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Wa☆Daフォトギャラリー

 旅紀行日本の裸祭り
2012年4月7日改訂

今 日

昨 日

♪山伏/邦楽囃子

紅蓮の火赤褌どもが送舟   北舟

拡大写真(2250x1600)678KB

The burning flames like a red lotus,
the ancestor-sending boat by naked guys of red loincloth.

2003年5月10日制作

燃え上がる流舟 / 北上川
紅蓮の炎を上げて燃える送舟 / 北上川(岩手県盛岡市)

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劇場訓蒙図彙の挿絵

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ふんどし談議 2/2

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■■■ 071     写真家の撮った褌 ■■■

土門拳どもんけん

 土門拳(1909-1990)は、昭和時代に活躍した日本の写真家で、社会的リアリズムに立脚する報道写真、日本の著名人や庶民などのポートレートやスナップ写真、寺院、仏像などの伝統文化財を撮影し、第二次世界大戦後の日本を代表する写真家の大家である。彼は、ズームアップして背景をぼかすというようなことは嫌いで、パンフォーカスのシャープな報道写真風の作品が多く、私の尊敬する写真家である。
▼ ここに紹介するのは、土門拳が昭和11年(1936)の夏に撮影した写真で、伊豆半島の川の早瀬で鮎を突いている二人の水褌(すいこん)姿の子供たちの写真である。白黒写真なので、色は分からないが、前袋式に締めた赤褌(あかふん)であることは容易に推測できる。当時は海水パンツという西洋の文化はまだ日本全国には行き渡らず、田舎では、水泳は水褌に決まっていた。

土門拳 / 伊豆・鮎つく子ら(1936)

土門拳 / 伊豆・鮎つく子ら(1936)

撮影: 土門拳

▲ これだけ多くの布を使った赤褌を締められるのは金持ちの子で、普通の庶民や貧乏人は黒猫褌(くろねこふんどし)やフリチンの方が多かったのではないだろうか。Tバックの大胆なポーズと構図が素晴らしく、名作に数えられているが、 当時は普通に見られる光景で、写真に撮るようなものではなかった。
 若干気になるのは、右下の子のお尻がちょん切れていることで、私なら二人とも全身がきっちりと入るように写すだろう。そんなに難しいことではないのになぜちょん切れたのか。今見ると、白黒写真も粒子が粗く、ぼやけて情報量も少ない。今のデジタル写真のことを考えると、白飛び黒つぶれの多いアナログ写真のレベルの低さを感じるが、この作品は、雑音が入ったレコードを聴くように、古き良き時代のノスタルジア溢れる名作ではある。

田沼武能たぬまたけお

▼ 田沼武能(1929- )は、現在も活躍中の子供の写真を撮影する日本の写真家である。この写真は、田沼武能写真集「戦後の子供たち」(新潮社)に収録されているもので、昭和29年(1954)千葉・谷津(やつ)海岸で撮影した「越中ふんどしで泳ぐ少年」というタイトルがついている。まず、これの少年の褌は、越中褌ではなく、黒猫褌である。前袋がとても狭いので、これは祖母か母に作ってもらった手作り褌ではないかと思う。田沼氏は、褌に色々な種類があるのは、ご存じらしく、「ふんどしで泳ぐ少年」としなかったのだが、確認を取らなかったらしく、間違ったネーミングになってしまった。

田沼武能 / 越中ふんどしで泳ぐ少年(部分 千葉・谷津海岸 1954)

田沼武能 / 越中ふんどしで泳ぐ少年(部分 千葉・谷津海岸 1954)

撮影: 田沼武能

▲ もう一つは、この少年は、菓子パンらしきものを食べており、ふんどしで泳ぐ少年ではない。ふんどしで泳いだか、これからふんどしで泳ごうとしている少年だろう。海水浴に来ているのだから、ひろくとらえれば「ふんどしで泳ぐ少年」としても間違いではないが、 この写真は、「ふんどしでパン(らしきもの)を食べる少年」を撮したものである。                                                     
 写真の子は栄養状態が悪く、痩せている。浮浪児のような雰囲気さえある。東京湾奥の谷津海岸は、谷津遊園があり、今や大都会の行楽地となっている。戦後間もなくのこととはいえ、黒猫褌の少年がいたのは、歴史的な証言で、現代では考えられない懐かしい光景である。 平成24年(2012)3月25日
 
■■■ 070 子供

山笠やまかさ

博多流はかたながれ

」 ■■■
 平成23年(2011)7月1日(木)から15日(木)まで の間、770年目となる博多祗園山笠(はかた・ぎおん・やまかさ)が開催された。昭和54年(1979)に国から重要無形民族文化財の指定を受けた櫛田神社のこの夏祭は、7月1日から15日まで福岡市内の14箇所で絢爛豪華な飾り山笠が展示され、1日の舁き山笠7流の当番町・役員が箱崎浜(はこざきはま)で身を清めるお汐井とり(おしおいとり)に始まり、10日の流舁き(ながれがき)、11日の朝山笠(あさやま)、他流舁き、12日の追い山笠(おいやま)ならし、13日の集団山見せ、14日の流舁きと次第に盛り上がり、15日の櫛田入り(くしだいり)タイムレース・追い山笠(おいやま)で最高潮に達する。
                                                            「博多祇園山笠」公式サイト

