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Wa☆Daフォトギャラリー

 感動写真集

2005年7月15日改訂

♪島の祭り KasedaMusicLabo

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2004年6月18日作成

追手門前を駆け抜ける中村の練り子たち

祭り屋台in姫路(兵庫県姫路市)


  三の丸広場でたっぷりと練り合った氏子たちは、再度、大手門をくぐり、大手前通りに戻ってゆく。太陽が西に傾くなか、練り子たちは最後の力を振り絞って力自慢を競い合った。私も彼らと行動を共にし、裸衆に翻弄されながらも屋台に肉薄して激写した。
 

 
 

木場き ば

屋台
 
   全戸660の木場は、約900年の昔から「木庭の泊」として歌に詠まれ、塩の積出港として栄えたが、今は大規模なヨットハーバーがあり、多くのプレジャーボートで賑わっている。神輿屋台型屋台を初めて登場させたことで知られる。  
 屋台は木場港をイメージした菊水の紋所。伊達綱、練り子法被、鉢巻、シデを全て若緑で統一する。

木場の練り子たち

木場の練り子たち

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八家や か

の練り子たち
  法被を脱ぎ捨てた八家の練り子たちは、天守閣の見える大手門前の交差点で、疲労困憊のなか、最後の見せ場をつくった。屋台を高々と持ち上げ、大きく揺らして気勢を上げた。

法被を脱ぎ捨てた八家の練り子たち

法被を脱ぎ捨てた八家の練り子たち

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八家の力自慢

八家の力自慢

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八家や か

屋台の横転!
  大手門の前で気勢を上げた練り子たちであったが、力尽きたのか、屋台が横転してしまった。 練り子たちの背中の汗が西日に照らされ、鈍く光っていた。
八家屋台の横転!
八家屋台の横転!1 八家屋台の横転!2

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黄色の軍団・

宇佐崎うさざき

  宇佐崎の練り子は、全員黄色の法被(はっぴ)に身を包み、黄色の向う鉢巻・黄色のシデと、シンボルカラーの黄色を強調していた。疲労の色は隠せないが、最後の力を振り絞っていた。

黄色の軍団・宇佐埼の練り子たち

黄色の軍団・宇佐埼の練り子たち

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背中の文字

背中の文字

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向う鉢巻をしたシデ方たち

向う鉢巻をしたシデ方たち

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中村の練り子たち

 
 播磨灘に浮かぶ白い船のような屋台が中村の自慢である。背中を見せている棒端(ぼうはな)が屋台の進路を巧みにコントロールし、追手門前の交差点を無事に渡った。

追手門前を駈け抜ける中村の練り子たち

追手門前を駆け抜ける中村の練り子たち

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妻鹿め が

屋台
 妻鹿屋台は、他の2tonの屋台に比べ、2.5tonもある。「胴つき」と呼ばれる独特の練り上げ方のために屋台を強固な仕様にしたので、重量が増加したという。
 「胴つき」は、練り子全員が一斉に両腕の前腕部で屋台の練り棒を抱え、数回地面に直下させて弾みを付け、その弾みを利用して一気に肩に担ぎ上げる方法である。ずしんずしんと凄い地響きがし、豪快この上ない練り上げ方である。

最重量の屋台を担ぐ妻鹿の練り子たち

最重量の屋台を担ぐ妻鹿の練り子たち

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東山屋台 

 
 21世紀に入った2001年、100年ぶりに生まれ変わった金ぴかの紋所・千成瓢箪は、東山屋台を際だたせている。秀吉の馬印(うまじるし)にちなんで12の瓢箪を菊の御紋に仕立てたという。伊達綱は金糸の入った純白だが、シデ、法被、鉢巻は全て邪気を払う桃の色で統一されている。

 全てのプログラムが終了し、屋台をトレーラーに積み込む練り子たちは、一様に安堵の表情を浮かべていた。

トレーラーに積み込まれた東山の屋台

トレーラーに積み込まれた東山の屋台

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撮影 ・ 原作

 

