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保原つつこ引祭 |
福島県伊達市保原町 厳島神社 2011年3月6日 |
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江戸時代中期の享保年間(1716〜1735)に大飢饉があり、当時の領主・松平出雲守(まつだいら・いずものかみ)通春(みちはる)公が厳島神社の境内(当時は現在の丸山観音)に領民を集め、種籾(たねもみ)を分け与えたところ、翌年は大豊作となったことから、農民たちは領主の善政に感謝し、神前に初穂を捧げて豊作を祝いました。 |
それ以来、五穀豊穣を祈る神事として、旧正月に裸の若衆が「つつこ」を引き合う勇壮な農民祭として、毎年催行されています。現在も変質することなく続けられているこの裸祭は、地元氏子たちの誇りでもあります。 |
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▲ スライドショーCD写真集「保原つつこ引祭」は、180枚、上映時間17分。(1枚2000円 リピーター価格:1枚1500円)
日本の祭りCD・DVD写真集 |
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YouTube 保原つつこ引祭(抜粋縮小版) |
↓画像をクリックするとスライドショー動画が始まります。 |
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はじめに |
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平成23年(2011)
3月6日(日)、福島県伊達市(
だてし)保原町(ほばらまち)に鎮座する厳島(いつくしま)神社(大嶽洋一(おおたけ・よういち)宮司
69歳)で「つつこ引祭(つつこびきまつり)」が開催され、厳島神社とつつこ引祭実行委員会(清野康志委員長
42歳)の全面支援により、密着取材を行った。 |
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【凡例】 ▲:上の画像の説明文 ▼:下の画像の説明文 〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示 |
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Google Earth |
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伊達市は、北海道と福島県に同じ名の自治体がある。福島県伊達市は、県北部にあり、平成18年(2006年)に伊達郡の伊達町(だてまち)、梁川町(やながわまち)、保原町(ほばらまち)、霊山町(りょうぜんまち)、月舘町(つきだてまち)が合併して誕生した。市役所本庁舎は、旧保原町、分庁舎は、旧梁川町にある。約265km2の市域に約66,000人が住む。 |
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資料 |
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Google Earth |
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42km2の町域に約25,000人が暮らす保原町は、信達平野(しんたつへいや)の東部に位置し、県都福島市に隣接する。昭和30年(1955)、保原、大田(おおた)、上保原
(かみほばら)、柱沢(はしらざわ)、富成(とみなり)の1町4村が合併。東に阿武隈(あぶくま)山系の霊山、西に吾妻連峰、北には宮城県境の山々を望み、西北を阿武隈川が北に流れている。 |
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阿武隈川流域は、古くから養蚕地として開け、市場町として知られる保原町は、信達平野の生糸(きいと)の集散地、蚕(かいこ)取引の中心地として栄えた。現在は、地場産業であるニット製造業に加え、誘致企業を中心とした電子機器関連工場が町の基幹産業として経済を支えている。 |
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保原 |
駅 / |
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阿武隈 |
急行線 2011.3.6 10:40 |
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江戸時代中期の享保年間(1716〜1735)に大飢饉があり、当時の領主・松平出雲守(まつだいら・いずものかみ)通春(みちはる)公が厳島神社の境内(当時は現在の丸山観音)に領民を集め、種籾(たねもみ)を分け与えたところ、翌年は大豊作となったことから、農民たちは領主の善政に感謝し、神前に初穂を捧げて豊作を祝った。それ以来、五穀豊穣を祈る神事として、旧正月に裸の若衆が「つつこ」を引き合う勇壮な農民祭(のうみんさい)として盛んに行われるようになった。 |
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新尺 |
さんと長谷川さんが写っている平成23年の「つつこ |
引 |
き」ポスター |
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「つつこ引祭」は、毎年続けられてきたが、ある年中止したところ、悪病が流行し、その後再び無病息災を祈る神事として盛んになったという。 |
