ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク
 

Wa☆Daフォトギャラリー

 旅紀行日本の裸祭り

2014年10月29日改訂

ログイン時刻

 

 

 

今 日

昨 日

♪大相撲やぐら太鼓

 

わんぱくの夏の聖地や国技館  北舟

 

拡大写真(2400X2000)572KB

Kokugikan, the sacred place of  naughty boys in summer.

2014年10月27日制作

「美保の松原」6学年117番の藤井励士くん 07:36
 

「美保の松原」6学年117番の藤井励士くん/両国国技館(東京都墨田区横網)

日本相撲協会のロゴマーク   両国国技館   日本相撲協会のロゴマーク

わんぱく相撲

国技館

撮影・制作 和田義男

 

はじめに

 
 平成26年(2014) 8月3日(日) 、日本伝統の国技・大相撲の聖地・両国国技館(東京都墨田区横網)で少年相撲日本一を決める「第30回わんぱく相撲全国大会」(日本相撲協会・東京青年会議所共催)が開かれたので、密着取材した。  

 

【凡例】  ▲:上の画像の説明文  ▼:下の画像の説明文  〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示

両国国技館りょうごくこくぎかん

の位置

両国国技館の位置

Google Earth

両国国技館りょうごくこくぎかん

 
▲▼ 両国国技館は東京都墨田区横網(よこあみ)一丁目に建つ大相撲の興行のための施設。ボクシングなどの格闘技の試合に使われることもある。なお、「両国国技館」は通称で、正式名称は「國技館」である。  
   昭和60年(1985)1月場所より使用されている現在の建物(新国技館)は二代目。国鉄バス駐泊場(旧両国貨物駅跡地)に建設された。新国技館は地上2階、地下1階。総工費150億円(全てを借金なしでまかなわれた)。  

両国国技館りょうごくこくぎかん

の位置/拡大

両国国技館の位置/拡大

Google Earth
▲▼ 建設計画発表から3年後の昭和59年(1984)11月30日に完成。翌昭和60年(1984)1月9日盛大に落成式が催され千代の富士と北の湖の両横綱による三段構え*が披露された。その場所で千代の富士は「全勝優勝」
怪我を押して強行出場した北の湖は1勝も出来ずに「引退」と、明暗の分かれる世代交代場所となった。
 
 

*三段構え:相撲の基本体を表す三つの構え

 
   なお、2020年の東京オリンピックでは、両国国技館は、ボクシング会場に使われる予定。  

両国国技館りょうごくこくぎかん

↓触太鼓の櫓 ↓八角形の新国技館 JR両国駅→  

両国国技館

写真:ウィキペディア・フリー百科事典
▲▼ この日は朝4時起きしてJR青梅線河辺駅から中央線立川駅〜総武線お茶の水駅を経由し両国駅に朝6時半過ぎに到着した。  
JR総武線・両国駅 2014.08.03 06:36

JR総武線・両国駅 2014.08.03 06:36

▼ 両国駅は、両国国技館の玄関口だけあって、駅構内に横綱の写真額や手形、江戸時代の浮世絵、力士の石像などが展示されていた。  
駅舎内の展示 06:38

駅舎内の展示 06:38

拡大写真(2400X1650)594KB

両国大相撲繁栄之図は嘉永6年(1853)に歌川国郷(うたがわ・くにさと)(生年不明 - 安政5年1858)が大相撲で繁栄する両国界隈の様子を描いた3枚構成の力作で原画は相撲博物館にあるがinternetで検索したところ同じものが日本銀行・貨幣博物館にもあったのでご覧いただきたい。
 
        http://www.imes.boj.or.jp/cm/research/nishikie/001007/007/900183/html/001.html
 
両国大相撲繁栄之図 歌川国郷 嘉永6年(1853) / 両国駅

両国大相撲繁栄之図 歌川国郷 嘉永6年(1853) / 両国駅

拡大写真(3000X1600)1.25MB

▼ 東都両国ばし夏景色は、安政6年(1859)に橋本貞秀(はしもとさだひで)(文化4年(1807)- 明治12年(1879))が両国橋を中心とした隅田川の夏景色を描いた3枚構成の力作で、原画は江戸東京博物館にあるが、internetで検索したところ、同じものが国立国会図書館デジタルコレクションにもあったのでご覧いただきたい。
 