▼ このほどアップした 「博多山笠寸描'11」 の作者・辻竜二さんも所感で述べておられるように博多山笠は規模が大きく、毎回、新しい発見がある。今回のお手柄は博多小学校の子供山笠「博多流」の完全収録である。流によっては、子供山笠をやっていることは知っていたが、これほど規模が大きく、かつ、レベルの高いものが存在するとは聞いたことが無く小学生たちのみで大人顔負けの舁き山が見られたのは初めてで、その真剣さと迫力あるパフォーマンスに、とても感動した!
清道旗に入る子供山笠 / 博多祗園山笠(福岡市) 2011.7.3

清道旗に入る子供山笠 / 博多祗園山笠(福岡市) 2011.7.3

拡大写真(3200X2100)1.64MB
▼ 博多の子供たちは、早ければ2歳くらいから山笠に参加する。伝統的に女人禁制だった山笠だが、千代小、博多小、RKB子供山笠教室や中央区天神の新天町で行なわれる子供山笠は、少女も参加できる。これらに参加する少年少女は大人と同様、水法被を羽織った締め込み(褌)姿になる。
 女の子が締め込み(褌)をして男子と対等に裸祭に参加しているところは、博多以外には存在しない。こゝには、裸褌文化への憧れこそあれ、褌を恥ずかしいと思う子供は存在しない。
 

 

和田義男

女の子も褌を締めて参加する子供山笠

女の子も褌を締めて参加する子供山笠

拡大写真(1600X800)349KB
 博多では、次代を背負う子供たちが幼児の頃から褌を締め、自然に伝統の裸文化を身に付けて行く仕組みができあがっている。博多小学校の先生自身が褌を締めて子供たちにお手本を示す社会教育を行っているのは、何とも素晴らしい。
 伝統の奉納相撲がパンツの上に褌を締めて行うように変質してしまった例を見るに付けこゝ博多では、伝統の裸褌文化に誇りを持ち忠実に次代に引き継いで行こうと考える地域の熱意が大きく花開き、巨大な力になっている。博多山笠万歳!
                                                            
平成23年(2011)11月12日
■■■ 069 旗本の越中褌  ■■■
 
 田沼意次が失脚した後、天明7年(1787)に老中首座に付いて寛政の改革を行った第八代将軍徳川吉宗の孫に当たる松平越中守定信が質素倹約策を強力に推し進め、その一環として六尺褌の布を半分にした三尺褌を考案し、越中守の名をとって越中褌と呼ばれるようになったする説が江戸時代から流布されていたらしく、江戸時代の百科事典といわれる守貞謾稿(もりさだまんこう)にもそれが誤りであることが書かれている。
 
 幕府の旗本たちも越中守の指導に従って質素倹約に努め、褌も六尺褌から越中褌に代えて倹約に努めたのは事実である。商売上それを知り得る立場にあった吉原の遊女から旗本が越中褌をしているという話が広がり、その風評から越中褌が越中守の考案だということになったらしい。
 
 喜田川守貞が天保8年(1837)から30年間書き続けて完成させた全35巻から成る守貞謾稿には、越中褌の起源が記載されており、越中という大坂の妓(ぎ)が客に片袖を送り、客が褌に縫い直して身につけたのが始まりだと記している。
 
 ちなみに越中褌は、肉体労働を伴わない医者や神職、僧侶、文化人、商人の間で用いられていた。武士の場合は、隠居後に用いる例もあるが、武士は六尺褌が当たり前だったので、吉原の遊女が珍しがって、この事実が明らかになった。松平定信の失脚により、旗本の越中褌がどうなったかは定かでないが、旗本は慢性的に貧しい生活を余儀なくされたので、その後も愛用されていたのではないかと推測する。 平成23年(2011)10月17日
■■■ 068 ウィキペディアフリー百科事典の外部リンクに「ふんどし談義」が掲載!  ■■■
 
 ▼ Google「褌」検索で、トップに表示される「ふんどし-Wikipedia」が下の写真だが、このほど、このウィキペディア フリー百科事典の外部リンクに当サイトの「ふんどし談義」(赤枠)が掲載されていた。ウィキペディアが生まれた早い段階から「ふんどし」の解説に「ふんどし談義」が外部リンクされていたのだが、「裸祭り」の解説と同じように、心なき編者が「ふんどし」の解説を改悪し、そのときに外されていたのだが、有用なサイトと認識したらしく、元に戻っている。今度こそ削らないで欲しい。 