住居: 岡山県

趣味: フィットネスクラブでの運動 (只今20年継続中) 水泳等

座右の銘: 「継続は力なり」 「歳月人を待たず」   座右の書: 「菜の花の沖」  司馬遼太郎

ちば☆フォトギャラリー

祭り屋台in 姫路のこと

 5月の中旬、JRの駅で何気なく通リ過ぎようとした時、祭り屋台in姫路のポスターが目に止まり、その瞬間足が凍りついたのです。それがこの祭りを知ったきっかけでした。
 折りしも和田さんから浅草・三社祭の速報版が送られてきた次の日で、その躍動感ある見事な写真をみて、私もいつか挑戦してみようと思っていた矢先でした。
 当日は和田さんから購入先を教えて頂いて手に入れた軽量脚立を持って、祭りが始まる前の9時頃に大手前通りに着きました。そこはこれから始まる祭りの静けさが辺り一帯に漂っている状態でした。ところが祭りが始まる10時頃になると、通りは一転して人と屋台でぎっしりと埋まってしまいました。

 最初は路肩の方でおとなしく写真を撮っていましたが、いい写真が撮れそうにもありませんでした。和田さんから先だって 『 祭りの写真は、祭りの中に飛び込んで汗とほこりにまみれ、もみくちゃになりながら被写体に肉薄しないと感動的な写真は撮れません。危険が伴いますので十分気をつけて下さい 』 と聞いていたので、私は我慢できず、祭りの渦に飛び込んで行ったのです。それからが大変でした!!躍動する屋台と裸衆、そして蠢く人波、それでも思うように肉迫出来ません。

 三の丸会場に入ると、そこはまるで戦場のようになっていて、ゆっくり脚立に乗って撮るなんて到底無理です。脚立に乗ったかと思うとすぐ移動しなければなりません。そうしないと屋台に押し潰されてしまいます。危険と背中合わせでの撮影となるんですね。万事が和田さんのいわれた言葉どうりでした。そして無我夢中で被写体を追って気がついた時には夕方になっており、飲まず食わずで撮った写真は500枚近くになっていました。
 私にとってこの類の祭りは初めての体験でした。エネルギッシュでエキサイティングな祭りを目のあたりにして雷に打たれたような衝撃を受け、心底感動しました。そしてこれからも勇壮で豪快な祭りを追って撮っていこうと思いながら、心地よい疲労とともに姫路を後にしました。

Wa☆Daフォトギャラリーに出会って

 あるときハッとする美しい外国の風景に出会った。流れくるBGMとマッチしたそれらの風景を観ながらそこで長い時間を過ごしていた。こうして和田フォトギャラリーに出会い、一度入り込むともう抜けられなくなっていました。それほど魅力的で知的なサイトだったのです。このことは私にとってかつてない衝撃的な出来事でした。
 数々の高品質で大画面の写真とともに、魅力ある端正な文体で綴った珠玉の作品を拝見しているうちに、思い切って一通のメールを出しました。それは2月の下旬のことでした。このようにして和田さんと出会ってから、そこから私の人生の目指す方向が変わったといっても過言ではありません。
 導きの師は「人生の宝」といいますが、今そのこと実感しています。卓越した技法と感性が高度に融和し凝縮している個性ある和田ワールドに触発されて、私自身、カメラやホームページ作成などに今現在挑戦しているところです。
 今日までの間、殆ど全ての作品を拝見させて頂きました。どの作品も云うまでもなく巧緻性があって抜きん出たものであり、高く光り輝いています。
 こうした師の沢山の知的財産のなかで、特に伝統的な文化が瓦解していく昨今に於いて、アイデンティティ豊かな日本の祭りや裸祭りを大切にされ、作品として纏められておられることに深く感銘を受けました。このことが今回の感動写真集の写真を撮るに至ったことに少なからず影響していることを疑う余地はありません。
 これからもインターネットを通して、八面六臂の活躍で人に感動を与える作品を生み続ける和田さんの大きな大きな背中を仰ぎみながら、私も夢に向かって頑張っていこうと思っています。 2004年6月18日 〈 完 〉
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