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▼ 出発して1時間5分が経ち、やっと青田に出て、視界が広がった。かつては、殆どがこの青田や麦畑が広がっていた肥沃な農村地帯は、近年の宅地化により、田畑が消えてしまったのであろう。 |
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▲▼
長野市に次ぐ長野県第二の都市・松本市は、空襲も受けず、国宝・松本城を仰ぐ城下町として着実に発展してきた。松本電鉄上高地線のお陰で、島立堀米からわずか6分で松本駅に着く。車でも都心まで10分の距離である。サラリーマンにとっては、最高のベッドタウンであり、松本市の発展と共に宅地化が進むのもやむを得ないことなのであろう。 |
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合同庁舎(長野県松本地方事務所) |
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田圃の中に立派な合同庁舎が建っていた。調べてみると、長野県松本地方事務所であった。新しい庁舎は、堀米地区の新しい象徴かもしれない。江戸時代から続く裸の集団がそのそばの農道を歩く姿と重なった。 |
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合同庁舎(長野県松本地方事務所)のそばを行く
裸たち
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青田に挟まれて、褐色に色づいた麦畑があった。間もなく収穫が始まる気配である。麦の穂が実り、収穫期を迎えた初夏の季節を麦の秋と書いて麦秋(ばくしゅう)という。麦が熟し、麦にとっての収穫の秋であることから名づけられた素敵な言葉である。 |
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▲▼
出発して1時間10分後に合流地点に到着した(上図の○)。既にAコースの一行が先着しており、我々を出迎えてくれた。このあとは神社まで僅かな距離しかないが、二本の大幟を並列にしてオールキャストで行進した。 |
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あおたみち ほうさくきがんの ふどしっこ |
A path of
green fields, children of loincloth praying a good harvest. |
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出発して1時間15分後にスタート地点の津島神社に帰還した。田園地帯を行進したのは僅か10分間だった。 |
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おじさんたちの力を借りて、大幟をもとの位置に戻した。おじさんの後ろには、長野県無形民俗文化財に指定された「子供の裸祭」を説明した立て札があった。説明文は、次のとおり。 |
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津島牛頭天王社 子供の裸祭 (長野県無形民俗文化財) |
平安時代、印度の祇園精舎の守護神で偉大な神威(しんい)の神、牛頭天王(ごずてんのう)が京都に祀られ、悪霊(あくりょう)祓いや疾病(しっぺい)除けの祇園信仰が拡がった。 |
当社は、江戸時代(宝暦年代と伝承)に尾張(愛知県)の津島神社から勧請(かんじょう)した。 |
七月一日の例祭は、子供達が裸にフンドシ姿で、大小の幟をかついでオンヤーサー モンヤーサー
の掛声勇しく 村境を回る。疾病神の潜入防塞(せんにゅうぼうそく)の意味を持つ。 |
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