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序盤戦が終わり、昼食タイムとなった。館内の売店でお茶とお弁当を買い、枡席で杉浦さんと昼食を食べた。 |
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わんぱく力士たちは、昨夜、相撲部屋に泊まったせいか、関取が陣中見舞いにきてくれたところもあった。 |
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休憩時間を利用して、両国国技館の二階に上がり、館内の全景を撮影した。開会式を二階席から撮影すれば良かったと思った。●印が私の撮影ポイントである。 |
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マウスカーソルで画面のどこかをポイントすると説明が現れます。
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パノラマ写真(3000X1500)1.08MB |
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天皇皇后両陛下はじめ皇族などが大相撲を観戦される貴賓席(ロイヤル・ボックス)は、正面二階席の中央にあり、立入禁止となっている。高見(たかみ)の見物とは、このようなところから観戦することなのだろう。(写真下は通行可能な通路から望遠撮影した。) |
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わんぱく横綱土俵入り |
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二階席で取材していると、わんぱく横綱の土俵入りが始まった。「プログラムでは12時55分からとなっているのに何故早めるのか」と思いながら、慌てて一階に下りる。既に始まっていたので、去年の5年横綱・花岡真生(はなおかまさき)くん(6年 熊本県 宇城(うき) 18)の雲竜型土俵入りは、向正面から撮影することになった。 |
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東方 花岡真生くん(6年 熊本県 宇城 18)の雲竜型土俵入り 1/4 12:48
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拡大写真(2000X1500)623KB |
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横綱土俵入りの型は「雲龍型(うんりゅうがた)」と「不知火型(しらぬいがた)」の二種類が存在し、それぞれ雲龍久吉(うんりゅう・きゅうきち/ひさきち)(文政6年(1823) - 明治23年(1890))と不知火光右衛門(しらぬい・みつえもん/こうえもん)(文政8年(1825) - 明治12年(1879))が行っていた土俵入りの型を起源として伝えられたものとされ、綱の締め方やせり上がりの型に差異がある。 |
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東方 花岡真生くん(6年 熊本県 宇城 18)の雲竜型土俵入り 2/4
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▲▼ 雲龍型は、せり上がるときに左手を胸の近くに当てて右手を伸ばす土俵入りで、大多数の横綱がこちらを選択しており、わんぱく横綱の土俵入りは、東西とも雲竜型である。 |
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東方 花岡真生くん(6年 熊本県 宇城 18)の雲竜型土俵入り 3/4
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不知火型の土俵入りは、雲龍型と違って、せり上がるときに両手を伸ばす土俵入りで、太刀山峯右エ門(たちやまみねえもん)(明治10年(1877)
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昭和16年(1941))が16代木村庄之助より習った型とされる。 |
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東方 花岡真生くん(6年 熊本県 宇城 18)の雲竜型土俵入り
4/4
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以前から「不知火型の土俵入りを行った横綱は短命」とのジンクスがあるが、白鵬翔が不知火型を演じ、長命横綱として君臨していることから、ジンクスは払拭されつつある。 |
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東方 花岡真生くん(6年 熊本県 宇城 18)の雲竜型土俵入り
(アニメーション)
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▼ 続いて、去年の4年横綱・篠田裕(しのだ・ひろゆき)くん(5年 石川県 羽昨(はくい)
110)の雲竜型土俵入りは、正面から撮影できたが、完全にもとの位置に戻れなかったので、やや斜めからの撮影となった。報道カメラ席からだと横綱のすぐ後ろにいる行司が写らないので、結果的にはこのアングルで良かった。 |
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西方 篠田裕之くん(5年 石川県 羽昨 110)の土俵入り 1/6 12:50
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▲▼ なお、雲龍型は綱の輪が一つなのに対して不知火型は二つなので、概して不知火型用の綱は雲龍型用のものより長く重い。わんぱく横綱の土俵入りは、東西とも雲竜型なのは、そのせいかもしれない。 |
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西方 篠田裕之くん(5年 石川県 羽昨 110)の土俵入り
2/6
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わんぱくの おもきよこずな なつずもう |
Summer sumo wrestling, a naughty boy's
heavy Yokozuna rope. |
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西方 篠田裕之くん(5年 石川県 羽昨 110)の土俵入り
3/6
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▲▼ 横綱(よこづな)は、大相撲力士の番付における最高位の称号であり、横綱だけが腰に締めることを許される白麻製の綱の名称「横綱」に由来する。 |
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現行制度では横綱に降格はなく、現役引退によってのみその地位から降りる。従って、横綱になる力士はその地位にふさわしい品格と抜群の力量が求められる。 |
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西方 篠田裕之くん(5年 石川県 羽昨 110)の土俵入り
4/6
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現在の大相撲において、横綱は全力士の代表であると同時に、神の依り代(よりしろ)であり、土俵入りはその証(あかし)を披露する神聖な儀式であるという。それ故、横綱土俵入りは、病気・故障等の場合を除き、現役横綱の義務とされている。 |
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西方 篠田裕之くん(5年 石川県 羽昨 110)の土俵入り
5/6
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▲▼ わんぱく横綱土俵入りは、横綱、太刀持ち、露払い、行司ともに小学生高学年のわんぱく力士たちによって披露される。彼らにとって、この土俵入りは、一生一代の晴れ舞台である。 |
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西方 篠田裕之くん(5年 石川県 羽昨 110)の土俵入り
6/6
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● わんぱく横綱の土俵入りが許されるのは、去年の4年と5年のわんぱく横綱だけで、6年横綱は土俵入りができない。筆者としては、
わんぱく横綱は、3人誕生するのだから、翌年の全国大会で中学生になっているであろう6年横綱にも、土俵入りを披露する名誉を与えても良いのではないかと思う。 |
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西方 篠田裕之くん(5年 石川県 羽昨 110)の土俵入り(アニメーション)
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