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 感動写真集

2009年2月28日改訂

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♪巡礼 KasedaMusicLabo

白黒拡大写真(1200X1030)140KB

垢離取の行者ふんどし初薬師   北舟

2007年4月8日制作

裸形の僧侶とテイレシ(介錯)たち

裸形の僧侶とテイレシ(介錯)たち(天念寺修正鬼会/大分県豊後高田市)

国指定重要無形民俗文化財

天念寺修正鬼会

垢離取

撮影原作・清原浩

 

はじめに

 
 平成19年(2007年)2月24日(土)大分県豊後高田市(ぶんごたかだし)大字(おおあざ)長岩屋(ながいわや)に建つ天台宗の長岩屋山(ながいわやさん)天念寺(てんねんじ)で、国東(くにさき)半島の六郷満山(ろくごうまんざん)に伝わる修正鬼会(しゅじょう・おにえ)が開かれたので激写してきた。

天念寺の入口と本堂

天念寺の入口と本堂

国東くにさき

半島
 国東半島は、大分県の北東部に位置する半島で、南側を別府湾、東側を伊予灘(いよなだ)、北側を周防灘(すおうなだ)に囲まれている。半島の中央部よりやや北寄りの内陸部は両子山(ふたごさん)(721m)をはじめとする山岳地帯が広がり、そこから丘陵地が海岸に向かって放射状に伸びる。 天念寺周辺マップ(マピオン) +:天念寺
   北部の海岸線は小さな入り江と岬が連続するリアス式海岸となっているが、全体は円弧に近い形をしている。  
崖下に建つ天念寺講堂(左)と

六所権現ろくしょごんげん

身濯みそそぎ 神社)

崖下に建つ天念寺講堂(左)と六所権現(身濯神社)

六郷満山ろくごうまんざん
 奈良時代から平安時代にかけて、仏教の天台宗に神道(しんとう)の宇佐八幡宮の八幡信仰を取り入れた「六郷満山」と呼ばれる神仏混淆(しんぶつ・こんこう)の仏教文化が形成され、山岳地域の険しい山道を歩く「峰入り(みねいり)」と呼ばれる難行(なんぎょう)が行われるようになった。
   「六郷」とは、来縄くなわ(豊後高田市)・田染たしぶ(同)・伊美いみ(東国東郡ひがしくにさきぐん国見町*くにみまち)・国東くにさき(国東町*くにさきまち)・安岐あき(安岐町*あきまち)・武蔵むさし(武蔵町*むさしまち)の6つの地域を指す。現在でも内陸部を中心に多数の寺があり、磨崖仏(まがいぶつ)で知られる観光名所となっている。  
  *平成18年(2006)3月31日、東国東郡国見町・国東町・武蔵町・安岐町が合併して国東市(くにさきし)が発足した。  
天念寺の前を流れる

長岩谷川ながいわやがわ

川中不動かわなかふどう

天然寺の前を流れる長岩谷川と川中不動

撮影:和田義男
長岩屋山天念寺ながいわやさんてんねんじ
 六郷満山古来の正月行事である修正鬼会が現在も行われていることで知られる天台宗・天念寺は六郷満山の中山本寺(なかやまほんじ)で、崖下に岩屋堂形式の講堂と六所権現(ろくしょごんげん)(現在の身濯(みそそぎ)神社)と本堂が横に並ぶ。養老2年(718)仁聞(にんもん)聖人によって聞基されたといわれる。
   平安・鎌倉時代には他の寺院と同様に修験と祈願の寺院として繁栄し、鎌倉時代の元寇(げんこう)の際には、六郷満山の僧侶を集めて戦勝祈願の法要が盛んに行われたと伝えられる。  

大岩に刻まれた不動明王と二王子(川中不動三尊像)

大岩に刻まれた不動明王と二王子(川中不動三尊像)

拡大写真(1400X1050)356KB
   周囲の景観は、その美しさから「天念寺耶馬(てんねんじ・やば)」と讃えられ、前を流れる長岩屋川(ながいわやがわ)には、川中の巨岩に不動三尊像が刻まれている。この川は幾度となく氾濫を繰り返したため、水害除けに刻まれたものという。  
   天念寺に併設する伝統文化伝習施設「鬼会の里」には、国の重要文化財である阿弥陀如来立像が展示されている。また、修正鬼会が体感できるシアターも兼ねそなえており、話題のスポットである。 鬼会の里公式サイト  
板間にゴザを敷いた講堂での昼の

