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裸祭りは、毎年、7月第一日曜日に行われる。祭前の日曜日、子供たちは、紙幟をつくり、褌を締める練習や神社境内の清掃、幟の建立、紙幟を差し立てる泥山(砂山)づくりなどの準備を行う。祭の前日の夜は、神社に角燈籠(かくとうろう)を掲げて参拝し、太鼓をたたいて宵祭を祝う。 |
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祭当日は、堀米公民館に集合し、六尺褌を締め、勢揃いして神社に赴き、拝礼して神社を三周したあと、親玉(6年生)が大幟、中玉(4〜5年生)が中幟、小玉(1〜3年生)が五色の紙幟を担ぎ、AコースとBコースの二手に別れて、先頭の親玉の「オンヤーサー」の掛け声に呼応して、中玉と小玉が一斉に「モンヤーサー」と叫びながら町内を巡行して厄払いを行う。 |
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子供たちは、町内巡視を終えて神社に戻ってくると、幟を収め、参拝のうえ禊場に飛び込んで禊を行う。その後公民館に戻り、シャワーを浴びて汗や泥を流してから更衣し、大広間で鍋物の食事会となる。食事の後、ご褒美の品をもらってお開きとなる。 |
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五色の |
紙幟 |
を持つ |
小玉 |
の1〜3年生たち |
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牛頭天王(ごずてんのう)の祭礼は、全国各地にあり、江ノ島天王祭などのように天王祭と呼ばれており、堀米の裸祭りも天王祭の一種である。 |
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愛知県津島市に鎮座する尾張津島神社は、全国で三千以上といわれるの牛頭天王社の総社であるが、7月第4土日に開催される尾張津島天王祭は、褌一丁の鉾持ちが川に飛び込んで禊を行う勇壮な祭である。この川祭りが堀米の裸祭りのルーツになっているという。 |
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▲ 堀米の裸祭りは、昭和63年(1988)に長野県無形民俗文化財に指定されており、神社の赤鳥居のそばに、黒御影石でできた立派な記念碑が立てられている。 |
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ふんどしの わらべのさんぱい てんのうさい |
Tennoh
festival, worship of the children wearing Fundoshi loincloth. |
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▲▼
褌一丁の児童たちは、
二人一組となって神前に進み、二礼二拍手一礼の公式参拝を行った。裸祭りの現場指揮を担当する堀米公民館長が付きっきりで指導してくれるので、神妙な面持ちの子供たちは、見事な参拝を披露してくれた。小さいときからこのような神事に携わることができるのは、何と幸せなことかと、羨ましく思った。 |
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▲▼
渡されたパンフレットによると、昔は、自分の三尺(越中褌)をモッコフンドシ(前垂れのない越中褌)に用いて裸祭りに参加していたという。親父の三尺を持ち出して叱られたこともあったという。 |
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▲▼ internetで「島立の裸祭り」を検索してみると、今でも堀米の子供たちが締めているのはモッコフンドシだという誤った解説がみられるが、受付で渡されたパンフレットには「モッコフンドシを締め・・・」と記述されていて、訂正されていないため、誤解したものであろう。 |
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昔から祭の日は、胡瓜(きゅうり)を食べないという禁忌(きんき)がある。津島社の神紋が胡瓜の輪切面に似ているからだといわれているが、博多祇園山笠など、全国各地で同様の習わしがある。 |
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かつて、祭の日は、田植えを終えて一息つく農休みだった。重労働を終えてホッとしての一日、「オンヤーサー」「モンヤーサー」の掛け声が田園から聞こえてくると、家の裏に出て、畦道を行く裸の子や孫の成長した元気な姿に眼を細める姿が見られたという。 |
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▼ 裸祭りは、かつては男児の祭りだったが、近年、参加者が減少傾向にあり、また、男女平等の人権思想の普及などにより、女子の参加が認められている。ただ、裸になることはできないので、運動服で参加する。男子の裸参りのあと、女子の参拝が一斉に行われた。 |
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▼ 参拝が終わると、裸の男児のみ神社境内を三周した。蘇民袋争奪戦の勇壮な裸祭りで知られる岩手県奥州市(おうしゅうし)の黒石寺(こくせきじ)蘇民祭(そみんさい)でも川で禊をしながら境内を三周する風習があり、これも全国各地で見られる神事である。 |
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出発の準備をする |
小玉 |
(1〜3年生)の児童たち |
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▲▼ 神社での神事が全て終わると、子供たちは、仮置きしていた中幟と紙幟を手に取り、神社前に整列して、町内廻りの体勢を整えた。 |
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出発の準備をする |
中玉 |
(4〜5年生)の児童たち |
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