもので、「おめでとう」と挨拶を交わし、この祭を中心に1年の計を立てる。 |
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平成18年(2006)の初夏、地元浅草にお住まいで西浅三北町会(にしあさ・さんきた・ちょうかい)に所属する志村清貴さんが三社祭に参加しながら撮影し、感動写真集に三社祭の魅力を全て網羅した「江戸っ子!三社祭」という素晴らしい作品を発表された。上の写真は、氏子として神輿と共に行動しない限り絶対に撮影できない究極の名作である。 |
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▲ 三社祭に参加する100基を越える町会神輿の中で、入墨・褌姿の裸神輿を出すのは、西浅三北町会だけで、とても目につく神輿である。事情の分からない私が初めて取材した中に、かなりの分量でこの神輿が写っていた。 |
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▲ 江戸時代の浮世絵を見ると、当世四天王と呼ばれる入墨褌姿の鯔背(いなせ)な若者たちが神輿の前で見得を切っている絵がある。白虎の市や朱雀の福などと渾名までついていて、彼らが江戸で一番もてはされた四天王なのだろう。西浅三北神輿は、丁髷(ちょんまげ)がないだけで、この錦絵に描かれた江戸時代の裸文化を現代に伝えている。 |
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▲ 浅草では、彫師(ほりし)が健在で、身を挺して入墨文化を継承するごく普通の都民が存在する。日本では入墨をしていると暴力団ではないかと思われ、銭湯の入浴が拒否されたりする。 |
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海外では総入墨は見られないが、部分的な入墨(タトゥー)には寛大で、スポーツ選手が腕などに彫っているのが散見される。サッカーのスーパースターとして名高いベッカムもタトゥー愛好者で、右腕に幅60cm全周にわたってタトゥーがある。 |
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▲ 有名な日本の民俗学者が江戸の神輿文化を今に伝えているのは三社祭だけだといっていたが、彼は西浅三北神輿を見てそう云ったに違いない。NHKのみならずマスコミ各社は暴力団が参加しているとして西浅三北神輿を無視し、絶対に報道しない。 |
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祭は、日頃のしがらみを忘れて、万人が等しく神と戯れ、神のご加護に感謝するものである。貧富の差や信条、社会的地位などによって差別したり偏見をもってはならない。 |
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▲ 平成17年(2005)8月12日(金)から15日(日)の間、富岡八幡宮の3年に一度の本祭りである例大祭が開催され、14日(土)の神輿連合渡御を取材した。江戸時代から「神輿(みこし)深川、山車(だし)神田、だだっぴろいは山王様」といわれ、神輿祭(みこしまつり)として名を馳せてきた。 |
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▲ 江戸時代から江戸三大祭は、山王祭(日枝神社)・神田祭(神田明神)・深川祭(富岡八幡宮)だといわれてきたが、最近は深川祭に代えて三社祭(浅草神社)を挙げる人が増えている。山王祭と神田祭は江戸幕府公認の天下祭として交互に入城した由緒ある祭であり、異論がない。残るひとつに三社祭を挙げる人が増えているのは規模の大きさや伝統の継承を重視する人の意見が増えているからと思われる。 |
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残念なことに深川祭では褌が禁止されている。ハンダコは大正時代に出現したもので、江戸や明治の時代は、男性の下着は褌だったので、大いなる変質だと思う。このようなことからも、江戸三大祭に三社祭を挙げる人が増えているのかもしれない。 |
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▲ 富岡八幡宮の神輿庫では、巨大な宮神輿が展示されている。一の宮神輿は、日本最大の神輿で、鳳凰の眼には4カラットのダイヤモンドが嵌められている。江戸時代に「神輿深川 山車(だし)神田」といわれてきた面目を今も保っているのは立派である。 |
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深川祭の良いところは、昔から継承してきた「ワッショイ」の掛け声が続いていることで、他の祭では「セイヤッ」などの乱れた掛け声に変質してきているのが残念である。 |
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