ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク
 

Wa☆Daフォトギャラリー

 旅紀行日本の裸祭り
2010年6月27日改訂

今 日

昨 日

♪太鼓メドレー

写真をクリックすると新しい窓が開き拡大写真(1400x940)331KBが表示されます。

國見山と玉の戸の取組之圖 一雄齋國輝(歌川國輝) 画

國見山と玉の戸の取組之圖 一雄齋國輝(歌川國輝) 画

2003年5月10日制作
 

3/5

劇場訓蒙図彙の挿絵

■■■  

緋縮緬ひちりめん

 の ふんどし   ■■■

日本の裸祭り第83集 「江差・瓶子岩しめ縄飾り」

 平成20年(2008)7月5日(土)・6日(日)、北海道の江差町(えさしちょう)で、夏の幕開けを告げる「かもめ島まつり」が開かれ、初日に行われた「瓶子岩のしめ縄飾り」を密着取材した。筆者は、函館に2年ほど単身赴任していたが、江差には何度か足を運んだことがある。江差追分やソーラン節など、海の男たちを讃える民謡がこれほど多いのは、当時、蝦夷(えぞ)と呼ばれた北海道が水産王国であることを示すものである。
 江差は、江戸時代に発展した漁村で、北前船が数多く入港して栄えた。司馬遼太郎の名作「菜の花の沖」では、高田屋嘉兵衛が船主船長として当時最大の1500石(こく)積みの辰悦丸(しんえつまる)に乗って松前に上陸し、やがて箱館(函館)を拠点として蝦夷の海産物を兵庫に運び、巨万の富を築く様子が鮮明に描かれている。
 当時の北前船の乗組員は今でいう外航航路の花形船員で、最下級の炊(かしき)(飯炊き)ですら緋色*(ひいろ)の絹を平織りにして作った緋縮緬の褌を締めていた。
*緋色:紅花染による紅色と、ウコンやキハダ、 くちなし等の黄色染料との交染で得られる赤い色
 鰊(にしん)漁にわいた当時、北前船の航海安全や漁船の大漁と安全操業を祈願して、瓶子岩(へいしいわ)に大注連縄が張られるようになったものと推測されるが、現代も海の若者たちが先祖代々の伝統行事を忠実に受け継いでいることに感動する。かつての漁師たちは、神事には白褌(しろふんどし)、漁に出るときは赤褌(あかふんどし)と、きちんと使い分けていたことだろう。
  夏の海奇岩の注連張り白褌  北舟 

なつのうみ きがんのしめはり しろふどし

Summer sea, hanging a sacred straw rope on a strange rock, wearing white fundoshi sash.

9人の海の若者たちで行われる裸の神事

9人の海の若者たちで行われる裸の神事

撮影:H. I.

拡大写真(2000x1330)436KB

 
■■■ 大和田の荒神輿 ■■■
 
    平成20年(2008)7月26日(土)、埼玉県新座市(にいざし)に鎮座する大和田氷川神社(おおわだ・ひかわじんじゃ)で神幸祭(じんこうさい/しんこうさい)「大和田はだか神輿」(平成14年新座市指定無形民俗文化財)が行われた。  
 

晒木綿さらしもめん

一反(10m)を使った

前袋式褌まえぶくろしきふんどし

 社務所の控え室で、白の晒木綿一反(10m)を使った褌を締め込む様子を撮影させてもらった。全国を見渡すと褌を祭り衣装とする裸祭りではさまざまな締め方があるが、大和田氷川神社では、特に激しく運動するので、緩みのない前袋式に統一されている。
1 

晒木綿さらしもめん

を股間にとおす
2 右から左に

横褌よこみつ

を巻く
1 晒木綿を股間にとおす 2 右から左に横褌(よこみつ)を巻く

拡大写真(1200x900)181KB

拡大写真(1200x900)159KB

 