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およそ280年ほどの歴史を持つ「つつこ引祭」は、現在は、保原町だけが毎年3月第1日曜日に「商売繁盛・五穀豊穣・無病息災」を祈る勇壮な裸祭として催行している。昔ながらの伝統文化を変質させることなく継承した「つつこ引祭」は、現在、伊達市の無形民俗文化財に指定されている。 |
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保原への旅
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▼ 3月6日(日)は朝5時半に起床し、青梅特快で東京駅に行き、東京駅08:08発東北新幹線Maxやまびこ127号に乗ると、09:47に福島駅に到着した。福島駅で長谷川昇司さんや新尺俊勝さんらと合流し、10:16発阿武隈急行の普通電車に乗り、10:34に保原駅に到着、他県からの参加者たちと合流した。保原駅から受付のある岩乃湯へは歩いて5分ほどで着いた。 |
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中村祭典事務所
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▼ 受付を済ませ、みんなで岩乃湯の西に位置する厳島神社に向かった。途中、祭会場の保原四丁目交差点に向かって左手に中村祭典事務所があった。保原の「つつこ引祭」は、旧中村郷の祭で、
中村は一区から五区までの区割がある。 |
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保原の「つつこ引祭」は、「つつこ引実行委員会」が主催しているが、実質は、氏子町「中村」の役員が取り仕切っており、氏子青年部に当たる「中村若連」が実行部隊である。その事務所がこの建物にあり、「つつこ引き祭警備本部」が置かれている。 |
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なお、つつこ引祭実行委員会
【Tel:024-576-4062】に電話すると、厳島神社社務所(〒960-0629 福島県伊達市保原町弥生町57-2 大嶽洋一宮司自宅)につながる。 |
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▼ 厳島神社は、保原駅から北西約500mの保原町(ほばらまち)弥生町(やよいちょう)の三角状の境内に鎮座し、安芸の宮島に鎮座する厳島神社と同じ宗像(むなかた)三女神(市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、 湍津姫命(たぎつひめのみこと))を祀る。航海の安全を祈願する海の神がこの地に勧請された理由はよく分からない。 |
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▲▼
保原・厳島神社の創建年代は不詳。もとは野崎観音の境内に祀られていたが、明治26年(1893)村社・厳島神社として現在の神域に遷座し、中村郷の守護神となった。市杵島姫命は、神仏習合時代に弁財天(べんざいてん)と習合しており、氏子からは、親しく弁天様(べんてんさま)と呼ばれている。 |
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▲▼ 毎年行われる「つつこ引祭」は、弁天様の祭礼神事で、近郷近在から選ばれた42歳の厄年に当たる若衆が裸で「つつこ」を引き合う奇祭として知られる。昭和31年(1956)に福島県十大祭に選定されている。 |
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参 拝 |
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▼ 岩乃湯から西に歩いて5分ほどで厳島神社に着き、みんなで参拝した。赤瓦の社殿は、余り見慣れない様式である。厳島神社は、嚴嶋神社、嚴島神社、巖島神社の表記があり、時代の変遷を感じる。 |
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つつこ |
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▼ 「つつこ」(苞(つと)
ワラツト ワラの包)は、祭の前日に氏子総代の金子章弘さん方で造られたもので、約700束の稲藁(いなわら)の中に2升の蒸した赤飯を入れ、熱湯をかけて5本の大縄で三箇所を結んだもの。直径約1.5m、長さ約2.5m、重さ約800kgもある「つつこ」は、巨大な俵のようなもので、近年では、大縄を車で牽引して作成するという。 |
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「つつこ引」は、褌一丁の男たちが三方から「つつこ」を激しく引き合う勇壮な祭で、「つつこ」を見事引き入れた地区は豊作が約束されるという。威勢の良い掛け声が響き渡り、激しく引き合ううちに赤飯はいつしか餅になる。 |
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「つつこ引」が終わると、宮司によって「つつこ」が開かれ、できあがったばかりの餅が参拝者に配られる。この餅を食べると一年を健康に過ごせるといわれており、また、「つつこ」に使われた稲藁を持ち帰り、神棚に捧げると、病人が絶え、農作物は豊作となり、養蚕が盛んになると言い伝えられている。 |
