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 旅紀行日本の裸祭り

2008年2月16日改訂

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昨 日

♪太鼓メドレー

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節分会白ふんどしの川渡  北舟

2008年2月15日制作

川みそぎで盛り上がる裸たち!

川みそぎで盛り上がる裸たち!(宝光院/岐阜県大垣市)

 

宝光院はだか祭

杭瀬川

 

 午後1時50分から午後2時まで第2回目の裸練り、午後2時7分から2時14分まで3回目の裸練りが行われた。

スクラム行進

スクラム行進

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身体が温まるまで走る

身体が温まるまで走る

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俵の下の裸練り

俵の下の裸練り

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湯気の行進

湯気の行進

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裸男たちは、毎回、境内でスクラムを組み、渦をつくって錬り廻り、びしょぬれになって宿に引き揚げてきた。

真っ赤な身体になって宿へ

真っ赤な身体になって宿へ

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濡れた身体を乾かす

濡れた身体を乾かす

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煙の充満する

宿やど

煙の充満する宿

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午後2時23分に宿を出発した裸衆は、宝光院の境内で4度目の裸練りを披露した。

4度目の裸練り

4度目の裸練り

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杭瀬川くいせがわ のみそぎ

がわ

渡り

 一行は裸練りに引き続き、みそぎ川渡りのため土手の階段をのぼり、杭瀬川(くいせがわ)に向かった。杭瀬川は慶長5年(1600年)9月14日に行なわれた関ヶ原の戦いの前哨戦である「杭瀬川の戦い」で知られる。

土手を駆け上る裸たち

土手を駆け上る裸たち

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   この戦いは局地戦だったが、西軍が大勝し、東軍の総大将・徳川家康は辛酸を舐めたが、翌9月15日の関ヶ原本戦では東軍が勝利し、家康が天下を取った。以後宝光院は徳川の御朱印地として歴代将軍の庇護を受けた。

杭瀬川くいせがわ

に向かう

杭瀬川に向かう

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裸男にタッチする観客たち

裸男にタッチする観客たち

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   裸男たちは、午後2時33分、杭瀬川の対岸から枯れススキをなぎ倒しながら入水し、身を切るような冷たい清水を浴びながら駆け足で川を渡った。
勢いよく杭瀬川に飛び込む

勢いよく杭瀬川に飛び込む

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次々と川に入る

次々と川に入る

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川みそぎで盛り上がる裸たち!

川みそぎで盛り上がる裸たち!

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  裸男たちによる

杭瀬川くいせがわ

のみそぎ 川渡がわわた

裸男たちによる杭瀬川のみそぎ川渡り

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 節分会白ふんどしの川渡  北舟 

せつぶんえ しろふんどしの かわわたり

  転びながら冬の

杭瀬川くいせがわ

を渡る

転びながら冬の杭瀬川を渡る

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河床(かわどこ)は藻の滑(ぬめり)りがあり、足を取られて転ぶ姿が見られた。長いようでも川渡りは3分ほどだった。

  冬の

杭瀬川くいせがわ

から上がる

冬の杭瀬川から上がる

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