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 旅紀行日本の裸祭り

201479日改訂

 

 

 

今 日

昨 日

♪海のアラベスク〜千年女王〜氷湖〜精霊

幟持つ児らはふんどし村祭   北舟

 

A village festival, children of loincloth each holding a flag.

2011年7月9日制作

津島神社(津島牛頭天王社)へ向かう裸集団

拡大写真(1800X1560)606KB

津島神社(津島牛頭天王社)へ向かう裸集団(長野県松本市)

 長野県無形民俗文化財

祇園紋   津島牛頭天王社   祇園紋

 島立堀米の裸祭り

公民館

撮影・制作 和田義男

島立堀米の裸祭り

長野県松本市 津島牛頭天王社 2011年7月3日(7月第一日曜日)


 祭前の日曜日、子供たちは、紙幟をつくり、褌を締める練習や神社境内の清掃、幟の建立、紙幟を差し立てる泥山(砂山)づくりなどの準備を行います祭前日の夜は神社に角燈籠(かくとうろう)を掲げて参拝し太鼓をたたいて宵祭を祝います。
 祭当日は、堀米公民館に集合し、六尺褌を締め、勢揃いして神社に赴き、拝礼して神社を三周したあと、親玉(6年生)が大幟、中玉(4〜5年生)が中幟、小玉(1〜3年生)が五色の紙幟を担ぎ、AコースとBコースの二手に別れて先頭の親玉の「オンヤーサー」の掛け声に呼応して、中玉と小玉が一斉に「モンヤーサー」と叫びながら町内を巡行して厄払いを行います。
 子供たちは、町内巡視を終えて神社に戻ってくると、幟を収め、参拝のうえ禊場に飛び込んで禊を行ったあと、公民館に戻り、シャワーを浴びて汗や泥を流してから更衣し、大広間で鍋物の食事会となります。褌を締めた子供たちだけの裸祭は、極めて珍しい祭です。98枚、上映時間10分。(1枚1500円 リピーター価格:1枚1000円
                                                  
日本の祭りCD・DVD写真集
スライドショーCD「島立堀米の裸祭り 」
スライドショーCD「島立堀米の裸祭り」

YouTube 島立堀米の裸祭り(抜粋縮小版)

↓画像をクリックするとスライドショー動画が始まります。
 

はじめに

 
平成23年(2011)7月3日(日)、長野県松本市島立堀米(しまだちほりごめ)に鎮座する津島牛頭天王社(津島神社)で、長野県無形民俗文化財に指定されている「島立堀米の裸祭り」が開かれたので、密着取材した。  松本市公式ホームページ

 

【凡例】  ▲:上の画像の説明文  ▼:下の画像の説明文  〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示

長野県

松本市まつもとし

の位置
長野県松本市の位置

Google Map

 

松本まつもと

 
 979km2に24万人が暮らす松本市は、長野県第二の都市で北アルプス・上高地の東方約30kmの長野県中部(中信地方)に位置し国宝・松本城を中心とする旧城下町である。FM長野本社日銀松本支店松本空港、信州大学本部、陸上自衛隊松本駐屯地などがあり、さながら県中部に位置する「副県都」のような存在になっている。  

松本市アルプス公園から臨む北アルプス

松本市アルプス公園から臨む北アルプス

拡大写真(1240x480)73KB 資料
北アルプス( 飛騨ひだ 山脈)
▲ 北アルプス(飛騨山脈)は富山県岐阜県長野県に跨(またが)る山脈で中央アルプス(木曽山脈)と南アルプス(赤石山脈)と共に日本アルプスを構成する。中央アルプスと南アルプスには火山が存在しないが北アルプスには火山が多い。
 北アルプスの形状は巨大なY字型で、その中心を流れるのが黒部峡谷。その西側には剱岳・立山などの立山連峰が位置し、東側には白馬岳・鹿島槍ヶ岳などの後立山連峰が列なる。
 播隆上人(ばんりゅう・しょうにん)が文政10年(1828)に初登頂に成功した槍ヶ岳(やりがたけ)は、北アルプス南部にある3,180mの山で、長野県松本市・大町市・岐阜県高山市の境界にあり、日本百名山の一つに数えられている。

JR松本駅

JR松本駅

▲ 松本市のキャッチフレーズは「文化香るアルプスの城下町」。音楽、山岳、学問で有名なことから「三ガク都(楽都、岳都、学都)」と もいわれる。JR松本駅前には、文化都市にふさわしく、横笛を吹く男性裸像が立っている。  

JR松本駅7番線から発車する松本電鉄上高地線 2011.7.3 14:00

JR松本駅7番線から発車する松本電鉄上高地線 2011.7.3 14:00

拡大写真(2000X1300)444KB

▲▼ この日はJR立川駅11:21発「特急あずさ13号」に乗り終点・松本駅に13:46に到着。7番線から14:07に発車する松本電鉄上高地線に乗り、14:13に青田(あおた)に面した大庭(おおにわ)駅に着いた。  
青田に面した

大庭おおにわ

駅 14:13

青田に面した大庭駅 14:13

▼ 事前に松本市広報国際課(Tel:0263-34-3000)に電話して、祭会場が堀米(ほりごめ)公民館だということを聞いていたので、グーグル・マップで調べた地図を片手に歩くと、10分もかからずに迷うことなく目的地に到着した。  
長野県松本市

島立しまだち

堀米ほりごめ の祭会場
長野県松本市島立堀米の祭会場

Google Map

稲がすくすくと成長する

島立しまだち

堀米ほりごめ の青田

稲がすくすくと成長する島立堀米の青田

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▲▼ 梅雨の最中(さなか)ではあったが、幸運にも青空が覗く絶好の撮影日和に恵まれた。あたりは柔らかい光に包まれ、恵みの雨を一杯に満たした緑豊かな水田では、稲がすくすくと成長していた。  