 
■■■ 067 我が褌人生  ■■■
 高知の漁師町に育った私は、小学生低学年で親から教わった黒猫褌(高知では「いどくい」)かフリチンで泳いでいた。金持ちは水褌か海水パンツを着用していた。銭湯では、漁師町ゆえ越中褌姿が多く、早く大きくなって褌を締めたいと思った。
 大学1年生のとき、発汗による湿疹に悩む私に医務長から勧められたことがきっかけで、現在に至るまで46年間下着として越中褌を愛用している。清潔で涼しく快適な越中褌は、高温多湿の気候風土にマッチした健康下着であり、今となってはトランクスやましてブリーフなどはあり得ない休日にはたまに六尺褌を締めることがあるが六尺は祭や水泳に適しており、日常の下着は、越中に限る。
 日本の褌は越中褌にしろ六尺褌にしろ日本の伝統文化の原点ともいえる衣装である。海外には数多く出かけるが海外の文化や考え方、センスの違いなどにカルチャー・ショックを受けたとき、日本人とは何かを自問することがある。その際、日本人としての IDENTITY (アイデンティティ/日本人らしさ)を真っ先に感じるのは、いつも身にまとっている褌だった。
 私は世界を旅するうちに日本がどこからも侵略を受けず、いにしえの文化を今に伝える素晴らしい国であることに気付いたがとりわけ世界に例のない裸褌文化の躍動する裸祭に魅了され12年間に92種142の作品を和田フォトギャラリーに発表し、1日1万アクセスをいただく日本一のサイトと評価されるようになった。「裸褌文化」は、筆者が提唱する言葉である。
筆者愛用の健康下着

筆者愛用の健康下着

  初春や新褌の頼もしき  北舟 

はつはるや しんふんどしの たのもしき

The beginning of spring, fine is the new loincloth.

▲ 写真上は、本邦初公開の筆者の下着姿だが、夏の暑い時期は、書斎では甚兵衛を脱いで、褌一丁でパソコンに向かうこともある。これまで、全国の裸祭の素晴らしさを激写するためにずいぶんと旅してきたが、褌の締め方がなっていない人が結構多い。普段褌をしていないため、祭のときだけ見よう見まねで締めているからだろう。
 六尺褌も越中褌も締める場所は同じでこればかりは自然に身につくまでに年季がいる。一番格好悪いのは、横褌(よこみつ)を臍(へそ)あたり(ズボンのベルトの位置)に締めているケース。これだと立褌(たてみつ)が長くなって間抜けに見え、珍宝が外れる危険性もある。また、ゴムボールのように弾力のある腹に結んでいるため、動いているうちに緩んでしまうので気をつけよう。
 山下清画伯の生涯を描いた「裸の大将」は映画やテレビで何度も上映された。一番新しいのは芦屋雁之助が演じたものだが、なぜかパンツ姿となっている。初代の清役は小林桂樹で、当たり前だが、本人と同じ越中褌を締めていた。それも臍の上に締めているので、少し知能が足らないように見えたものである。そのため、臍の上に締めている人を見ると、山下清を想い出してしまうのは、画伯には何とも申し訳ないことで、お許し願いたい。
 横褌は、丹田(たんでん)と呼ばれる臍下三寸(約10cm)に締め、腰骨の上端部を通るようにすると骨に固定されるので緩まず、しかも格好良い。盲腸を手術した人は、丁度、その手術痕の位置である。この範を示す意味で、我が越中褌姿を公開した次第である。46年の技といってもたいしたことはないが、とくとご覧頂き、見習って欲しい。
▼ 平成20年(2008)1月13日(月)午前11時から東京都中央区湊一丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社(中川文隆宮司)で第53回寒中水浴大会が開催され、神楽殿から鐵砲洲囃子が流れるなか、参加者約60名が白鉢巻・白越中褌(女性は白衣)姿になって氷柱で冷やされた直径10mの円形水槽に胸まで浸かって冷水を浴びたこの神事は関東最長の歴史を誇る寒禊で東京の春を呼ぶ新年の風物詩として知られている。

鐵砲洲囃子をバックに氷水の寒中水浴/ 鐵砲洲稲荷神社(東京都中央区湊)  2008.1.13

鐵砲洲囃子をバックに氷水の寒中水浴/ 鐵砲洲稲荷神社(東京都中央区湊)  2008.1.13

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撮影:星 宏幸

▼ この年満60歳の厄年を迎えた筆者は、中川宮司のご高配により、神事の寒中水浴の後、私を誘ってくれた三木芳樹さんや地元の平野五郎さんと共に赤褌(あかふん)に締め直して還暦記念水浴を行った。 鐵砲洲寒中水浴'08

還暦記念赤褌水浴を果たした3人(左から三木芳樹さん・筆者・平野五雄さん)

還暦記念赤褌水浴を果たした3人(左から三木芳樹さん・筆者・平野五雄さん)

▼ 平成23年(2011)の初秋静岡県磐田市に鎮座する矢奈比賣天神社(やなひめてんじんしゃ)において700年余の伝統を有する見付天神裸祭(みつけてんじんはだかまつり)(国指定重要無形民俗文化財)が開催された事前に和田グループ(第三期)を募集し水曜日の浜垢離(はまごり)に5人、土日の御大祭(ごたいさい)に8人が参加した。 見付天神裸祭'11

