■■■ 067 我が褌人生
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高知の漁師町に育った私は、小学生低学年で親から教わった黒猫褌(高知では「いどくい」)かフリチンで泳いでいた。金持ちは水褌か海水パンツを着用していた。銭湯では、漁師町ゆえ越中褌姿が多く、早く大きくなって褌を締めたいと思った。 |
大学1年生のとき、発汗による湿疹に悩む私に医務長から勧められたことがきっかけで、現在に至るまで46年間下着として越中褌を愛用している。清潔で涼しく快適な越中褌は、高温多湿の気候風土にマッチした健康下着であり、今となってはトランクスや、ましてブリーフなどはあり得ない。休日には、たまに六尺褌を締めることがあるが、六尺は祭や水泳に適しており、日常の下着は、越中に限る。 |
日本の褌は、越中褌にしろ六尺褌にしろ、日本の伝統文化の原点ともいえる衣装である。海外には数多く出かけるが、海外の文化や考え方、センスの違いなどにカルチャー・ショックを受けたとき、日本人とは何かを自問することがある。その際、日本人としての
IDENTITY (アイデンティティ/日本人らしさ)を真っ先に感じるのは、いつも身にまとっている褌だった。 |
私は、世界を旅するうちに、日本がどこからも侵略を受けず、いにしえの文化を今に伝える素晴らしい国であることに気付いたが、とりわけ世界に例のない裸褌文化の躍動する裸祭に魅了され、12年間に92種142の作品を和田フォトギャラリーに発表し、1日1万アクセスをいただく日本一のサイトと評価されるようになった。「裸褌文化」は、筆者が提唱する言葉である。 |
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はつはるや しんふんどしの たのもしき |
The beginning of
spring, fine is the new loincloth. |
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▲ 写真上は、本邦初公開の筆者の下着姿だが、夏の暑い時期は、書斎では甚兵衛を脱いで、褌一丁でパソコンに向かうこともある。これまで、全国の裸祭の素晴らしさを激写するためにずいぶんと旅してきたが、褌の締め方がなっていない人が結構多い。普段褌をしていないため、祭のときだけ見よう見まねで締めているからだろう。 |
六尺褌も越中褌も締める場所は同じで、こればかりは、自然に身につくまでに年季がいる。一番格好悪いのは、横褌(よこみつ)を臍(へそ)あたり(ズボンのベルトの位置)に締めているケース。これだと立褌(たてみつ)が長くなって間抜けに見え、珍宝が外れる危険性もある。また、ゴムボールのように弾力のある腹に結んでいるため、動いているうちに緩んでしまうので気をつけよう。 |
▼ 山下清画伯の生涯を描いた「裸の大将」は、映画やテレビで何度も上映された。一番新しいのは、芦屋雁之助が演じたものだが、なぜかパンツ姿となっている。初代の清役は小林桂樹で、当たり前だが、本人と同じ越中褌を締めていた。それも臍の上に締めているので、少し知能が足らないように見えたものである。そのため、臍の上に締めている人を見ると、山下清を想い出してしまうのは、画伯には何とも申し訳ないことで、お許し願いたい。 |
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横褌は、丹田(たんでん)と呼ばれる臍下三寸(約10cm)に締め、腰骨の上端部を通るようにすると骨に固定されるので緩まず、しかも格好良い。盲腸を手術した人は、丁度、その手術痕の位置である。この範を示す意味で、我が越中褌姿を公開した次第である。46年の技といってもたいしたことはないが、とくとご覧頂き、見習って欲しい。 |
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「寒中水浴の栞(しおり)/鐵砲洲稲荷神社寒中水浴大会」より抜粋 |
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壁や襖(ふすま)に向かって衣服を脱いで全裸となり、越中褌を広げて、左右の横褌(よこみつ)(紐の部分)をそれぞれの手で持ち、立褌(たてみつ)(布の部分)を臀部(尻)に当て、横褌を脇腹から腹部に導き、臍下三寸(へそした・さんずん)(10cm)
(丹田)の位置で、ややきつめに蝶結びにします。この位置は、左右の腰骨の上端部を通りますので、横褌が骨に固定され、褌が緩みません。
これより高い位置に締めますと、横褌が固定されず、直ぐに緩褌(ゆるふん)の状態になります。ちなみに、横褌の位置は、盲腸の手術をする位置ですので、経験者は、横褌が右下腹部の手術痕の上を通っていることを確認して下さい。六尺褌の場合も同じです。
逆に、正しい位置より下に締めますと、露出気味でだらしなく見えますので、正規の位置にキチッと締めるようにしましょう。
次に、足を広げ、少し前傾(ぜんけい)しながら片手で後ろに垂れている立褌を股下から掴み、股下をくぐらせて前方に導き、両手で横褌の内側から前に垂らして下さい。ここで、壁際を次の人に譲り、部屋の中心部に移動したあと、両手で前垂れを広げ、緩みのないように調整してできあがりです。褌を外すときは、蝶結びの片方の紐を引けば横褌が緩み、直ぐに外すことができます。
シャツを着たまま褌を締める人を見かけますが、素人っぽく見えます。壁際に立てば恥ずかしくありませんので、「褌は一気に裸になって粋に締める」のが江戸っ子ですので、和田グループもあやかりましょう。 |
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【参考】 我が家の越中褌 かつて、日本人男性の下着だった越中褌は、家庭の手作りでした。ミシンの直進縫いさえできれば、市販の晒木綿から自分の体格に合わせた褌を簡単に縫製(ほうせい)できます。筆者は、大正生まれの亡き母から教わった和田家謹製の褌を今も愛用しています。高温多湿の日本の気候風土から生まれた越中褌は、通気性が良く、清潔で健康的な下着です。現在、その良さが見直され、internetから好みの褌を手軽に購入でき、静かなブームとなっています。
