「どやどや」の起源 |
毎年正月14日の修正会(しゅしょうえ)結願(けちがん)の日に、僧侶の儀式に平行して、鉢巻とふんどしを赤白に色分けした血気盛んな若者たちが、東西から六時堂前面の拝殿に押し寄せ、双方の代表者各4名が背中合わせになり、全員で左右から押し合い揉み合い、いずれかへ押し切った方が勝ちとなった。 |
東の白は生野方面の百姓、西の赤は阿倍野方面の漁師であった。このため現在も白組は東から、赤組は西から登場する。勝負がつくと同時に六時堂前に篝火(かがりび)がともされ、その後、数百の牛王宝印楊枝(ごおうほういんようじ)(柳の枝にはさんだ魔除けの護符)がお堂の梁の上から群集の中に投げ入れられ、それを取ろうとして裸の群れがひしめきあった。 |
持ち帰った柳の枝を水田に立てておくと、害虫がつかず豊作になると信じられた。このようなことから、どやどやの行事は、もと天王寺村の農家が五穀豊穣を祈願した名残りだと見られている。 |
牛王宝印楊枝を受けようと、どやどやと六時堂に群衆が集まることから、この習俗がいつしかどやどやと呼ばれるようになった。また、ドヤドヤ(どうだどうだ、これでも負けないか)と言って押し合ったからだともいわれる。 |
昔は酉の刻(午後6時)から法要が始まり、牛王宝印楊枝を投ずるのは夜8時〜9時頃だったという。現在は、混乱を避けるため、午後2時頃から始まり、参加者も特定の生徒・教職員に限定されている。また、事故防止の観点から、楊枝を止め、護符(御札)だけがばらまかれている。 |
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白組の勝ち |
後半最後の争奪戦は、赤白全員が入り乱れての揉み合いとなったが、赤組が6枚、白組が10枚の御札を獲得し、今年のどやどやは白組が勝ち名乗りを受け(写真19)、意気揚々と引き揚げて行った。参加者は本坊で入浴の後、ぜんざいを食べ、解散した。 |