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島立堀米の裸祭り |
長野県松本市 津島牛頭天王社 2011年7月3日(7月第一日曜日) |
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祭前の日曜日、子供たちは、紙幟をつくり、褌を締める練習や神社境内の清掃、幟の建立、紙幟を差し立てる泥山(砂山)づくりなどの準備を行います。祭前日の夜は、神社に角燈籠(かくとうろう)を掲げて参拝し、太鼓をたたいて宵祭を祝います。 |
祭当日は、堀米公民館に集合し、六尺褌を締め、勢揃いして神社に赴き、拝礼して神社を三周したあと、親玉(6年生)が大幟、中玉(4〜5年生)が中幟、小玉(1〜3年生)が五色の紙幟を担ぎ、AコースとBコースの二手に別れて、先頭の親玉の「オンヤーサー」の掛け声に呼応して、中玉と小玉が一斉に「モンヤーサー」と叫びながら町内を巡行して厄払いを行います。 |
子供たちは、町内巡視を終えて神社に戻ってくると、幟を収め、参拝のうえ禊場に飛び込んで禊を行ったあと、公民館に戻り、シャワーを浴びて汗や泥を流してから更衣し、大広間で鍋物の食事会となります。褌を締めた子供たちだけの裸祭は、極めて珍しい祭です。98枚、上映時間10分。(1枚1500円
リピーター価格:1枚1000円)
日本の祭りCD・DVD写真集 |
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YouTube 島立堀米の裸祭り(抜粋縮小版) |
↓画像をクリックするとスライドショー動画が始まります。 |
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はじめに |
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平成23年(2011)7月3日(日)、長野県松本市島立堀米(しまだちほりごめ)に鎮座する津島牛頭天王社(津島神社)で、長野県無形民俗文化財に指定されている「島立堀米の裸祭り」が開かれたので、密着取材した。
松本市公式ホームページ |
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【凡例】 ▲:上の画像の説明文 ▼:下の画像の説明文 〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示 |
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Google Map |
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▲ 979km2に24万人が暮らす松本市は、長野県第二の都市で、北アルプス・上高地の東方約30kmの長野県中部(中信地方)に位置し、国宝・松本城を中心とする旧城下町である。FM長野本社、日銀松本支店、松本空港、信州大学本部、陸上自衛隊松本駐屯地などがあり、さながら県中部に位置する「副県都」のような存在になっている。 |
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松本市アルプス公園から臨む北アルプス |
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資料 |
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▲ 北アルプス(飛騨山脈)は、富山県、岐阜県、長野県に跨(またが)る山脈で、中央アルプス(木曽山脈)と南アルプス(赤石山脈)と共に日本アルプスを構成する。中央アルプスと南アルプスには火山が存在しないが、北アルプスには火山が多い。 |
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北アルプスの形状は巨大なY字型で、その中心を流れるのが黒部峡谷。その西側には剱岳・立山などの立山連峰が位置し、東側には白馬岳・鹿島槍ヶ岳などの後立山連峰が列なる。 |
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播隆上人(ばんりゅう・しょうにん)が文政10年(1828)に初登頂に成功した槍ヶ岳(やりがたけ)は、北アルプス南部にある3,180mの山で、長野県松本市・大町市・岐阜県高山市の境界にあり、日本百名山の一つに数えられている。 |
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JR松本駅 |
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▲
松本市のキャッチフレーズは「文化香るアルプスの城下町」。音楽、山岳、学問で有名なことから「三ガク都(楽都、岳都、学都)」と
もいわれる。JR松本駅前には、文化都市にふさわしく、横笛を吹く男性裸像が立っている。 |
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JR松本駅7番線から発車する松本電鉄上高地線 2011.7.3 14:00
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▲▼ この日は、JR立川駅11:21発「特急あずさ13号」に乗り、終点・松本駅に13:46に到着。7番線から14:07に発車する松本電鉄上高地線に乗り、14:13に青田(あおた)に面した大庭(おおにわ)駅に着いた。 |
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▼
事前に松本市広報国際課(Tel:0263-34-3000)に電話して、祭会場が堀米(ほりごめ)公民館だということを聞いていたので、グーグル・マップで調べた地図を片手に歩くと、10分もかからずに迷うことなく目的地に到着した。 |
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長野県松本市 |
島立 |
堀米 |
の祭会場 |
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Google Map |
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稲がすくすくと成長する |