参考のために、我が家の越中褌の畳み方をご紹介します。国旗の畳み方と同じで、1〜7の順に畳んでゆきます。これだと箪笥の引出しに立てたまま収めることができ、使用するときは端から取り出し、洗ったものは反対側に補充してゆけば順序よく使用できます。 |
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1 2 3 4 5 6 7 完 成 |
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▼ 平成20年(2008)1月13日(月)午前11時から東京都中央区湊一丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社(中川文隆宮司)で第53回寒中水浴大会が開催され、神楽殿から鐵砲洲囃子が流れるなか、参加者約60名が白鉢巻・白越中褌(女性は白衣)姿になって氷柱で冷やされた直径10mの円形水槽に胸まで浸かって冷水を浴びた。この神事は、関東最長の歴史を誇る寒禊で、東京の春を呼ぶ新年の風物詩として知られている。 |
鐵砲洲囃子をバックに氷水の寒中水浴/ 鐵砲洲稲荷神社(東京都中央区湊) 2008.1.13 |
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撮影:星 宏幸 |
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▼ この年満60歳の厄年を迎えた筆者は、中川宮司のご高配により、神事の寒中水浴の後、私を誘ってくれた三木芳樹さんや地元の平野五郎さんと共に赤褌(あかふん)に締め直して還暦記念水浴を行った。
鐵砲洲寒中水浴'08
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還暦記念赤褌水浴を果たした3人(左から三木芳樹さん・筆者・平野五雄さん) |
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▼ 平成23年(2011)の初秋、静岡県磐田市に鎮座する矢奈比賣天神社(やなひめてんじんしゃ)において、700年余の伝統を有する見付天神裸祭(みつけてんじんはだかまつり)(国指定重要無形民俗文化財)が開催された。事前に和田グループ(第三期)を募集し、水曜日の浜垢離(はまごり)に5人、土日の御大祭(ごたいさい)に8人が参加した。
見付天神裸祭'11
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二番觸 |
の潮練り込み!/見付天神裸祭「浜垢離」 2011.8.31 |
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▼ 御大祭では、早朝、東京の自宅の風呂場のシャワーで禊をし、松本邸で新しい六尺褌を締め、お借りした白丁を身にまとって天神様の社殿にあがらせていただいた。六尺褌を締めて祭を激写したのは初めてのことだが、「褌を締めてかかる」の喩えどおり、裸祭には気合いの入る六尺を締め込むのが最良で、見付天神裸祭に臨む和田グループ全員の連帯感とあいまって、勇壮で美しい裸祭の感動を体感することができた。これからも気力体力の続く限り、この裸祭に参加したいと思っている。 |
写真下は、筆者の六尺褌姿であるが、締める位置は、越中褌と全く同じく、臍下三寸(約10cm)の丹田(たんでん)であることがお分かりいただけると思う。違うのは、きつく締めるかどうかで、普段着の越中褌は、緩褌(ユルフン)気味に締め、六尺褌はきつく締めると気分が引き締まる。緊褌一番(きんこんいちばん)の喩えは、六尺褌をきつく締めることをいっており、越中褌や畚(もっこ)褌では、気合いが入らない。 |
和田グループ代表の六尺褌・白丁姿 / 見付天神裸祭 2011.9.3
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▼ 人前に自分の褌姿を晒すのは、平成20年(2008)正月の寒中水浴がその嚆矢だが、今年で4回目の寒禊を果たし、意気軒昂である。新年に神々への感謝とご加護を祈念して斎戒沐浴するのは、戦前まで普通の行事であり、新しい褌を締め、気分を一新して新年を迎えることの清々しさは、体験しないと分からないかも知れない。
鐵砲洲寒中水浴'11
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はつはるの ふどしあらたに むそじかな |
The beginning of
spring, age in the sixties wearing a new loincloth. |
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喜寿(77歳)の水浴となる羽場左近さんと/第56回鐵砲洲稲荷神社寒中水浴大会 2011.1.9
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喜寿(77歳)の水浴となる羽場左近さんと/第56回鐵砲洲稲荷神社寒中水浴大会(東京都中央区湊一丁目) |
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ともあれ、毎年、鐵砲洲から始まる私の褌人生は、家族の理解を受け、誰憚ることもなく続けられるのが有り難い。好きなことを好きなだけ実践することが長寿の秘訣であると信ずる筆者は、これからも大いに我が褌人生を謳歌して行きたい。 |
森繁久弥主演の「ふんどし医者」(1960年)という映画があったが、さしずめ、私は「褌カメラマン」といったところであろう。自分自身の褌姿を堂々と公表しているサイトは見あたらないので、これも道楽の極みである。
(2011年10月1日 64歳) |