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Wa☆Daフォトギャラリー

 旅紀行日本の裸祭り
2018年10月19日改訂

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♪海に帰る〜水の都〜精霊

白褌の波に洗わる秋の垢離  北舟

見付天神裸祭

The autumnal purification, white loincloths being washed by the waves.

2003年5月10日制作

一番觸の浜垢離/遠州灘

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一番觸の浜垢離/遠州灘福田海岸(静岡県磐田市)

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劇場訓蒙図彙の挿絵

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ふんどし談議 2/2

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■■■ 070 子供

山笠やまかさ

博多流はかたながれ

」 ■■■
 平成23年(2011)7月1日(木)から15日(木)まで の間、770年目となる博多祗園山笠(はかた・ぎおん・やまかさ)が開催された。昭和54年(1979)に国から重要無形民族文化財の指定を受けた櫛田神社のこの夏祭は、7月1日から15日まで福岡市内の14箇所で絢爛豪華な飾り山笠が展示され、1日の舁き山笠7流の当番町・役員が箱崎浜(はこざきはま)で身を清めるお汐井とり(おしおいとり)に始まり、10日の流舁き(ながれがき)、11日の朝山笠(あさやま)、他流舁き、12日の追い山笠(おいやま)ならし、13日の集団山見せ、14日の流舁きと次第に盛り上がり、15日の櫛田入り(くしだいり)タイムレース・追い山笠(おいやま)で最高潮に達する。
                                                            「博多祇園山笠」公式サイト

▼ このほどアップした 「博多山笠寸描'11」 の作者・辻竜二さんも所感で述べておられるように博多山笠は規模が大きく、毎回、新しい発見がある。今回のお手柄は博多小学校の子供山笠「博多流」の完全収録である。流によっては、子供山笠をやっていることは知っていたが、これほど規模が大きく、かつ、レベルの高いものが存在するとは聞いたことが無く小学生たちのみで大人顔負けの舁き山が見られたのは初めてで、その真剣さと迫力あるパフォーマンスに、とても感動した!
清道旗に入る子供山笠 / 博多祗園山笠(福岡市) 2011.7.3

清道旗に入る子供山笠 / 博多祗園山笠(福岡市) 2011.7.3

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▼ 博多の子供たちは、早ければ2歳くらいから山笠に参加する。伝統的に女人禁制だった山笠だが、千代小、博多小、RKB子供山笠教室や中央区天神の新天町で行なわれる子供山笠は、少女も参加できる。これらに参加する少年少女は大人と同様、水法被を羽織った締め込み(褌)姿になる。
 女の子が締め込み(褌)をして男子と対等に裸祭に参加しているところは、博多以外には存在しない。こゝには、裸褌文化への憧れこそあれ、褌を恥ずかしいと思う子供は存在しない。
 

 

和田義男

女の子も褌を締めて参加する子供山笠

女の子も褌を締めて参加する子供山笠

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 博多では、次代を背負う子供たちが幼児の頃から褌を締め、自然に伝統の裸文化を身に付けて行く仕組みができあがっている。博多小学校の先生自身が褌を締めて子供たちにお手本を示す社会教育を行っているのは、何とも素晴らしい。
 伝統の奉納相撲がパンツの上に褌を締めて行うように変質してしまった例を見るに付けこゝ博多では、伝統の裸褌文化に誇りを持ち忠実に次代に引き継いで行こうと考える地域の熱意が大きく花開き、巨大な力になっている。博多山笠万歳!
                                                            
平成23年(2011)11月12日
■■■ 069 旗本の越中褌  ■■■
 
 田沼意次が失脚した後、天明7年(1787)に老中首座に付いて寛政の改革を行った第八代将軍徳川吉宗の孫に当たる松平越中守定信が質素倹約策を強力に推し進め、その一環として六尺褌の布を半分にした三尺褌を考案し、越中守の名をとって越中褌と呼ばれるようになったする説が江戸時代から流布されていたらしく、江戸時代の百科事典といわれる守貞謾稿(もりさだまんこう)にもそれが誤りであることが書かれている。
 
 幕府の旗本たちも越中守の指導に従って質素倹約に努め、褌も六尺褌から越中褌に代えて倹約に努めたのは事実である。商売上それを知り得る立場にあった吉原の遊女から旗本が越中褌をしているという話が広がり、その風評から越中褌が越中守の考案だということになったらしい。
 