ふんどし

(ヒッチ)をかける

4 広げながら巻く

3 褌(ひっち)をかける 4 広げながら巻く

拡大写真(1200x900)184KB

拡大写真(1200x900)148KB

5 前垂れを

後ろ立褌うしろたてみつ

よじ

りながら股間にとおす
6 

後ろ立褌うしろたてみつ

に止める
5 前垂れを捻りながら股間にとおす 6 後ろの立褌に止める

拡大写真(1200x900)165KB

拡大写真(1200x900)205KB

7 残りを胴に巻く
8 

よじ

りをかけながら巻き締める
6 残りを胴に巻く 8 捩りをかけながら巻き締める

拡大写真(1200x900)174KB

拡大写真(1200x900)187KB

ふんどし

の両端を結ぶ
10 余った

端布はぎれ

を切り取って完成
9 褌の両端を結ぶ 10 余った端布を切り取って完成

拡大写真(1200x900)190KB

拡大写真(1200x900)157KB

 
   
 
 一反の晒木綿を二分して褌と腹巻を別々に締め込む方法もあり締めやすい利点があるが激しい運動のために上下に分離して腹の一部が露出して見苦しくなることがあるので、この方法が推奨されていた。

参考:前垂式六尺褌の締め方/ホーランエンヤ'08(本締褌)

 
 
 
ジャンピング神輿

ジャンピング神輿

拡大写真(1024x768)610KB
 
 
  荒神輿白ふんどしのジャンピング  北舟 

あれみこし しろふんどしの じゃんぴんぐ

The rough mikoshi,

white fundoshi loincloths jumping.
 
   
 
 

荒神輿あれみこし

 
 毎年7月末の金・土に行われる大和田氷川神社の夏祭りは、神社が再建された享和3年(1803)に神輿を担ぐ祭礼が始まったと伝えられ、200年以上の歴史がある。
 当時の祭礼は、旧暦6月14・15の両日に行われ、天災から作物や家畜を守り、豊作を願い、村人の無病息災を祈るために行われていた。6月15日には、拝殿において「法楽の式」が催されたあと、はだか神輿が別当寺の晋光明寺や大和田宿に繰り出したという。主に雨乞いの効果があるといわれ、大和田地区あげての祭りとして現在に受け継がれている。 
 
   
 

左右にローリングする荒神輿/JR武蔵野線新座駅入口交差点

左右にローリングする荒神輿/JR武蔵野線新座駅入口交差点

拡大写真(2000x1340)354KB

 
   
 
 はだか神輿の担ぎ手は白足袋に白の一反晒(いったんさらし)(約10mの晒木綿)の褌・腹巻を締め込み帯紐(おびひも)のない白法被(しろはっぴ)をはおるが、神輿を担ぐときは法被を丸めて肩に乗せ、担ぎ棒が直接肩にあたらないようにする。褌姿で神輿を担ぐところから、いつしか「はだか神輿」と呼ばれるようになり、その勇壮な様から「荒神輿(あれみこし)」とも呼ばれるようになった。
 
 

 
 

大和田中町交差点の神輿揉み

大和田中町交差点の神輿揉み

拡大写真(1800x1300)404KB

 
   
 
 社務所で腹ごしらえの最中に加藤良明・氏子会長から注意事項などの伝達があったが、神輿を担ぐときは、法被を脱ぐよう指導していた。法被をはおっていると転んだときなどに布がまといつき、瞬時に危難から逃れられないという。褌一丁の裸形であれば、汗が潤滑油となり、機敏に行動できるので、怪我をしないのだという。
 
   
 
大和田囃子の前で神輿揉み 21:35

大和田囃子の前で神輿揉み

拡大写真(1024x853)987KB

 
 また担ぎ手に褌が義務づけられているが、これは、伝統衣装へのこだわりというだけではなく、荒(あれ)神輿の激しい神輿揉(も)みの安全性を確保するためのものだという。
 
佳境に入った神輿揉み ローリングする荒神輿 大和田囃子の前で神輿揉み
佳境に入った神輿揉み ローリングする荒神輿 大和田囃子の前で神輿揉み
 
 以前、褌からハンダコ(短パン状の半股引)に切り替えたことがあったが、腰部を圧迫するハンダコでは十分な股割りができないため、神輿揉みでしゃがんだときに両膝(りょうひざ)が前に出てしまい、たまたま後ろに転倒した担ぎ手の背中がその膝に当たって死亡するという事故があり、それ以来、安全に股割りができる褌に戻したのだという。しゃがんだときには十分に股を割り、膝を開くことが事故を防ぐ大事なポイントとなる。これらのノウハウは、長年の経験から得られた貴重な教訓である。
 