二番觸にばんぶれ

潮練り込み!/見付天神裸祭「浜垢離」 2011.8.31

二番觸の潮練り込み!/見付天神裸祭「浜垢離」 2011.8.31

拡大写真(2600X1950)951KMB

▼ 御大祭では、早朝、東京の自宅の風呂場のシャワーで禊をし、松本邸で新しい六尺褌を締め、お借りした白丁を身にまとって天神様の社殿にあがらせていただいた。六尺褌を締めて祭を激写したのは初めてのことだが「褌を締めてかかる」の喩えどおり、裸祭には気合いの入る六尺を締め込むのが最良で、見付天神裸祭に臨む和田グループ全員の連帯感とあいまって、勇壮で美しい裸祭の感動を体感することができた。これからも気力体力の続く限り、この裸祭に参加したいと思っている。
 写真下は、筆者の六尺褌姿であるが、締める位置は、越中褌と全く同じく、臍下三寸(約10cm)の丹田(たんでん)であることがお分かりいただけると思う。違うのはきつく締めるかどうかで、普段着の越中褌は、緩褌(ユルフン)気味に締め、六尺褌はきつく締めると気分が引き締まる。緊褌一番(きんこんいちばん)の喩えは、六尺褌をきつく締めることをいっており、越中褌や畚(もっこ)褌では、気合いが入らない。
和田グループ代表の六尺褌・白丁姿 / 見付天神裸祭  2011.9.3

和田グループ代表の六尺褌・白丁姿 / 見付天神裸祭  2011.9.3

▼ 人前に自分の褌姿を晒すのは、平成20年(2008)正月の寒中水浴がその嚆矢だが、今年で4回目の寒禊を果たし、意気軒昂である。新年に神々への感謝とご加護を祈念して斎戒沐浴するのは、戦前まで普通の行事であり、新しい褌を締め、気分を一新して新年を迎えることの清々しさは、体験しないと分からないかも知れない。 鐵砲洲寒中水浴'11
  初春の褌新たに六十路かな  北舟 

はつはるの ふどしあらたに むそじかな

The beginning of spring, age in the sixties wearing a new loincloth.

喜寿(77歳)の水浴となる羽場左近さんと/第56回鐵砲洲稲荷神社寒中水浴大会  2011.1.9
喜寿(77歳)の水浴となる羽場左近さんと 10:53

喜寿(77歳)の水浴となる羽場左近さんと/第56回鐵砲洲稲荷神社寒中水浴大会(東京都中央区湊一丁目)

 ともあれ、毎年、鐵砲洲から始まる私の褌人生は、家族の理解を受け、誰憚ることもなく続けられるのが有り難い。好きなことを好きなだけ実践することが長寿の秘訣であると信ずる筆者は、これからも大いに我が褌人生を謳歌して行きたい。
  森繁久弥主演の「ふんどし医者」(1960年)という映画があったが、さしずめ、私は「褌カメラマン」といったところであろう。自分自身の褌姿を堂々と公表しているサイトは見あたらないので、これも道楽の極みである。 (2011年10月1日 64歳)
 
 
■■■ 066 平安朝相撲絵図 ■■■
 
  ▼ 昨日、見付天神裸祭の取材で静岡県磐田市の大孫(だいまご)に宿泊した翌朝10時から1時間半ほど磐田市福田(いわたし・ふくで)にお住まいの杉浦弘さんと歓談する機会があった。数年前に合併して新磐田市になる前まで福田町の文化財保護審議会長をされており、相撲史跡研究と相撲資料蒐集の大家として知られ 、internetで 相撲古美術 のサイトを運営しておられる。 ごあいさつ/相撲古美術  
   会合の目的は、平成24年(2012)1月8日(第二日曜日)に開催される「福田の米とぎ祭り」の取材打ち合わせだったのだが、その後、杉浦さんのライフワークである 相撲古美術 の話を伺った。杉浦さんは、長い間、地元の男子小学生に胸を貸して相撲指導にあたっておられ、(財)日本相撲協会と(社)東京青年会議所の共催により開催される「わんぱく相撲」で静岡県予選を勝ち上がれば、東京の両国国技館まで引率して行かれるという。  
 
平安朝相撲絵巻を持つ杉浦弘さん/大孫(静岡県磐田市) 2011.09.04

平安朝相撲絵巻を持つ杉浦弘さん/大孫(静岡県磐田市) 2011.09.04

 
   
 豊富な話題で話は尽きず、相撲談義、褌談義へと花が咲いたが、最後に、相撲古美術の収蔵品の中から、私の関心が高いと予想される平安朝相撲絵巻を持参されたので、早速、広げて見せてもらうと共に、撮影させていただいたのが、下の写真である。
 
 
平安朝相撲絵巻(全景)

平安朝相撲絵巻(全景)

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  ▲▼ 奈良時代、聖武(しょうむ)天皇(在位724-749)が天平6年(734)7月7日に相撲をご覧になり、これ以降、宮中では、国家安泰と五穀豊穣を祈願した「相撲節会(すすまいのせちえ)」として秋に相撲を取るのが年中行事化したという。  
 
平安朝相撲絵巻(右)

平安朝相撲絵巻(右)

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平安朝相撲絵巻(左)

平安朝相撲絵巻(左)