 喜田川守貞が天保8年(1837)から30年間書き続けて完成させた全35巻から成る守貞謾稿には、越中褌の起源が記載されており、越中という大坂の妓(ぎ)が客に片袖を送り、客が褌に縫い直して身につけたのが始まりだと記している。
 
 ちなみに越中褌は、肉体労働を伴わない医者や神職、僧侶、文化人、商人の間で用いられていた。武士の場合は、隠居後に用いる例もあるが、武士は六尺褌が当たり前だったので、吉原の遊女が珍しがって、この事実が明らかになった。松平定信の失脚により、旗本の越中褌がどうなったかは定かでないが、旗本は慢性的に貧しい生活を余儀なくされたので、その後も愛用されていたのではないかと推測する。 平成23年(2011)10月17日
■■■ 068 ウィキペディアフリー百科事典の外部リンクに「ふんどし談義」が掲載!  ■■■
 
 ▼ Google「褌」検索で、トップに表示される「ふんどし-Wikipedia」が下の写真だが、このほど、このウィキペディア フリー百科事典の外部リンクに当サイトの「ふんどし談義」(赤枠)が掲載されていた。ウィキペディアが生まれた早い段階から「ふんどし」の解説に「ふんどし談義」が外部リンクされていたのだが、「裸祭り」の解説と同じように、心なき編者が「ふんどし」の解説を改悪し、そのときに外されていたのだが、有用なサイトと認識したらしく、元に戻っている。今度こそ削らないで欲しい。 

 
■■■ 067 我が褌人生  ■■■
 高知の漁師町に育った私は、小学生低学年で親から教わった黒猫褌(高知では「いどくい」)かフリチンで泳いでいた。金持ちは水褌か海水パンツを着用していた。銭湯では、漁師町ゆえ越中褌姿が多く、早く大きくなって褌を締めたいと思った。
 大学1年生のとき、発汗による湿疹に悩む私に医務長から勧められたことがきっかけで、現在に至るまで46年間下着として越中褌を愛用している。清潔で涼しく快適な越中褌は、高温多湿の気候風土にマッチした健康下着であり、今となってはトランクスやましてブリーフなどはあり得ない休日にはたまに六尺褌を締めることがあるが六尺は祭や水泳に適しており、日常の下着は、越中に限る。
 日本の褌は越中褌にしろ六尺褌にしろ日本の伝統文化の原点ともいえる衣装である。海外には数多く出かけるが海外の文化や考え方、センスの違いなどにカルチャー・ショックを受けたとき、日本人とは何かを自問することがある。その際、日本人としての IDENTITY (アイデンティティ/日本人らしさ)を真っ先に感じるのは、いつも身にまとっている褌だった。
 私は世界を旅するうちに日本がどこからも侵略を受けず、いにしえの文化を今に伝える素晴らしい国であることに気付いたがとりわけ世界に例のない裸褌文化の躍動する裸祭に魅了され12年間に92種142の作品を和田フォトギャラリーに発表し、1日1万アクセスをいただく日本一のサイトと評価されるようになった。「裸褌文化」は、筆者が提唱する言葉である。
筆者愛用の健康下着

筆者愛用の健康下着

  初春や新褌の頼もしき  北舟 

はつはるや しんふんどしの たのもしき

The beginning of spring, fine is the new loincloth.

▲ 写真上は、本邦初公開の筆者の下着姿だが、夏の暑い時期は、書斎では甚兵衛を脱いで、褌一丁でパソコンに向かうこともある。これまで、全国の裸祭の素晴らしさを激写するためにずいぶんと旅してきたが、褌の締め方がなっていない人が結構多い。普段褌をしていないため、祭のときだけ見よう見まねで締めているからだろう。
 六尺褌も越中褌も締める場所は同じでこればかりは自然に身につくまでに年季がいる。一番格好悪いのは、横褌(よこみつ)を臍(へそ)あたり(ズボンのベルトの位置)に締めているケース。これだと立褌(たてみつ)が長くなって間抜けに見え、珍宝が外れる危険性もある。また、ゴムボールのように弾力のある腹に結んでいるため、動いているうちに緩んでしまうので気をつけよう。
▼ 山下清画伯の生涯を描いた「裸の大将」は映画やテレビで何度も上映された。一番新しいのは芦屋雁之助が演じたものだが、なぜかパンツ姿となっている。初代の清役は小林桂樹で、当たり前だが、本人と同じ越中褌を締めていた。それも臍の上に締めているので、少し知能が足らないように見えたものである。そのため、臍の上に締めている人を見ると、山下清を想い出してしまうのは、画伯には何とも申し訳ないことで、お許し願いたい。
裸の大将
山下清と花火の絵
 横褌は、丹田(たんでん)と呼ばれる臍下三寸(約10cm)に締め、腰骨の上端部を通るようにすると骨に固定されるので緩まず、しかも格好良い。盲腸を手術した人は、丁度、その手術痕の位置である。この範を示す意味で、我が越中褌姿を公開した次第である。46年の技といってもたいしたことはないが、とくとご覧頂き、見習って欲しい。
越中褌の締め方