■■■ 桂馬のふんどし ■■■
    
 2008年8月5日(火)山形県天童市に行った。ここは将棋の駒の生産で有名で、全国の90%以上のシェアーがある。ある店に入ったところ、「桂馬のふんどし」を描いた江戸時代の錦絵があった。どういう意味なのか調べたところ、これは現在でも使われている将棋の専門用語で、桂馬を打ち込むことで、桂馬の道筋にある金や銀などの駒を両取りする手で、片方が逃げてももう一方を取ることができる妙手である。両取りをかけた桂馬の道筋が六尺褌のTバックの形に似ていることから「桂馬のふんどし」と呼ばれるようになったという。
 
 

「桂馬のふんどし」を描いた江戸時代の錦絵

「桂馬のふんどし」を描いた江戸時代の錦絵/1   「桂馬のふんどし」を描いた江戸時代の錦絵/2

拡大写真(800x572)185KB

 

拡大写真(800x835)212KB

 左側の錦絵は、歌川国芳(うたがわくによし 1797-1861)が「駒くらべ将棋のたはむれ」の中で描いた一こま。戦国武将に擬人化した桂馬が越中ふんどしの長い前垂れを銀と角の首にかけまわして引っ張っている。右側の絵は天童の店で見かけたもので、桂馬が金と銀の六尺褌の前垂れを掴んでいる。いずれも桂馬が両取りをかけたことをあらわしている。 
 落語でも将棋を指している場面で、「桂馬のふんどし」が登場する。

○ 「どうした、どうした。」「桂馬を取ってわっぱをかけりゃあ良かった!」「ふんどしかあ。良かった。助かった。」 
○ へ〜「桂馬のふんどし」っちゅうやつでんな。このふんどしを掛けてわしの飛車か金を狙ろてまんねんな。何とかしてこのふんどしを外さなあきまへんなぁ。(有馬小便)
 将棋の解説でも「桂馬のふんどし」の使用例がある。
○ 7三桂と打てば、金銀の両取り、いわゆる桂馬のふんどしで駒得を拡大できたのですが、深浦王位はもっと良くしようとしたのでしょうか。・・・

■■■ 新穂栄蔵著の「ふんどしの話」 ■■■

 2008年7月22日(火)、アマゾンを通じて申し込んでいた新穂栄蔵(しんぽ・えいぞう)著の「ふんどしの話」(古本)がさいたま市の爆進堂から届いた。この本は、平成2年(1990)に札幌市のJABB(ジャブ)出版局から定価1550円で第一刷が発行されたが、そのまま増刷されることなく、絶版に近い状態になっているものである。
 以前、北海道稚内市に単身赴任中にこの本のことを知り、書店にも図書館にもなかったため、恵庭市にお住いの作者に電話してお聞きしたが、手元にもないということで入手を諦めていた。このほど、褌談義の資料としてこの本のことを思い出してアマゾンで検索したところ、爆進堂がアマゾン・マーケットプレイスに2000円で出品していることがわかり、めでたく手にすることができた。
 クロネコメール便を開封すると、出て来たのは18.5x12cm166頁の固表紙のコンパクトな本で、十返舎一九の「尻まくり御要愼」から採った挿絵を使った表紙カバーが目を引いた。この絵は「尻まくり」「頭隠して尻隠さず」「尻に帆かけて」の戯画のようであるが、江戸時代の男性は、庶民も武士と同様に六尺褌をしていたことが分かる。
「ふんどしの話」の表紙カバー

