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 旅紀行日本の裸祭り

2014年10月29日改訂

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♪相撲甚句「初場所」「四十八手」

 

わんぱくの重き横綱夏相撲  北舟

 

拡大写真(2000X1500)553KB

Summer sumo wrestling,
a naughty boy's heavy Yokozuna rope.

2014年10月27日制作

 

西方 篠田裕之くん(5年 石川県 羽昨 110)の土俵入り/両国国技館(東京都墨田区横網)

日本相撲協会のロゴマーク   両国国技館   日本相撲協会のロゴマーク

わんぱく相撲

土俵入

序盤戦が終わり昼食タイムとなった館内の売店でお茶とお弁当を買い枡席で杉浦さんと昼食を食べた  
昼食タイム 2014.08.03 12:39

昼食タイム 2014.08.03 12:39

わんぱく力士たちは、昨夜、相撲部屋に泊まったせいか、関取が陣中見舞いにきてくれたところもあった。

 
席取の陣中見舞い 12:41

席取の陣中見舞い 12:41

拡大写真(1800X1450)443KB

休憩時間を利用して、両国国技館の二階に上がり、館内の全景を撮影した開会式を二階席から撮影すれば良かったと思った。●印が私の撮影ポイントである。  
二階席から見た国技館全景 12:45

マウスカーソルで画面のどこかをポイントすると説明が現れます。

二階席から見た国技館全景 12:45

パノラマ写真(3000X1500)1.08MB

▼ 天皇皇后両陛下はじめ皇族などが大相撲を観戦される貴賓席(ロイヤル・ボックス)は、正面二階席の中央にあり、立入禁止となっている。高見(たかみ)の見物とは、このようなところから観戦することなのだろう。(写真下は通行可能な通路から望遠撮影した。)  
二階貴賓席(ロイヤル・ボックス)からの眺め

二階貴賓席(ロイヤル・ボックス)からの眺め

拡大写真(2000X1100)592KB

 

わんぱく横綱土俵入り

 
二階席で取材しているとわんぱく横綱の土俵入りが始まった「プログラムでは12時55分からとなっているのに何故早めるのか」と思いながら慌てて一階に下りる。既に始まっていたので去年の5年横綱・花岡真生(はなおかまさき)くん(6年 熊本県 宇城(うき) 18)の雲竜型土俵入りは、向正面から撮影することになった。  
東方 花岡真生くん(6年 熊本県 宇城 18)の雲竜型土俵入り 1/4 12:48

東方 花岡真生くん(6年 熊本県 宇城 18)の雲竜型土俵入り  1/4 12:48

拡大写真(2000X1500)623KB

 横綱土俵入りの型は「雲龍型(うんりゅうがた)」と「不知火型(しらぬいがた)」の二種類が存在し、それぞれ雲龍久吉(うんりゅう・きゅうきち/ひさきち)(文政6年(1823) - 明治23年(1890))と不知火光右衛門(しらぬい・みつえもん/こうえもん)(文政8年(1825) - 明治12年(1879))が行っていた土俵入りの型を起源として伝えられたものとされ、綱の締め方やせり上がりの型に差異がある。  
東方 花岡真生くん(6年 熊本県 宇城 18)の雲竜型土俵入り 2/4

東方 花岡真生くん(6年 熊本県 宇城 18)の雲竜型土俵入り  2/4

拡大写真(2000X1500)638KB

▲▼ 雲龍型は、せり上がるときに左手を胸の近くに当てて右手を伸ばす土俵入りで、大多数の横綱がこちらを選択しており、わんぱく横綱の土俵入りは、東西とも雲竜型である。  
東方 花岡真生くん(6年 熊本県 宇城 18)の雲竜型土俵入り 3/4

東方 花岡真生くん(6年 熊本県 宇城 18)の雲竜型土俵入り  3/4

拡大写真(1800X1350)464KB

 不知火型の土俵入りは、雲龍型と違って、せり上がるときに両手を伸ばす土俵入りで、太刀山峯右エ門(たちやまみねえもん)(明治10年(1877) - 昭和16年(1941))が16代木村庄之助より習った型とされる。  
東方 花岡真生くん(6年 熊本県 宇城 18)の雲竜型土俵入り 4/4

東方 花岡真生くん(6年 熊本県 宇城 18)の雲竜型土俵入り  4/4

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 以前から「不知火型の土俵入りを行った横綱は短命」とのジンクスがあるが、白鵬翔が不知火型を演じ、長命横綱として君臨していることから、ジンクスは払拭されつつある。  
東方 花岡真生くん(6年 熊本県 宇城 18)の雲竜型土俵入り (アニメーション)

東方 花岡真生くん(6年 熊本県 宇城 18)の雲竜型土俵入り (アニメーション)

続いて去年の4年横綱・篠田裕(しのだ・ひろゆき)くん(5年 石川県 羽昨(はくい) 110)の雲竜型土俵入りは正面から撮影できたが、完全にもとの位置に戻れなかったので、やや斜めからの撮影となった。報道カメラ席からだと横綱のすぐ後ろにいる行司が写らないので、結果的にはこのアングルで良かった。  
西方 篠田裕之くん(5年 石川県 羽昨 110)の土俵入り 1/6 12:50

西方 篠田裕之くん(5年 石川県 羽昨 110)の土俵入り 1/6 12:50

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▲▼ なお、雲龍型は綱の輪が一つなのに対して不知火型は二つなので概して不知火型用の綱は雲龍型用のものより長く重い。わんぱく横綱の土俵入りは、東西とも雲竜型なのは、そのせいかもしれない。  
西方 篠田裕之くん(5年 石川県 羽昨 110)の土俵入り 2/6

西方 篠田裕之くん(5年 石川県 羽昨 110)の土俵入り 2/6

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  わんぱくの重き横綱夏相撲  北舟 

わんぱくの おもきよこずな なつずもう

Summer sumo wrestling, a naughty boy's heavy Yokozuna rope.