「寒中水浴の栞(しおり)/鐵砲洲稲荷神社寒中水浴大会」より抜粋

越中褌の締め方

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 壁や襖(ふすま)に向かって衣服を脱いで全裸となり、越中褌を広げて、左右の横褌(よこみつ)(紐の部分)をそれぞれの手で持ち、立褌(たてみつ)(布の部分)を臀部(尻)に当て、横褌を脇腹から腹部に導き、臍下三寸(へそした・さんずん)(10cm) (丹田)の位置で、ややきつめに蝶結びにします。この位置は、左右の腰骨の上端部を通りますので、横褌が骨に固定され、褌が緩みません。

 これより高い位置に締めますと、横褌が固定されず、直ぐに緩褌(ゆるふん)の状態になります。ちなみに、横褌の位置は、盲腸の手術をする位置ですので、経験者は、横褌が右下腹部の手術痕の上を通っていることを確認して下さい。六尺褌の場合も同じです。

 逆に、正しい位置より下に締めますと、露出気味でだらしなく見えますので、正規の位置にキチッと締めるようにしましょう。

 次に、足を広げ、少し前傾(ぜんけい)しながら片手で後ろに垂れている立褌を股下から掴み、股下をくぐらせて前方に導き、両手で横褌の内側から前に垂らして下さい。ここで、壁際を次の人に譲り、部屋の中心部に移動したあと、両手で前垂れを広げ、緩みのないように調整してできあがりです。褌を外すときは、蝶結びの片方の紐を引けば横褌が緩み、直ぐに外すことができます。

 シャツを着たまま褌を締める人を見かけますが、素人っぽく見えます。壁際に立てば恥ずかしくありませんので、「褌は一気に裸になって粋に締める」のが江戸っ子ですので、和田グループもあやかりましょう。
 

 
  【参考】 我が家の越中褌 かつて、日本人男性の下着だった越中褌は、家庭の手作りでした。ミシンの直進縫いさえできれば、市販の晒木綿から自分の体格に合わせた褌を簡単に縫製(ほうせい)できます。筆者は、大正生まれの亡き母から教わった和田家謹製の褌を今も愛用しています。高温多湿の日本の気候風土から生まれた越中褌は、通気性が良く、清潔で健康的な下着です。現在、その良さが見直され、internetから好みの褌を手軽に購入でき、静かなブームとなっています。
 
 参考のために、我が家の越中褌の畳み方をご紹介します。国旗の畳み方と同じで、1〜7の順に畳んでゆきます。これだと箪笥の引出しに立てたまま収めることができ、使用するときは端から取り出し、洗ったものは反対側に補充してゆけば順序よく使用できます。
 
 
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越中褌の畳み方

 
▼ 平成20年(2008)1月13日(月)午前11時から東京都中央区湊一丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社(中川文隆宮司)で第53回寒中水浴大会が開催され、神楽殿から鐵砲洲囃子が流れるなか、参加者約60名が白鉢巻・白越中褌(女性は白衣)姿になって氷柱で冷やされた直径10mの円形水槽に胸まで浸かって冷水を浴びたこの神事は関東最長の歴史を誇る寒禊で東京の春を呼ぶ新年の風物詩として知られている。