「ふんどしの話」の表紙カバー

拡大写真(2000x1075)352KB

 現在、静かなふんどしブームが続いており、internetの褌販売店が繁盛しているが、ふんどしをテーマにしたサイトが多数存在するほか、ふんどしを話題にした雑誌や単行本も出版されている。しかし、私の知る限り、現代用語で書かれた文献は、近年ではこの「ふんどしの話」が魁(さきがけ)で、いずれ古典として引用される貴重な作品である。
 作者の新穂栄蔵さんは、明治44年(1911)山形県生まれ。昭和13年(1938)東京帝国大学工学部建築学科卒。寒冷地住宅と暖房の研究者。北海学園大学工学部講師。日本水泳連盟一般水泳上級指導員。恵庭市美術協会会長など、多彩な顔をもつ。お元気であれば、97歳である。
                                まえがき(抜粋)
 私とふんどし(褌)とのつきあいは長く、七十年以上も続いていて、現在も愛用している。プールで泳ぐときはいつも赤ふんどしである。・・・戦時中は、徴兵検査のときから越中褌に代わった。おかげで暑い南方の戦線でもインキンタムシに悩まされずにすんだのは幸いだった。越中褌は、局部の通風にすぐれ、また、洗濯・乾燥にも手間が省ける。
 ふんどしは、男子の聖(性?)域をを保護し、隠す重要な役目を果たすもので、下着のルーツであり、民俗学的にも興味ある問題をふくんでいる。それにもかかわらず、ふんどしという言葉すら卑語として蔑(さげす)まれ、ふんどしは下品なものとして日陰者(実際そのとおりだが)扱いにされているのは面白くない。・・・そんななかで、ふんどしに関する事柄をいちおう私なりにまとめてみたのが本書である。大方のご批判を待つ次第である。・・・
 「ふんどしの話」は、その名の通り、ふんどしに関する話題を広く扱っている。手書きの挿絵や白黒写真をふんだんに使い、「語源ミステリー」「下着のすぐれもの」「ふんどしウォッチング」「ふんどしのファッション性」の4章で褌の種類、効能、相撲、裸祭り、ファッションなど、ふんどしをこよなく愛する作者の思い入れが披露されている。
 字が大きく、行間も広いので、1時間もあれば読んでしまえる。幅広い内容だが、民俗学的な掘り下げをしている訳ではなく、著者が可能な範囲で調べたものを整理して紹介したもので、当サイトのふんどし談義に相当する。学術専門書ではなく、ふんどしの入門書といえるものなので、気軽に読むことができる。
 現在は、internetで色々な情報を調べることができるので、著者が分からないとしていることや、触れられていないテーマに関する情報が多々ある。趣味として書かれた本なので仕方ないが、当時としてはよく書けていると思う。特に、戦前から戦後にかけて長年愛用してきた褌の体験談は、貴重な文献である。
 
■■■ 江ノ島白褌神輿(八坂神社天王祭) ■■■
 
   平成20年(2008)7月13日(日)、梅雨の合間に、湘南・江ノ島の夏祭りとして知られる八坂神社(やさかじんじゃ)例大祭(江ノ島天王祭)が開かれたので、4年ぶりに激写してきた。徒然日記に「江の島天王祭'08」速報!として発表したが、現在完成版を作成中である。
 
 
   今回から江ノ島天王祭の裸神輿を白褌神輿(びゃっこんみこし)と呼ぶことにした。これは、江ノ島神社や天王祭を催行する地元の方々の了解を得たものではなく、私の勝手なネーミングであるが、全国を見ても、白色の六尺褌一本だけの裸形(らぎょう)で神輿を担ぎ、海中を渡御する裸祭りは見当たらず、白褌神輿と呼ぶにふさわしい伝統ある神聖な行事であると感じ入ったからである。
 
 
 

沖に向かう白褌神輿

沖に向かう白褌神輿

拡大写真(2250x1500)610KB
 
 
  江ノ島の白褌神輿海の渡御  北舟 

えのしまの びゃっこんみこし うみのとぎょ

A portable shrine of white fundoshi-loincloths, going in the sea

off Enoshima.
 
   
   朝9時半から始まった神事の後、天王祭の実施要領が説明されたが、「海中渡御は白褌(しろふんどし)でお願いします。」との指示があった。しかし、神輿を担ぐには氏子だけでは足りないので、神事に参加せずに神輿だけ担ぐ飛び入りの部外者が多数いるため、この掟(ルール)が徹底されず、股引姿や柄物の褌を締めた人がいたのは残念である。
 
 
 
最後の練り上げ!