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  ▲▼ この巻物は、江戸時代に発行された写本の一つで、相撲の嚆矢(こうし)となった貴族たちによる相撲節会(すまいのせちえ)が描 かれている。当時の相撲褌は、現在とは随分違って、横褌(よこみつ)は臍のはるか上で締めているために極端に立褌(たてみつ)が長いのが分かる。後ろ立褌は、長すぎで緩むのか、細紐で結わえている様子も描かれている。髪を櫛解く力士もいるので、天覧相撲の準備に勤しむ姿を描いたものであろう。  
 
力士図 1/2

力士図 1/2

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  ▼ 左端に描かれている相撲の取組では、片方の力士が足を取られており、そのため股間があらわになっている。最初から緩褌(ユルフン)状態で締めているために、長い立褌とあいまって、このような事態に至ることは当然に成り行きである。  
 
力士図 2/2

力士図 2/2

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  ▼ 実は、既に褌談義の中で、「相撲節会の褌 http://wadaphoto.jp/maturi/japan15_2.htm#相撲節会 と題して、発表しているが、この中で、義享和元年(1801)に刊行された伴蒿蹊(ばんこうけい)が書いた江戸後期の随筆「閑田耕筆(かんでんこうひつ)」に掲載されている相撲絵巻は、 この巻物を筆で写し取ったものであることが分かる。閑田耕筆は、見聞記や感想を天地・人・物・事の4部に分けて収載している絵入り随筆である。  
 
相撲絵巻 1/2   閑田耕筆かんでんこうひつ

伴蒿蹊ばんこうけい

著)

相撲絵巻 1/2 閑田耕筆(伴蒿蹊著)

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相撲絵巻 2/2   閑田耕筆かんでんこうひつ

伴蒿蹊ばんこうけい

著)

相撲絵巻 2/2  閑田耕筆(伴蒿蹊著)

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   杉浦さんのお陰で伴蒿蹊(ばんこうけい)がイラスト的に写し取った絵図の原本(写本)を撮影できたことはとても貴重で杉浦さんには心より感謝申し上げたい。このほか、今日まで伝統が継承されている美しい奉納相撲や相撲踊りなども紹介していただいており、今後、機会をみて取材したい考えている。平成23年(2011)9月5日  
■■■ 065 裸褌文化が躍動する「

猪鼻いのはな

の甘酒こぼし」 ■■■
 
 平成23年(2011)7月24日(日)、埼玉県秩父市荒川白久(しろく)に鎮座する猪鼻熊野神社(いのはなくまのじんじゃ)で、埼玉県無形民俗文化財に指定されている「猪鼻(いのはな)の甘酒こぼし」が開かれた。  
 天平8年(736)、この地に疾病が流行したので、氏子たちが褌ひとつで甘酒をかけあい、疾病流しとして始まったと伝えられている「甘酒こぼし」は、毎年7月第4日曜日の午後一時、無病安全豊作などの祈願をし、土地の人々が造った甘酒を熊野神社にお供えし、参詣の人々や氏子たちが飲んだあと、褌一丁の裸形で賑やかに甘酒を頭からかけ合う素朴な裸祭である。  

盛り上がる甘酒こぼし 2011.7.24

盛り上がる甘酒こぼし 13:18

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   白褌の甘酒こぼし奥秩父  北舟 

びゃっこんの あまざけこぼし おくちちぶ

The back Chichibu, sweet sake scattering wearing white loincloth.

 
  緑したたる木陰の境内で、六尺褌一丁の裸たちが甘酒をかけ合い、空(から)になった大樽を転がし、水槽に投げ込む。この単純素朴な村祭に魅せられるのは何故だろう。きっと、この鎮守の杜には、大都会の喧噪の中の希薄な人間関係に埋没して忘れ去られてしまった地域の連帯やボランティア精神が満ちあふれているからではないだろうか。  

大樽に水を掛ける裸たち

大樽に水を掛ける裸たち

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  2011年8月5日(金)晴   T. N.   様より

和田様の指導力に感服 この度は、祭仲間から誘いを受けながら、私の都合がつかず参加できなかった秩父市荒川地区の「猪鼻の甘酒こぼし」の様子を細大漏らさず、素晴らしいシャッターチャンスでの傑作で拝見させて頂き、まことに有難うございました。眼福の至りでありました。
 
何よりも素晴らしかったのは、昨年まで居たという「半タコ」姿の応援部隊を和田様の的確なご指導の下に排除され、見事に白褌姿に統一されたことです。どうしても六尺褌姿になれないと申す者は、見学者に回したという徹底ぶりには頭が下がります。
 
加えて、わが仲間達が地元支給の草鞋で統一しており、和田様が指摘された白祭足袋姿でなく、ほっとしております。これも、各地の裸祭を永年に渡り撮影されて来て、仰るところの「褌裸文化」の次世代への保存・継承に確かな信念をお持ちの和田様ならではのご指導と感服しておる次第です。
 
来年は、和田グループとして参加者を募るとの嬉しいお知らせもあり、その時点では私も現在の仕事を完全退職しており、時間的余裕も生ずるはずですので、若い仲間とともに一員に加えさせて頂ければ有難いと念じております。
 