鐵砲洲囃子をバックに氷水の寒中水浴/ 鐵砲洲稲荷神社(東京都中央区湊)  2008.1.13

鐵砲洲囃子をバックに氷水の寒中水浴/ 鐵砲洲稲荷神社(東京都中央区湊)  2008.1.13

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撮影:星 宏幸

▼ この年満60歳の厄年を迎えた筆者は、中川宮司のご高配により、神事の寒中水浴の後、私を誘ってくれた三木芳樹さんや地元の平野五郎さんと共に赤褌(あかふん)に締め直して還暦記念水浴を行った。 鐵砲洲寒中水浴'08

還暦記念赤褌水浴を果たした3人(左から三木芳樹さん・筆者・平野五雄さん)

還暦記念赤褌水浴を果たした3人(左から三木芳樹さん・筆者・平野五雄さん)

▼ 平成23年(2011)の初秋静岡県磐田市に鎮座する矢奈比賣天神社(やなひめてんじんしゃ)において700年余の伝統を有する見付天神裸祭(みつけてんじんはだかまつり)(国指定重要無形民俗文化財)が開催された事前に和田グループ(第三期)を募集し水曜日の浜垢離(はまごり)に5人、土日の御大祭(ごたいさい)に8人が参加した。 見付天神裸祭'11

二番觸にばんぶれ

潮練り込み!/見付天神裸祭「浜垢離」 2011.8.31

二番觸の潮練り込み!/見付天神裸祭「浜垢離」 2011.8.31

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▼ 御大祭では、早朝、東京の自宅の風呂場のシャワーで禊をし、松本邸で新しい六尺褌を締め、お借りした白丁を身にまとって天神様の社殿にあがらせていただいた。六尺褌を締めて祭を激写したのは初めてのことだが「褌を締めてかかる」の喩えどおり、裸祭には気合いの入る六尺を締め込むのが最良で、見付天神裸祭に臨む和田グループ全員の連帯感とあいまって、勇壮で美しい裸祭の感動を体感することができた。これからも気力体力の続く限り、この裸祭に参加したいと思っている。
 写真下は、筆者の六尺褌姿であるが、締める位置は、越中褌と全く同じく、臍下三寸(約10cm)の丹田(たんでん)であることがお分かりいただけると思う。違うのはきつく締めるかどうかで、普段着の越中褌は、緩褌(ユルフン)気味に締め、六尺褌はきつく締めると気分が引き締まる。緊褌一番(きんこんいちばん)の喩えは、六尺褌をきつく締めることをいっており、越中褌や畚(もっこ)褌では、気合いが入らない。
和田グループ代表の六尺褌・白丁姿 / 見付天神裸祭  2011.9.3

和田グループ代表の六尺褌・白丁姿 / 見付天神裸祭  2011.9.3

▼ 人前に自分の褌姿を晒すのは、平成20年(2008)正月の寒中水浴がその嚆矢だが、今年で4回目の寒禊を果たし、意気軒昂である。新年に神々への感謝とご加護を祈念して斎戒沐浴するのは、戦前まで普通の行事であり、新しい褌を締め、気分を一新して新年を迎えることの清々しさは、体験しないと分からないかも知れない。 鐵砲洲寒中水浴'11
  初春の褌新たに六十路かな  北舟 

はつはるの ふどしあらたに むそじかな

The beginning of spring, age in the sixties wearing a new loincloth.

喜寿(77歳)の水浴となる羽場左近さんと/第56回鐵砲洲稲荷神社寒中水浴大会  2011.1.9
喜寿(77歳)の水浴となる羽場左近さんと 10:53

喜寿(77歳)の水浴となる羽場左近さんと/第56回鐵砲洲稲荷神社寒中水浴大会(東京都中央区湊一丁目)

 ともあれ、毎年、鐵砲洲から始まる私の褌人生は、家族の理解を受け、誰憚ることもなく続けられるのが有り難い。好きなことを好きなだけ実践することが長寿の秘訣であると信ずる筆者は、これからも大いに我が褌人生を謳歌して行きたい。
  森繁久弥主演の「ふんどし医者」(1960年)という映画があったが、さしずめ、私は「褌カメラマン」といったところであろう。自分自身の褌姿を堂々と公表しているサイトは見あたらないので、これも道楽の極みである。 (2011年10月1日 64歳)
 