白い土蔵のある家

白い土蔵のある家

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▲▼ 途中にある小さな神社のそばに「百瀬」と表示された白壁の土蔵のある立派な屋敷があった。更に進むと右手の路傍(ろぼう)に古びた常夜燈と道祖神(どうそじん)の石碑が立っていた。かつては農村に行けば、どこにでもあった懐かしい風物が残されていて、心が和んだ。  

路傍ろぼう

の常夜燈と 道祖神どうそじん

路傍の常夜燈と道祖神

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▼ 堀米(ほりごめ)公民館は、警備員などが配置されていて、人だかりがあり、直ぐに分かった。入口に堀米町会のテントが張られ、来客の応接が行われていた。  

堀米ほりごめ

公民館に到着 14:25

堀米公民館に到着 14:25

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▼ 受付に行き住所・氏名を記帳すると、堀米町会(ほりごめちょうかい)が作成した「信州島立堀米の裸祭り」と題するパンフレットを頂いた。この裸祭りは堀米町会が組織する「裸まつり実行委員会」が主催するもので実行委員長は堀米町会長である。  
受付で記帳

受付で記帳

▼ 案内を請うと、受付のそばで上野三千弘・町会長にお会いすることができた。名刺交換の後、密着取材を申し込むと、快く了解していただいた。事前にお願いしようとしたのだが、電話に応対した職員から「個人の電話番号は教えられない」といわれ、やむなく、当日申し入れることになった。  
裸まつり実行委員長を務める  

上野三千弘

  堀米町会長ほりごめちょうかいちょう

裸まつり実行委員長を務める上野三千弘堀米町会長

↓仮設シャワールーム

堀米ほりごめ

公民館に入る褌一丁の子供たち 14:33

堀米公民館に入る褌一丁の子供たち 14:35

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▲▼ 六尺褌一丁の男児たちが威勢良く堀米公民館に入って行ったので、私も後に続いた。建物は新しく、赤絨毯(あかじゅうたん)の大広間には、ビニール茣蓙(ござ)が敷かれ、子供たちや役員、父母などが出発準備をしていた。  
出発の準備をする堀米子供会の児童たち/堀米公民館

出発の準備をする堀米子供会の児童たち/堀米公民館

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▲▼ 裸祭りに参加するのは全員島立(しまだち)小学校の児童で、町会長によると、男子49人、女子42人、合計91人ということだった。裸で参加するのは男子だけで、女子は、運動服姿で参加する。  
いざ出陣 14:41

いざ出陣 14:41

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▲▼ 男子児童は、全員白晒の前袋式六尺褌、いわゆる水褌(すいこん)と、「堀米」と染められた黄色い鉢巻を締めている。親玉(おやだま)の6年生は大幟(おおのぼり)、中玉(ちゅうだま)の4〜5年生は中幟(ちゅうのぼり)、小玉(こだま)の1〜3年生は五色の紙幟(かみのぼり)を持つ。写真下は、小玉の低学年児たちである。  
小さな五色の

紙幟かみのぼり

を持つ低学年児たち

小さな五色の紙幟を持つ低学年児たち

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堀米公民館前の広場に整列

堀米公民館前の広場に整列

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▲▼ 中玉の3〜4年生たちは「奉献 津島牛頭天王」や「奉献 津島大明神」と墨書された中型の幟を持っている  

中幟ちゅうのぼり

を持って出発する上級生たち 14:46

中幟を持って出発する上級生たち 14:46

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堀米公民館を後にして

堀米公民館を後にして

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   幟持つ児らはふんどし村祭  北舟 

のぼりもつ こらはふんどし むらまつり

A village festival, children of loincloth each holding a flag.

津島神社( 津島牛頭天王社つしまごずてんのうしゃ )へ向かう裸集団

津島神社(津島牛頭天王社)へ向かう裸集団

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津島神社( 津島牛頭天王社つしまごずてんのうしゃ
 
津島神社は、江戸時代の中期、宝暦(ほうれき)(1751-1763)の頃、当時流行した疫病除けに尾張(愛知県)津島神社から勧請(かんじょう)されたもので、祭神は牛頭天王(ごずてんのう)。堀米公民館の西方100mほどに鎮座しており3本の大幟(おおのぼり)が立てられている。  
三本の 大幟おおのぼり が立つ津島神社(東面)
 

↓禊場(小池)

↓赤鳥居と社殿

三本の大幟が立つ津島神社(東面)

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▲▼ このうち2本の大幟が親玉に抱えられ、中幟と紙幟を持つ中玉・小玉とともに二手に分かれて堀米の町内を巡行し、牛頭天王の霊力により疫病神を追い払い除災浄化する神事がこの裸祭りの目的である。子供たちが全員褌姿になるのは、悪霊(あくりょう)を威嚇(いかく)するためだという。  
畑のそばを行く裸の行列

畑のそばを行く裸の行列

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▲▼ 牛頭天王(ごずてんのう)は、古代インド 仏教の祇園精舎の守護神で、平安時代に除疫神(じょえきじん)として京都に祀られたのに始まる。日本では、須佐之男命(すさのおのみこと)、武塔神(むとうしん)(蘇民将来(そみんしょうらい)説話に登場する神)として習合(しゅうごう)した。「牛頭天皇」と書かれた幟があるが、「牛頭天王」の誤りである。  
裸の男児の後には体操服姿の女児が続く

裸の男児の後には体操服姿の女児が続く

拡大写真(2300X1500)742KB

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