                 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1307052?viewMode=A 
 
東都両国ばし夏景色 橋本貞秀 安政6年(1859) / 両国駅

東都両国ばし夏景色 橋本貞秀 安政6年(1859) / 両国駅

拡大写真(3000X1650)1.33MB

力相撲の石像 / 両国駅西口 06:42

力相撲の石像 / 両国駅西口 06:42

拡大写真(2000X1740)765KB

両国駅西口 06:43

両国駅西口 06:43

拡大写真(2000X1250)463KB

わんぱく相撲全国大会
 
▼ わんぱく相撲全国大会は、全国から相撲の聖地・両国国技館に集まった小学校4・5・6年生による相撲大会である。小学生に広く相撲実践の機会を与え、心身の鍛錬と健康の増進をはかることを目的に、公益財団法人日本相撲協会と公益社団法人東京青年会議所の主催により開催される。  
   その前身は、わんぱく相撲東京場所で、昭和52年(1977)に遊び場の少なくなった東京で、子供たちの健康と心身を鍛えることを目指して始まり、昭和60年(1985)まで9回開催された。昭和57年(1982)の第6回大会で花田光司(はなだ・こうじ)(中野)くんが4年横綱となり、その後角界に入って、横綱貴乃花となった。  
   国技館が蔵前から両国に移転した昭和60年(1985)に、わんぱく相撲東京場所と共催で第1回わんぱく相撲全国大会が開催され、翌年から東京場所は、わんぱく相撲全国大会に一本化された。現在200を超える地域で4万人の子供たちが地区大会に参加するビッグイベントとなったわんぱく相撲は、平成26年(2014)の今年、節目の第30回大会を迎えた。  わんぱく相撲全国大会実行委員会公式サイト  
両国国技館に立てられたわんぱく相撲の幟旗 06:43

両国国技館に立てられたわんぱく相撲の幟旗 06:43

拡大写真(2400X1800)903KB

 毎年4月から LOM (ロム)大会と呼ばれる地区ごとの予選大会が全国200箇所を超える地域で始まる。LOM大会と呼ばれるのは、各地方の青年会議所が中心になって行われ、その地方青年会議所のことを LOM(ロム) Local Organization Member と呼ぶため。  
都道府県単位の幟旗/両国国技館 06:44

都道府県単位の幟旗/両国国技館 06:44

拡大写真(2400X1800)927KB

 LOM大会で勝ちあがるとブロック大会と呼ばれる都道府県代表を決める最終予選大会が開かれる(活発でない都道府県(のJCI)では開かれない)ここで代表に選ばれた最大150チームの選手たちが東京は両国国技館の大相撲と同じ土俵にあがり、各学年のトーナメント形式の取組が行われる。地方大会からの参加者は総勢約40,000人。まさに、日本の小学生力士の晴れ舞台である。  
 ちなみに、選手や引率者たちの旅費・宿泊費は全て大会関係者が負担し、わんぱく力士たちは、都内の相撲部屋に宿泊する。相撲道を志す彼らにとっては、素晴らしい体験であり、夢舞台である。  
わんぱく相撲のロゴマーク「わんぱく小僧」 06:49

わんぱく相撲のロゴマーク「わんぱく小僧」 06:49

拡大写真(2000X1400)223KB

 個人戦の各学年の優勝者には大会実行委員会から「わんぱく横綱」の称号が贈られるわんぱく横綱は翌年の全国大会で大相撲の横綱とほぼ同じ横綱土俵入りを披露することができる。わんぱく横綱のうち大相撲入りした主な者には、普天王水(ふてんおう・いづみ)(熊本県)、豪栄道豪太郎(ごうえいどう・ごうたろう)(大阪府)などがいる。  
櫓の下で朝7時の開門を待つ 06:53

櫓の下で朝7時の開門を待つ 06:53

拡大写真(2000X1500)821KB

▲▼ このたび、わんぱく相撲全国大会の一部始終を撮影できたのは、静岡県チームを応援するために両国国技館に来られた杉浦弘さんから事前にお誘いがあったからで、強豪・静岡県チームの密着取材が実現した。  
 杉浦さんとは、朝7時の開門時に正面玄関で落ち合った「國技館」の扁額が掲げられた正面玄関(東面)は開門時、ラッシュ状態で撮影できなかったので、後刻、撮影した。(写真下)  
国技館正面玄関(東面) 11:00

国技館正面玄関 11:00

拡大写真(2000X1500)471KB

▼ この日の入場は無料。7時の開門時リュックサックなどを開けて所持品検査を受け無事にパスして中に入ると、フロント・ロビーでガイドブックと団扇をもらった。  
フロント・ロビーでガイドブックと団扇をもらう 07:12

フロント・ロビーでガイドブックと団扇をもらう 07:12

▼ ガイドブックの表紙に描かれたイラストは漫画家・ちばてつやが描いたもの。今年のスローガンは「夢への挑戦〜強い心と感謝の気持ち〜」。 "Challenge the Dream"- Have a strong mind, and be grateful -   
第30回わんぱく相撲全国大会のガイドブック/両国国技館