 
■■■ 066 平安朝相撲絵図 ■■■
 
  ▼ 昨日、見付天神裸祭の取材で静岡県磐田市の大孫(だいまご)に宿泊した翌朝10時から1時間半ほど磐田市福田(いわたし・ふくで)にお住まいの杉浦弘さんと歓談する機会があった。数年前に合併して新磐田市になる前まで福田町の文化財保護審議会長をされており、相撲史跡研究と相撲資料蒐集の大家として知られ 、internetで 相撲古美術 のサイトを運営しておられる。 ごあいさつ/相撲古美術  
   会合の目的は、平成24年(2012)1月8日(第二日曜日)に開催される「福田の米とぎ祭り」の取材打ち合わせだったのだが、その後、杉浦さんのライフワークである 相撲古美術 の話を伺った。杉浦さんは、長い間、地元の男子小学生に胸を貸して相撲指導にあたっておられ、(財)日本相撲協会と(社)東京青年会議所の共催により開催される「わんぱく相撲」で静岡県予選を勝ち上がれば、東京の両国国技館まで引率して行かれるという。  
 
平安朝相撲絵巻を持つ杉浦弘さん/大孫(静岡県磐田市) 2011.09.04

平安朝相撲絵巻を持つ杉浦弘さん/大孫(静岡県磐田市) 2011.09.04

 
   
 豊富な話題で話は尽きず、相撲談義、褌談義へと花が咲いたが、最後に、相撲古美術の収蔵品の中から、私の関心が高いと予想される平安朝相撲絵巻を持参されたので、早速、広げて見せてもらうと共に、撮影させていただいたのが、下の写真である。
 
 
平安朝相撲絵巻(全景)

平安朝相撲絵巻(全景)

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  ▲▼ 奈良時代、聖武(しょうむ)天皇(在位724-749)が天平6年(734)7月7日に相撲をご覧になり、これ以降、宮中では、国家安泰と五穀豊穣を祈願した「相撲節会(すすまいのせちえ)」として秋に相撲を取るのが年中行事化したという。  
 
平安朝相撲絵巻(右)

平安朝相撲絵巻(右)

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平安朝相撲絵巻(左)

平安朝相撲絵巻(左)

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  ▲▼ この巻物は、江戸時代に発行された写本の一つで、相撲の嚆矢(こうし)となった貴族たちによる相撲節会(すまいのせちえ)が描 かれている。当時の相撲褌は、現在とは随分違って、横褌(よこみつ)は臍のはるか上で締めているために極端に立褌(たてみつ)が長いのが分かる。後ろ立褌は、長すぎで緩むのか、細紐で結わえている様子も描かれている。髪を櫛解く力士もいるので、天覧相撲の準備に勤しむ姿を描いたものであろう。  
 
力士図 1/2

力士図 1/2

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  ▼ 左端に描かれている相撲の取組では、片方の力士が足を取られており、そのため股間があらわになっている。最初から緩褌(ユルフン)状態で締めているために、長い立褌とあいまって、このような事態に至ることは当然に成り行きである。  
 
力士図 2/2

力士図 2/2

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  ▼ 実は、既に褌談義の中で、「相撲節会の褌 http://wadaphoto.jp/maturi/japan15_2.htm#相撲節会 と題して、発表しているが、この中で、義享和元年(1801)に刊行された伴蒿蹊(ばんこうけい)が書いた江戸後期の随筆「閑田耕筆(かんでんこうひつ)」に掲載されている相撲絵巻は、 この巻物を筆で写し取ったものであることが分かる。閑田耕筆は、見聞記や感想を天地・人・物・事の4部に分けて収載している絵入り随筆である。  
 
相撲絵巻 1/2   閑田耕筆かんでんこうひつ

伴蒿蹊ばんこうけい

著)

相撲絵巻 1/2 閑田耕筆(伴蒿蹊著)

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相撲絵巻 2/2   閑田耕筆かんでんこうひつ

伴蒿蹊ばんこうけい

著)

相撲絵巻 2/2  閑田耕筆(伴蒿蹊著)

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   杉浦さんのお陰で伴蒿蹊(ばんこうけい)がイラスト的に写し取った絵図の原本(写本)を撮影できたことはとても貴重で杉浦さんには心より感謝申し上げたい。このほか、今日まで伝統が継承されている美しい奉納相撲や相撲踊りなども紹介していただいており、今後、機会をみて取材したい考えている。平成23年(2011)9月5日  
■■■ 065 裸褌文化が躍動する「

