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団体の部・優勝決定戦
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栄えある決勝戦に駒を進めた一般チームは東方に、習志野自衛隊チームは西方に陣取り、対戦が始まった。 |
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優勝決定戦 |
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優勝のかかった慎重な立ち会い |
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見事な投げ技 |
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優勝を決めた大将戦
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副将戦までの結果、二勝二敗とお互いに譲らず、優勝の行方は最後の大将戦に持ち込まれた。観客が固唾を呑んで見守る中、西方の
寄り倒しが見事に決まり、習志野自衛隊チームが団体戦を制した。 |
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優勝を決めた瞬間! |
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団体戦の結果 |
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競技が無事に終わり、東方に待機していた弓取選手が土俵に上がり、審判から弓を受け取って弓取式を披露した。敬神と刺繍された奉納相撲執行委員会の化粧まわしを締めたイケメンの若者は、とても格好良かった。 |
大相撲で見られる弓取式は、現在では毎日結びの一番の後に行なわれているが、昭和27年(1952)までは、千穐楽(せんしゅうらく)(千秋楽 取り組み最終日の15日目)のみに行われていたという。 |
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弓取力士の晴れ姿 |
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その昔、千穐楽「是より三役」において、最初の角力(すもう)の(小結に叶う)勝者に弓矢の矢が贈られ、二番目の勝者(関脇に叶う)には弦が、そして結びの勝者(大関に叶う)に弓が贈られた。結びの一番に勝った力士はその弓を持って勝利の喜びの舞を舞った。 |
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しかし、幕末の頃には、既に勝ち力士本人ではなく、二段目(現在の幕下)力士が勝者に代わって弓取式を演じるようになったという。 |
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弓を土俵に残してあとずさり |
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閉会式
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最後に閉会式が行われ、表彰式に先立って、奉納相撲執行委員長の森晄一さんから15年間木更津市から参加している男性に感謝状が手渡された。 |
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15年連続出場者への感謝状 |
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表彰式
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続いて、森委員長から団体優勝の習志野自衛隊チームに優勝杯と表彰状、各選手に記念品が授与された。 |
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団体優勝の習志野自衛隊チーム |
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準優勝の一般チームには表彰状と記念品が、三位の駒場チームには記念品が手渡された。 |
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三位/駒場チームの表彰 |
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土俵上の手締式 |
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委員長の胴上げ
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表彰式の後、選手全員が土俵に上がり、手締式が行われたあと、奉納相撲執行委員長の森晄一さんが宙に舞い、今年の奉納相撲が終わった。午後2時半だった。 |
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大会執行委員長の胴上げ |
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撮影 2005年10月20日
《 OLYMPUS E-1 E-300 》
14-45mm 40-150mm
500万画素 490枚 550MB
800万画素 890枚 1,480MB
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去年、船橋大神宮の子ども相撲を取材し、「船橋大神宮子ども相撲」としてアップしたが、1年間で23,000件を超えるアクセスがあり、好評を博している。 |
去年の奉納相撲は台風のために延期されたため、取材できなかった。一年後のこの日、秋晴れに恵まれ、1,380枚、2,300MBを撮影し、本日、発表することができた。 |
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これで裸祭りに欠けていた日本の国技である相撲のフルバージョンが完成し、大変嬉しい。これからも各地を取材し、伝統の相撲の魅力を追究してゆきたい。2005.10.31 〈 完 〉 |
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