おはようございます。長文のお便りありがとうございました。早々に「猪鼻の甘酒こぼし」をお楽しみいただき、光栄です。私の老婆心をお褒め頂き、嬉しく思います。全国の裸祭の相場を知っている者として、保存会会長や区長さんは、あまりにも人が良すぎるというか、立派すぎで頭が下がります。

それにつけ込んでハンダコで伝統の祭を汚すとは許せないという義侠心が芽生え、出しゃばったまねをしてしまいましたが、ご覧頂いたとおり、六尺褌一丁に統一された伝統の裸文化が現出し、世界のどこに出しても恥ずかしくない、素晴らしい祭となりました。(^^ 

見学された方は気の毒ですが、無形文化財の意義を自覚して頂いたのではないでしょうか。褌を締めたことはないというので、締めてあげるといったのですが、恥ずかしかったのでしょうか、了解を得られませんでした。銭湯の中で1人褌姿だと気が引ける(私は気になりませんが)こともあるでしょうが、「赤信号みんなで渡れば怖くない」の心境になれば、杞憂だと思うのですが・・・。人それぞれの価値観があり、そこが面白いところですね。
 
 
■■■ 064 わが国初の子供向けふんどしサイトオープン! ■■■
 
  ▼ 本日、広島県広島市在住で、広島大学大学院教育学博士の肩書きを持つ「ふどし」さんが、 わが国初となる子供向けふんどしサイト

            ふんどし好きの男の子のためのサイト  http://fundoshi.kids.coocan.jp

 をオープンしたとの連絡を受けたので、早速覗いてみた。作者の巻頭言は、次のとおりである。
 
   このサイトは、「ふんどしってかっこいい」、「ぼくもつけてみたい」と思っているけれども、実際(じっさい)にはどうしていいかわからなくて悩(なや)んでいる男の子(おもに小中学生)のために作りました。ふんどしの買いかたや、ふんどしのつけかたがくわしく書いてあります。参考(さんこう)にしてぜひふんどしにチャレンジしてください!  
    裸祭などに参加して、ふんどし姿を格好良く思うこどもは沢山いると思う。自分も締めてみたいと思っても、まわりに褌愛好者がいないことの方が多く、どうしたらよいかよく分からないという子は沢山いるので、素晴らしい企画だと思う。  
   自分もふんどしを締めてみたいと思う気持ちは正常な感性の発露であって、決して変人ではない。そのような気持ちが湧いてくれば、父兄に相談しなさいと「ふどし」さんはいう。ふんどしが恥ずかしいものだという先入観を与えてしまった大人への戒めでもある。  
   筆者の作品の中に、ふんどし姿の子供たちによる裸祭の作品があるので、ここに紹介したい。

           島立堀米の裸祭り http://wadaphoto.jp/maturi/simadati01.htm
           和田及神社奉納相撲 http://wadaphoto.jp/maturi/wada1.htm
           重陽の烏相撲 http://wadaphoto.jp/maturi/karasu1.htm 
 
   今後、多くのアクセスを得て、後世に裸褌文化が正しく継承されることを祈念したい。 平成23年(2011)8月21日  
■■■ 063 アメリカの褌販売店 xzytes ■■■
 
▼ このたび、広島市在住の「ふどし」さんとの文通の過程で、アメリカに
xzytes というい褌販売店 http://www.xzytes.com/  があるということで、早速アクセスしてみた。この店は、男性下着販売店で、その中に Fundoshi というジャンルがあった。
xzytes のトップページ

xzytes のトップページ

資料: http://www.xzytes.com/

▼ Fundoshi(褌) のページに行くと、JAPANESE FUNDOSHI TRADITION CONFORT (日本の褌 伝統 快適)というキャッチ・コピーで、Rokushaku(六尺) 13点、Ecchu(越中) 3点、Mokko(畚) 1点、Kuroneko(黒猫)4点が販売されていた。写真のモデルはアメリカ人男性のようである。
xzytes / Fundoshi のページ

xzytes / Fundoshi のページ

資料: http://www.xzytes.com/
 ▼ How to wear a Fundoshi (褌の締め方)のページに行くと、六尺褌、越中褌、畚褌の締め方が解説されていた。How to wear a Rokushaku Fundoshi (六尺褌の締め方)では、褌は通常木綿でつくられているとの説明があり、長さと幅がインチで表示されているところは、アメリカらしい。半分に折って締める方法が解説されていたが、モデルは日本人男性のようだ。「六尺の真ん中がお尻の穴あたりにくるよう股間を通してねじる。」とあるが、捻ると紐のようになってしまうので、かなりマニアックな締め方であり、捻らないのが普通である。

 Back View (後ろ姿)では、後褌(うしろみつ)の正しい締め方が図解されていたが、向井流などとあるので、日本の文献から水褌の締め方をコピーしたようだ。
xzytes / Fundoshi のページ

xzytes / Fundoshi のページ

資料: http://www.xzytes.com/
日本の神輿祭りで六尺褌に法被を羽織った男性の後ろ姿が Japanese men in their ceremonial dressing として掲載されているが、儀式用の衣装という意味で、ちょっとニュアンスが違う。越中褌と畚褌の図解も日本のサイトからコピーしたらしく、どこかで見た図である。ともあれ、日本伝統の褌文化がアメリカに渡り、販売店までできているというこは嬉しいことで、特に、日本のような高温多湿の気候風土の国々に普及し、 Fundoshi が Sumo と共に世界的に認知されることを期待したい。
                                                                                                                      平成23年(2011)8月17日 11:00