島立 |
堀米 |
の青田 |
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▲▼ 梅雨の最中(さなか)ではあったが、幸運にも青空が覗く絶好の撮影日和に恵まれた。あたりは柔らかい光に包まれ、恵みの雨を一杯に満たした緑豊かな水田では、稲がすくすくと成長していた。 |
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▲▼
途中にある小さな神社のそばに、「百瀬」と表示された白壁の土蔵のある立派な屋敷があった。更に進むと、右手の路傍(ろぼう)に古びた常夜燈と道祖神(どうそじん)の石碑が立っていた。かつては農村に行けば、どこにでもあった懐かしい風物が残されていて、心が和んだ。 |
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▼ 堀米(ほりごめ)公民館は、警備員などが配置されていて、人だかりがあり、直ぐに分かった。入口に堀米町会のテントが張られ、来客の応接が行われていた。 |
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▼ 受付に行き、住所・氏名を記帳すると、堀米町会(ほりごめちょうかい)が作成した「信州島立堀米の裸祭り」と題するパンフレットを頂いた。この裸祭りは、堀米町会が組織する「裸まつり実行委員会」が主催するもので、実行委員長は堀米町会長である。 |
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案内を請うと、受付のそばで上野三千弘・町会長にお会いすることができた。名刺交換の後、密着取材を申し込むと、快く了解していただいた。事前にお願いしようとしたのだが、電話に応対した職員から「個人の電話番号は教えられない」といわれ、やむなく、当日申し入れることになった。 |
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裸まつり実行委員長を務める |
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上野三千弘 |
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堀米町会長 |
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堀米 |
公民館に入る褌一丁の子供たち 14:33 |
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六尺褌一丁の男児たちが威勢良く堀米公民館に入って行ったので、私も後に続いた。建物は新しく、赤絨毯(あかじゅうたん)の大広間には、ビニール茣蓙(ござ)が敷かれ、子供たちや役員、父母などが出発準備をしていた。 |
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裸祭りに参加するのは、全員、島立(しまだち)小学校の児童で、町会長によると、男子49人、女子42人、合計91人ということだった。裸で参加するのは男子だけで、女子は、運動服姿で参加する。 |
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男子児童は、全員白晒の前袋式六尺褌、いわゆる水褌(すいこん)と、「堀米」と染められた黄色い鉢巻を締めている。親玉(おやだま)の6年生は大幟(おおのぼり)、中玉(ちゅうだま)の4〜5年生は中幟(ちゅうのぼり)、小玉(こだま)の1〜3年生は五色の紙幟(かみのぼり)を持つ。写真下は、小玉の低学年児たちである。 |
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中玉の3〜4年生たちは、「奉献 津島牛頭天王」や「奉献 津島大明神」と墨書された中型の幟を持っている。 |
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中幟 |
を持って出発する上級生たち 14:46 |
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のぼりもつ こらはふんどし むらまつり |
A village
festival, children of loincloth each holding a flag. |
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津島神社( |
津島牛頭天王社 |
)へ向かう裸集団 |
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津島神社( |
津島牛頭天王社 |
) |
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津島神社は、江戸時代の中期、宝暦(ほうれき)(1751-1763)の頃、当時流行した疫病除けに尾張(愛知県)津島神社から勧請(かんじょう)されたもので、祭神は牛頭天王(ごずてんのう)。堀米公民館の西方100mほどに鎮座しており、3本の大幟(おおのぼり)が立てられている。 |
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↓禊場(小池) |
↓赤鳥居と社殿 |
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このうち2本の大幟が親玉に抱えられ、中幟と紙幟を持つ中玉・小玉とともに二手に分かれて堀米の町内を巡行し、牛頭天王の霊力により疫病神を追い払い、除災浄化する神事がこの裸祭りの目的である。子供たちが全員褌姿になるのは、悪霊(あくりょう)を威嚇(いかく)するためだという。 |
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牛頭天王(ごずてんのう)は、古代インド
仏教の祇園精舎の守護神で、平安時代に除疫神(じょえきじん)として京都に祀られたのに始まる。日本では、須佐之男命(すさのおのみこと)、武塔神(むとうしん)(蘇民将来(そみんしょうらい)説話に登場する神)として習合(しゅうごう)した。「牛頭天皇」と書かれた幟があるが、「牛頭天王」の誤りである。 |
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