第30回わんぱく相撲全国大会のガイドブック/両国国技館

拡大写真(1400X2000)626KB 資料:東京青年会議所
▼ ガイドブック に掲載されたこの日のタイムスケジュールは、12時間もの長丁場だった。撮影する筆者にとってもかなりな重労働だったが、大会関係者にとっては更に大変な負担で、頭が下がる。  

当日タイムスケジュール

資料:東京青年会議所
▼ わんぱく相撲全国大会のガイドブックにおさめられている成績表には、最近では青森県の「五所川原」や熊本県の「宇城(うき)」、鹿児島県の「奄美大島」などが強豪チームである。その中に一昨年の第28回大会で5年横綱(下橋颯斗くん)と団体優勝に輝いた静岡県の「富士山静岡」の名があった。  
 時代を遡(さかのぼ)れば第4回大会で「浜松」の姫野充雄くんが5年横綱に第9回大会では「三島」の礒部洋之くんが6年横綱になっている。礒部くんは大学卒業後角界入りして磋牙司(さがつかさ)を名乗り2011年9月場所で、西前頭9枚目になった。過去に関取を輩出している静岡県勢は、誰もが認める強豪チームだった。  

わんぱく相撲全国大会 大会成績表

資料:東京青年会議所
選手団受付カウンター/フロント・ロビー左(北)側

選手団受付カウンター/フロント・ロビー左(北)側

拡大写真(2400X1800)693KB

▲▼ 両国国技館のフロント・ロビー左(北)側の壁を飾る絵は、織田信長の上覧相撲を描いたもの。「信長公記」によると、元亀元年(1570)3月3日、信長は、近江国常楽寺で国中の相撲取りを集めて上覧相撲を催し、勝者の鯰江(なまずえ)一郎・青地与右ェ門に熨斗付(のしつき)の太刀・脇指を授け、両者を御家人に召しかかえたという。  
フロント・ロビー左(北)側の壁画「信長の上覧相撲」/両国国技館

フロント・ロビー左(北)側の壁画「信長の上覧相撲」/両国国技館

パノラマ写真(2400X1100)545KB

フロント・ロビーの右(南)側には、わんぱくグッズ販売カウンターがあり、わんぱく小僧をあしらったバスタオル(2000円)、ポロシャツ(2700円)、Tシャツ(2000円)などが売られていた。  
わんぱくグッズ販売カウンター/フロント・ロビー右(南)側

わんぱくグッズ販売カウンター/フロント・ロビー右(南)側

拡大写真(2400X1800)682KB

フロント・ロビーには、座席表が掲示され、各チームに枡席が割り振られていた。今回、密着取材することになった静岡県の富士山・浜松城・美保の松原・駿河湾の4チーム12人の控席は、正面・報道席の東(実際の方角は北)隣りにあり、有り難いことに、筆者は美保の松原の枡席に三脚を立て、最良のポジションで撮影することができた。  
両国国技館一階座席表(●印が撮影位置)

両国国技館一階座席表(●印が撮影位置)

拡大写真(1600X1550)329KB

館内には、参加チームの一覧表が張り出されており、今年は高知県と島根県を除く45都道府県とモンゴル(初参加)から132チーム396人が参加している。各都道府県のチーム数は、1〜4とばらつきがあるが、これは地方の青年会議所(JCI)の活動が活発かどうかで決まる。地方大会の開催や東京への派遣には労力と資金が必要なので、他の行事を優先するところは、派遣が無いか少ないことになる。  
   静岡県は、最大枠の4チーム12人を派遣している。残念なのは、私の出身地で相撲が盛んな高知県が47都道府県の中で唯一今までに一度も参加していないと聞く。高知のJCI諸君、おまんらぁ、いままでなにしよったぜよ!  
   各チームは、東西の支度部屋に割り振られているが、支度は枡席で行い、支度部屋はウォーミングアップに使われる。残念ながら関係者以外は立入禁止となっていたので、支度部屋の様子は撮影できなかった。  
参加チーム一覧表

参加チーム一覧表

拡大写真(1300X1800)596KB

わんぱく相撲に情熱を燃やす静岡県(のJCI)は、4月から6月にかけて三島市立錦田中学校を皮切りに磐田市営相撲場や静岡市城北運動場相撲場など9箇所でLOM 大会を開催したのち6月22日(日)浜松市遠州灘海浜公園にてブロック大会を行い各学年ともベスト4までの4人総勢 3x4=12人が4チームに分かれて全国大会に臨んだ。各学年の優勝者が「富士山」チームで、その他の選手は、「浜松城」「美保の松原」「駿河湾」の3チームに振り分けられた。  