■■■ 062 「ふどし」さんの褌論文第一号  ■■■

 
▼ このほど、広島県広島市在住で、広島大学大学院教育学博士の肩書きを持つ「ふどし」さんが、ご自身が主催する「ふんどし研究会」 http://fundoshi.style.coocan.jp/index.html  で褌論文第一号を発表した。
 タイトルは、「明治・大正期における水褌の締め方について Tying methods of "suikon" (Japanese loincloth for swimming) from the Meiji era to the Taisho era. 」 http://fundoshi.style.coocan.jp/research01.html  というもので、学術研究者としての高い教養と厳密な裏付け資料による質の高い論文であり、裸褌文化に関心をもつ読者には是非一読をお勧めしたい。
 論文の内容は、明治・大正期の水泳に関する文献史料を基に、水褌の締め方の異同について考察したもの。その結果、おおむね締め方は類似しているものの、後部の交差の方法が2種類に大別されることが分かったほか、紐付の前垂式六尺ふんどしや、もっこふんどしを水褌として推奨している文献が発見されたという。
細紐をつけた前垂式六尺褌

細紐をつけた前垂式六尺褌

資料:ふんどし研究会「ふんどし研究01」
原典:国立国会図書館・近代デジタルライブラリー

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860273/18

細紐をつけた前垂式六尺褌


【所感】 明治期の稲田実「新游泳術」における「犢鼻褌」は、前垂式六尺褌にこだわり、前袋式と比べて緩みやすいという欠点を細紐で補うという工夫をしていおり、筆者にとっても新しい発見だった。また、古賀円蔵「速成水泳術自在」では、もっこ褌を水褌にしており、幼少の頃親しんだ黒猫褌(いどくい)のルーツなのだろうか。興味深い資料である。
  これまで、水褌の紹介といえば、○○流ではどうのこうのという単発資料だったが、各流派の資料を収集・分析され、学術論文として発表されたことは、とても意義深いことだと思う。これからも博士号の肩書きを持つ「ふどし」さんによる本格的な褌研究がなされることを期待したい。  平成23年(2011)8月16日 11:15
 
■■■ 061 真面目な褌研究サイト「ふんどし研究会」 ■■■
 
  ▼ このたび、広島県広島市在住で、広島大学大学院教育学博士の肩書きを持つ「ふどし」さん からメールをいただき、 わが国初となる本格的な褌研究サイト「ふんどし研究会」の存在を知った。

                   ふんどし研究会  http://fundoshi.style.coocan.jp/

  早速、アクセスしたところ、研究の主体は、今褌を着用している人が将来いなくなってしまうことに備え、その証言を記録するというコンセプトで、アンケートを求めるものだった。その結果も自由に閲覧することができる。
 
 
「ふどし」さんのサイト「ふんどし研究会」

「ふどし」さんのサイト「ふんどし研究会」

資料:ふんどし研究会トップページ
 
    送られてきたメールには、サイトを開設した趣旨が述べられており、真面目なふんどし研究サイトであることが判明したので、そのやりとりをこゝに再掲する。  
  2011年7月21日( 木)雨   ふどし    様より

ふんどしの研究をしております 突然のメール,失礼いたします。また,ハンドルネームでメールを差し上げるご無礼をお許しください。私はふんどしの研究をしておりますふどしと申します。和田様のサイトの写真はとても素晴らしく,楽しませていただいておりますとともに研究上の参考にさせていただいております。

ふんどしに関しましては,わが国の学界ではほぼ完全に「無視」されており,まともな研究はほとんど行われておりません。少なくとも私の知る限りにおいて,大学の紀要(これは大学の教員であれば無審査で投稿でき,論文の質は事実上問われません)に数編,ふんどしをテーマにした論文があるのみです。きちんとした審査付きの学会誌に,ふんどしをテーマにした論文が掲載されているのを私は見たことがありません。学術論文のデータベースで何度検索しても出てきませんから,これは確実だと思います。

こうなると,在野の研究者の出番だと思います。とりあえず私は,ふんどしがまだ現役であった時代を知る方々からの証言を記録に残すことが急務と考えます。ふんどしが日常の下着として,また水着として現役であった時代を知る人々は年を追うごとに亡くなっていかれます。それとともに,ふんどしが現役であった時代の事情もわからなくなっていってしまいます。

そこで私は,「ふんどし研究会」なるウエブサイト( http://fundoshi.style.coocan.jp/  )を立ち上げ,証言の収集を始めています。インターネットを自由に扱える年配の方は少ないのかまだ証言の応募はありませんが,今後に期待したいと思っております。