最後の練り上げ!

拡大写真(1800x1350)372KB
 
   
   本件については、主催者側でチェックして、装束違反者には白褌を貸与して締め替えさせるなどの対策をとり、神聖な神事を汚(けが)すことのないよう十分な配慮が望まれる。
 
 
 

 また、折角褌を締めているのに、腹巻で臀部を覆っている人もいる。これも見苦しいので、止めてもらいたい。褌を締めているのを人に見られるのが恥ずかしい人は、参加すべきでない。三社祭や神田祭でも散見されるが、その奇異な姿を見せられる方が恥ずかしい。
 

 
 
恒例の塩抜きシャワー!

恒例の塩抜きシャワー!

拡大写真(2000x1500)466KB
 
   
   今回、山さん山本啓一さん)や昇ちゃん長谷川昇司さん)など山本グループの方々と行動を共にした。鐵砲洲で知り合った俵雅史さんも我々に加わり、総勢11人となった。山さんは、一時期衰退していた黒石寺蘇民祭(岩手県奥州市)を興隆に導いた陰の役者であり、しっかりした哲学を持つリーダーである。
 
 
   山さんは、江ノ島天王祭に限らず、神輿祭りは神事であるから白褌でなければならないと云う。正月に行われる江ノ島寒中神輿錬成会はカラフルな褌神輿として知られるが、山本グループは全員白褌である。還暦記念に赤褌を締めてきたメンバーがいたときも、片瀬海岸の東浜で白褌に締め直させた。山さんは「部外者であればあるほど、地元以上に厳しい節度が必要だ」と云う。この他にも教えられることが多々あり、私はさすが山さんだと尊敬している。 2008.7.20
 
 
 
江戸扇の半纏も粋な山本グループの記念撮影/小動神社展望台

江戸扇の半纏も粋な山本グループの記念撮影/小動神社展望台

拡大写真(1600x1200)454KB
 
 

■■■ 褌の俳句 「ふんどしもなくてことすむ案山子かな」 ■■■ 

今は昔のこんなこと 褌 / 佐藤愛子 

 一口にふんどしといっても六尺褌もあれば越中褌もある。六尺褌というのは六尺の晒を腰にぐるぐる巻きつけて、その端を股ぐらに通して大事な箇所を包み込むもので、別名「しめこみ」という。
 真白な晒で下半身をキリリと締め上げた男の褌は老若を問わず力が漲(みなぎ)って見るからに勇ましく、胴長短足という日本人特有の体型にぴったり似合っていて、ご面相は問わず凛々しく美しくみえたものだ。「よしッ、褌締め直して行くぞ!」と男意識高揚させる時に褌がモノをいった。
 それに比べると越中褌はなんともだらしなく、頼りなげで貧乏くさい。三尺ばかりの小幅の晒の一方に細い紐がついている。それを腰の前で結び、その紐に股をくぐらせた布を通してのれんのように垂らす。実に簡単である。「緊褌(きんこん)一番」というにはほど遠い代物(しろもの)だ。
 ・・・時代映画では雲助といわれた悪質駕籠屋や馬子などが法被(はっぴ)に腹巻、越中褌という格好をしている。農民一揆などでも汚い越中褌が、立てたムシロ幟とよく似合っている。一所懸命になればなるほど緊褌一番という趣にはほど遠いのが哀れをそそるのである。
 ところで私の父(佐藤紅緑)は越中褌の愛好家であった。褌についての父の持論は、褌はその中にあるかのものを、常に悠々飄々大空を舞う奴凧の如くに自由に揺蕩(たゆた)わせておくべきものだというのである。かのものはのびやかに育って大モノになっていく。それに伴い精神もまた悠揚迫らず男らしい風格を持つようになるというのである。
 それを何ぞや、サルマタなどという醜怪きわまるものを着用するやからが増えている。日本の男はサルマタをもって衰弱の一途を辿るに違いないと嘆いていた。
 若い頃、父は詐欺師の口車に乗って、・・・新聞社を立ち上げようと夢見て失敗した。・・・家財道具から着るもの一切、質屋の蔵に入っている。都合良く丁度夏に向う頃だったので、次々に着ている物を質屋に入れた後は越中褌ひとつで日を送るようになった。
収入としては(かつて正岡子規に師事して、新聞の俳壇の選者などをしていた関係から)十句三十銭の俳句の通信添削料が入るだけである。少しは名が知られていたせいで、借金取りばかりでなく、俳人や俳句好きの訪れがあるが、その客たちを越中褌姿で迎えて、「褌の最も進歩したものは越中褌ですなあ」「褌の中で最も俳味のあるものは越中褌ですな」などとうそぶいていた。
当時の句日記に、「ふんどしもなくてことすむ案山子かな」という句がある。雨がつづいて褌の洗い替えがなくなった時の所感かもしれない。そのこだわりのなさは、越中褌の中でかのものを悠々と遊ばせた歳月によって造られたのかも。・・・
                            (今は昔のこんなこと 佐藤愛子著 文春新書 62〜65頁 2007.5.20発行)
 
 
■■■ 「江戸っ子!鐵砲洲大祭」の褌 ■■■
 
    平成20年(2008)5月2日(金)から5日(月)にかけて東京都中央区湊一丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社(中川文隆宮
司)で例大祭が開かれたので、弥生会の手配で神社近くのホテルに2泊し、密着取材することができた。
 
 
   鐵砲洲稲荷神社弥生会の石川辰夫幹事長によると、鐵砲洲祭の衣装は半纏と半股引(ハンダコ)が原則だが、褌も認
めているという。そのため、睦会を中心に色柄物をキリリと締めたこだわりの褌派を多数撮影することができた。
 
 
 
半纏・褌姿の睦会/銀座五丁目東

半纏・褌姿の睦会/銀座五丁目東

拡大写真(1400x1050)328KB
 
   ハンダコは江戸時代には存在しないので、祭り衣装が変質していることは間違いない。筆者としては、粋で鯔背な江戸っ
子の祭りであれば、博多っ子の博多山笠のように、せめて睦会だけでも全員褌を締めて欲しいと思う。
 
 
 
褌・裸足の棒鼻/湊三丁目

褌・裸足の棒鼻

拡大写真(1230x1400)331KB
 
   
   博多山笠と違って、こだわりの江戸っ子褌は、全て前袋式六尺褌で、前垂れ式は見られない。激しい運動でも乱れない
定番の締め方である。各町会責任者の指導が徹底しているせいか、三社祭のように褌一丁の裸形や担ぎ棒に上がる人
は皆無で、節度ある江戸っ子の素晴らしい神輿祭りだった。

 
 
 

こだわりの褌睦

こだわりの褌睦 1 こだわりの褌睦 2

拡大写真(1050x1400)272KB

拡大写真(900x1200)266KB

こだわりの褌睦 3 こだわりの褌睦 4

拡大写真(900x1200)359KB

拡大写真(900x1200)259KB

こだわりの褌睦 5 こだわりの褌睦 6

拡大写真(1050x1400)244KB

撮影:小林豊一

拡大写真(1150x1400)354KB

 
 

神田っ子の水森亜土さんのコメント(東京人 2003年6月号52頁):お祭りは専ら行列を追いかけるだけだけど、実は・・・、お神輿を担ぐ人のふんどしを締めたお尻が美しい!中学生の頃からなんてセクシーなんだろうと思ってた、キャハハ。ませてたのかな。お祭りが盛り上がって熱気が最高潮に達すると、お尻もピンクになるのね。あっ、言っちゃった!

銀座二丁目東の神輿で遊ぶ子供たち 2005.5.4

銀座二丁目の神輿東で遊ぶ子供たち 1 銀座二丁目東の神輿で遊ぶ子供たち 2

拡大写真(900x1200)273KB

拡大写真(900x1200)300KB

 
 
■■■ 「いやおひ第30号」に「還暦記念の赤褌水浴(完結編)」掲載! ■■■
 
   本日、東京都中央区湊一丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社の石川辰夫・弥生会幹事長から平成20年4月1日発行の広報誌「いやおひ第30号」が送られてきた。その第4面に「還暦記念の赤褌水浴(完結編)」が掲載されていた。去る2月24日に弥生会から原稿の依頼があったもので、「デジタル写真家 弥生会会友 和田義男」と紹介されていた。
 
 
   同誌には、1年前に「還暦記念の赤褌水浴」という随筆を寄稿し、2008年の第53回鐵砲洲稲荷神社寒中水浴大会に還暦記念の赤褌水浴をすることを予告しており、一年後に実現したものである。大変厳しい寒中水浴だったが、何とか無事にやり遂げることができ、その辺の顛末を完結編として書かせて頂いたものである。
 
 
   この完結編の結語として、今後も寒中水浴を継続することを予告した。気力体力が続く限り、来年以降の新年は、鐵砲洲稲荷神社に詣で、真新しい白褌(びゃっこん)を締めて神前での寒中水浴からスタートする覚悟である。  
 


「還暦記念の赤褌水浴(完結編)」が掲載された「いやおひ30号」 2008.4.1

「還暦記念の赤褌水浴(完結編)」が掲載された「いやおひ30号」 2008.4.1

拡大写真(1111x1580)420KB

 
 
還暦記念 赤褌あかふん 水浴(完結編)
 
 
 弥生会の石川幹事長の爽やかな弁舌に乗せられ、平成19年4月1日発行の「いやおひ第26号」に「還暦記念の赤褌水浴」と題して、寒中水浴を決意した駄文を掲載して頂いたが、このたび、無謀にも褌一丁になり、8年目にしてはじめて撮る側から撮られる側に身を置いた。参拝客の視線を一身に感じたが、裸になっても恥ずかしさを感じなかったのは、喜ぶべきか、悲しむべきか分からないが、還暦という人生を一回りしてしまった年のせいなのは間違いない。

 第53回寒中水浴大会の公式水浴の後、中川宮司のご高配により今年満60歳の厄年を迎えた平野五雄さんと三木芳樹さんと共に白褌を赤褌に締め替えて還暦記念水浴を行った。二度目の水浴は初回にも増して辛かったが、介添役の長谷川昇司・石川辰夫両氏始め約20人が一緒に水浴して還暦を祝って頂いたお陰で、何とか無事に成就することができた。

 褌は着物と同じで、痩せた人だと貧相に見えるが、少し肥満気味なのが幸いして、初心者にも係わらず、サマになった禊ができたものと居直っている。しかし、ベテランは寒いのをおくびにも出さず、泰然自若として寒中水浴を楽しんでいるふうだったが、初心者の私にはその余裕が無く、星さんに写して頂いた写真を見ると、いかにも辛そうで情けない表情である。次回はこの経験を生かして、長谷川さんのように笑顔で水浴といきたいものである。
 
 水槽を出ると足に感覚が無く、突っ張ってしまって思うように歩けなかったが、裸でいても皮膚がチクチクする程度で、辛さは和らいだ。入船湯で暖を取ったが、浴槽の湯は熱すぎでとても入れず、温(ぬる)めのシャワーを交代で使いながら身体を慣らして最後に湯に浸かった。冬になると野生の猿が温泉に浸かりに来るが、極楽とはこのことだと思った。

 しかし、事後は全身に渇が入ったように爽快で活力が湧き、体調が頗る良く、今年は一度も風邪を引かずに元気で冬を乗り切ることができた。年に一度くらいは死ぬ思い?をするのも悪くないと思うので、これかも毎年挑戦してみたいと思っている。来年は、是非、青柳会長とご一緒したいので、どうか宜しくお願いします。(完)
 
 

赤褌寒中水浴

赤褌寒中水浴

拡大写真(1400X1050)351KB
 
 

還暦記念水浴を果たした3人(左から三木芳樹さん・筆者・平野五雄さん)

還暦記念水浴を果たした3人(左から三木芳樹さん・筆者・平野五雄さん)

拡大写真(1400X1150)212KB

 
 

 
 

「還暦記念の赤褌水浴」が掲載された「いやおひ26号」 2007.4.1

「還暦記念の赤褌水浴」が掲載された「いやおひ26号」 2007.4.1

拡大写真(980x1400)312KB

 
 