勤行ごんぎょう

板間にゴザを敷いた講堂での昼の昼の勤行

拡大写真(1400X900)302KB
天念寺修正鬼会てんねんじしゅじょうおにえ の概要
 修正鬼会は、毎年旧正月7日に天念寺講堂の本尊・薬師如来の前で行われる祭礼である。かつては前日から7日の初薬師の日にかけて徹夜で行われていたが、近年は信者や観客らの便宜を考えて行事を7日の昼間から始め、7日の夜に完結させている。
   午後3時頃から六郷満山に所在する寺院の僧侶たちが講堂に集まり、夕刻まで昼の勤行(ごんぎょう)が行われる。午後7時頃から災祓い鬼(さいばらいおに)(赤鬼)と荒鬼(あらおに)(黒鬼)役の僧侶とテイレシ(介錯)を務める若者たちが天念寺前の長岩屋川(ながいわやがわ)で身を清めるコーリトリ(垢離取り)が行われる。  

読経する僧侶

読経する僧侶

拡大写真(1400X1060)276KB
   午後8時頃、祭り装束に身を包んだ若者たちは、公民館前で長さ5mの大松明(たいまつ)三本に火を付け、岩にぶつけて火の粉を散らし、講堂・権現社・本堂の前面に高々と翳(かざ)してタイアゲと呼ばれる火の儀式を行う。  
   間もなく僧侶たちが講堂に集まり、読経(どきょう)が始まり、夜の勤行(ごんぎょう)が行われる。  
   午後9時頃から立役(たちやく)と呼ばれる行事に移り、囃子方の演奏にあわせて僧侶たちによる舞華(まいげ)、開白(かいはく)、香水(こうずい)、鈴鬼(すずおに)の法舞ほうぶ(仏教儀式の舞踊)が午後10時頃まで続く。  

天念寺講堂の薬師如来座像

天念寺講堂の薬師如来座像

拡大写真(1100X1400)337KB
   午後10時頃になると災祓い鬼(さいばらいおに)(赤鬼)があらわれ、松明(たいまつ)を持って講堂内をあばれる。続いて荒鬼(あらおに)(黒鬼)があらわれ、クライマックスを迎える。  
   堂内は松明(たいまつ)の火の粉が飛び散り、煙が立ち込める。鬼の目餅が撒(ま)かれると、その争奪戦で騒然となり、最後に赤鬼・黒鬼が信者らの肩や尻を松明で叩き、無病息災の加地を与えて閉幕する。  

屋外で読経する僧侶たち

屋外で読経する僧侶たち

   古式に則った僧侶と壇信徒たちによる祭礼は、千数百年の歴史があり、平安以前の中世の習俗を今に伝える貴重な伝統文化であることから、昭和52年(1977)に国の重要無形民俗文化財に指定されている。  

法螺ほら

を吹く僧侶

法螺を吹く僧侶

 

国東くにさき

半島の 修正鬼会しゅじょうおにえ
 
 この行事は、江戸時代までは国東半島の天台宗の各寺で行われていたが、現在は豊後高田市の天念寺と、国東市の成仏寺(じょうぶつじ)と岩戸寺(いわとじ)の3ヵ所で行われている。西満山に属している天念寺では毎年行われ、東満山の成仏寺と岩戸寺では隔年交代で行われている。
   修正鬼会は、国家安泰、五穀豊穣、無病息災、万民快楽を祈願する宗教行事で、養老年間元正(げんしょう)天皇の頃(西暦720年頃)に京都で行われたのが最初であるといわれる。国東の六郷満山でも行われるようになったのも同じ時代といわれ、国東の鬼会も1200〜1300年前から伝わる行事であると考えられている。  
昼の

勤行ごんぎょう

を終えて退出する僧侶たち

昼の勤行を終えて退出する僧侶たち

拡大写真(1400X1300)360KB

 
コーリトリ( 垢離取こりと り)
 
 午後7時ころ、天念寺の前を流れる長岩屋川(ながいわやがわ)の岸辺に褌一丁の裸形になった男たち8人が姿をあらわした。右の二人は災祓い鬼(さいばらいおに)(赤鬼)と荒鬼(あらおに)(黒鬼)を務める僧侶。前垂れの長い越中褌を締めている。他の6人はテイレシ(松明入れ衆)と呼ばれる若者たちで、松明(たいまつ)を扱う介添え役であり、晒の腹巻に越中褌をしている。
裸形の僧侶とテイレシ(

介錯かいしゃく

)たち
           ↓・・・・・・・・ テイレシ(介錯)たち ・・・・・・・・↓

     ↓赤鬼  ↓黒鬼

裸形の僧侶とテイレシ(介錯)たち

白黒拡大写真(1200X1030)140KB

 裸形(らぎょう)の一行は合掌し、祈りを捧げた後、冷たい清流に入水し、垢離(こり)を取って身体と精神を浄めた。
川に入って

垢離こり

を取る

川に入って垢離を取る

  垢離取の行者ふんどし初薬師  北舟 

こりとりの ぎょうじゃふんどし はつやくし

川中島の周りを泳ぐ

川中島の周りを泳ぐ

 行者たちは川中不動の深みまで入り、最後は泳いで川中島を一周し垢離取りを終えた。温暖の九州とはいえ、真冬の寒垢離であり、身体が赤く硬直していた。

垢離取こりと

りを終えた行者たち

垢離取りを終えた行者たち

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