また,サイトにはアンケートもあり,こちらにはこれまで20数編の回答が寄せられております。ふんどしを締めるようになったきっかけやふんどしに関するエピソードなど興味深いものがあり,特に戦後生まれの方からの回答が多いのが特徴です。

ふんどしに関する文献研究も進めたいと考えており,とりあえず明治期における水褌の締め方についてまとめたいと考えております。明治期の水泳入門書に,水褌の締め方が掲載されているものがいくつかあり,その異同について考察する予定です。

最後になりましたが,サイト開設から1年,和田様のサイトにはご挨拶もせずリンクを貼らせていただいておりました。これを機に改めてリンクのお許しを頂戴したく存じます。

それでは和田様の益々のご活躍をお祈りしております。
 
おはようございます。長文のお便り有難うございました。褌の研究をされておられるとのこと、私と同じ路線に立っておられるようなので、嬉しく拝読しました。私のサイトはリンクフリーなので、「ふんどし研究会」のリンク集に収録して頂き、光栄に思っています。

おっしゃるように、褌に関する学術研究がなされていないことは、internetや市販の出版物を見ても明らかです。日本の着物文化の研究書は沢山出ていますが、襦袢などの肌着はあっても褌の項目がないものが殆どです。これでは、昔、日本の男性がどのような衣類を身につけていたのかを明らかにしたとはいえず、不備があります。著者は、そのことに気付いているはずだと思いますが、なぜ調べないのか、なぜ掲載しないのか、理解に苦しみます。

私は、文章だけでは、正確なイメージがつかめませんので、浮世絵やイラスト、写真などの過去の文献を精査し、ビジュアル化することが大切だと思います。「ふんどし談義」でその成果を明らかにしています。

このたび、資料に基づき、明治期の水褌について研究されることは、意義のあることだと思います。発表の際は、お知らせ下さい。拝見させて頂きます。

現在、私は、裸祭や社寺の水行などを通じて裸褌文化を記録保存しています。これからも気力体力のある限り、続けて行きたいと思います。誰もやっていないことをするのは、大きな意義があります。「ふんどし研究」のご発展を祈念しております。ありがとうございました。  追伸:略
 
お忙しい中,返信誠にありがとうございました。また,早速に和田様のサイトにメールを掲載していただき,どうもありがとうございました。

(追伸で)和田様のご指摘を受け,熟考した末,本名こそ出さないものの,その他のプロフィール(生年,居住地,学歴,職業)については公にしようと考えるに至りました。別に学歴を自慢しようという訳ではなく(そもそも博士号を取得するのに9年もかかった劣等生ですから!普通は3〜4年で取ります。),一応の学識をもつ者が運営するサイトであることを明らかにすることで,決して興味本位のサイトではないことを示すのが目的です。

私は現在ふんどしを常用しておりませんが,この夏休みを機に「準常用」に移行しようと考えています。「準」といいますのは,教員をしておりますので休憩時間が短く,1分1秒を争って用を足さねばなりません。ふんどしですと「穴からちょん」という訳に参りませんので,1分1秒を争う現場には残念ながら向かないのです。従って職場では心ならずもトランクス,プライベートではふんどしと使い分けるつもりです。つくづくふんどしは「スローライフ」の下着であると(それゆえに日本人が今一番取り戻さねばならないものであると)思います。

また話が長くなってしまいました。今後ともよろしくお願い申し上げます。
 
おはようございます。お便りありがとうございました。先ほど、ささやかな協力ですが、アンケートに応募しましたので、よろしくお願いします。

学歴を含め、パーソナリティを明らかにすることは、どのような人が運営されているサイトなのかが分かり、有識者から責任を持つサイトとして評価されることになりますので、英断だと思います。internetは玉石混淆の文化です。猫も杓子もで、石が多いく、玉を探すのに骨が折れます。プロフィールの開示はそのメルクマールになります。

越中褌を下着に常用されることをお勧めします。越中褌と前垂れ式六尺褌は、小は横から、大は前垂れを外すか、前垂れを緩めて90度回せば用を足せますので、手間はまったくかかりません。前袋式六尺褌(水褌)の場合、緩めるのに手間がかかり、確かに不便です。
 
   私も早速ハンドルネームを俳号の「北舟」としてアンケートに応えたところ、その結果が「アンケート回答03 回答番号:21」として表示されたので、こゝに再掲させて頂く。  
 
「ふんどし研究会」アンケート回答の一例

「ふんどし研究会」アンケート回答の一例

資料:ふんどし研究会
 
   全部で24の質問があり、かなり細かな調査となっている。六尺褌(前袋型)・締め込み・相撲まわしでペニス(ちんこ)の向き(下か上か)まで質問にあり、若干マニアックなところもあるが、決して興味本位の調査ではない。(ちなみに前袋式六尺褌や水褌、相撲褌でも若干の緩みがあり、重力の法則を受けるので、締めるときにペニスの向きを気にすることはない。しかし、回答例を見ると、上向きに締める人もいる。)当サイトの裸祭ファンの方は、是非、このアンケートに応募願いたい。今後、多くの 協力を得て、貴重な民俗学研究資料として活用されるよう祈念したい。 平成23年(2011)10月2日改訂  
ふんどし談議 2/2

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