猪鼻いのはな

の甘酒こぼし」 ■■■
 
 平成23年(2011)7月24日(日)、埼玉県秩父市荒川白久(しろく)に鎮座する猪鼻熊野神社(いのはなくまのじんじゃ)で、埼玉県無形民俗文化財に指定されている「猪鼻(いのはな)の甘酒こぼし」が開かれた。  
 天平8年(736)、この地に疾病が流行したので、氏子たちが褌ひとつで甘酒をかけあい、疾病流しとして始まったと伝えられている「甘酒こぼし」は、毎年7月第4日曜日の午後一時、無病安全豊作などの祈願をし、土地の人々が造った甘酒を熊野神社にお供えし、参詣の人々や氏子たちが飲んだあと、褌一丁の裸形で賑やかに甘酒を頭からかけ合う素朴な裸祭である。  

盛り上がる甘酒こぼし 2011.7.24

盛り上がる甘酒こぼし 13:18

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   白褌の甘酒こぼし奥秩父  北舟 

びゃっこんの あまざけこぼし おくちちぶ

The back Chichibu, sweet sake scattering wearing white loincloth.

 
  緑したたる木陰の境内で、六尺褌一丁の裸たちが甘酒をかけ合い、空(から)になった大樽を転がし、水槽に投げ込む。この単純素朴な村祭に魅せられるのは何故だろう。きっと、この鎮守の杜には、大都会の喧噪の中の希薄な人間関係に埋没して忘れ去られてしまった地域の連帯やボランティア精神が満ちあふれているからではないだろうか。  

大樽に水を掛ける裸たち

大樽に水を掛ける裸たち

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  2011年8月5日(金)晴   T. N.   様より

和田様の指導力に感服 この度は、祭仲間から誘いを受けながら、私の都合がつかず参加できなかった秩父市荒川地区の「猪鼻の甘酒こぼし」の様子を細大漏らさず、素晴らしいシャッターチャンスでの傑作で拝見させて頂き、まことに有難うございました。眼福の至りでありました。
 
何よりも素晴らしかったのは、昨年まで居たという「半タコ」姿の応援部隊を和田様の的確なご指導の下に排除され、見事に白褌姿に統一されたことです。どうしても六尺褌姿になれないと申す者は、見学者に回したという徹底ぶりには頭が下がります。
 
加えて、わが仲間達が地元支給の草鞋で統一しており、和田様が指摘された白祭足袋姿でなく、ほっとしております。これも、各地の裸祭を永年に渡り撮影されて来て、仰るところの「褌裸文化」の次世代への保存・継承に確かな信念をお持ちの和田様ならではのご指導と感服しておる次第です。
 
来年は、和田グループとして参加者を募るとの嬉しいお知らせもあり、その時点では私も現在の仕事を完全退職しており、時間的余裕も生ずるはずですので、若い仲間とともに一員に加えさせて頂ければ有難いと念じております。
 
おはようございます。長文のお便りありがとうございました。早々に「猪鼻の甘酒こぼし」をお楽しみいただき、光栄です。私の老婆心をお褒め頂き、嬉しく思います。全国の裸祭の相場を知っている者として、保存会会長や区長さんは、あまりにも人が良すぎるというか、立派すぎで頭が下がります。

それにつけ込んでハンダコで伝統の祭を汚すとは許せないという義侠心が芽生え、出しゃばったまねをしてしまいましたが、ご覧頂いたとおり、六尺褌一丁に統一された伝統の裸文化が現出し、世界のどこに出しても恥ずかしくない、素晴らしい祭となりました。(^^ 

見学された方は気の毒ですが、無形文化財の意義を自覚して頂いたのではないでしょうか。褌を締めたことはないというので、締めてあげるといったのですが、恥ずかしかったのでしょうか、了解を得られませんでした。銭湯の中で1人褌姿だと気が引ける(私は気になりませんが)こともあるでしょうが、「赤信号みんなで渡れば怖くない」の心境になれば、杞憂だと思うのですが・・・。人それぞれの価値観があり、そこが面白いところですね。
 