静岡県チーム

▼ 館内に入り、静岡県チーム「美保の松原」の枡席に陣取り、三脚を立て、ベストポジションから撮影を開始した。なお、一階は全て指定席だが、二階は自由席となっているので、誰でも無料で観覧することができる。

 
静岡県チーム「美保の松原」の枡席に陣取る 07:25

静岡県チーム「美保の松原」の枡席に陣取る 07:25

拡大写真(2400X1700)822KB

  ▼ 静岡県磐田市福田(ふくで)にお住まいの杉浦茂さん(72歳)は、平成23年(2011)9月、見付天神裸祭の取材で静岡県磐田市の大孫(だいまご)に宿泊した際にお会いしたのが御縁で、交流が始まった。  
   合併して磐田市になる前まで福田町の文化財保護審議会長を務められた杉浦さんは、相撲史跡研究と相撲資料蒐集の大家で、ご自宅に相撲博物館があり、internetで 相撲古美術 のサイトを運営する相撲通である。かつては、自ら土俵に上がり、子供たちに胸を貸して、磐田市の小学生たちの相撲指導に当たり、わんぱく相撲全国大会の副審判長を務められたこともある功労者である。  
取材に誘って頂いた杉浦弘さん(磐田市福田)

取材に誘って頂いた杉浦弘さん(磐田市福田)

拡大写真(1600X1400)233KB

  ▼ 磐田市の大孫でお会いした際、相撲古美術の収蔵品の中から、私の関心が高いと予想して平安朝相撲絵巻を持参されたので、撮影させて頂き、Wa☆Daフォトギャラリーに発表した。 ふんどし談義 / 066 平安朝相撲絵図  
   奈良時代、聖武(しょうむ)天皇(在位724-749)が天平6年(734)7月7日に相撲をご覧になり、これ以降、宮中では、国家安泰と五穀豊穣を祈願した「相撲節会(すすまいのせちえ)」として秋に相撲を取るのが年中行事化したという。俳句で「相撲」が秋の季語となっているのは、そのためである。  
平安朝相撲絵巻(全景)

平安朝相撲絵巻(全景)

拡大写真(10000X1575)2.96MB

平安朝相撲絵巻(右)

平安朝相撲絵巻(右)

拡大写真(4820X1800)1.53MB

平安朝相撲絵巻(左)

平安朝相撲絵巻(左)

拡大写真(6620X1800)2.14MB

  ▼ 枡席で選手たちがまわしを締め始めた。参加人数が多いので、支度部屋ではなく、衆目の集まる土俵のまわりで更衣することになったのだろう。  
枡席でまわしを締める 07:33

枡席でまわしを締める 07:33

拡大写真(2000X1500)516KB

  ▲▼ 選手たちは、肌の上に直接白まわしを締める。杉浦さんによると、地区大会では参加者を増やすためにパンツの上にまわしを締める「パンツまわし」を認めるJCIもあるそうだが、磐田市では認めておらず、また、浜松市で行われるブロック大会も禁止しているという。もちろん、相撲の聖地・両国国技館で行われる全国大会は、伝統文化に反するものは一切認められない。  
「美保の松原」5学年70番の鈴木駿くん

「美保の松原」5学年70番の鈴木駿くん

  ▼ そして、わんぱく力士たちは前褌(まえみつ)にチーム名と各学年ごとに1から132までのどれかに割り振られた選手固有の番号を手書きしたゼッケンを付ける。  
「美保の松原」4学年73番の望月大矢くん

「美保の松原」4学年73番の望月大矢くん

「駿河湾」5学年30番の前田蒼馬くん

「駿河湾」5学年30番の前田蒼馬くん

「富士山」6学年92番の井口淳平くん

「富士山」6学年92番の井口淳平くん

「駿河湾」6学年65番の武井朔太郎くん

「駿河湾」6学年65番の武井朔太郎くん

  わんぱくの夏の聖地や国技館  北舟 

わんぱくの なつのせいちや こくぎかん

Kokugikan, the sacred place of  naughty boys in summer.

  ▼ 今年、磐田市から全国大会に出場できたのは、6年生の藤井励士くん只一人。応援に駆けつけた杉浦さんや磐田市民の期待を一身に背負って立つ藤井くんは、見るからに頼もしい。大相撲の土俵を背景に記念写真を撮ったが、彼にとって貴重な1枚になったことだろう。  
「美保の松原」6学年117番の藤井励士くん 07:36

「美保の松原」6学年117番の藤井励士くん 07:36

拡大写真(2400X2000)572KB

Wa☆Daフォトギャラリー

今 日

 和田フォトギャラリー

昨 日

 Copyright (C) 2000-2014 Yoshio Wada. All Rights Reserved. 

ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク