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■■■ 055 北斎が描いた江戸の裸褌文化 ■■■
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▼ 「長身六尺(180cm)の江戸っ子で90歳まで生きた有名な浮世絵師は?」と問われれば、誰でも葛飾北斎(宝暦10年-嘉永2年/1760-1849)と答えるだろう。頑固一徹な奇人・変人として知られ、改名癖があって春朗、宗理、北斎、画狂人、為一など30ものペンネームを次々に取り換え、生涯に93回も転居した放浪癖は異常ともいえ、老境には各地を旅して廻ったという健脚の持ち主であった。 |
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冨嶽三十六景 凱風快晴(通称:赤富士)/為一(北斎)筆 |
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79歳(数え年80歳)の頃の自画像 |
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▲▼ 為一と称した晩年の代表作「冨嶽三十六景(ふがく・さんじゅうろっけい)」の「 凱風快晴」(通称:赤富士)や「神奈川沖浪裏」は、誰もが目にした名作で、筆者の大好きな作品である。「冨嶽」は富士山を指し、各地から望む富士山の景観を描いたもので、文政6年(1823)頃より作成が始まり、天保2〜4年(1831-1833)頃に刊行されたといわれている。発表当時の北斎は72歳で晩年期に入っており、西洋画法を取り入れて遠近法が活用されていることや、当時流行していた「ベロ藍」ことプルシャンブルーを用いて摺ったことも特色としてあげられている。
当時、浮世絵の風景画は「名所絵」と呼ばれており、このシリーズの商業的成功により、名所絵が役者絵や美人画と並ぶジャンルとして確立したといわれる。 |
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▲▼ 浮世絵(錦絵)の構図や色彩感覚は、写真撮影のアングルや色調を決める際にとても役立つため、時間があれば鑑賞しているが、特に北斎が描いた絵には、頻繁に裸褌姿が登場する。そこには高温多湿の気候風土に育まれた江戸時代の庶民の暮らしや社会風俗が赤裸々に描かれており、当時の裸褌文化を知る上でとても貴重と思われるので、紙芝居風ふんどし談義として以下に紹介したい。 |
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▲ 北斎は壮年期より摺物(すりもの)の名手として知られていたが、最も多く佳作を出したのが上のような横長判摺物だったという。画狂人北斎のサインのある「富本丸船中」には、屋形船の上で棹を操る船頭や船方が描かれており、両名とも前垂れ式六尺褌を締めている。定番の赤褌(あかふん)で、「板子(いたご)一枚下は地獄」という過酷な環境で働く船乗りたちにとって赤は魔除けの色として大事にされた。
現在の外航航路に就航する大型商船に当たる千石船は、江戸時代の物流を担う花形産業だが、船頭(船長)や水主(かこ)たちは緋縮緬*(ひちりめん)の褌を締めていた。箱館の町を拓いた高田屋嘉兵衛の生涯を描いた司馬遼太郎の「菜の花の沖」には、嘉兵衛はじめ、非縮緬の褌を粋に締めた海の男たちの活躍が詳しく描かれている。水泳の際に着用する水褌(すいこん)も赤褌が多いのはそのためである。 *【緋縮緬】絹を平織りにして緋(赤)色に染めた高級織物 |
「冨嶽三十六景」御厩川岸 両國橋夕陽見/為一(北斎)筆
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▲ 「冨嶽三十六景」御厩(おうまや)川岸 両國橋夕陽見は、隅田川の渡しのうち、現在の厩橋(うまやばし)付近にあった渡し舟を描いている。渡し舟には按摩や物売り、武士、長い竿を持った鳥刺しなど、様々な人々が乗り合っている。両國橋の彼方には既にシルエットになった夕暮れどきの富士山が見える。
川岸に江戸幕府の「浅草御米蔵」があり、その北側に厩(うまや)があったのでこの名がついた。元禄3年(1690)に渡しとして定められ、渡し船8艘、船頭14人、番人4人がいたという記録が残る。渡賃は1人2文で武士は無料。明治7年(1874年)の厩橋架橋に伴い廃止された。両国橋の上流・南本所石原町から浅草三好町に向かって一丁櫓(いっちょうろ)を漕ぐ船頭は着物を着ているが、尻端折り(しりはしょり)しているので青色の六尺褌が見えている。船方(ふなかた)・馬方(うまかた)・土方(どかた)(天下の三方(さんかた))と呼ばれた屋外労働の一部門である船方は、必ずしも赤褌とは限らなかったようだ。舟を支える水の深い藍色はとても美しく、北斎自慢の色使いである。 |
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▲ 上の絵は、「千絵の海」シリーズの「絹川はちふせ」である。波立つ水面には働く男たちが描かれているが、岸には一人の男がノンビリと珍しい漁撈(ぎょろう)の様子を眺めており、彼方には馬子(まご)の姿も見えて、長閑(のどか)な雰囲気が良く描かれている。「はちふせ」とは鉢伏のことらしく、竹籠をかぶせて魚を捕獲する原始的な漁法のようである。全員諸肌脱ぎになった漁師たちは、着物が濡れないよう尻端折りをしているため、六尺褌が見えている。白ものだけでなく青ものなどもあり、北斎は丁寧に色づけしている。 |
北斎漫画 四編 浮腹巻(左) |
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北斎漫画 四編 浮腹巻(右) |
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▲ 北斎の絵で特に参考になるのが、江戸の百科事典ともいえる絵手本(デッサン集)の「北斎漫画」である。初編の序文によると、文化9年(1812)の秋、名古屋の後援者で門人の牧墨僊(まきぼくせん)(1775〜1824)宅に半年ほど逗留して300余りの下絵を描いた。これをまとめ文化11年(1814)、北斎55歳のとき、名古屋の版元永楽屋東四郎(永楽堂)から初編が発行され、好評を博した。その後明治11年(1878)までに全十五編が発行された。人物、風俗、動植物、妖怪変化までありとあらゆるもの約4,000図が描かれている。国内でベストセラーになっただけでなく、輸出陶器の梱包材に使われたことがきっかけでフランスの銅版画家に見出され、ヨーロッパのジャポニズムの火付役になったというエピソードも残されている。 |
四編の見開きの頁に描かれている水泳の図は、まさに裸褌姿そのもので、「浮腹巻(うきはらまき)」と説明書きがあり、当時既に浮き輪や浮き袋があった様子が描かれている。子供たちはフリチンで泳いでいる。大人たちは、前袋式六尺褌いわゆる水褌を締めている人が多いが、中には越中褌か畚(もっこ)褌の人もいる。左頁には、瓶の中から海中の様子を眺めている姿が描かれており、北斎の空想が入っている。その下に、裃に水褌の男性が描かれているが、身分の高い人は裃をしたまま泳ぐのだろうか。多分、北斎独特のユーモアだと思われる。 |
北斎漫画 三編 相撲(左) |
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北斎漫画 三編 相撲(右) |
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▲ 北斎漫画・三編には、大相撲の絵が描かれており、躍動する力士たちの取組の様子がリアルに活写されている。相撲の衣装は、下着の褌が進化した相撲褌(すもうふんどし)(まわし)で、これも水泳同様、裸褌文化の最たるものである。力士たちが相撲褌に下がりをつけているのは、現在の大相撲と変わらないが、下がりは褌の前垂れで、相撲の邪魔にならないように短くなっている。 |
北斎が春朗時代(安永8年-寛政6年/1779-1794)に描いた相撲絵 |
出羽海金蔵 鬼面山谷五郎 |
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高嵜市十郎 渦ヶ渕勘太夫 |
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千田川吉五郎 高根山与一右ェ門 |
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▲ ちなみに、北斎は20〜34歳(安永8年-寛政6年/1779-1794)まで春朗(しゅんろう)というペンネームで錦絵を描いていたが、この頃の相撲絵が上図である。まだ若い修業時代の作品だが、力士の表情や姿形(すがたかたち)をリアルに描いており、下がりが相撲褌(まわし)の前垂れであることが分かる。まわしは現在のように厚手のものではなく、後ろ立褌(たてみつ)(Tバック)が臀部に食い込んでいて見えない状態である。 |
北斎漫画 三編 豊年踊り(左) |
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北斎漫画 三編 豊年踊り(右) |
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▲▼ 北斎漫画・三編に登場する豊年踊りの絵は、相撲褌と同じような下がりをつけた褌の男が自由奔放に踊る姿を多角的に描いており、名作に数えられている。着物の欠点は、動き回る際に裾が邪魔になることで、男たちは裾端折り(すそはしょり)や尻端折り(尻からげ)をしてその欠点を正した。そのため、着物の下に隠れていた褌があらわになるが、これが男の粋として女性たちの関心を買い、必要ないときでも尻をからげて歩く人がいたという。 |
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▼ 下の図は、北斎漫画・九編に収録されている肥満男性の裸褌姿で、士卒ノ英氣養圖(しそつノえいきをやしなふづ)というタイトルが付されている。士卒は兵士(武士)のことなので、たまには下男や下女のやる仕事をして英気を養っている武士ということなのだろうか。生活が豊かで食糧事情が良ければ、大相撲の力士でなくとも食べ過ぎて肥満になる男性がいたのだろう。高温多湿の夏場を過ごす江戸庶民の日常の様子がリアルに描かれている。 |
北斎漫画 九編 士卒ノ英氣養圖(左) |
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北斎漫画 九編 士卒ノ英氣養圖(右) |
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▼ 下図は、六編に描かれている棒術の絵である。尻端折りをしているのはこれまでと変わらないが、後ろ立褌(たてみつ)(Tバック)と前垂れの両方が描かれている。着物の柄は丹念に描き分けられているが、男たちの前垂れ式六尺褌は、いずれも白の一色である。これまでの絵に比べて、変化が少なく、同じようなポーズがあり、北斎にしては凡庸な絵に見える。 |
北斎漫画 六編 棒術(左) |
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北斎漫画 六編 棒術(右) |
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▼ 下図は、北斎漫画・八編に描かれた無禮講(ぶれいこう)で、広辞苑によれば、貴賤・上下の差別なく礼儀を捨てて催す酒宴をいう。越中褌や畚(もっこ)褌に烏帽子(えぼし)というへんてこなスタイルの裸男たちが色々なポーズを取っているが、彼らは曲芸師たちで、余興として演じているものなのだろう。 |
越中褌は、武士や江戸っ子たちにはあまり見られないが、筆者の調査では、僧侶、神職、按摩、曲芸師など、特殊な集団に愛用者が多い。勿論、武士や町人にも越中褌を愛用している人はいたが、多くはない。越中褌は三尺褌とも呼ばれ、布が六尺褌の半分で済むことから、貧乏人や倹約のために推奨されたという。横褌(よこみつ)が細紐なので緩みやすく活動的でないため、帰宅してくつろぐときに着用し、漁撈や土木作業などの労働の場では六尺褌に締め替えていた。 |
北斎漫画 八編 無禮講(左) |
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北斎漫画 八編 無禮講(右) |
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▼ 三編には農作業の図が掲載されている。労働の場の男性は、殆どが尻端折りをしている。そうでなければ丈の短い野良着を着ているので、下半身が露出していて涼しい。女性たちは、暑い屋外の作業でも、姉さんかぶりをする位で、着物を着て、裾を垂らしている。女性たちの身体は、汗疹(あせも)だらけだったのではないだろうか。 |
当時、男性は、公道でも褌一丁で闊歩できる有り難い裸文化を享受していた。「夕涼みよくぞ男に生まれけり」は、宝井其角の詠んだ川柳である。褌一丁の裸の男たちが縁台で涼んでいる姿を詠んだもので、高温多湿の日本の夏は、こうするしか凌げなかったのだろう。エアコンの効いた快適な空間でこの原稿を書いていて思うことは、現代の日本ではエアコンや冷蔵庫、テレビといった文明の利器が普及し、江戸時代の殿様も味わえない素晴らしい環境の下で快適に暮らすことができ、世界一の長寿を誇る国となった。本当に有り難いご時世になったものだと思う。 |
北斎漫画 三編 農作業(左) |
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北斎漫画 三編 農作業(右) |
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▼ 白黒ばかりだったので、最後はカラー刷りで〆よう。この絵は、「下手の鞠(へたのまり)」と称する鳥羽絵(とばえ)である。鳥羽絵は浮世絵(錦絵)の一種であるが、江戸時代に描かれた略画体で漫画チックな戯画(ぎが/ざれが)である。北斎は、早くから戯画にも興味を持っていたようで、面白い作品を残している。通常、鳥羽絵は、細身で長身の人物が描かれ、今日の漫画文化の先駆けともいわれているが、江戸でブームとなった頃、北斎もそれを真似た絵を描いて楽しんでいたのだろう。 |
蹴鞠(けまり)は、皮靴で革製の鞠を蹴上げて地面に落とさないようにする公家(くげ)の遊びだったが、武家や町人へと普及した。「アリアリハ いゝが追つかけ おん廻ハし 尻ひつからげ 立向ふ 下手の鞠」 と説明書きがあるが、この二句は、柳樽(やなぎだる)にある川柳(せんりゅう)狂句で、「アリヤアリヤ」は鞠を蹴るときの掛け声。この絵は、熊さん八つあんが蹴鞠の真似をして遊んでいるところで、鞠が八つあんの頭に当たってしまったところを滑稽に描いている。両名とも尻ひつからげて(尻を端折って)立ち向かっているので、赤褌が見えている。 |
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筆者は、北斎漫画全十五編を全て調査してみたところ、当時の男性は、士農工商の階層を問わず、六尺褌、越中褌、畚(もっこ)褌のいずれかを着用しており、ハンダコ(半股引/パンツ)姿は見られなかった。また、浮世絵(錦絵)も数多くチェックしたが、ハンダコ姿は見当たらなかった。 |
ハンダコは、大正時代に発明された下着であり、江戸・明治期の日本男性の下着は褌だけだったことは、北斎漫画や浮世絵を見ればよく分かる。昨今のテレビ局の低俗な時代劇には、しばしばハンダコ姿の武士や町人たちが登場する。賭場開帳のシーンでも渡世人たちはハンダコ姿で、褌をしているのを見たことがない。あり得ないシーンを平気で放映するディレクターのレベルの低さを嘆いているところであるが、NHKの大河ドラマやしっかりした映画監督による時代劇では、時代考証がきちっとなされていて、男性は必ず褌姿で登場する。当たり前のことを喜ぶのは、腹立たしいことだが、低俗粗悪な時代劇があふれて、日本伝統の裸褌文化をないがしろにしているテレビ局に断固抗議すると共に、一刻も早く低俗時代劇が淘汰されていくことを期待したい。〈 完 〉 2010.7.9 和田義男 |
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