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巖島神社 |
斎館 |
の前で甘酒のご奉仕 11:08 |
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▼ 岩乃湯に引き返すと、伊達市社会福祉協議会のシャトルバスが待機しており、つつこの引き手たちは、受付時に渡された白いビニール袋を携えてバスに乗り込んだ。シャトルバスは2台用意されていた。 |
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岩乃湯前から伊達市社会福祉協議会のシャトルバスで保原ふれあいセンターへ 11:17
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保原ふれあいセンター
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保原ふれあいセンターは、伊達市保原町(ほばらまち)西町(にしまち)に位置し、正式には「伊達市役所保原総合支所保原ふれあいセンター」という名の公民館である。 |
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玄関から中に入ると、右側の会議室が引き手たちの更衣室になっていた。祭が終わるまで、手荷物はこゝに保管し、貴重品を預けることができる。 |
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更衣室では中村若連が紺地に厳島神社の文字を白く染め抜いた鉢巻(600円)や木札(600円)、一合升(500円)、携帯ストラップ(980円)、風呂用のタオル(200円)を販売していた。買わなくても祭には支障ないが、鉢巻や木札を購入して、身に付ける人が散見された。 |
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受付時に無料で手渡されたビニール袋には、貸与品の褌と背に嚴島神社と墨書された半袖上衣のほか、新品で消耗品の腹巻・鉢巻・地下足袋が入っていた。神事のため、鉢巻以外は全て白色である。引き手たちは、褌と腹巻を持ち、風呂場に向かった。 |
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▲▼ 引き手たちの斎戒沐浴(さいかいもくよく)用に風呂が沸かされており、参加者たちは一風呂浴びた後、脱衣所で褌担当役員によって腹巻と褌を締めてもらった。 |
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▲▼ つつこ引き手は、最初に晒の腹巻を締めた後、その上に相撲褌に似たやや厚手の褌を前垂式に締める習わしである。前垂部分には厳島神社の文字が墨書されているが、裏返しにして締めた人は、文字が見えない。 |
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▲▼ 引き手たちは、全力疾走したり、つつこを力一杯引っ張ったりして激しく運動するため、褌が緩まないよう、かなりきつく締める必要があり、褌担当役員は、汗だくで対応していた。 |
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▼ 引き手たちは、
更衣室に戻ると、地下足袋を履き、上衣をはおり、鉢巻を締めて、祭装束を整えた。鉢巻の色は赤・白・黄の三色があり、赤は上方部(かみほうぶ)(交差点の南部)、白は下方部(しもほうぶ)(北部)、黄は内町(うちまち)(東部)の各地区を表している。 |
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引き手はもらった鉢巻の色を確かめ、自陣に引き入れなければならない。間違って相手ゴールに引き入れる人がいるというから、注意が必要。鉢巻は、受付のときに数が均等になるように割り振られている。 |
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▼ 引き手たちは保原ふれあいセンターの玄関に並び、記念写真を撮った。今回、申込をした人は70人ほど。そのうち、長谷川さんたちが誘い合って参加した人は、9人だった。 |
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今回で長谷川昇司さん
(東京都八王子市 60歳)は10回目、新尺俊勝さん
(茨城県土浦市 50歳)は7〜8回目。千葉県上総一ノ宮の玉前神社大寒禊に引き続いて参加した
のは長谷川さん、新尺さんのほか、俵 雅史さん(東京都北区王子
34歳)と遠藤克彦さん(東京都三鷹市 54歳)。田中雄一さん(43歳)は、福島県会津若松市から参加した。 |
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新尺さん |
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俵さん |
長谷川さん |
遠藤さん |
田中さん |
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そうしゅんの はんそでふんどし つつこひき |
Early spring, short sleeves and loincloths of Tsutsuko pulling
festival. |
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