西方 篠田裕之くん(5年 石川県 羽昨 110)の土俵入り 3/6

西方 篠田裕之くん(5年 石川県 羽昨 110)の土俵入り 3/6

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▲▼ 横綱(よこづな)大相撲力士の番付における最高位の称号であり横綱だけが腰に締めることを許される白麻製の綱の名称「横綱」に由来する。  
 現行制度では横綱に降格はなく、現役引退によってのみその地位から降りる従って横綱になる力士はその地位にふさわしい品格と抜群の力量が求められる。  
西方 篠田裕之くん(5年 石川県 羽昨 110)の土俵入り 4/6

西方 篠田裕之くん(5年 石川県 羽昨 110)の土俵入り 4/6

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 現在の大相撲において横綱は全力士の代表であると同時に神の依り代(よりしろ)であり土俵入りはその証(あかし)を披露する神聖な儀式であるというそれ故、横綱土俵入りは病気・故障等の場合を除き、現役横綱の義務とされている。  
西方 篠田裕之くん(5年 石川県 羽昨 110)の土俵入り 5/6

西方 篠田裕之くん(5年 石川県 羽昨 110)の土俵入り 5/6

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▲▼ わんぱく横綱土俵入りは、横綱、太刀持ち、露払い、行司ともに小学生高学年のわんぱく力士たちによって披露される。彼らにとって、この土俵入りは、一生一代の晴れ舞台である。  
西方 篠田裕之くん(5年 石川県 羽昨 110)の土俵入り 6/6

西方 篠田裕之くん(5年 石川県 羽昨 110)の土俵入り 6/6

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● わんぱく横綱の土俵入りが許されるのは去年の4年と5年のわんぱく横綱だけで6年横綱は土俵入りができない筆者としては、 わんぱく横綱は3人誕生するのだから翌年の全国大会で中学生になっているであろう6年横綱にも土俵入りを披露する名誉を与えても良いのではないかと思う。  
西方 篠田裕之くん(5年 石川県 羽昨 110)の土俵入り(アニメーション)

西方 篠田裕之くん(5年 石川県 羽昨 110)の土俵入り(アニメーション)

【話題】   ふんどし  

相撲褌 まわし

 相撲は、かつて日本人男性の下着だった褌(ふんどし)が進化した相撲褌(すもうふんどし)を唯一身につけておこなう裸の格技であり、世界的にもユニークな存在である。相撲褌を「まわし」と呼ぶようになったのは、褌を幾重にも回して身につけることからそう呼ばれるようになったもの。相撲に褌が用いられるのは、自然発生的なもので、倒れると着物が汚れるため、下着だけで行うようになったからで、とても単純で素朴な遊びから端を発している。
 江戸初期の勧進相撲では、本場所でも白麻*(はくま)の褌をそのまま使っていたが、やがて絹の緞子(どんす)や繻子(しゅす)が使用されるようになり、華美な衣装へと進化していった。
*白麻:アオイ科の一年草イチビの茎の繊維で作成した粗布
國見山と玉の戸の取組之図 歌川国輝 画 / 相撲浮世絵

國見山と玉の戸の取組之図 歌川国輝 画 / 相撲浮世絵

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▼ 当時は関取が本場所で相撲を取るときに着用するまわし(取りまわし)は現代のものとは違って、まわしの端(前垂れ)を短いエプロンのように垂らしていたという。それが徐々に華美なものへと発展し、やがて、土俵入という儀式を行ってその絵模様を披露するようになった。
 当時は取りまわしと土俵入のまわしは同じものだったが取組中に華美な前垂れが邪魔になってきたため、現在のように、取りまわしとは別に土俵入のための化粧まわしをあつらえるようになったという。化粧まわしは、締め込み部分と巨大なエプロン状の前垂れとは一体で、一本の褌であることには変わりがない。
陣幕久五郎の横綱土俵入之図 歌川国輝 画 / 相撲浮世絵

陣幕久五郎の横綱土俵入之図 歌川国輝 画 / 相撲浮世絵

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▲▼ 化粧まわしの値段は、安いものでも80万円ほどかかるそうで、高いものは天井知らずという。明治の大横綱常陸山(ひたちやま)の化粧まわしは、5カラットのダイヤモンドがはめ込まれた超豪華なもので、現在の価格だと数億円するというから驚く。
 下着の褌がまわし(相撲褌)となり、カラフルな取りまわしや化粧まわしに進化したお陰で、厳しい勝負の世界が華やかになり、美的感覚溢れる伝統文化となって今日に伝承されている。相撲褌の美しさが海外からも高く評価され、相撲人気を支える一端を担っている。
大相撲興行繁盛之図(明治初期) / 相撲浮世絵

大相撲興行繁盛之図(明治初期) / 相撲浮世絵

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▼ 江戸時代の浮世絵には、華やかな相撲絵が数多く描かれているが、写真下は勝川春亭(1770〜1820)が描いたもので、煙管(きせる)で刻み煙草(きざみたばこ)を吸いながら、明日七日の組合(くみあわせ)(取組表)を見る京都相撲の頭取・鯨波喜平治(ときのこえ・きへいじ)である。相撲興業の舞台裏を描いたもので、下着の赤褌(あかふん)まで丁寧に描いた珍しい浮世絵である。  
取組表を見る鯨波喜平治 勝川春亭(1770〜1820)画

取組表を見る鯨波喜平治 勝川春亭(1770〜1820)画

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