還暦記念 赤褌あかふん 水浴 
 
 
 今年も晴天に恵まれ、木漏れ日の下で、江戸下町に残る半世紀以上も続く寒禊(かんみそぎ)の一部始終を激写し、Wa☆Daフォトギャラリーに「鐵砲洲寒中水浴'07」として、発表することができ、さい先の良いスタートを切ることができた。
 何よりも嬉しかったことは、私のような部外者を仲間として受け入れて頂いたことである。弥生会の直会のあと、浦安の三木さんと浅草の志村さんとともに石川邸の二次会に招かれ、美しいお母様の手料理と愛犬バロンのスキンシップのもてなしを受けた。

 また、戦後、鐵砲洲稲荷神社が再建されたときの貴重なビデオテープを拝見しながら青柳会長ら幹部の皆さんと歓談させていただき、楽しいひとときを過ごさせていただいた。誰彼の区別なく受け入れてくれる包容力は、さすが気っ風の良さで知られる江戸っ子だと思った。

 再三にわたり、石川幹事長や三木さんから寒中水浴を誘われてきたが、撮影を理由に断ってきた。しかし、今年三月六日に還暦を迎えるので、人生の大きな区切りを記念する意味で、来年の寒中水浴大会には同い年の三木さんとともに赤褌で参加することにした。青柳会長ともご一緒できれば幸甚である。

 私は「ふんどし談義」という作品を通じて、日本男児のアイデンティティ(日本人らしさ)は、裸褌(はだかふんどし)文化にあることを繰り返し述べてきたが、一年先とはいえ、公衆の面前で身をもってその姿を披露するとは思ってもみなかった。

 しかし、江戸っ子の開かれた文化の中に溶け込むことができた今、私もどっぷりと浸かってみたいと思った。インターネットでいえば、ROM(ロム Read Only Memory :読むだけのメモリー→読むだけの人、傍観者)からRAM(ラム Random Access Memory :読み書きできるメモリー→参加型の人)に変わろうとしている。

 趣味で始めたホームページを通じて人の輪が広がり、その影響を受けて変革してゆく自分がいる。これもインターネット文化のお陰で、団塊の世代の一つの生き方であるかも知れない。来年を愉しみに、今から身体を鍛えておこう。
 
■■■ 歌舞伎

殺陣たて

 ■■■
 歌舞伎を図解した劇場訓蒙図彙(しばいきんもうずい)は、筆者・式亭三馬(しきてい・さんば)により享和3年(1803)に刊行されたものだが、訓蒙(きんもう)(幼童や無知の人を教え導く意)の目的で、芝居の世界のあらゆる事柄を分類し、それぞれに図を添えて書かれたものである。かなりのボリュームだが、その中に、殺陣(たちうち)という項目で、褌一丁の男たちによる殺陣(たて)の図解がある。裸で図解するのは、どのような体位を取っているかがよく理解できるからだろう。
劇場訓蒙図彙しばいきんもうずい の挿絵1/2

劇場訓蒙図彙の挿絵1/2

拡大写真(1800x1240)412KB

 立ち廻りの基本的な型として、天地・切り身・文七・柳・宙返り(とんぼう)・そっ首おとし・引廻し・詰め寄せ・ちどり・ひょっくり・さか立ち・死人(しびと)返りなど数多くの名目(みょうもく)を上げて、丁寧に図解している。
劇場訓蒙図彙しばいきんもうずい の挿絵2/2

劇場訓蒙図彙の挿絵2/2

拡大写真(1800x1240)345KB

 式亭三馬(1776 - 1822)は、江戸時代(19世紀)に活躍した戯作家で、本名は菊地(池)久徳。通称西宮太助。字は泰輔。別号は四季山人・本町庵・遊戯堂。父は江戸浅草の版木師。この裸男たちが躍動する絵はとてもリアルに描かれており、かなりの筆力がある。

劇場訓蒙図彙の挿絵

Wa☆Daフォトギャラリー

今 日

 和田フォトギャラリー

昨 日

 Copyright (C) 2000-2010 Yoshio Wada. All Rights Reserved. 

ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク