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JR東海道線・大垣駅に着く直前、特別快速の右窓に白い山が姿を見せた。後で地図で調べると、大垣市の北方約45kmに聳える能郷白山(のうごうはくさん)(1,617m)だった。白山という名が付くだけあって白い雪山で、牛が伏せているように見える。 |
岐阜県と福井県との県境にあり、太平洋と日本海の分水嶺となっている。山頂からは、伊吹山、加賀白山、恵那山、北アルプスの山々などがよく見えるので、人気のある山だという。 |
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JR大垣駅 |
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大垣市は、岐阜県濃尾平野(のうびへいや)北西部にあり、日本列島の「ど真ん中」にある都市として有名。県庁所在地の岐阜市に次いで県内第2位の人口約16万人を擁する。合併の不調で、日本で唯一市域が二重飛び地となっている。 |
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大垣市の西方に聳える |
伊吹山 |
(1,377m) |
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写真:フリー百科事典/ウィキペディア(Wikipedia) |
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大垣市の西方約20kmに古くから霊峰として崇められている伊吹山(いぶきやま / いぶきさん)(1,377m)がある。濃尾平野から渥美半島にかけて、冬季に北西・伊吹山の方角から吹く季節風が強く、「伊吹おろし」といわれている。この日は、関東や関西に降雪があったものの、曇時々小雨で、伊吹おろしも大したことはなかった。 |
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JR大垣駅前の臨時バス乗り場 |
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東京駅0733発「のぞみ61号」に乗り、JR大垣駅に1000頃到着。駅前から「はだか祭」のときだけ運行される臨時バスがあったので、1020発の便に乗り、運転手が道を間違えるハプニングがあったものの、20分ほどで終点・野口に着いた。宝光院はバス停の左前方、歩いて2〜3分のところにある。 |
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宝光院入口に掲示された「節分会はだか祭」の行事内容 |
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釈迦牟尼如来(しゃかむににょらい)を本尊とする宝光院(鈴木孝敬住職)は天台宗のお寺で、山号は仏道山(ぶつどうざん)。平安時代に伝教大師(でんぎょうだいし)最澄(さいちょう)が東国布教の際、延暦9年(790)に伽藍(がらん)を創建した古刹(こさつ)である。 |
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戦国時代に織田信長の兵火で全焼したが、豊臣秀吉の保護を受けて存続し、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは、徳川家康に白桃を献上したことから「桃寺」の称号を賜り、代々徳川将軍家の庇護を受けて繁栄した。境内が御朱印地のため、罪人が逃げ込み、大名奉行のご用を免れたことから「かけこみ寺」の異名を持つ。 |
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青の洞門 |
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大正8年(1919)菊池寛が発表した小説「恩讐の彼方」で、享保年間(1716-1736)に登場する大悪人・市九郎が改心し、この宝光院で出家して禅海(ぜんかい)となり、九州に赴き、青の洞門を穿った話は有名だが、フィクションではなく、史実であるという。青の洞門では、今でも当時の鑿(のみ)や金槌が保存されている。 |
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平成11年に落成した宝光院の新本堂 |
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宝光院には十二支の守り本尊があり、中でも左目が見えない隻眼の不動尊「ひだりめ不動明王」が有名で、霊感あらたかな福の盟主とされる奇瑞仏(きずいぶつ)として知られており、商売繁盛、家内安全を叶えてくれるという。 |
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不動明王は、仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一つ。密教の根本尊である大日如来の化身、或いはその内証(内心の決意)を表現したものであると見なされている。お不動さんの名で親しまれ、大日大聖不動明王(だいにちだいしょうふどうみょうおう)、無動明王、無動尊、不動尊などとも呼ばれる。アジアの仏教圏の中でも特に日本において根強い信仰を得ており、造像例も多いという。 |
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宝光院では、毎年2月3日の節分の日に厄除開運(やくよけ・かいうん)の節分会(せつぶんえ)が開かれるが、それに合わせて終戦後(約70年前)に復活した「ひだりめ不動節分会はだか祭」が催行される。「宝光院裸祭」と書かれた六尺褌を締めた男たちが一団となって杭瀬川に入って身を清め、厄除開運を祈願する
この伝統行事は、宝光院が主催しているが、実際の運営は檀家の役員やボランティアたちが行っている。 |
この日は大般若祈祷(だいはんにゃ・きとう)が終日行われたほか、何回かに分けて籤(くじ)の入った豆袋を撒(ま)く豆打式(まめうちしき)があり、それに並行して裸練り、みそぎ川(がわ)渡り、心男遷座(しんおとこせんざ)、福俵(ふくだわら)授与など、午後3時頃まで盛りだくさんの行事があり、多くの信者や観衆で賑わった。 |
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本堂・内陣では、朝から大勢の参拝者たちが押しかけ、大般若祈祷が行われた。信者らは、一人一人名を呼ばれて鈴木住職が扇のように繰る経典の前で頭を下げて加持祈祷を受けた。 |
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一人づつ加持祈祷して廻る住職 |
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今回、2008年1月13日(日)東京都中央区に鎮座する鐵砲洲稲荷神社で開かれた第53回寒中水浴大会で知り合った群馬県在住の公務員・新尺俊勝(しんじゃく・としかつ)さん(47歳)とJR大垣駅前で合流して行動を共にし、密着取材することができた。 |
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新尺さんの案内で境内を下見したあと、宝光院の一角にある宿(やど)と呼ばれる裸男詰所に行った。はだか祭りには外来者も参加でき、そこで記帳して申し込むと、無料で褌と鉢巻に福袋が添えられたセットが手渡される。また、午後1時半からの本番に備えて、宝光院入口右手の寺務所で昼食が支給される。 |
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裸男詰所で記帳する新尺さん |
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宝光院の褌は、「下おび」と表示されているが、関係者は「ふんどし」と呼んでおり、白の晒木綿半反(約5m)で、前垂れ部分に「宝光院裸祭」と黒染めされている。洗濯して再使用するので、終わったあと返納しなければならない。鉢巻(手拭い)は赤の三つ葉葵の寺紋が染められており、こちらは持ち帰ることができる。 |
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参加者に無料配付された褌・鉢巻・福袋 |
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「ひだりめ不動 史蹟 宝光院 美濃国大垣野口」と書かれた厄除開運(やくよけ・かいうん)福袋の中には、12粒の大豆と厄除開運御守、赤い布きれと365円の種銭(たねせん)が入っている。 |
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福袋の中味 |
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鈴木住職にお聞きすると、節分の大豆は一年12月(つき)にあわせた数であり、種銭は一日1円として一年365日にあわせた縁起物。赤い布きれは不動明王が左手に持つ絹索(けんじゃく)(衆生(しゅじょう)(一般大衆)を仏教に帰依(きえ)させるために引き寄せる縄)をあらわしたもの。赤は不動明王が背負う炎の色であるという。 |
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混雑してきた受付け |
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午前11時の豆打式は豆袋を手渡すやり方だったが、正午の豆内式は、今年の心男(しんおとこ)中山智史さん(32歳)が登場し、終始笑顔を振りまきながら茶色の紙袋に入った籤(くじ)入り福豆を大勢の観客にばらまいた。 |
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豆を撒く |
心男 |
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中山智史 |
さん(32歳) |
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