 
■■■ 064 わが国初の子供向けふんどしサイトオープン! ■■■
 
▼ 本日、広島県広島市在住で、広島大学大学院教育学博士の肩書きを持つ「ふどし」さんが、 わが国初となる子供向けふんどしサイト

            ふんどし好きの男の子のためのサイト  http://fundoshi.kids.coocan.jp

 をオープンしたとの連絡を受けたので、早速覗いてみた。作者の巻頭言は、次のとおりである。
 このサイトは、「ふんどしってかっこいい」、「ぼくもつけてみたい」と思っているけれども、実際(じっさい)にはどうしていいかわからなくて悩(なや)んでいる男の子(おもに小中学生)のために作りました。ふんどしの買いかたや、ふんどしのつけかたがくわしく書いてあります。参考(さんこう)にしてぜひふんどしにチャレンジしてください!
  裸祭などに参加して、ふんどし姿を格好良く思うこどもは沢山いると思う。自分も締めてみたいと思っても、まわりに褌愛好者がいないことの方が多く、どうしたらよいかよく分からないという子は沢山いるので、素晴らしい企画だと思う。
 自分もふんどしを締めてみたいと思う気持ちは正常な感性の発露であって、決して変人ではない。そのような気持ちが湧いてくれば、父兄に相談しなさいと「ふどし」さんはいう。ふんどしが恥ずかしいものだという先入観を与えてしまった大人への戒めでもある。
 筆者の作品の中に、ふんどし姿の子供たちによる裸祭の作品があるので、ここに紹介したい。

           島立堀米の裸祭り http://wadaphoto.jp/maturi/simadati01.htm
           和田及神社奉納相撲 http://wadaphoto.jp/maturi/wada1.htm
           重陽の烏相撲 http://wadaphoto.jp/maturi/karasu1.htm
   今後、多くのアクセスを得て、後世に裸褌文化が正しく継承されることを祈念したい。 平成23年(2011)8月21日  
■■■ 063 アメリカの褌販売店 xzytes ■■■
 
▼ このたび、広島市在住の「ふどし」さんとの文通の過程で、アメリカに
xzytes というい褌販売店 http://www.xzytes.com/  があるということで、早速アクセスしてみた。この店は、男性下着販売店で、その中に Fundoshi というジャンルがあった。
xzytes のトップページ

xzytes のトップページ

資料: http://www.xzytes.com/

▼ Fundoshi(褌) のページに行くと、JAPANESE FUNDOSHI TRADITION CONFORT (日本の褌 伝統 快適)というキャッチ・コピーで、Rokushaku(六尺) 13点、Ecchu(越中) 3点、Mokko(畚) 1点、Kuroneko(黒猫)4点が販売されていた。写真のモデルはアメリカ人男性のようである。
xzytes / Fundoshi のページ

xzytes / Fundoshi のページ

資料: http://www.xzytes.com/
 ▼ How to wear a Fundoshi (褌の締め方)のページに行くと、六尺褌、越中褌、畚褌の締め方が解説されていた。How to wear a Rokushaku Fundoshi (六尺褌の締め方)では、褌は通常木綿でつくられているとの説明があり、長さと幅がインチで表示されているところは、アメリカらしい。半分に折って締める方法が解説されていたが、モデルは日本人男性のようだ。「六尺の真ん中がお尻の穴あたりにくるよう股間を通してねじる。」とあるが、捻ると紐のようになってしまうので、かなりマニアックな締め方であり、捻らないのが普通である。

 Back View (後ろ姿)では、後褌(うしろみつ)の正しい締め方が図解されていたが、向井流などとあるので、日本の文献から水褌の締め方をコピーしたようだ。
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資料: http://www.xzytes.com/
日本の神輿祭りで六尺褌に法被を羽織った男性の後ろ姿が Japanese men in their ceremonial dressing として掲載されているが、儀式用の衣装という意味で、ちょっとニュアンスが違う。越中褌と畚褌の図解も日本のサイトからコピーしたらしく、どこかで見た図である。ともあれ、日本伝統の褌文化がアメリカに渡り、販売店までできているというこは嬉しいことで、特に、日本のような高温多湿の気候風土の国々に普及し、 Fundoshi が Sumo と共に世界的に認知されることを期待したい。
                                                                                                                      平成23年(2011)8月17日 11:00
追伸:この店は消滅しており、現在、アメリカでは、ebay http://www.ebay.com/sch/i.html?_nkw=fundoshi  で販売している。
                                                         平成24年(2012)6月25日 12:20
ふんどし談議 2/2

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